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三話 出撃

 五鬼遺跡の塀が途切れた辺りで東に曲がり、高田という山麓の町へと差し掛かる。  間口の狭い町屋が並ぶ平地とは風景が変わり、坂道と枯れ葉色の土塀が続く。  広く整然とした旧邸が軒を連ね、屋敷の門扉を解放して文化人が集うサロンを形成する者、遺跡に簡易な店舗を築いている者が目に留まる。  やがて道の左右に目的の建物が現れる。  右手には、道路に面した木造三階建ての古めかしい民家。  ネオ南都では、これでも高層建築と言える。  広い窓を覆う格子が階ごとに異なる間隔を刻む、重厚な建物だ。  左手にあるのは近年造られた道場で、向かいの民家の住人が所有している。  表門を潜り、前庭を抜けて道場に入る。  まだ由利の他には誰も来ていない。  ここの主は、今日は備品の買い出しで家を空けている。  黙々と木人や袋竹刀を準備していると、由利と同年代の女が入って来た。  高い位置で二つに結わえた栗色の髪が犬の耳のように揺れている、線の細い姿。  袖がそのまま手甲になったオフショルダーのミドリフトップ、ガーターの付属したルーズソックス、そしてフィルム素材のミニスカートとチョーカーという面積が少なく風通しの良い格好だ。  左手には手甲の上から鋼製のリストバンドを付けていて、ごつごつとした固着具で囲まれた凹みの中に真鍮の棒が一本嵌っているのが鈍く光った。 「やっほー、由利」 「よお、栗栖(くりす)」  中井栗栖は由利と共に『モノノベ』に属する一員だ。  昼は人々を道場に受け入れて無償で戦い方を教えている。  モノノベは危険な仕事かつ希少な物を取り扱うので自ずと財が流れ込む。  富と共に高い武力を持つ故に特権階級になってしまうことを避けようと、道場での対価は受け取っていないのだ。    因みに栗栖は大金を貯めてネオ南都に『遊園地』なるものを建設するのが夢だと言ってモノノベに入って来た。  遊園地が何なのか由利にはあまり分からないが、栗栖が命を賭して戦ってでも造りたいというのならば、きっと良いものなのだろう。  やがて子ども達が道場に集まって来る。  初心者には栗栖が手本となって大振りな動きを繰り返し、刀の持ち方や振り方を覚えさせる。    慣れてきた者には由利が監督し、木人に素早く斬り込ませたり、型を学ばせたり、 時にはその型すら捨てて必殺の一撃を繰り出す機転を身に付けさせたりと、様々な応用を教えていく。  昼頃には子ども達を帰し、由利と栗栖は道場の向かいの民家――モノノベの詰所に移る。  家主は不在だが、合い鍵を貰っている。  扉を開いてすぐ広がっているのは、バイクのガレージを兼ねた土間だ。  ケンコン社のオン・オフモデル電動バイク『マリシテン』の蒼白い機体が、吹き溜まる闇の中で妖しく輝く。  全部で五台、それぞれカスタムされて見た目は多少異なっている。  左手の上がり框から畳へ足を乗せると、そこは見世の間と呼ばれる応接室だ。  道に面した南側は格子で覆われた大窓、中央には火鉢。  北側には同じような大きさの部屋が二つ連なっていて、真ん中が寛ぐ為の中の間、裏庭を望める最奥が事務仕事用の奥の間。  いずれも萱草(かんぞう)色の使い込まれた畳に黒漆の艶やかな家具、派手すぎない調度品の見事な空間で、昼は外から採り込んだ陽光が、陽が落ちてからはシャンデリアの電灯が照らすようになっている。  中の間からは、風呂や御手水、料理房へ通じる回廊へ出られる。  回廊に囲まれた中庭には季節の草花と清らかなつくばい、そして一匹の牡鹿が完成した絵画のように存在していた。 「鹿島さーん、ご飯やでー」  野芝で一杯の籠を手にして栗栖が中庭へ駆け寄ると、鹿島という名の鹿は、産毛が光る丸い角の生えた頭を上下させて喜んでいる。 「鹿島さん、今夜のホルモノイド濃度はどんなもんやろ?」  栗栖が問えば、錆びた蝶番の軋むかのような鳴き声が返ってくる。  今日の鳴き声は、中くらいの長さのものが二度。 「うん。今夜は、大型は出えへんそうやな。 群れは来よるかもしれんけど。方角は南寄り」 「そうか」 「安心した?」  栗栖はにやにやしながら由利の顔を覗き込んでくる。  由利は近くの硝子障子に映った顔を検めるが、特に変わったことは無い。  いつもの如く表情に乏しく、強いて言えば怒っているように見られてしまうスカーフェイスがあるだけだ。 「何で俺が」 「まだ戦いに慣れてへん相馬を連れて行かなあかんねんから、敵が凶悪すぎひんに越したことは無いやろ」 「俺が後輩を心配しとるみたいな言い草は止めろ。  いざとなったら守ってもらえるって無意識にでも刷り込まれてしもたら、その結果危ない目見るんは相馬やぞ」 「相馬の前では言わへんよ」 「普段から思てることすぐ言うとったら、いつか口が滑る」 「失礼やな、私かて状況考えてから発言しとるわ。  特に仲間の安全とか士気に関わることはな」  二人の目線が、自ずと中の間の階段箪笥へ注がれる。  元は別の所に置いてあったものを持って来たので、今はどこにも通じていないただの飾りだ。  そして最上段には額縁のように立て掛けられたジュエリーボックスがあり、白いクッションに二つ、モノクロームの細密画が嵌った指輪が眠っていた。 「――やけど、たまには甘い顔も見せたっても悪ないと思うで」  栗栖の声で、由利の意識は指輪からこちらへ引き戻される。  放っておけばいつまでも指輪に吸い寄せられていたのは、栗栖だって同じだろうに。  栗栖は再び道場へ籠って鍛錬を始めた。  由利は中の間でテーブルにノートを広げ、ペンを片手に、刀の持ち方や構え、一つ一つの型、敵の性質の観察や敵の不意を衝く方法について思い付いたことを、覚えたての字を使いながらゆっくりと書き付けていく。  時を忘れているうちに、空に朱が滲んでくる。  照度の低下を感知し、町に自動で明かりが灯っていく。  季節に合わせて桃花や鶯の絵を付けた提灯、電線に括り付けられたワイヤーライト、辻に置かれた石灯籠。  無数のフィラメントが、ネオ南都に迫り来る闇を極彩色で塗り潰す。  詰所の軒先にも釣灯籠が下がっており、赤い光を放っている。 「ああ~、干からびてまう」  道場から戻って来た栗栖が、呑気な声を上げながら料理房へ向かって行く。  暫くして、玄関から少年が入って来た。  ラフにカットした茶髪に、あどけない顔。  由利達より幾らか年若い彼は、最近モノノベの一員となった番條(ばんじょう)相馬だ。  筋肉のぶれや歪みを無くすエレクトロウェアの上にワイシャツと股立ちを取った袴を着込み、 利き目である右目にモノクルを掛け、レーザー銃を背負った出で立ちをしている。 「ども、こんばんは」  相馬はぺこぺこと頭を下げる。 「おう。まだ佐久良は帰って来てへんから、取りあえず三人で出るで」  そう言って筆記具を片付ける由利の側で、回廊を渡って来た栗栖が麦茶を飲みながらふんふん言っている。  挨拶を返しているのだろう。  そして三人は土間へ集まる。  沓脱石の前に立ち、由利が相馬に向かって話す。 「味方の無事は、いちいち気にするな。  俺も仲間のことはいちいち助けへんつもりや。  敵の動きだけを追え。  普段喋っとる時とはちゃうねんから、俺が何か命令しても、いつもの癖でこっちに目ぇ遣ったらあかんぞ」 「はい」  冷たく言い放つ由利に、相馬は真剣な眼差しで頷き返している。 「モノノベの奴らは無謀なことはせえへん。  敵に悟らせへん為に口に出さんことが多いけど、必ず策はある。  やから仲間が何をしとっても敵から目を離すな。   ほんで、自分が敵の立場ならどう動くか予測して叩け」 「分かりました」 「――まあ、どうしてもあかんと思たら、銃のフラッシュライトで追っ払え。引き受けたる」  後付けのように由利が言うと、相馬からは見えない角度に立った栗栖が、からかうような笑みを向けてきた。  それについては無視しておく。 「ど、どうも。でもそうならへんように頑張ります」  相馬は、栗栖とは対照的に素直そうな笑顔を向けてきた。  ガスマスクで鼻と口を覆うと、三人はマリシテンを駆って詰所を出て行く。  藍が茜を上回った空は、着実に圧倒的な闇を招き始めている。  それを必死に晴らそうとする人工の光が作り出す、昼の長閑さとは打って変わってハイコントラストな町並みを、ボディやホイールに組み込まれたダイオードからルミネセンスの蛍光を放ちながら三台のマリシテンが南西に向けて突っ切っていく。  民家が少なくなってくると、徐々に町の灯りの種類も変わってくる。  誰かが空き地のフェンスや廃屋の壁にネオンサインで『天上天下唯我独尊』『莫忘浄世講之狂気』などの文句を象った大きなものが目立つようになる。  やがてそれすら消え失せ、耕作を放棄されて数百年、敵が潜む死角にならないように時折刈り込んでいるというだけの荒野へ突入する。  遮蔽物が無くなり、バイクの高いモーター音は天まで抜けて行く。 「――居った。環陣(かんじん)遺跡や」  由利の声を無線で聞いた栗栖と相馬は、木々の向こうに覗く遺跡の瓦屋根を見上げる。  錫色の体がこちらを窺っている。  敵の姿だ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  次々回は攻めの登場回です! 思いっきりイケメンに書いているので、お楽しみに!  栗栖と相馬は恋愛には絡んできません。気のいい同僚&可愛い後輩ポジションです。

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