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第6話

   6  それからダイキは何かに取り憑かれたように似顔絵を作成し始める。とくに、目撃者はいるのに未解決のままの事件を念入りに調べ上げ、当時の関係者に再度聞き込みを行い、似顔絵を作り直すことに没頭する。 「森山くん、最近頑張ってるね、どうしたの?」  デスクで似顔絵を作成していると、紅が声をかけてくる。 「ええ、まあ」 「まあって……なーんか変」  納得いかない様子で紅が頬を膨らませる。 「さっき愛崎にも同じこと言ったんだけど、あっちもそんな感じでさ。……ね、あんたたちさ、よくわかんないけど、まだ仲直りできてないの? 飲み会の後、二人で話したんでしょ?」  以前のダイキなら、きっとカミングアウトして今の状況を洗いざらいぶちまけていたことだろう。だが──。 (愛崎主任に、これ以上迷惑かけたくねーし……) 紅と愛崎は同期で仲がいい。まさか告白してふられました、なんて、絶対に言うわけにはいかない。 「別に、何もないですよ。じゃ、俺ちょっと被害者と会うんで、行ってきます」 「も~なによ。たのしくな~い!」  ダイキは走る。 〝似顔絵捜査って、検挙率一パーセントにも満たないですよね? 百枚描いて成果がでるかどうかって、今AIもあるのに、ちょっと、ダサくないっすか?〟  あの時の自分をぶん殴ってやりたい。 (一年に一件だろうが、十年に一件だろうが、そんなの関係ない。その一件一件に、被害者の人生が乗っかってるんだ─) 「事情聴取? レイプ犯の!?」  足早に取調室に向かう愛崎を、ダイキが追いかける。  愛崎とは、あれからそういう話は一切していない。お互いに触れないように、微妙な距離を保ちつつ、健全な部下と上司を演じている。 「ああ。最近お前、似顔絵を書き直して各班や所轄に配ってるだろ。そのおかげで、昨日目撃情報が入って、逮捕につながったんだ。お手柄なんだ、もっと喜べよ?」  愛崎がねぎらう様に柔らかくほほ笑む。 「そう……ですけど─」  確かにそれは、少しでも被害者が報われてほしいと、夜通し書き直した甲斐があった。だが、これでは本末転倒だ。ダイキは、愛崎が傷つくのをみたくない。 「誰か、他の人に任せられないんですか?」  その言葉に、ぴたりと愛崎の足が止まる。 「主任─?」  あの日と同じ、胸が締め付けられるような悲し気な笑顔で、愛崎がこちらを見上げる。 「なあ森山、俺はかわいそうか? ずっと守ってやらないと、一人でトイレにも行けないように見えるか?」 「っつ」 「お前には、そう見られたくなかったな」 寂しそうに笑って、愛崎が取調室へ入り、バタンと扉が閉まる。  ダイキはゆっくりと身体を揺らし、壁にもたれる。 「あーくそ、失敗した……」  壁に力なくパンチし、唇を噛む。 「なにやってんだ、おれ……」  庁内の社員食堂でぼんやりと食べていると、紅がやってくる。 「もっりやっまくーん、隣いい?」 「どうぞ」 「どーも。似顔絵描きまくってたと思ったら今度は急にやる気なくしちゃって。みんな心配してるわよ」 「ああ……すみません、ちょっと、いろいろあって……」  声に力がないのが、自分でもわかる。ぼんやりとごはんを口に運び、飲みこむ。 (味、しないな……)  大事にしたい人を傷つけて、失望させてしまった─。 〝お前には、そう見られたくなかったな〟  どうすれば良かったのだろうか。そして、これからどうすればいいのだろうか。 (バカかよ、俺は……あきらめるしかないってのに─) 「あ、見て、この間、森山くんの似顔絵で検挙した犯人、実刑出たみたいよ」  紅の言葉に、社員食堂にあるテレビに目を移す。 『懲役五年の実刑判決がくだされました』 「あれだけのことやっといて五年て……すぐ出てきちゃうじゃん」  紅の言葉に、ダイキもうなずく。 「ほんとですよね。ずっと入ってればいいのに、いつか釈放されるなんて─」  ガタンッとダイキが勢いよく立ち上がる。 「なに? どうしたの? 急に」 「すみません! 俺、ちょっと気になることあって!」 「ほんと、せわしないわね~」  バタバタと食堂を後にし、慌てて愛崎を襲った犯人の刑期を確認する。  一般的に強制性交の量刑は五年、だが愛崎を襲った男は他にも同じ罪で六件、うち二件は強姦殺人で起訴されていた。 「二十五年!?……うそだろっ」  模範囚ならもっと早く刑期を終えているかもしれない。だが、ダイキは気になり、犯人が収容されていた刑務所にも問い合わせる。 「ああ、釈放されてますよ。えーと、もう半年前ですね」 「!? わかりました。ありがとうございます」  携帯を切り、ダイキは考える。 (半年前ってことは……ちょうど一緒に飲みはじめた時じゃ……)  毎回潰れるほど飲むからおかしいとは思っていた。でも、まさかそんな──。 〝たのしーし、お前と飲んだら、よくねむれる〟 (犯人が釈放されたことは、当然愛崎主任も把握してるはず……半年前、毎週俺を誘ってたのって─) 「一人になるのが、怖かったから─?」 「た、ただいま戻りました~」  ダイキはその日の業務を猛烈な勢いでこなし、終業時間前にオフィスに戻ると、紅が報告書をまとめているのが目に入る。 「はあ、はあっ……主任は、まだですよね?」 「帰ったわよ」 「帰った!? え、もう!?」 「そ。珍しいわよね。なーんか最近疲れ取れないみたいで、今日は早く帰って寝るって─って森山くん!?」 「おつかれさまでしたー!!」 「なんなのもう。騒がしいわね」  いつも酔いつぶれた時に送っていたから家の場所はわかる。ダイキは冷たい秋風の中、走って、走って、走りまくる。 (事件が起きたのは、夜の十九時、ちょうどこの時間、天気は晴れ、塾の帰りに公園に連れ込まれ─) 「ハアッ、ハアッ……」  会ってなにを言えばいいのかわからない。しつこいと怒られるかもしれない。でももし、一人で不安になっているのなら── (そばにいたい─!) (いた……)  家まで五百メートルというところだ。人通りは少なく、ちょうど事件現場と同じような薄暗い公園がある。  そこにさしかかった途端、足早に通り過ぎていく愛崎を見て、ダイキは自分の直感を確信する。 (やっぱり怖いんだ……)  どう思われてもかまわない。家まで送ってあげたいと、ダイキは後を追う。  ガサッ 「!?」  だが愛崎とダイキの間に、公園の草むらから突然男がふらりと飛び出してくる。青ざめたように愛崎が振り返り、後ずさりをする。 (動きが鈍い……いつもの愛崎さんじゃない!)  男が愛崎に向かって右手を振り上げる。街灯にキラリとソレが光り、ダイキはとっさに叫ぶ。 「主任! 右手に包丁!」  その声に愛崎がハッとし、男の攻撃をかわして腕をひねり上げ、そのまま両腕を首に巻き付け、締め落とす。 「はあ……はあ……」  ノびた男から愛崎がばっと離れ、公園の青いフェンスに身体をあずけたまま、そのままずるずるとしゃがみ込む。 「主任っ、大丈夫ですか!?」 「森山?……なんで……いや、それよりマトリに連絡しろ。絞めた時、ヤクの匂いがした」 「! わ、わかりました」  男は見事に白目を剥いてオちている。ダイキは自分のネクタイをほどき、念のため男の手首を縛りあげる。それから言われた通りに連絡し、男を引き取ったパトカーが去っていく。  それを見送り、ダイキは地面に座ったままの愛崎に声をかける。 「主任、そろそろ家まで送りますよ。すぐそこですけど、寒くなってきたし」  季節は秋から冬に移行しようとしている。この時期の夜は、かなり冷え込む。  だが愛崎は動かない。ぎゅっと縮こまったまま、顔を上げようともしない。 「─なんで来た」  声音が硬い。ダイキは拳を握り、正直に答える。 「……すみません。主任の過去調べてたら、犯人が半年前に釈放されたってわかって……それで─」 「心配になったのか?」 「……はい。それと、同情も、たぶん、少しだけ─」  そう答えると、愛崎が吹き出す。 「ははっ、おまえ、ほんと正直だなっ!」 眉尻を下げて大きく口をあけて笑う。それは、久しぶりに見た笑顔だ。 「モノ好きなやつだな。全身葉っぱまみれで、髪もぼさぼさになるまで走って。俺なんかのためになんでそこまで─……」  言ってしまって、愛崎がハッとしたように口をつぐみ、ダイキから視線を逸らす。 「あなたを、一人にしたくなかったから─」 「─ッツ……」  だが愛崎はびくっと顔を強張らせ、またうつむいてしまった。 (やっぱり、迷惑だったかな……)  襲われようとしていたのだから、来たことに後悔はない。 だが、愛崎ならきっと、一人でも対処できていただろう。 (せめて今日は、家まで送りたいけど、どうしよう……)  迷いながら愛崎の様子を見ていると、わずかだが、身体がふるえていることに気づく。 (あ……動かないんじゃなくて、動けないんだ……)  気づかないフリをするべきか、それとも手を貸すべきか迷っていると、それに気づいた愛崎が自嘲気味に笑う。 「はっ……情けないって思ってんだろ。あいつが俺を覚えてるはずがない。それなのに、眠れなくなってさんざんお前を飲みに誘って、振り回して……同情するなとか言っておいて、このザマだ。さっきだって、お前がいなかったから、きっと─ああ、くそっ」  体育座りのまま、自分を落ち着かせるように両腕で抱きしめる。  その様子に、ダイキは怒りがこみ上げてくるのを感じた。 「……バカでしょ。あんた」 「─は?」  いきなりの喧嘩腰に、愛崎も睨み返してくる。 「だって、そうでしょ。襲われたら怖いに決まってます。俺だって泣いてふるえる自信がある! それなのに、そんなあんたを見て、俺が〝情けない〟とか〝カッコ悪い〟とか思うわけないっ!」  はあ、はあっと鼻息荒く、ナメないでくださいとつけ加えると、愛崎は驚いた顔でダイキを見上げ、ふいに表情を和らげる。 「前もそう言って、お前怒ったよな……」 「え」 「覚えてないか? 異動した初日。俺が犯人に突っ込んでいって、怖かったってふるえるお前をからかっただろ? その時、〝いけませんか!?〟って」 「あ、ありましたね」  もはやなつかしさすら感じるほど、遠い思い出に、ダイキもはにかむ。 「はは。あの時、すげーかっけーなって思ったんだよ。お前のこと」  そう言って照れくさそうに笑う。  初耳だ。そんな風に思っていてくれていたなんて。ダイキはくすぐったい気持ちになる。 「……主任もカッコいいですよ。どんなに怖くても泣き寝入りしなかったし、今もずっと闘ってる。だから、こういう時くらい頼ってください」 身を屈ませ、手を差し出すと、愛崎は怒ったようにそっぽを向いてしまう。 「……っやめろ、泣きそうになる」 「いいですね。泣かせたい」 「……おまえもばかだろ……」  そう言ってうつむくが、耳が朱い。 今ぐらい、調子に乗っても許されるだろうか。 ダイキは愛崎の手をつかんで引き上げる。 「お、おいっ」 「いいじゃないですか。今人いないし。葉っぱまみれになって駆けつけたお駄賃ください」  そう言うと、愛崎が笑う。 「ふっ、〝お駄賃〟て。ばーちゃん子って感じするな」 「〝ぽい〟っすか?」 「ああ。めちゃくちゃ〝ぽい〟」  部屋につくまで、握った手が振りほどかれることはなかった。
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