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第21話 夜明け前が一番暗い
夜の街を足早に、匡次郎のもとへむかった。
泣きじゃくってぼろぼろの顔を隠すようにパーカーのフードを被っていたが、それでも人の視線が集まっている気がして、落ち着かなかった。
匡次郎の泊まっている部屋の扉をたたくと、今日はすぐに開いた。
「……とりあえず入りな」
涙は止まったがぼろぼろの姿に、ひと目見て察したように匡次郎が迎え入れた。
「そんな格好でここまで来たのか」
そう彼に言われて、改めて見ると涙で袖は色が変わっており、飛び散った体液で腹部や胸元も汚れていた。
「ご、ごめん」
言われてみれば、央華に塗られたローションも拭かずにそのままで気持ち悪い。
いくら気を許してる匡次郎だといってもこんな姿を晒すのはまずかったかと、申し訳なくなった。
「はぁ……、洗ってくるよ、コインランドリーあるから」
こんな風に頼りっぱなしで、迷惑を掛けてるのに匡次郎は優しく受け入れてくれる。
それが嬉しくて、安心して、またぽろぽろと涙が溢れ出た。
「今お湯ためるから、風呂はいりな」
匡次郎がバスルームに入っていき、俺はぼんやりと立ち尽くして涙を袖口で拭っていた。
水音がし始め、匡次郎がまた戻ってきた。
「それで、何があったか話したいか? 話したくないなら聞かない」
匡次郎の声を聴くだけで、姿を見るだけで落ち着いてくる。
いつ見てもなんてきれいなんだろう。
央華とも慧菜とも違う、人間味の薄いような、異質さが美しい。
「……もうやめてって、嫌って、言ったんだ」
ぼそりと声に出してみた。
思ってたよりも声が震えていて弱々しい。
「嫌だっておもったら、胸が痛くて……苦しくて。それに2人のことも傷つけちゃった……ぜんぜん、うまくできない。嫌がる演技をしようって思ったのに、演技じゃなくなっちゃって……もう俺、ぜんぜんだめだ」
うまくまとまらないまま声に出していた。
匡次郎は何も言わずにただ聞いていた。
ちらりと見ると、目を伏せて考え込んでいて、何かを思い出しているようにも見えた。
「匡次郎……」
「お前は強いよ」
薄く笑みを湛える姿が美しい。
「生きてもがいて、前に進もうとして」
その言葉に含まれた意味をすぐには理解できなかった。
ただ否定するでも憐れむでもなく、認めるような言葉が不思議だった。
「さ、きれいにして温まると良い。僕は服を洗ってくるから」
匡次郎に手を引かれ、促されるままに服を脱いでシャワーで身体を流し、湯船に浸かった。
身体を洗いながら、また央華と慧菜のことを思い出し虚しく、苦しくなって一人で泣いた。
だけど、匡次郎の言葉に少しだけ許されたような気になっていた。
”生きてもがいて、前に進もうとして”
そんなのきっとみんな当たり前にしてることなのに。
うまく出来ないと気に入らないんだ。
きれいな形に落ち着きたいんだ。
でもいつもいつもそうはいかない。
自分の一番近いとこで、一番うまくいかないのって、神様は意地悪だよね。
湯船からでて、置いてあったバスローブを羽織り、バスルームを出た。
匡次郎はいなかった。
ベッドに腰掛けてしばらくぼーっとしていた。
石鹸の匂いに混じって、紙と絵の具の独特な匂いがしていた。
ふと、視界に映ったバルコニーに惹かれて、向かっていた。
外は暗く、夜景が無機質に輝いていた。
東京の夜は明るく、星は一つも見えない。
風呂上がりで外気に晒され寒い。
手すりに手を掛け見下ろすと、そこそこ高さがあった。
あの夜からも、死に強く惹かれていた。
何もかも投げ出して、捨てて、消え去りたい気持ちは消えていない。
それだけが救いだった。
死ねないから生きてるだけだって思ってた。
だけど。
「……さむ」
バルコニーから戻ると、いつの間に戻ってきたのか匡次郎がこちらを見ていた。
「おかえり」
匡次郎はそう言って水のボトルを差し出した。
「うん」
頷いて俺はそれを受け取る。
その場であけて喉を潤す。
喉を通り過ぎていく水の感覚に生きてるんだって思った。
ベッドに腰掛けて、体が怠くてそのまま横になった。
「風邪ひくなよ」
匡次郎がベッドに腰掛けてタオルを渡してきた。
受け取りながら、もう何度目かわからないけど、彼の姿に見惚れていた。
長い長い真っ白な髪の毛に真っ白な肌に、赤い瞳。
つんと澄ました印象の表情が、よりその美しさを引き立てている。
「匡次郎は、俺を抱ける?」
ふっと頭に湧いてでてきた言葉をそのまま口にしてしまった。
「や、えと……ごめん、なんでもない」
訂正しても遅いくらいはっきりと声は届いていたようだった。
焦る俺に身体を寄せて、匡次郎の顔が近づいた。
視界が白でいっぱいになり、その中で淡く色づく唇が俺のと重なった。
やわらかく滑らかで、想像よりも冷たくて、まるで彫刻に口づけをしているような不思議な感覚に陥った。
「俺とするのは高くつくぞ」
意味ありげに匡次郎は微笑んで、身体を離した。
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