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十三話 異変

 ネオ南都の朝は雨に沈み、水墨画のように淡く滲んでいる。  『千載花(せんざいか)』と呼ばれるマント型のエレクトロウェアを肩に羽織り、由利は田中家を出る。  千載花は、グレアのように可視化される程強力ではないが電磁波を放出し、一メートル以内に雨粒を寄せ付けない布だ。  災害時に毀れた屋根を覆う用途で開発された天幕が、電源から離れていても使えるように改良され、雨具となった。  道場へ辿り着き、靴箱の近くに設置されたラックに千載花を掛けて屋内に入ると、先客の姿があった。  よく磨かれた床に、戦闘服の白い羽織を靡かせた佐久良が立っている。  今日の訓練で用いる邪機の死骸を並べ終えたところだったらしい。  ポニーテールを揺らしながら佐久良が緩慢に振り向く。  そこで由利は初めて、自分がぼうっと突っ立っていたことに気付いた。 「傷はもう痛まへんか」 「ああ。雨降る前日が一番きついんかもしれん。  今日は狩りに出る」 「……そうか」  由利を頭から爪先まで睨め回してやっと納得したらしく、涅色の瞳は解放してくれた。 「ちょっと暗すぎるな。灯り点けてくれ」 「おう」  佐久良に言われるがまま電灯のスイッチを押すと、点った白色と窓から射し込む鈍色が混じり合って、道場はどことなく濁った色に包まれる。用が無いのなら話すことは無い。  二人は離れて立ち、人が来るのを黙して待つ。 『由利が不穏な動きをした時は、モノノベのリーダーとして、俺が彼を殺します』  この道場の門扉で、押し掛けてきた人々に佐久良がそう誓ったのも、五年前のこんな雨の日だった。  佐久良は感情に振り回されることなく、常に最善の選択をしてくれる。  彼をリーダーにして良かったと常々思う。目的の為なら、悲しみも苦しみも、鼓動さえも忘れてしまえる――そんな由利の意志を理解し、冷徹に支えてくれるのが佐久良だ。  今のこの距離感が、二人の正解なのだ。  十分もすれば道場は賑やかになる。  今日は大人を集めて、袋竹刀ではなく真剣を用いて邪機を斬る練習をする日だ。 「ジョイントを狙って斬るのが一番楽やけど実戦でちょこまか動き回っとる邪機のジョイントを上手く狙うんは難しい。  やから、ボディを叩き斬る程の技術を身に付ける。  刀全体を使って、単に力を込めるより、太刀筋がぶれへんように――」  由利が解説し、子ども相手よりも難しく危険が伴う訓練は順調に進む。  約二時間でその内容を終えた。  皆が帰路に就き、千載花を羽織った背中達が煙る雨の向こうに消えて行くのを二人は見送る。  砕け散った死骸を掃いて集め、箒を倉庫に片付けようとした時、袋竹刀が視界に入った。  袋竹刀を二本手に取ると、一本を佐久良に渡す。 「付き合え」  次の瞬間には、佐久良の振るう袋竹刀が目の前まで迫っていた。  そして由利の方も、それを難なく防ぎきる。  流れるような足捌きで由利は退る。  後ろに目が付いているかのように、壁にぶつかる寸前でひたりと止まると、袋竹刀を真っ直ぐ構え直して佐久良に向かって行く。  当然、佐久良も攻撃を仕掛けてくる。  それをただ視界に収め、凪いだ脳で処理する。  刃がぶつかると同時に、佐久良の攻撃の軌道は由利の持つ袋竹刀を滑らされ虚空へ逸れる。  そして佐久良の手元には、由利の操る切っ先が向いていた。 「参った。これが昨日言うてたカウンターか」  佐久良の声と共に、雨音が周囲に戻って来る。  集中するあまり、自分と佐久良以外の存在が消え失せていた。 「ああ。お陰さんでビジョンが見えてきた」  新しい強さを手に入れつつあると胸が熱く滾る。  これだ、この感覚さえあれば、他には何も要らない――。  ふと、佐久良の肩の向こう、遠く出入り口の辺りに、ぽつんと人影を見付けた。  由利と目が合った人影は気まずそうに揺れた。 「どうも、薬のお届けです」  架空の怪物がでかでかとプリントされたオーバーサイズのTシャツを着た女が、小型のデリバリーバッグを抱えて立っていた。  製薬ラボで働く柳沢(りん)だ。 「ああ、どうも」  佐久良が会釈する。  林が持って来たのはきっとサプレッサーだろう。  道場に現金は置いていないので、道場を閉めて詰所へ移る。  その間、林が話し掛けてきた。 「凄い打ち合いでしたね」 「ええ。由利に勝てる者は居ませんので」  佐久良が言うのを聞いて、林はきょとんとする。 「お二人に実力差とかあるんですか?   佐久良さんかてお強いでしょ」 「技術は何もかも由利の方が上ですよ。  私が勝てるのは単純な力とか体力くらい」  妥当な評価やな、と思いつつ、由利は佐久良の隣を悠然と歩いた。  土間に林を招き、薬を受け取って代金を払う。  どうも、と快活に笑いながら、林は雨天の下へ出て行った。  佐久良の掌に置かれた、青緑色の錠剤が封入されたシートの束を横目に見る。  これで彼はDomの本能を抑えているのだ。  彼は番と愛し合う夢など見ずに済んでいるのだろう――由利とは違って。  由利は一人、中庭へ赴く。  野点傘の下に座っている鹿島に野芝を与えてから、問い掛ける。 「鹿島さん。今日のホルモノイド濃度は」  すると鹿島は草を含む口を止め、鳴き声一つ上げず、ただ首を横に振った。  こんな動作は、濃度測定には無い。 「どないした、体調悪いんか」  鹿島の背中を擦りながら由利が焦っていると、背後に佐久良が寄って来た。 「何や」 「鹿島さんにホルモノイド濃度を訊いたら、何も言わんと首を横にぶるぶるって。  しんどいんちゃうか」  由利と入れ替わりに佐久良が屈み込んで、鹿島へ顔を寄せる。  暫く腔内や耳孔などを検めてから、異常が無いことに安心して息を吐く。 「特に悪いところはあらへん」  しかし佐久良の表情には深い影が差している。  彼は懸念を語り出した。 「鹿島さんも日々学習しとる。  今までとは違う行動をして、何かを伝えようとしとるんかも」 「それって、邪機共に異変が起こっとるってことか」  モノノベとして邪機を狩り続けて五年、こんなことは初めてだ。  数日前に佐久良が環陣遺跡で告げたことが思い出される。  雨で薄暗いこんな日は、邪機の活動開始が早くなる。  ほんの数キロ先で未知の脅威が蠢動しているかもしれない。  由利は腰の刀にそっと触れた。  何が起きたとしても確実に敵を倒してやる。  邪機を殺すのは自然の営みの一部であり、恨みがある訳ではない――燃え盛るのは、殺意ではなく克己心だ。 「今日は五人総出で行くか」  鹿島の頭を撫でてから、佐久良は立ち上がった。  階段を上って行く後ろ姿を由利は見送る。  上階でグレアの鍛錬をするつもりなのだろう。  ならば自分はバイクの点検をしておこうと思い立ち、同じく鹿島を一撫でしてから土間へ向かった。  普段は味気ない地面が、雨の夜だけは花畑に変わる。  陰鬱な天気に耐えた褒美かのようにネオンライトが濡れた地面を染め、鮮やかな景色を見せてくれるのだ。  由利と佐久良、そして相馬、栗栖、夏目の五人はマリシテンに乗り巨像遺跡の周辺を巡っていた。    しかし邪機の姿を見掛けないまま四十分近く経つ。 「すまん、総出の必要無かったかもしれん」  とうとう佐久良がそんなことを言い出す。  栗栖が声を上げて苦笑した。 「こんな日もあるって。  皆でツーリングってのも悪ないやん」  人気が無く邪機が屯するには打ってつけのエリアを抜け、安良池街道の起点へと出て来る。  そこではWSO開発目標指導府の跡地に建つ、太いパイプや鉄柱が巨大なタンクに絡み付くようにして聳える製水ラボの威容が間近に迫る。  コンプレッサーや濾過装置の唸り声がバイクのモーター音や雨音と混ざり合って、由利を耳閉感が襲った。  ラボの正面には電光の高札がある。  『大型邪機の出現減少 AIが何らかの企ての備えによりロボット放出を控えている可能性高し 今後も油断せぬよう』――由利にも断片的ながら理解出来る。  これはモノノベが掲出した文章だ。  佐久良の勘はよく当たる。  本人以上に由利はそう確信している。  夜がこれで終わるとはとても思えなかった。  五人はそのまま安良池街道を南下する。  間もなく左手に『灯籠遺跡』が見えてくる。  鳥居と呼ばれる朱塗りの巨大な門があり、その左右には背の高い石灯籠が立っている。  名の由来はこの二基だけではない。  この奥に続く砂利道の先、深い森に秘された広大な敷地には、無数の石灯籠や釣灯籠が並んでいるのだ。  社のすぐ傍まで迫る原始林が邪機の生息地の一つとなっているため、人間が立ち入ることは少ない。  暫く走ると街道の左右に安良池の黒々とした水面が現れる。  右手の山上には鬼院山城の灯りが遠く揺れているが、他は送電鉄塔に巻き付けられた電球の光くらいしかなく、それも間隔が広く心許ない。  安良池の淵は広い芝生の園地となっているが、園地の外周の自然林は鬱蒼と暗く、街道にまで影を落としている。  邪機が潜むとすればこういう所だろう。  案の定、暗がりで悲鳴が上がり、歩道を死にもの狂いで駆けて来る男達がモノノベと擦れ違った。  彼らが来た方へと急ぐと、歩道に小型の邪機が居り、へたり込んでいる少女に鋭いアームを向けているのが見えた。  長い髪を掬い取ってハーフアップの丸髷を作った後ろ姿が震えている。 「させるか!」  背負っていた銃を素早く構えると、相馬は走行を止めることなく引き金を引く。  レーザービームは一撃でロボットの通信機を砕き、少女の目の前に錫色の機体が高い音を立てて崩れ落ちた。 「大丈夫ですか!」  バイクを飛び降りた相馬が少女へと駆け寄る。  その時、栗栖がリストバンドから外した池月を展開し、相馬のシャツの襟に穂先を引っ掛けると、彼の身体を軽々とバイクの方へ放り投げた。 「痛あ……!」  地面に転がった相馬は、咄嗟に起き上がることも出来ず藻掻く。  どうにか顔を上げると、四人全員が少女に得物を向けていた。

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