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四十八話 かりそめの番

 世の中はUsualと新人類、Dom同士、Sub同士などあらゆる恋愛関係で溢れているが、中でもDomとSubの組み合わせは唯一無二の機能を持つ。  Subの身体にある腺をDomが噛み、遺伝子情報を打ち込むことで肉体的な結び付きを深められるのだ。  Subの腺は二つあり、一つはうなじに、もう一つは個体によって異なるが手足や耳、鼻、脇腹など人体の中心からは外れた箇所にある。  うなじの腺を噛むことを『契約』と呼び、これを果たしたDomとSubが番と定義されている。    Domが放つグレアに、その個体と信頼し合える番であるSubがバフを掛ければ、グレアは非常に強力なものとなる。  Subがドロップに陥ると、その個体と番となるDomはドロップの半分を肩代わりして弱体化する。  番同士のプレイで得られる快楽は非常に強い。  番同士のプレイ及びアフターケアは、ドロップの治療速度が速い――このような様々な現象が確認されている。  もう一方の腺を噛む『仮契約』で作られた仮の番も、程度は劣るが同様の効果がある。  問題は、番というものがその性質上、社会通念として恋人とほぼ同義である点だ。  それにさえ目を瞑れるなら、利用しない手は無い生態だろう。 「やるしか無いな。噛んでくれ、佐久良」  由利は一瞬で覚悟を決めていた。  しかし、ふと考え込んだかと思うと一転してしどろもどろになる。 「でも、契約はあかんよな。仮契約にしとかんと」 「俺はどっちでも」  好きな人がドロップで苦しんでいるというのに、それに託ける形で由利と生物的な繋がりを得られることを喜んでいる自分が居る。  サプレッサーを飲んでいる以上、番が欲しいという衝動はかなり抑制されている筈だ。  単なるDomとしての欲求ではなく、自分は心底由利を手に入れたくて堪らないらしい。  契約するというなら受け入れるつもりだった。  番になって、ドロップが治って、由利は佐久良を好きになって――そんな都合の良い想像さえ過った。  しかし目の前の由利は悲しい程に冷静だ。 「さすがに契約までしてしもたら、佐久良の将来の番に失礼やろ。  俺に気い遣うな」 「気遣とる訳やない」 「自分がどれだけモテるか知らん良えから止めとけ。  恋はするもんやなくて落ちるもんやって、おばあが言うてたぞ。  佐久良かて、いつ落ちるか分からへんねんから」  彼が本気で佐久良の将来を案じているのか、それとも体の良い断り文句を並べているのかは、佐久良には分からない。  佐久良はいつものように自我を殺し、ただ運命に、由利に従うだけだ。 「腺がありそうなところは思い当たるか」 「いや、全く」 「やったら一箇所ずつ確かめるしか無いな」  変に躊躇すると、嫌がっているのだと誤解を与え兼ねない。  ただでさえ由利に想いを告げることが出来ないのに、その上誤解までされてしまうのは避けたかった。  佐久良は素早く由利の右手を引き寄せる。  恭しく垂れる頭、蝶の翅のようにはためく長い睫毛、濃いピンクの厚い舌――佐久良の姿かたちの美しさに、思わず由利は見入る。  次の瞬間には、手の甲に触れた粘膜特有のしっとりした感触に身を強張らせる。  佐久良は真剣に由利の手を舐めていた。 「腺の近くにDomの体液が触れたら変化が現れるらしい。許せよ」  そう言って佐久良は指の股、指先、手首など様々な箇所に舌を這わせていく。 「いや……こっちこそ、悪い……」  仄かに紅茶の香りが残る唾液を、塗りたくられているのは由利の方だ。  しかし由利は自分が佐久良を汚しているような感覚に陥っていた。  佐久良には、未来の選択肢がある。  本能をサプレッサーでコントロールし、番を作るも作らないも彼の自由だ。  ほぼ単身で浄世講を打倒した美貌の青年に焦がれる者は数えきれない。  彼が手を伸べれば、花を手折るより容易く恋人を得られるだろう。  無口ではあるが繊細で優しく、Domとして理想的なルックスをしている佐久良が、番を満足させられずドロップに陥らせるとも思えない。  番のドロップが流れ込んで弱体化なんて心配も無い――由利とは違って。  右手を前腕の半ばまで検めたが、何も異変は無い。  佐久良が左手の甲を舐めた時、甲全体に青い樹状の模様が広がった。 「ここか」  模様が一番濃い薬指を佐久良は咥えた。  付け根を噛むと、青い光が薄れていく。  それと同時に佐久良の全身がぐんと重くなった。  仮契約により由利のドロップが、少しではあるが流れ込んできたのだ。  その分、苦痛で寄っていた由利の眉根がほんの少し和らぐ。  佐久良の唇が離れていくと、噛み痕が刻まれた付け根が現れる。  これで二人は、仮の番になったのだ。  全力疾走した後かのように激しく脈打つ心臓に驚き、由利が自身の胸に手を当てようとする。  しかし佐久良がそれを制した。 「ばっちいから止めや。  風呂場に行こう、舐めた所洗ったるから」  由利は不思議と、佐久良の体液を汚いと認識していなかったため反応が遅れた。  手を引かれてやっと立ち上がり、共に風呂場へ下りていく。  鼓動が速いのは仮契約で身体に変化があったせいだろうと納得し、大人しく佐久良に手を洗ってもらう。  ボディソープの泡を腕に塗り込まれながら、やっぱり佐久良は良い奴だ、とぼんやり思う。  Subとして美しくない由利の華奢な容姿に嫌な顔一つせず、共にオーオンを倒す為にあらゆるものを捧げてくれる。  佐久良の輝かしく広がる未来と、由利の『蓮見小路の息子』『虐殺の黒幕』『醜いSub』という汚名と共に続く未来。  戦友として並び立つだけならば良かった。  それなのに、ドロップのせいで二人の人生はかつてなく交わり始めている。  由利が、佐久良の未来を汚すような形で。 「ドロップが治ったら、真っ先に人工酵素を打つから。それまでは、よろしくな」  謝罪も覚悟も込めて、由利は言った。  人口酵素を腺に注射すればSubの体内からDomの遺伝子情報は消え、番や仮の番といった関係も解消される。  新人類発生当初、まだサプレッサーも開発されていなかった頃、心無いDomがSubを強引に噛む事件が多発した。  このままでは新人類全体が治安を悪化させる存在と見なされ更なる迫害を受けるに違いないと危惧した人々が、必死で作り上げたのが人工酵素だ。 「ああ」  視線を上げないまま、佐久良は静かに答えた。  佐久良に手を拭いてもらってから三階へ行き、鏡台の前の椅子に腰掛けて背筋を伸ばした。  向かいの壁際ではガゴゼが刀掛けに収まっており、その側に清けし雪村とハネカヅラも置かせてもらっている。  手入れの行き届いたそれらを眺めていた時、あることに気付いて、噛み痕の消えかかった指へ目を遣った。  ――だから自分の腺は、左手の薬指にあったのだ。

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