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十四話 奴の名はオーオン

「綺麗な足やね」  栗栖が皮肉っぽく言う。    相馬も少女の足元を見遣り、そこで初めて気付いた。  ロングパニエの裾から覗く折れそうな程に細い足は、裸足にも関わらず砂粒一つ付いておらず、脱いだ靴を携えている訳でもない。  極め付けは、数秒前まで相馬が立っていた地点に、鋭い屑鉄のくないが突き刺さっていた。 「あら……凡ミスだわ。だって加賀見のデザイン画、足元が隠れていたんだもの」  文語で言いながら、少女は立ち上がる。  髪に挿された銀の櫛や(こうがい)  レースのキャミソールの上から、デコルテが大きく出るように着崩した打掛をレザーのコルセットで締めている。  打掛の下には丁寧に綴ったチュールを五、六枚重ねたパニエを履いていた。  殆どが黒で構成された服装だが、艶のある布地は夜の闇にあっても存在感を放つ。  まさか。  彼女に向けられた清けし雪村の刃が、一瞬ぐらりとぶれた。  蒼白い笑顔がこちらを振り向く。  ぱつんと切り揃えられた前髪と横髪の内側には、派手なペーパーアイラッシュや口紅でも隠しきれない清楚さを湛えた顔立ちが収まっている。  左目の下には、二つ並んだ泣き黒子。  それを見て夏目が声を上げた。 「加賀見……!?」  その名を聞いた佐久良と栗栖も、驚愕に目を見開く。 「八年ぶりかしら? 由利」  そう言って笑う、加賀見に似た『何か』。  その髪の束が細い肩に触れた時、跳ね返って妙な捩れ方をした。 「あら、演算が甘かったかしら」  捩れた毛束を手櫛で梳くと、指が触れた箇所が斑消(むらぎ)えし、二進数の羅列に変わる。  0と1が次々書き換わり、再び長い黒髪が像を結ぶと捩れはすっかり直っていた。 「つまり貴方、死んでしもた人の姿を借りて人間を襲っとるんですか!?」  立ち上がった相馬が笠塔婆を突き付けて叫んだ。  加賀見の姿をしたホログラムは澄まし顔でそれを聞き流し、右手を高く掲げた。 「我が名はオーオン。  真理を求める卵、太陽、眼なり――」  骨格から計算して生成されたと思しき、加賀見によく似た可憐な機械音声が、きんと響く。  同時に木立の暗がりから無数の邪機が姿を現した。  サイズは中型以下ばかりだが、量産型だけでなく、犬や獣脚類の爬虫類を模した見るからに俊敏なもの、猛禽の形を取るドローンなど、多くの方を集めた大軍勢だ。  メタリックなボディと通信機の赤い光が、あっという間に五人を囲む。  その中の、量産型とは異なり丁寧に造られた球体関節を持つ人型ロボットの一体が、刀のように長く鋭い爪が備わった諸手で、梟か鶏卵を思わせる丸々とした機械を抱えていた。  あの中にオーオンの頭脳が詰まっているのだろう。  あれさえ潰してしまえば、大軍は停止する。  オーオンを連れたロボットは由利達の視線に気付いたのか、くるりと背を向けて北へ駆け出した。  滑らかに稼働する足は、一度地を蹴るだけで宙を五メートルは推進する。  うかうかしているとすぐに見失ってしまいそうだ。 「俺が追う」  由利が無線に囁いた。  ああ、と佐久良の返答が聞こえる。 「何か罠っぽくないかあ?」  栗栖の意見は、由利も考えていたことだった。  しかし。 「あのAIが、佐久良が警戒しとって、鹿島さんが知らせてくれた脅威っちゅうんやったら、見過ごすんは後味悪い」  邪機の大軍が一斉に襲い来る。  その場に留まって得物を構える佐久良、夏目、相馬とは別に、由利と栗栖はマリシテンを急発進させた。  シートから腰を浮かせ、膝を曲げる。  身体と機体が一つになる感覚がした瞬間、溜めていた力を上へ解放し、二人は邪機の群れの上を飛び越えた。  姿勢を崩すことなく着地し、そのままロボットの後ろ姿へひた走る。  安良池園地の芝生を突っ切っての猛追が続く。  雨で滑る緑の上を強引に駆け抜けるうちに、隣の曠野(こうや)園地へ突入していた。  ここにも、鷺池なる池がある。  岸に設置された複数のビームライトは池の中央を向き、六角形の浮見堂を照らし出している。  檜皮葺きの屋根が覆う水上の東屋へは、南北に架かる橋が唯一西へ伸ばした枝条の先へ行かなくては辿り着けない。  ロボットは鷺池のほとりで立ち止まる。  そこには同型のロボットが三十体近く待ち構えていた。  AIが再びホログラムを投影し、加賀見の姿が空中に現れる。 「おいでなさいな」  オーオンの楽しげな声に合わせて、ホログラムはひらひらと手招きする。 「お前らが来いや!」  由利は怒鳴り返し、戦闘服の上に纏っていた千載花を脱ぐ。  機体を下りると泥濘んだ土をブーツで踏み締めて、池に向かって走り出す。  助走を付けて池に突入した由利は、電磁波を放ち水と反発し続ける千載花をボードにして鷺池の水上を滑って行った。  岸で呆然としているオーオンを余所に、由利と、同様の方法で滑って来た栗栖は、東屋へと移った。  これで邪機達は、嫌でも大軍にとっては狭すぎる橋を来るほかない。  屋根に飛び乗り、千載花を羽織り直しながら、思惑通りに細長い列となって押し寄せる邪機達を見下ろす。  目一杯助走を付けなくては、千載花の反発力が人の重さに耐え得るうちに渡りきることは出来ない。浮見堂から岸へは戻れない――背水の陣という訳だ。  高所を取った二人にとって、爪を武器に眼下から襲い掛かってくるだけの人型共を斬るのは容易だった。  邪機の残骸が東屋の側に積み重なるのを見て、唯一攻撃に加わらず立っているロボットに抱えられたオーオンは不機嫌そうな声を上げる。 「小癪な奴らだわ。切り札はもう少し温存しておきたかったのだけれど……。  いらっしゃいな、マルセル!」  同時に、由利の視界の端で小さく煌めくものがあった。  園地の東の木々の奥だ。  咄嗟の判断で、今しがた通信機を停止させたロボットを翳して盾にする。  次の瞬間には、盾に鈍い衝撃が伝わった。  今夜もまた、対人麻酔銃の注射筒が由利を狙ったのだ。  マルセルなるものが突進してきて、あっという間に東屋の近くに姿を現すと、その巨躯で橋を塞ぐように立った。  ヌーのような牛型に組み上げられた大型で、(たてがみ)や尾はのたうつ触手となっている。  尾が器用に麻酔銃を握っていて、腹の下に埋め込まれた通信機の赤が橋桁をぼうっと照らす。 「麻酔銃の狙いは俺か……栗栖、オーオンは任せた」 「了解!」  二人は屋根を飛び降り、それぞれの敵へ向かう。    通信機を壊せば手っ取り早いが、鬣に阻まれ、麻酔銃で狙われている。  まずは麻酔銃を無力化した方が良いだろう。 無数に襲い来る鋼鉄の触手を躱し、時に叩き斬り、降り注ぐ注射筒からも逃げ続ける。  この程度のことが出来ない筈が無い。  自分は率川由利。  信念の為に――加賀見の死のような悲劇を少しでも減らす為に――無用な夢は切り捨てて、強さを求め戦い続けてきた。  大型邪機だって数えきれない程に屠ってきた。勝ち筋しか見えはしない。  栗栖と人型は欄干の上を戦場とし、十文字鎗と爪剣で打ち合う。  池月による高速の突きや払いが邪機を圧倒するが、うなじの通信機と左手に抱えたオーオンを守ることに徹した相手を捉えられずやや苦戦する。  マシンと刃がぶつかり合う衝撃が伝わり波立っている鷺池の水面を滑るように、オーオンのホログラムは浮遊している。  マルセルや人型、安良池の方の大軍、それら全てから受け取った周辺状況を高速処理し、次なる動きの指令を出すという驚異のマルチタスクを熟しておきながら、表情豊かなホログラムを投影している暇があるとは余程スペックが高いらしい。  清けし雪村とハネカヅラの二刀流になった由利は、夏目に『癖が無いのが癖』と言わしめた臨機応変な太刀筋でマルセルと渡り合う。  そのうちに確信する。  オーオンには、明らかに殺意が欠けている。 「あ~、それって加賀見の刀よね?   貴方が受け継いだんだ。熱い展開、まじ泣けるぅ」  けたけたと笑いながらホログラムが漂ってくる。   今まで出会ったAIの中でもオーオンはかなり多弁だ。 「発電所の近くに麻酔銃を持った蜘蛛型を放ったんはお前か」  視線はマルセルから外さないままに由利が問うと、はしゃいだ声が返ってきた。 「そうよ! 気付いてくれたのね」 「お前には殺意が感じられへん。  それに、やたら俺のことを狙うてきよるな。  死骸と糞を練って火薬作ってまで、威力の高い麻酔銃を用意したんもお前か」 「ええ! ええ!  貴方がその程度のことにも気付けない愚物だったら、今までの準備が台無しになってたってものよ。  私の可愛いデータ!」  本物の加賀見であれば有り得ない、人を苛立たせる態度。  沸き上がる嫌悪を諸手に乗せて、包み込むように押し迫って来た触手を一息に斬り落とした。  しかし数で圧倒的に勝る触手は、一本をどうにか由利の足首に巻き付けると鎌首を擡げ、由利を逆さ吊りにした。  恰好の的となった由利に銃口が向けられる。  しかし彼は表情一つ変えない。  天を向いた靴底の上に、電子バリアの緑色が広がった。  背筋に力を込めて体勢を整えると、彼はバリアを蹴った。  堅いバリアと、それに罅を入れる程の脚力――触手は敢え無く千切れ、枷の無くなった由利は弾丸のように麻酔銃目がけて落下していく。  マルセルが慌てて発射した注射筒も、大小の刀で叩き落す。  そして顔の前にバリアを張ると、バリアを纏った頭突きで麻酔銃の銃身を粉々にした。 「嘘……!」  オーオンの声は震えている。  しかしその震えは、絶望とも歓喜とも重なる複雑な色をしていた。  触手に追い立てられ、由利はマルセルの背中を下り、再び橋の上に立ってマルセルと対峙することになる。  これで邪機側のアドバンテージが一つ失われたという訳だ。  カン、と一際高い音が東屋の近くで鳴り響く。  人型の振り下ろした爪剣が池月の穂先を欄干に叩き付けたのだ。  池月を握ったままの栗栖の身体は、大きく前へ傾ぐ。  敵の眼下に剥き出しになった背中へ狙いを定め、爪剣が急降下していく。  あはっ、と、栗栖の快活な笑い声がした。  栗栖は左手を素早く鎗から離すと足元に突き、細い欄干の上で勢いよく逆立ちする。  迫っていた爪剣ごと人型を蹴り飛ばすと、ブレイクダンスのような軽々とした動きで体勢を立て直した。  右手で握ったままにしていた池月を、たたらを踏む人型の脚の間へ差し入れ、枝刃で脚を引き斬る。  支えを失った人型は欄干を滑り落ち、橋桁の上に倒れ込んだ。 「何よ、ぶち殺せると思ったのに!」  人型の腕の中で悔しげに叫ぶオーオンに、笑い掛けながら栗栖は鎗を振り下ろす。 「私、背中にも目ぇ付いとんねん!」  池の水面に映る自分達の影を見ながら攻撃した、というのは黙っておいた。  突如、人型は右腕を伸ばしてオーオンを高く掲げた。栗栖がそれを叩き斬る直前に、腕は自切して、オーオンを掴んだままマルセルの方へ矢のように放たれた。 「由利!」  栗栖の声に俊敏に反応した由利は、清けし雪村の構えを突きに転じると地を蹴り、飛来するオーオンを墜とそうと迫って行く。  切っ先がオーオンに届く前に、凄まじい轟音と共に由利の身体は撥ねられた。  走って突っ込んできたマルセルが、そのずんぐりとした前肢で殴り付けてきたのだ。  放物線を描き、由利は東屋の檜皮葺きに全身を打ち付けられて止まった。  眼下ではマルセルの触手が大事そうにオーオンを包んでいる。  屋根の上で由利が立ち上がると、いつの間にかオーオンのアバターが由利と目線の高さが同じになるように舞い上がって来ていた。 ペーパーアイラッシュに縁取られた大きな瞳は、まるで太陽だ。  太陽は無遠慮に由利だけを見つめている。 「私達機械と、貴方達人間って、何が違うと思う?」  オーオンが問うてくる。  そんなものは、AIが反乱を起こす以前から擦られ続けた問題だ。 「違いなんぞあらへん。  どっちもただの電気信号……入っとるのが肉か鉄かの違いやろ」  由利が答えると、アバターは目を見開いたまま、唇だけを弓形に歪めて笑った。 「そうね。でも決定的に違うものが一つだけあるわ。  それは、人間共の方が圧倒的に下等で、玩具にして嬲り殺しても世界には一切の損失が無いってところよ」 「ああ、せやな。  ほんで俺らは、お前らが退屈せえへんように全力でもてなす」  清けし雪村の輝きに負けない鋭さで、由利はオーオンのアバターを睨み返した。 「今ここに、もう一度シンギュラリティが起ころうとしているわ」  由利の眼光に怯むことなく、ホログラムは由利を指差す。 「その特異点は、貴方よ」

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