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In Taipei

「で?」  あくまでも冷静に、郎威軍は上司の言い訳を促した。  台北に来たなら誰しもが目にするであろう圓山大飯店(ユエンシャン・グランドホテル)の、その中華風の優美な部屋の中央で、郎威軍は憮然としていた。 「え?何か問題でも?」  当の本人である加瀬部長は、とぼけた様子を隠さずに笑っている。  部屋は、ホテルの正面に当たる14階建ての宮殿式の本館にあり、中国式の装飾が為された広いベランダが特徴的だ。しかも8階のシティビューのプレステージホライゾンルームで、圓山大飯店に宿泊する最大の醍醐味が味わえる魅力的な部屋だった。  台北市内を一望する夜景、中国的な室内装飾、どれをとっても「龍宮」と呼ばれるにふさわしい風格のある圓山大飯店を堪能することが出来た。  台北に宿泊するなら、多少立地が不便であっても、歴史と伝統に裏付けられた品位のあるこのホテルにぜひとも泊まりたいと、加瀬部長がたっての申し出をするだけの事はある。 「部屋は別だって言いましたよね」  冷ややかな郎主任の態度をむしろ面白がるように、悪戯っ子のようなキラキラした瞳で加瀬部長はしゃあしゃあと答える。 「別やん。隣同士やけど」 「……」  呆れ切った郎主任は、ベッドの横にあるドアを黙って指さした。 「これは何ですか?」 「それは、ドアやね」  澄ました顔で言い返す加瀬部長に、ついに郎主任の我慢も限界だった。 「別の部屋と言っても、コネクトルームじゃ意味が無いですよね!」  加瀬部長と郎威軍は、圓山大飯店にチェックインをすると、2人仲良く部屋へ向かい、確かに隣同士とは言え別々の部屋に入った。  だがすぐに郎主任の部屋に加瀬部長が押しかけて来たのだ。何かが不自然だと感じた郎主任は目敏く隣の部屋と繋がるドアを見つけてしまった。 「いやいや。コネクトルームにするには、こっちの部屋からのドアの鍵を開けとかなアカンのや」  そう言いながら加瀬部長はもったいぶった様子で、郎主任が指さしたドアの鍵を開けた。その向こうにはもう一枚ドアがあり、そちらはすでに開放されている。  これで隣同士の2人の部屋は1つに繋がった。 「なあ…」  「声優部長」と渾名される加瀬志津真が、艶っぽく甘い声で恋人に囁きながら、指先を伸ばし、ゆっくりと郎威軍の頬に触れる。 「今夜は、どっちのベッドで寝る?」  誘惑的な恋人の声音に、いつまでも眉間を寄せていることの出来ない郎威軍が、ここにいた。 「俺は…どっちでもエエんやで?大事なんは、隣にウェイが居ることだけなんやから」  恋人だけに聞かせる、「声優部長」の鼻に掛かった低く濃艶な声だ。 「……。夜景を見ながら相談するのは?」  頬に当たる恋人の手にその白い顔を寄せながら、優しい態度で郎威軍が言った。 「エエな」  軟化した威軍の提案に、志津真もまた嬉しそうに微笑んで、そのまま手の中の美貌を引き寄せ、深く口づけた。 「もう…」  恥ずかしそうに笑いながら、威軍は志津真の胸を押し返す。 「なんか、飲む?」  威軍の腰に回した腕を緩めて、志津真は冷蔵庫に向かう。  そして中を空けると、何か珍しいものを見つけたらしく、小さく「おっ」と声を上げた。  定時の仕事を終え、真っ直ぐ上海浦東空港に向かい、そこで軽く夕飯を済ませていた2人は、志津真が見つけた台湾名物のフルーツビール缶をそれぞれ片手に、広々としたベランダで台北の夜景を楽しんでいた。 「あ、飛行機が飛んでんの、キレイに見えるなあ」  ちょうど飛行機が遠くで光っていた。  確かに、まるでCM撮影にでも使えそうなほど良く出来た構図だ。  宝石を散りばめたような街の明かり。その上に輝く飛行機。こんな光景が楽しめるのも、圓山大飯店の場所がいいからだ。 「なあ、昔、ここって日本の神社があったんて知ってる?」 「占領時代ですか?」  日本の台湾統治時代を、大陸の中国人は否定的に「占領時代」と言うが、意外にも台湾人は好意的だ。日本の統治時代にインフラ整備や教育制度の徹底などが行われたと評価している。台湾が、世界一の親日国と言われるのも、そのような考えが根底にあるからだ。  だが、今でも反日教育が行われている大陸側では、「自分たちの土地である台湾を日本が奪った」と教えられているため、かなり否定的な意味で「占領時代」という言葉を使っている。  郎威軍など、日本語をネイティブのように扱い、日本の文化や習慣を良く知っている中国人は、台湾人の考えも受け入れてはいるが、子どもの頃から叩きこまれた「歴史」は、少なくとも言葉としては簡単に変えられずに、それほどの意味を持たせずに「占領」という言葉を使ってしまう。 「ん、まあ、台湾が日本やった頃、な」  一方で、歴史的、政治的なぶつかり合いを避けるよう、官僚時代に習慣になっていた加瀬志津真は、曖昧な言い方で問題を避けることが巧みだ。 「この土地が良かったから神社が出来たのか、神社があったからこの土地がいいのか知らんけど、このホテルそのものがパワースポットになってるんやって」  龍宮と呼ばれる中国宮殿式のこのホテルのシンボルでもある、赤いベランダの手すりに凭れながら、志津真は手にしたマンゴービールを飲み干した。 「パワースポット?」  思わぬ言葉に、威軍は聞き返していた。威軍の手にはパイナップルビールの缶がある。 「このホテルに泊まったら、幸せになれるってことや」  そう言って、志津真が威軍の頬に、チュっと音高くキスをした。 「な、何するんですか!」  ベランダとは言え、部屋の外のパブリックスペースでの行動に、威軍は焦って周囲を見回した。幸いなことに、近隣の部屋から明かりは漏れているが、ベランダに出ている人間は誰一人居なかった。 「そんな慌てるなって。台湾は、同性婚も認められてるんやで?男同士のキスくらい、何でもないって」 「だ、だからって…」  余裕を見せて笑っている志津真に対して、威軍は激しく動揺していた。そんな初心(うぶ)で真面目な威軍が、志津真には可愛くて仕方が無い。 「部屋へ戻ろう。今夜はお前のベッドでエエやろ?」  志津真の誘いに、浮かぶ笑みを噛み殺し、取り澄ました顔をして威軍は言った。 「明日からの仕事に差し障りが無い程度に、ですよ」 「はいはい」  適当な返事をしながら志津真は部屋に戻った。そんな後姿を見守りながら、期待を顔に出すことも無く威軍もまた、残りのパイナップルビールを飲み切ったせいではなく、ただ頬を赤らめてベランダを後にした。

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