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五話 最強のDom
茂みの向こう、本堂より小ぶりなお堂の屋根の上に、由利は見慣れた人影を認めた。
桜色の光はその青年から発せられている。
眉の辺りで無造作に切り揃えられた前髪の下には、玲瓏たる瞳。
潜り抜けてきた激戦の数々を感じさせぬ、屋敷の奥で大事にしまわれている人形かのような容貌。
腰まである真っ直ぐな黒髪を、ギアで調節する型の白いテールクリップで高い位置のポニーテールにしているのがはらはらと揺れて、時折月を遮る。
服は紺の長着に高く結んだ小袋帯、その上から白い羽織を纏っている。
長着の裾は動きやすいように改造されているので、前開きのフィッシュテールスカートとでもいうべき形状になっている。
それらの下には肺の働きや血流を強化する白いボディスーツを着ており、着物から覗く首や手の甲、脚の素肌は覆い隠されている。
羽織の褄先 と袖の丸みには一つずつ藤色の房飾りが付いていて、同じ飾りをピアスからも垂らしていた。
彼がモノノベの長、塔院 佐久良。強力なDom。
佐久良は右手に持っていた扇を、噴霧器に投げ付ける。
ただの扇ではなく、二キログラムの鉄扇『速疾 』だ。
動きが止まっているとはいえ、遠くに居る邪機の小さな通信機を速疾は叩き割った。
ぽっくり下駄のような底のショートブーツで佐久良は器用に地に降り立つ。
一見歩きにくそうだが、厚い底の中には小規模な重力発生装置が内蔵されており、無意味な装飾という訳ではない。
桜色の光が消えると相馬は、そして敵達も不可視の縛めから解かれた。
厄介な噴霧器はAIとの通信を断たれて停止している。
気を取り直して相馬は敵を迎え撃つ。
そこに本堂から出て来た栗栖も合流する。
「佐久良、来てくれたんやな!」
笑顔で言う栗栖の左右から邪機が襲い来るが、彼女はすかさず短くしていた池月の柄を長く展開し、刃と石突で機体に風穴を空けた。
そのまま鎗を一周旋回させ、石階段に通信機をぶつけて破壊すると、軽やかに駆けて来た。
「邪機共は大勢居る割に、動きの処理が良い。
AIが近くまで来とるんか」
そう言って周囲を見渡す佐久良の側、噴霧器の死骸に、犬のような形の邪機が音も無く近付く。
それを見た佐久良は足元に落ちていた速疾を爪先で蹴り上げ、宙に舞ったところを掴み取ると、犬型邪機の通信機に鉄扇の激しい打擲を浴びせた。
次いで噴霧器のボディを探り、スライド式の扉が付いた格納スペースを見付けると、中から一抱えはある青白い三角錐を取り出した。
これが、環陣遺跡に溢れる邪機を通信で指揮しているAIだ。
「早ク、私ヲ、連レテ行ケ、無能共」
機械音声で悪態を吐くAIの体表に赤く点滅しているコアを、速疾が貫いた。
周囲のロボット達は一斉に脱力し、境内に静寂が戻る。
「急なことで、邪機と一緒くたにグレアに巻き込んでしもた。
驚かせて悪かったな、相馬」
凍て付いたように表情の変わらない佐久良が、相馬の方を見て言う。
「あ、いえ! 平気です、助かりました」
相馬は胸を撫で下ろしたが、まだ興奮は収まっていないようで、グレアの感想など述べている。
「グレアってほんまに目の前ぐらぐら~ってするんですねぇ」
グレアの使い道は、Subに不安を与えるだけではない。
範囲も持続時間も限られてはいるが、邪機の電流に干渉して機能を止めることが出来る。
全てが解明された訳ではなく可能性に満ちており、強いフロー状態に入ったDomが邪機を操ったという信じ難い事例もネオ南都の外から報告されている。
グレアにはカメラアイを攪乱する効果もあり、電流干渉よりも更に広範囲で発揮されるため、邪機がグレアを認識、学習することは出来ない。
グレアが対邪機の切り札であり続ける理由はそこにある。
また、相馬のようなUsualが浴びると、空間認識能力を一時的に失って眩暈を起こしたようになる。
Dom同士でグレアをぶつけ合えば、強いDomは弱いDomの『Dom神経』――支配による快を感じとったりグレアを発生させたりする神経を破壊することが出来る。
これはUsualの眩暈のようにすぐ治まるものではなく、怪我のように時間を掛けて修復する必要があるものだ。
悪用しようと思えばいかようにもなるグレアは、Usualと新人類の間に刻まれた大きな溝の原因の一つだ。
幸い、栗栖や相馬のように新人類だから危険だと決め付けることなく接してくれる者も一定数居る。
道場に子どもを通わせている人々も、新人類が居るとしてもモノノベを信頼してくれている人達だ。
戦いが終わると、由利の頭を雑念が掠める。裸同然の姿で這いながら佐久良の虚像を仰ぐ、今朝の夢を思い出したのだ。
新人類の支配欲や被支配欲はサプレッサーという薬で抑えることが出来る。
相性の良い番が居ない、番を欲しいと思わないDomとSubの多くが服用しており、佐久良もその一人だ。
しかし由利のようなSwitchはショック症状を伴う副作用の危険性があるためサプレッサーを飲むことが出来ず、ホルモンバランスの変化により時々欲求が表面化してくるのを避けられない。
幸い、由利のDomとしての指向は保護だ。これは日常生活の中で周囲の大切な人達に世話を焼いていると少しは満たされる。
問題はSub性に由来する被虐への欲。
ただ痛く苦しいだけの経験ならいくらでもある。しかし被虐性のSub神経が求めているのは、そんなものではない。
心から信頼する人に生命も誇りも委ね、翻弄されることでしかこの渇望は埋まらない。
由利には縁の無いことだ。
だから、眠りの波間に脳が馬鹿馬鹿しい幻像を結んでしまう。
塔院佐久良が自分の番、だなんて。
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