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十二話 清らかな刃

 痛みを堪えながら、由利は中の間のテーブルに上体を伏していた。  時計の秒針の音、鹿島が中庭の草を踏んで立てる音、佐久良が書類に字を書き付ける音――詰所に居れば必ず聞こえてくるこれらは、いつもであれば心安らぐものだが、今ばかりは由利を急かしているように思えてならない。  本当ならば今頃バイクで駆け回って邪機を斬っていた筈だ。  強くなるチャンスを一回分逃したと思うと、腹の奥がじりじりと落ち着かない。  読み書きや計算が不得手な由利が佐久良の事務を手伝ったところで、作業を長引かせてしまうだけだろう。  とにかく暇だった。 「……なあ、掃除でもしよか?」  由利は問うが、佐久良は顔も上げずに答えを寄越す。 「汚れとるか?」  言われて部屋を見回すが、調度品にも襖の敷居にも埃一つ積もってはいない。 「……いいえ、全く」 「やったら大人しくしとけ。ところで、頭が痛うても考え事は出来るか」  妙なことを訊かれ、由利は痛みに細めていた目をきょとんと見開く。 「出来るけど」 「そうか」  すると佐久良は再び書類に視線を落とす。  何のことだろう、と思っているうちに痛みがぶり返してきて、由利は左眼を押さえた。  暫くすると、佐久良は立ち上がって中の間にやって来る。  そして由利の隣の椅子に掛け、バインダーを机に置いた。  七宝柄の布が表紙に貼られたそれは、剣術についての考えを書き留めた雑記帳の六冊目だ。 「書類は」  訊ねると、紙を広げる手を止めないまま佐久良は答える。 「今日中にやっときたかったもんは終わらせた。  由利がぼーっと過ごすのが苦手なのも、三人が無事に戻って来るまで家に帰りたないのも分かっとる。  それやったら、二人揃わな出来ひんことをした方が良い」 「……気い効くやないか」  由利が照れくささに耐えながら必死に感謝を伝えると、それを理解しているのかどうかは分からないが、佐久良は相変わらずの仏頂面にどことなく得意気な雰囲気を滲ませた。  文章を書くのが苦手な由利は、自分の思い付きを口述し、それを佐久良に書き留めてもらっている。  分類や清書も、勿論佐久良の仕事だ。  夏目も現代人にしてはよく文を書けるが、抽象的な物事を言語化するのに長けているのは佐久良の方なので、自然と担当者が決まった。 「人間は持久力を気にして戦わなあかんけど、邪機共は疲れへんから、どうしても人間が守りに入って邪機が攻勢みたいな形になることが多いと思うねん。  そういう時って、相手の勢いを余らせて、迎え入れるように斬ると無駄な体力使わんで済むやん」  色んなパターンで襲い掛かって来るロボットと、それを刀で受け流して斬る棒人間を紙に描き連ねながら由利は話す。 「カウンター技ってことか。  今も持ってへん訳やないけど、極める余地はあるやろな」 絵を覗き込みながら佐久良が頷く。 「そう……ほんで、一度攻撃を迎え入れる以上カウンターには、敵にいちいちビビらへん精神力も必要ちゃうかと最近思ってん。  やけど、戦い方ってそんな精神論みたいなので良えんかな」  カツンと音を立てて筆を止め、由利は考え込む。    WSOが日本刀を平和な世界に不要な武器かつ実用性の無い美術品として弾圧し、その存在と鍛冶技能を消滅させたことで、同時に刀を振るう技術も散逸してしまった。  邪機の脅威に晒されて再び刃を欲した時には、人はそれらしい柄に鉄の棒切れをくっ付けることしか出来なくなっていた。  約一〇〇年前に五鬼遺跡のお堂の屋根裏から『ガゴゼ』が発見されたことで一気に日本刀の実存が目前に迫ったものの、 清けし雪村やハネカヅラのようにガゴゼと並べても遜色無い刀が生み出されるようになったのは、由利が産まれる少し前という、ごく最近になってからのことだ。 しかしいくら武器の水準が上がっても、戦い方の継承という考えすら希薄な時代が長すぎた。  由利が提唱し、佐久良がそれを指す言葉を古文書から見付けてくるまでは、人々は剣術という概念さえ失っていた。 「ほんま、昔の剣術ってどんなんやったんやろ……」 「精神性が大事やって由利が思うんやったら、きっとそうなんやろ。感じたままを伝えたら良え。  情報を選び取るのは学ぶ者達のやることや」 「佐久良は戦っててどう感じる?  心を鍛えることが強さに直結すると思うか?」  由利が問い詰めると、佐久良の涅色の瞳がふいと余所を向いた。 「俺は、怒りで剣を取った……由利と同じ世界を見ることは出来ひん」  幼い頃、二階建ての馬車から見下ろした雑踏の中、ぽつんと立っていた佐久良の姿が思い出される。  握っていたのはまだ刀ではなくて包丁だったが、怒りと遣る瀬無さに燃える涅色の瞳に籠っていたものは、由利が想像したくらいでは簡単には辿り着けないような暗闇だった筈だ。  彼から由利への誤解は解け、仇もこの世には居なくなったが、未だに佐久良の瞳には昏さが宿る。  しかしその怒りの熱が、彼の心の温かさと同等であることを、由利は知っている。 「あほやな。何の見所も無い奴に雪村さんがガゴゼを託す訳ないやろ。  怒りやろうが何やろうが、佐久良の太刀筋に込められとるんは綺麗なもんの筈や。  ……俺も、そない思うし」  一人で住むには広すぎる詰所に、由利の言葉がぽつりと落ちた。  ああ、と佐久良が短く答え、二人は何事も無かったかのように再び剣術について話し合いを始めた。  休憩を挟みつつ一時間程話を続けていると、やがてバイクのモーター音が近付いて来た。  それが詰所の前で停止し、栗栖達が戻って来た。 「ただいま」  由利の頭痛を気遣ってか、控えめな声量で栗栖が帰参を伝える。  由利が見世の間まで出て行くと、土間には死骸で一杯の箱を積んだマリシテンがあった。 「今日はもう大した邪機は出えへんやろ。  終わろか」  鹿島にホルモノイド濃度を訊ねてきた佐久良が、業務の終了を告げる。  由利は洗面台へ行ってエクステを回収し、土間に戻って来てブーツを履く。 「また明日な」 「ああ」  振り向いた時に見た佐久良の右手は、ガゴゼの柄に触れていた。  四人で連れ立って高田の坂道を下る。  空に星は無く、朧月だけがネオンの町並みの向こうに顔を出している。 「佐久良さんの言う通り、雨来そうですね。  桜が咲く前で良かった」  一度開いてしまうと儚く脆い花弁が雨風に打たれずに済むのを、相馬は喜んでいるようだった。  やがて夏目が、相馬が、各々の家がある方向へ逸れて行く。  帰路がほぼ同じ栗栖と商店街の前で分かれた由利は狭いアーケードの下へ入る。  三善の店には、メンフィスデザインをあしらったビビッドカラーのロリータワンピースにスタジアムジャンパーを羽織り厚底のスニーカーを履いた店主が、半田(ごて)の煙を燻らせながら作業する姿があり、隣にはそれを熱心に見つめている女が座っていた。  女の方が先に由利に気付き一礼する。 「こんばんは、由利さん」  刈り上げた黒髪と鋲で一杯の服装の厳つさからは想像も付かない程か細い声でおどおど喋る彼女――平野愛洲(あいす)は機械に興味があるらしく、よく三善の元に勉強に来ている。  半ば弟子のような存在だ。 「こんばんは。いつも熱心ですね」 「い、いえ……」  愛洲は肩を縮こめて照れる。  切りの良い所まで作業を終えたらしく、三善も手を止めて顔を上げた。 「よし、今日はもうお終い。ご飯にしよか」 「俺が作るわ。諸事情あって全然疲れてへんし」 「愛洲ちゃんも食べて行く?」 「あっ、はい! ごちそうになります」  三人は店を閉め、田中家に行く。  三善がマッサージ機に背を預けている間、由利は台所に立つ。  そこに愛洲が顔を覗かせた。 「お手伝いします」 「ありがと。やったら、これ、胡麻油で炒っといてくれるかな」  由利は刻んだ人参の葉を指す。  二人は並んで料理を始めた。 「せや、昨夜モノノベが持ち帰らはった胴体、誰のんか判明したらしいですよ」  愛洲が言っているのは、狭穂山で由利達が回収した、邪機に殺された犠牲者の死体のことだ。 「滝川さんのとこの兄弟やったみたいです」 「ああ……」  滝川といえば、未だに浄世講による虐殺の指導者が由利であったと思い込み、由利を非難し続けている家族だ。 「由利さん達が死体を見付けてくれたって聞いた時は、だいぶ複雑そうでしたけど……結局は、せめて亡骸だけでも帰って来てくれて良かった言うて泣いてはりました。  これを機に由利さんのこと貶すの止めてくれたら良えんですけどねえ」 「しゃあない。汚名を着るんは当時から覚悟しとったし、嫌われるんも慣れた」  鮭の焼け具合を確認しながら答える。    料理も戦いも、新人類だからと恐れられるのも、過去のことを疑われるのも、由利にとっては日常だ。  理想だけを見上げていれば気にもならないような些事。  強さ以外の夢は、全て捨ててきた。  完成した食事を居間に運び、三人で囲む。  話は由利の今日の仕事のことになり、あったことを正直に話すと、痛みの心配をしてくれる愛洲に対して、三善は佐久良がエクステのことを指摘した下りからずっと声を上げて笑っていた。 「いくら何でも笑いすぎやろ。  そら、佐久良が冗談みたいに目敏いのは分かるけど」 「やって、こないだやった恋愛シミュレーションゲームとそっくりな展開やねんもん!   佐久良ちゃんって由利のこと好きなんちゃう?    一ぺん訊いてみ」 「なっ……俺は恋愛なんかせえへん!   佐久良もそういうの興味無いって」  思いがけない言葉に由利は反論するが、三善も飄々とした顔で言い返してくる。 「そら、私みたいに恋愛せえへん生き方もあるけどな、あんたまだ私の三分の一くらいしか生きてへんやん。  決め付けるのは早いで。  恋ってのはするものじゃなくて落ちるものだぜ……って、ゲームで言うてた」  文語文で書かれたゲーム内の台詞を真似て決めポーズまで取る三善に、格言ですね、と愛洲は感心している。  三善の言うことは大抵正しいとは思うが、たまによく分からない。  自分が未熟だからだろうか、佐久良がこの場に居たら何と言っただろうか、と思うとまた頭にノイズが掛かる感覚がした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  BLなのに女性キャラが多くてすみません! 愛洲も由利と恋愛関係になることは一切無いです! ただ、サブキャラは出すからには大事な役目を持っていますのでお楽しみに!

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