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第1話
プロローグ
森山ダイキは出勤前からうきうきしていた。それもそのはず、今日から部署異動で、捜査一課に配属されることが決まったのだ。
鏡の前で大きな体を屈ませ、前髪にワックスをもみこみ、束感を出して左に流す。眉のカットも忘れずに。
「よし! 年上で、かっこいいイケメン上司に出会えますように!」
身支度を整え、玄関に向かうと、男の一人暮らしには似つかわしくない、今時珍しい仏壇にパンッと手を合わせる。
「ばあちゃん、いってきます!」
おろしたての革靴に足を通し、自転車にまたがり出発する。
早朝の街はまだ薄暗く、冷たい雪がちらついている。
だが、ダイキはまだ見ぬ理想の上司に胸を高鳴らせる。
(できれば包容力があって、優しかったら最高)
あわよくば恋人になりたいが、年上の男はたいてい既婚者だ。
(まあ、目の保養になればいいし、仕事にハリがでれば十分!)
動機は不純。それでもいいじゃないか。
ダイキは足取り軽く、警視庁へ向かった。
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「今日付けで捜査一課に配属されることになった森山ダイキ、二十六歳です! よろしくお願いいたします!」
勢いよくお辞儀をするダイキに対し、愛崎 班はマイペースな調子だ。
「紅一点の紅 優希 よ。よろしく。君、背高いね~。百八十六? へえ~ガタイもいいわね」
ヒールに赤い口紅がよく似合っている。茶色の髪をくるりと後ろで巻き上げ、赤い縁あり眼鏡が妙に色っぽいとダイキは思った。
(それにしてもかるいな……もっと怖い感じかと─)
拍子抜けしていると、目の前にすっと骨張った手が差し出される。
「この班をまとめてる愛崎だ。一応主任、よろしくな」
「……!」
柔らかく、優しそうな瞳に惹きこまれる。きりっとした眉には男らしさがあり、元ラグビー部のダイキより一回り小さく、細見で、とにかくスタイルがいい。
思わず差し出された手を両手でぎゅっと握り返し、愛崎がドン引きするのも構わず、身を乗り出す。
「愛崎主任! めちゃくちゃタイプですっ! 理想の上司っていうか……今こい──ッツぅ!!」
〝恋人〟という前に脳天に激痛が走り、ダイキは頭を押さえてその場にうずくまる。
「い、いまどきっ……な、殴るとか、ありえないっす……幻滅ですっ……!」
ダイキはショックを隠せない。せっかく性癖に刺さるほどの男が、よりによって、手が出るタイプだなんて──それは一番ダイキが許せない部分なのだ。
「さっさと立て。パトロールいくぞ」
愛崎の頭に鬼の角が見える。あまりの威圧感に、さすがのダイキも震える。
「ふっ……ふぁいっ!」
「返事は〝はい〟だ!」
「はいぃっ!」
頭を手でさすりながら、ダイキは先を行く背中を追いかけた。
車の運転席に乗り込み、とりあえず発進させると、愛崎が助手席で資料をぱらぱらとめくる。
「とりあえず、最近この時間に事件があったところ、ぐるっとまわるか」
そう言って愛崎が指定するのは、ひったくりや不良グループのけんか、夫婦の口論など、およそ捜査一課の管轄とは思えない小さい事件ばかりだ。
「そういうのは俺たちの仕事じゃないんじゃ……いでっ」
「ばーか。俺たちの仕事になる前に、防げたらいいだろ?」
紙束でダイキの頭をはたきつつ、愛崎がにっと笑う。
「……ほんとに、暴力さえなければもろタイプです」
「……今年よんじゅーの男に何言ってんだ」
愛崎があきれたようにつぶやき、長い足を組んで窓にもたれる。流れる動作が色っぽい。
「……見えないですね。スタイルもいいし、鍛えてます?」
組み敷けば、おそらくダイキの下にすっぽりとおさまるサイズ感だろう。
チラチラとよそ見をしながらなおも質問を続けると、愛崎のこめかみに怒りマークが浮かぶ。
「俺がパワハラなら、お前のはセクハラだからな」
「純粋に男が恋愛対象なだけです」
ハッキリ答えると、愛崎が助手席で大きなため息をつき、上体を起こしてダイキに言い含める。
「森山お前、少しは気をつけろよ。そういうの偏見とか持ってるやついるんだから。さっきも職場で言いかけただろ? もしなんか言われたら──」
「カンケーないですって。ちなみに、愛崎主任はどっちですか?」
「……俺はふつーに女がいいよ」
「それは残念です」
あー言えばこう言う──一歩も譲らないダイキに、愛崎はお手上げとばかりに、助手席に深く座りなおす。
「その強引さは、刑事には向いてるかもな」
そう皮肉とも誉め言葉ともとれるようにつぶやき、窓の外を眺める。その横顔は、思わず抱きしめたくなるような憂いを帯びている。
(男くさい感じなのに、シャンプーと石鹸のいい匂いがするんだよな)
どこか昏い色気が愛崎にはある。ダイキはそれを、長年刑事をやってきて、見たくないものを見てきたからだろうと思う。
(ほんとに、手さえ出なければなー……)
「蛇行してるぞ。ちゃんと運転しろ」
「あ、はい! すいませんっ──」
ダイキはハンドルを握り、頭の中の邪念を振り払って前を向く。
〝ザザ……えー〇×ショッピングモールで刃物を振り回している男がいると通報あり、パトロール中の警察官は──〟
「森山!」
「向かいますっ!」
現場は、ショッピングモールの入り口だ。そこで刃物を持った男が、通行人を無差別に切りつけて暴れているらしく、機動隊まで出動して大騒ぎになっている。
「状況確認してきま──って主任!?」
ダイキは焦る。愛崎はあろうことか、機動隊や警察官が取り囲んでいる犯人に、一直線に突っ込んでいったのだ。
「なんだお前、こ、殺すぞっ!」
ダイキが躊躇っている間に、愛崎に気づいた犯人が、彼めがけてナイフを振りかざす。
「主任ッ!? 危な─」
「ぐ゛ぇあ!!」
だが倒れたのは男の方だった。愛崎はイノシシのように突っ込んでくる男に対して身体を平行移動させ、そのまま相手の腹に膝をめり込ませたのだ。
「え……」
まわりの警官も、あまりに一瞬の出来事に言葉を失う。
「げぇっつ、げほっ、ひっ!」
取り落としたナイフを足で遠くに蹴り飛ばし、青ざめている男を愛崎が見下ろす。
「何人切った?」
ぞっとするほど冷たい声だ。
(この人、こんな顔するんだ─)
犯罪を、それを実行した相手を、心底軽蔑している目─。
「ちょ、森山くん! 止めてっ!」
遅れて到着した紅が、血相を変えてこちらに走ってくる。ダイキは急いで男に手錠をかけるが、紅が再び叫ぶ。
「そっちじゃなくて、愛崎を止めて!」
「え」
「うぐうっ!」
愛崎の靴先が、うずくまっている犯人の腹に再びめり込む。
「何人切ったかって聞いてんだよっ! このクソがっ!」
「えええ!? 愛崎主任っ! やめてくださいっ! もう手錠もかけて、投降してますっ!」
ダイキは思わずタックルし、犯人と愛崎の間に割って入る。
「邪魔だっ!」
「いった! 主任ッ! ダメですって!」
だが、ダイキより一回り小さいというのに、逆に吹っ飛ばされてしまった。
過剰防衛はさすがにまずい。ここに来るまでにゲンコツをくらったダイキだが、まさか犯人にまで手を、いや足をあげるとは思わない。
「愛崎主任っ!」
逃げる犯人の背を踏もうとするその足に再びタイブし、両腕で押さえる。
「どけよっ! あと二、三発喰らわす!」
「ダメですって!」
「そ、捜一の愛崎だ! 止めろっ! 犯人が病院送りにされるぞ!」
結局、機動隊の二人も加わり、ようやく犯人と愛崎が引き剥がされる。
「はあ、はあっ、もう、勘弁してくださいよ」
ふらふらの足取りで、二人はパトカーへ乗り込む。
「はあ、はっ、くそ、手加減してんだから殴らせろよ」
「相手吐かせといて、っ、よく、言えますね」
両肩で息をするなんて、久しぶりだ。人よりも体力があると自負していたのに、まさか振りほどかれるとは思わなかった。
「…………ッ」
ダイキは震える手のひらをゆっくりと見つめる。それは武者震いでも、緊張が解けたからでもない。
昔の、イヤな記憶からだ。酒に酔った父親に、殴られた記憶──。
「なんだお前、震えてんのか?」
からかうような声音に、ダイキは怒りが爆発する。
「いけませんか!? 主任か俺、どっちか刺されてたかもしれないんですよ!? 怖かったに決まってるじゃないですかっ!」
はあ、はあっと鼻息荒く睨むと、愛崎が驚いた顔でダイキを見る。
「いや、悪かった。お前の言う通りだ」
「へ? あ、えと」
まさか素直に謝られるとは思わなかったダイキは、いたたまれない。
「わ、わかって頂ければ……いいんです」
むすっと拗ねたように口にするダイキに、愛崎が吹きだす。
「ふはっ! お前、生意気なのか素直なのかわかんねーな!」
眉尻を下げ、少年のように口をあけて笑う愛崎に、ダイキは一瞬、心を奪われる。
(いや、いやいやいや……暴力振るうやつなんてありえねーしっ!)
高鳴りそうになる胸の鼓動を、ダイキはそっと押しとどめた。
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