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四十五話 夢
翌朝、佐久良は暦 町にある夏目の家を訪ねた。
そこには久々に生家へ戻った夏目とその両親、さらに療養中の由利が居た。
「お粥以外を食べたいって駄々捏ねよっても無視してくださいね。
幽閉中に碌なもん食べてへんかったので、急に栄養価高いもん掻っ込んだら死ぬんで。おにぎりもあきませんからね」
夏目はきつく言いながら、家の奥、庭に面した部屋の襖を開ける。
早速、ベッドの上で退屈そうにしていた由利と目が合った。
夏目が去ってしまい、由利と佐久良は二人きりになる。
持ち家の留守を一人で預かっていた夏目の母も、小路台頭後は浄世講に住まわされていた。
そのために荒れ放題となった冬の庭から、枯れ木の間を縫って白い光が二人に降り注ぐ。
「佐久良……」
顔の主に左半分をすっかり包帯で覆われてはいるが、僅かに覗かせた瞳を物欲しげに揺らしながらこちらを見上げてくる。
不思議とそれに吸い寄せられるように、佐久良は足を踏み出した。
「由利」
「あのさ……ステーキって香りだけでもま」
「案外元気そうやな」
おにぎりどころかステーキを要求してくる由利の言葉をばっさりと遮り、ベッドの傍らの椅子に座った。由利は勢いよく枕に倒れ込んだ。
「食べたらあかんのは分かったから、せめて香りだけでも嗅ぎたい……こんがりした肉とガーリックチップの香りを嗅ぎながら粥を食べたら多少は気も紛れると思うねん」
「目の前にあるのに食べれへん方が多分辛いぞ。
ええから大人しくしとけ、そういう雑な動きも傷に障る」
佐久良に諭されて諦めた由利は、のそりと半身を起こして、短くなった赤毛を掻き回す。
布団が捲れ、顔程ではないものの傷だらけの身体が陽の下に現れる。
「傷はどうや、痛むか」
「別に。眼球まで斬る程の度胸は、小路には無かったみたいやで。
せいぜい痕が残るくらいや」
「痕は残るんか」
佐久良は反射的に鸚鵡返ししていた。
現代の医術なら傷跡はさっぱり治ると思っていたのだ。
「栄養が足りてなさすぎて、治りきらへん可能性が高いんやと」
「俺がもう少し早く小路に追い付いてたら……」
佐久良は後悔を口にするが、由利は一切気にしていないようだった。
「塔の外に出られたんやったら、安いくらいの代償やろ。こないして佐久良にも会えた。
これからもよろしくな」
初めて出会った時のような笑顔こそ無いものの、由利は堂々と言い放つ。
佐久良はつい、視線を軽く逸らしてしまう。
「そのことやねんけど……復讐が終わった俺にはもう、約束を破って由利を殺そうとした後悔しか残ってへんねん。
やから、居らんなるしか」
「え!? ほな俺の計画は!?」
由利の銅鑼声が、佐久良に漂っていた深刻な空気をぶち壊す。
「け、計画? 何のことや」
「ビジネスや! 邪機が町に侵攻してきてからそれを防ぐ自警団とは違うて、遺跡とか町外れで邪機を狩りまくって売りつける。良えやろ?
やけど俺がそんなもん起業したら、小路と同じことしよるんちゃうかって疑われそうやんか。
やから浄世講を倒した佐久良にリーダーになってもろて、仕事しやすくしよ思てたのに」
とんでもなく自分勝手だが、由利に悪びれた様子は全く無い。
呆気に取られる佐久良に、由利は更に捲し立てる。
「佐久良って落ち着いてて物怖じせえへんからリーダーに向いとると思てんけどな。
戦場に出ろとは言わへん、お飾りで名前だけ貸してくれたら良え。
たまに祐筆してくれたら助かるけど。
俺には夢があんねん。
望むなら誰にでも強くなる機会が開かれるように、戦い方を体系化するっちゅう夢や。
その為には、この俺が誰よりも強くなる必要がある」
「……夢……」
由利は、生まれてきて良かったと思えるような綺麗なものを一つでも得たのか――ふとそんな考えが過った。
由利のネオ南都での立場は非常にまずい。
彼の夢を現実に近付けるには、確かにその提案が最適だろう。
どうせ捨てる命ならば、由利の夢の為に使うべきなのかもしれない。
「俺で良ければ……」
佐久良が答えると、由利はふんぞり返った。
「おう、そう来てくれんとな」
そして容態が回復したのと同時に、由利は姓を率川と改め、スタミナラーメンモンスターを信仰する振りを止めて整備業を再開した三善の居候になることとなった。
周囲の人々から一目置かれている三善が保護してくれるなら由利が害されることは無いだろうと考えて、佐久良が三善に頼んだのだ。
夏目の家に居続けるのは、夏目の父が小路に忠実な部下であったことから気まずいだろうと判断してのことだった。
自分の家に住まわせても良い、と思いはしたが、佐久良はそれを口に出しはしなかった。
一度でも殺し殺されかけた関係だというのが歯止めを掛けたのだ。
すぐに由利は佐久良、夏目と共にモノノベを立ち上げた。
始めは名を貸すだけだった筈の佐久良は、いつの間にか進んで自宅を詰所として使わせ、戦場に赴き、家の向かいに修練の為の道場を建てるまでに貢献していた。
浄世講の跡地は、雪村ら刀匠が集まる広大な鍛冶場となった。
かつて住居があったその地に由利は一人で赴き、鍛冶場の端にある小さな畳の間で、雪村と初めて直接に顔を合わせた。
相変わらず帰る鞘を持たず、布に包まれている清けし雪村を差し出し、由利は深々と頭を下げる。
「清けし雪村はお返しします。
ほんまやったら貴方には合わせる顔もありません。
浄世講さえああならなければ、加賀見は死なずに済みました」
「せやな」
雪村が呟くのが聞こえ、由利はますます頭を低くする。
怒鳴られるだろうと思っていたが、続いて聞こえて来たのは穏やかな声だった。
「最期は痛かったやろうし、小路を恨んだやろう。
やけど加賀見は、人を助けるのは当然と思っとるような子や。
刃を向ける先を見誤るような馬鹿でもない。
君を守って死んだことは、惜しくは思っても惨めではなかった筈」
雪村は由利の頭を上げさせ、部下を呼び付けると、彼に物を取って来させた。
打刀の鞘と、脇差だ。
「狩りを生業にするんやってな。
面白い。清けし雪村は君が使いなさい」
職人らしいぶ厚い手が、空の鞘に清けし雪村を差し込んだ。
眩い刀身が、久方ぶりにまともな所に収まる。
その時、何となくではあるが、死後も続いていた加賀見の険しい旅路がやっと終わったような気がした。
「それからこれは、自由になった由利へ、私からの餞」
餞、と示された脇差もまた、雪村が打った見事なものであった。
「ありがとうございます……それ以外、何て言えば良えのか……」
呆けて震えながら礼を述べる由利に、雪村は微笑む。
その目元はどことなく加賀見と似ていた。
「加賀見と同じように、自分の大切なことを見付けてくれ。由利」
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