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十一話 由利の苦悩

「お疲れ様です」  相馬が顔を上げて人懐っこい笑みを向けてきた。 「皆、休憩にしよか。花茶で良えかな」  問い掛けた夏目に一同同意すると、夏目は料理房へ向かった。  相馬はテーブルの上から邪機の死骸を片付ける。その間、栗栖は書類仕事の手を止めない佐久良に絡みに行っていた。 「ほらほら、上司が休まへんと部下も休みづらいぞ~」 「すまん、もうちょい……」 「お、良え香りしてきた。  はよせな佐久良の分も飲んでまうで」 「待って……よし、終わった」  由利は相馬を手伝いながら、栗栖と佐久良のやり取りを聞いていた。    すぐに夏目が花茶と、買い置きしてあったバターのフィナンシェを持って戻って来る。  五人とも中の間に集まって間食を摂り始めるが、由利は何となく佐久良とは一番離れた席を選んだ。 「相馬、ちゃんと分別出来とる?」 「あ、はい。佐久良さんにちゃんと教えてもろたんで……多分」 「多分~?」 「や、やって、なんぼ先生が良くても僕がミスってたら終いやないですかぁ」 「そんな神経質にならんでも、後で私らがチェックしたるやん。  まずは素材をフィーリングで理解するのが大事や」  和気藹々としたティータイムに見えて、殆ど栗栖が喋っており、相馬がそれににこにこと受け答えしている。  残る三人は尋常ならざる口下手なので殆ど沈黙している。  夏目の淹れてくれる花茶は相変わらず美味しい。  十年近く最低限の栄養を得る為の数粒の錠剤しか口に出来ない生活を続けた由利が、幽閉から脱してすぐの夜に夏目から振る舞われたのも花茶だった。  雑談は苦手だが、騒がしいのが嫌いという訳ではない。  由利は栗栖と相馬の会話を聴きながら、格子窓の向こうを行き交う人々を眺める。  突如、左の瞼を走る傷が重く痛んだ。  古傷が痛むなど別に珍しくもない。  机の下で拳を握り締めながら、花茶を飲み干した。 「鹿島さんにもおやつあげなですね」  相馬は立ち上がり、部屋の角に草の入った籠を取りに行く。  そして箱階段の上にあるジュエリーボックスを見ると何気なく言った。 「前から思てたんですけど、この指輪シックでかっこいいですね。佐久良さんのですか」  指輪、とはモノクロームの細密画が嵌った二つの指輪だ。  栗栖が急にハッと黙ってしまったので、相馬はぽかんとする。 「え、何ですか……」 「それは仲間達のモーニングジュエリー」  すかさず佐久良が答えた。  ピンと来なかったようで、相馬は聞き返す。 「モーニング? 朝?」 「弔いって意味……。  指輪に嵌っとる絵は、遺髪とか遺骨を使って描かれとる」 「ほえっ……」  骨や髪と聞いて、相馬の肩はぎくりと跳ねた。  苦笑する栗栖の隣で、佐久良は続ける。 「モノノベに、死んでしもた仲間が二人居るって話は、前にしたやろか」 「あ、はい。つまり、その人達の?」 「ああ。見守ってもろてる」  語る佐久良の頬に落ちる睫毛の影が濃く深くなる。 「そうなんですか……どうもです」  相馬は指輪に向かって頭を下げてから、鹿島の元へ向かう。    暫くしてから佐久良も立ち上がり、見世の間へ歩いて行く。  彼は用箪笥の前に屈むと、造花の陰に隠された香水瓶を観察し、今度は相馬の後を追うようにして中庭へ行った。  彼は鹿島が居る中庭に一つ、赤い野点傘を広げる。 「晴れですよね?」  相馬は中庭に身を乗り出し、空を仰ぐ。  雲が全く無い訳ではないが、大部分は澄んだ青だ。 「明日は雨かもしれん。  いつ来るか分からへんから、今のうちにな」 「佐久良、天気が分かるんですか」  夏目も驚きを隠せない。  広範囲の通信技術や衛星が失われた現代の文明レベルでは、大昔のような精度の高い天気予報は不可能だ。  せいぜい、燕が低所を飛んでいたら明日は雨、程度の方法でしか予測が出来ない。 「本で読んだ天気管ってもんを作ってみた。  中に入っとる結晶の形で明日の天気が分かるらしい。  一〇〇パーセント当たる訳ではないやろうけど、無いよりましかと思て」  佐久良が指したのは、見世の間に置かれた香水瓶であった。  これが天気管らしい。  昨日見た時は、そういう模様かと思う程に瓶の尻が白く曇っていたが、今は瓶が全体的に透き通っており、代わりに目を凝らすと白い粒が中を漂っているのが確認出来る。  この粒が、昨日は沈殿して瓶を曇らせていたものだろう。 「結晶が浮いてたら雨の予報、か」  由利は一人納得して呟く。 「へー、しかし可愛い瓶やな」  栗栖は凝ったデザインの容器に目を輝かせる。 「エジプト風、らしい。  坂口さんが波尓坡から輸入したんを買うた」 「私も入用になったら坂口さんに頼も」  その時、再び由利の古傷が痛みだした。  今度は目元だけではなく頭まで痛む。  黙って席を立つと洗面のある脱衣所まで行き、バレッタを取った。  これで少しは楽になるだろうとエクステを何本か外してから、再びバレッタを留めると、何事も無かったかのように中の間へと戻って行く。  外したエクステは仕事終わりに持って帰れば良いかと思い、洗面の棚に置いてきた。  詰所は佐久良の家を兼ねているが、私物を置いていたところで佐久良はいちいち咎めないし、見慣れない物を不用意に捨ててしまうような性格でもない。  戻って来た由利の視界の端に、白いものが映る。  それは佐久良の顔だった。  ぞっとするような白皙の美貌が、こちらの動きを追って来る。  由利の方も横目に佐久良を窺うと、やっと佐久良は口を開いた。 「由利、今エクステ減らしてきたんか」  それには由利も、残る三人も目を瞠る。 「よう気付いたな……」 「……何となく……。もしかして、頭……傷が痛むんか?」  不可視の感覚まで言い当てられてしまい、思わず佐久良を睨み付けていた。  佐久良の瞳も、由利を鋭く射抜いている。 「天候が崩れる時には気圧が下がって、体調が悪なったり、古傷が痛んだりすることがある……本で読んだ。心当たりは?」 「痛みと天気に関係あるかって?   そんなんいちいち気にしてへんかったわ」 「……まあ良えわ。夏目、済まんけど」  佐久良はやっと由利から目線を外し、夏目を呼んだ。 「はい。今夜の狩りは、由利の代わりに私が出ます」 「なっ……何勝手に……」  怒鳴りかけた由利の顔の左半分を、再び殴られたような鈍痛が走った。  椅子から浮かせた腰を落とし声を詰まらせる由利に、佐久良の冷ややかな声が追い討ちを掛ける。 「大昔のカイシャやザイバツやないねんから、具合が悪い時はちゃんと休め。  それに、そういう無茶ばっかりしとったら、いずれ退き際を誤ってえらい目に遭うぞ」 「自己管理出来てへんみたいに言うな……痛み止めなら持っとる」 「薬に頼りすぎるのも良うない」 「ほなどないせえっちゅうねん」 「やから休んどけ言うとるやろ」  自分が気圧ごときに、そしてこんな傷ごときに負けるなどと認めたくない。  しかし佐久良の言い分の方が正しいのは理解出来る。  もし自分以外の誰かが不調を押して狩りに出ようとしていたなら、由利だって引き止めていただろう。 「っ……しゃあない……頼んだで、夏目」  溜め息混じりに由利が言うと、夏目は微笑んだ。 「はい。由利の分まで、しっかり狩ってきますよ」 「何か佐久良さんと由利さんって、仲良えんか悪いんか分かりませんね……。  全然喋らへん思たら、佐久良さんはあんな細かいことに気付かはるし、かと思えば由利さんは佐久良さんの言うこと聞かはらへんし」  バイクのモーター音だけが響く静かな夜の中、無線から聞こえてくる相馬のぼやきに、栗栖も夏目も笑いを零した。  三人は今バイクに跨り、ネオ南都の北東にある『巨像遺跡』の周辺を走っているところだ。  コンクリートの道路も通ってはいるが、少し走るといつの間にか遺跡の石畳に乗り入れている。  廃墟や木々の向こうには『巨像』を収める仏殿が瓦屋根と鴟尾を覗かせている。  観光産業が成り立っていた頃は非常に栄えていた界隈だと聞くが、今は全く人の気配がしない。 「由利は、とにかく強くなりたいって願望が強いですからね。  毎日刀を振るって、邪機を倒して、身に付けた強さを誰にでも分かるよう言葉や図に落とし込む……そしてきちんと体系化された剣術をネオ南都に、地球上に取り戻すのが彼の夢なんです。  やから由利は佐久良を嫌いな訳やなくて、ほんまに狩りに出られへんのが嫌で抵抗しとっただけや思いますよ」 「せやったら、良えですけど……」  由利が幽閉されている時から彼の兄のような存在だったという夏目が言うなら間違いないだろう、と相馬は納得する。 「全然喋らへんっちゅうのも、付き合い長い上に思考回路が似とるからやな。仲悪いなんて、無い無い」  栗栖はそう言ってから、しかし、と続ける。 「さっきの佐久良は正直怖かったわ~。  エクステの量減ったとか普通気付く?   私なんか言われてから見てもよう分からんかったで」 「佐久良さんの観察眼って凄いですね」 「私が一〇センチくらい髪の毛切ってきた時は、佐久良だけ気付いてくれへんかったのに!」 「あ、あれ? それはまた極端な……」  相馬の中の佐久良像が、どんどん訳の分からないものになっていく。  しかし突如として、全ての謎を明かす解が降ってきた。 「佐久良さんが由利さんを好きって可能性は?」 「恋愛対象ってこと? うーん、どうやろ」  正鵠を射たと思ったが、栗栖には首を傾げられてしまった。 「佐久良にその手の話振っても、考えたこと無いとか、よう分からんとか、そんな返事ばっかりやからな。無いんちゃう?」 「若い頃に色々ありすぎたし、今もなんやかんや忙しいから、恋愛に関しては頭の中からすっかり切り捨ててるように見えますね」  どことなく憂うような声色で、夏目が口を挟んだ。 「あ、でも、あれだけ気に掛けてもろてたら由利さんの方から佐久良さんに惚れてたりして」  再び相馬に閃きが降りて来る。しかし栗栖と夏目の反応は、またしても微妙だった。 「相馬にも教えといた方がえかな……」 「はい。その方が由利の為にも良えかと」 「な、何を教えられるんですか、僕……」  困惑する相馬に、夏目が話し始めた。 「由利が新人類で、特に珍しく不便の多いSwitchってダイナミクスなのは知ってますね」 「はい。DomとSubどっちでもあるんですよね」 「そう。強さをひたすら求める由利にとって、一番の恐怖はドロップなんです」 「ドロップって……コマンドを出された後にアフターケアをしてもらわんかったSubがしんどくなるやつですか?」  Usualの相馬も聞き及んではいる。  ドロップに関して耳にするのは主に、抑鬱状態に陥ったSubが自殺しただのDomを刺しただのといった不穏な話題ばかりだ。 「人付き合いの苦手な由利は、番との関係でしくじってドロップを起こしたり起こさせたりするのを恐れてるんです。  ドロップによる抑鬱状態には、身体への影響も含まれます――つまり、弱くなるということ。  しかもSubだけがしんどくなるんやなくて、Subの弱体化は番のDomにもデバフとして流れ込んでしまう。  自分に番は維持出来ひん、番を作ることなんか何のメリットも無い。  弱くなるくらいなら恋なんかせえへんと、彼は……」 「Switchやとサプレッサー飲まれへんせいで、Usualと付き合うのもなかなか大変やからなあ」  恋をメリットやデメリットで測るという考えが、相馬にはそもそも理解し難いものだった。  しかし新人類の辿って来た歴史を想うと、軽はずみにあれこれ言うのは憚られた。 「由利さんが人付き合い苦手には見えませんでした……」  代わりに当り障りの無いことを言うと、すぐに夏目が答えてくれた。 「堂々とものを言うのは得意やけど、それと友達や恋人を作る能力はイコールではありませんからね。  そのせいで誤解されることも多かったし」 「そうですか……」  相馬から見た由利は自他に厳しく冷徹で、戦いに懸ける情熱には静かな狂気さえ感じるが、根底には優しさが流れている、夏の灼熱と清風を心の中に併せ持ったような人物だった。  その優しさは決して見返りを求めてなどいないということも、まだ短い付き合いの中で相馬は感じ取っていた。  それはきっと、我が事にくよくよ悩まないぶん他者を気に掛ける余裕があるから出来ることなのだろうと、そう思っていた。  しかし由利にも進行形の恐怖、苦悩があったとは。 「昔は由利も、運命の番を見付けて『結婚』するのが夢や、なんて言うてたんですけどね」  夏目が哀しげに呟いて、この話題は終わった。

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