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五十七話※ バニラの香り

「Shut up(黙れ)」  潜めた声で佐久良がコマンドを出してくる。  わざわざ命令されんでも黙るわ、と由利は心の中で叫んでいた。  しかしコマンドを出すのと出さないのとでは決定的な違いがある。  コマンドを出されてしまった場合、黙っているだけでも命令を遂行しているということになり、由利のSub神経は快感を拾ってしまう。  すぐに息が上がり始め、快楽を逃そうと身を捩ってしまう。  今この状況を見られたら、言い逃れ出来る要素が無い。  これは誰がどう見てもDomとSubのプレイだ。  しかし風呂場には逃げ場も隠れる所も無い。  そう言えば、脱衣所には佐久良のものに加えて、由利の服も脱ぎ捨ててあるのだ。 『頼む相馬!   勘を磨けって散々言うてきたけど、今だけは鈍感であってくれ』  由利はそう念じるしかなかった。 「鹿島さんがキュイキュイ鳴きながら高速でお辞儀してくるんですけど」  大方、水分補給の為に料理房に来た相馬に、鹿島が何か訴え掛けたのだろう。 「それは、おやつを強請っとるんや」 「おやつ?」  佐久良は相馬の質問に淡々と答えながら、由利の鼻を摘まむという暴挙に出た。  口で息をすると、折角由利が抑えていた声が漏れ出てしまいそうになる。  どれだけ睨み付けても、佐久良には無視されてしまう。 「中の間の階段箪笥の、左から二番目の一番下に米糠の煎餅が入っとる。それあげてくれ」 「了解です」  話は終わった、相馬は出て行ってくれる。  そう思った時、佐久良が鼻を摘まんでいた手を放し、代わりに耳朶を撫でてきたために、由利の身体はぎくりと跳ねた。  思わず佐久良の太腿に寄り掛かった瞬間、由利の髪と佐久良のアンクレットで鈴が一際高い音を立てた。  しまった、と焦りだす頭とは裏腹に、由利の身体はスペースに入る――まるで、相馬に醜態を見られて社会的評価が傷付くことを心のどこかで望み、スリルを楽しんでいるかのように。 「ん? 鈴?」  出所の分からない音に疑問を持ち、相馬は何気なく口にした。 「鈴入りの玩具や」  佐久良がしれっと答える。  下手くそな言い訳に、由利はますます怒って眦を裂くが、冷めた目で見下されるとまたもや身体が疼き、怯えたかのように小さく跳ねる。 「玩具持ってお風呂入ってるんですか?」 「ああ」 「佐久良さん、結構可愛い趣味してるんすね。  それにバニラのアロマ? めっちゃ良い香り。  佐久良さんってもっと渋い香りが好きかと思てました」  嘘吐け、と断じられるかと思ったが、相馬は素直に佐久良の言葉を受け入れた。  彼はからからと笑いながら脱衣所を出て行く。  太腿に挟んでいた由利を、佐久良はやっと解放してくれた。  しかし由利は力が入らず、佐久良の脚の間から出られないまま文句を言う。 「あほちゃう!? 見られたらどないすんねん」  スペースに入って上気した顔で怒っても、迫力など出ない。  佐久良は表情一つ変えずに口先だけで謝る。 「ごめん」 「ドア開けとけ言うたんも、まさか……」 「それは無い、偶然や」  二人は湯帷子を脱ぐと湯船に浸かった。  プレイの後はアフターケアをしなくてはならない。  佐久良の手が由利の頭を撫で、その流れで濡れた前髪を掻き上げてやると、由利は僅かにではあるが顔を逸らしてしまった。  何度も一緒に風呂に入っているような間柄なのに、裸体を見られるより恥ずかしがるとは、と佐久良は不思議に思う。 「右側の前髪上げるのは嫌か?」  この機会を逃すと永遠に理由を知れなくなる気がしたので、佐久良は思い切って訊ねた。  弱々しい声で答えが返ってくる。 「幼く見えるから、あんまり好かん……」 「そうか」  可愛い理由やな、と佐久良は内心悶えたが、それを表面に出すことは無かった。  暫くアフターケアが続いていたが、不意に佐久良は由利の頬に手の甲を当てた。 「のぼせた? 顔赤い」 「……そうかもな」  本当に顔が赤いのなら、羞恥で頬を赤らめていると思われるよりはマシだと思い、由利は首肯した。 「出よう」  佐久良は由利を立たせるが、スペースの余韻で足腰が震えている由利はつんのめって佐久良にぶつかる。  佐久良は由利を支えながらバスルームから出ると、自分は浴衣を適当に羽織り、由利をバスタオルでくるむと横抱きにし、そのまま脱衣所も出て行こうとする。 「っちょ、やめえや……!」  由利は逃れようと身を捩ったが、佐久良の腕力でぎりぎりと締められて叶わなかった。 「何で? のぼせたんやったら放っとけへん」 「それでも! まだ相馬がその辺に居るかも……」 「居らへん。もう十分近く経っとるんやから、多分道場に行ったやろ」 「多分!?」  佐久良は由利を堂々と抱えて部屋に戻る。  佐久良もドロップの影響を受けているにも関わらず余裕で抱え上げられているという事実に、俺ってそんなに軽いのか、と由利は軽くへこんだ。  そのまま三階まで運ばれ、由利は寝台に横たえられた。  同時に、別の重みでシーツが沈む。  見れば佐久良が由利の足元に腰を下ろしていた。 「脚を舐められるっちゅうのは、やられとる側も意外に恥ずかしいもんやな」  佐久良の足にあったアンクレットが、今度は由利の足首に巻かれた。  潤滑油を付けることもなく、肌理の一つ一つさえも味わうかのように、由利の肌を佐久良の赤い舌が這う。  足指に吸い付かれると、神経の集まっているそこは佐久良の腔内の柔らかな感触をありありと受け取る。  佐久良の言う通り、舐められる側に回っても恥ずかしさは変わらない。  呻くばかりで何も言えない由利に代わるように、足首の鈴が鳴った。  思えば今まで由利の足首に触れてきたものは、自由を奪おうとする電子の枷や邪機の触手ばかりだった。  繊細な飾りを着けてもらって優しく触れられるなんて初めてだ。 「佐久良っ……これ何、アフターケアの続き?   それとも、新しいプレイ?」  由利が問うと、佐久良はハッと顔を上げる。 「ごめん、考えてなかった」  寝台に投げ出された由利の脚を見ているうちに衝動的に舐めたくなった、とは明かせなかった。  悪いことをした、と引き下がる佐久良の耳に、切羽詰まった声が届く。 「ドロップ治してくれるんやろ!?  や、止めろなんて言うてないやん……」  由利が佐久良を引き止めたのも、衝動的なことだった。  また変態だと思われた、と強張る由利の上に、佐久良が覆い被さる。 「じゃあ、プレイで」 告げると共に佐久良は由利の脚を掲げ、脹脛や膝裏を舐め下ろした。  そのまま太腿に水音を立てて吸い付く。 「Look(見ろ)。俺の眼を見て」  コマンドに従って由利は上体を軽く起こした。  かち合った目線を逸らさないまま、佐久良は由利の下腹部に伸し掛かる。  涅色の瞳は捕食者そのもので、どんな敵よりも由利を竦み上がらせた。  赤い唇の間隙から覗く真珠のような歯が、由利の腰骨に軽く突き立てられる。  その痛みと共に由利はスペースに入った。 「Goodboy(良い子)」  涙を浮かべ、肩で息をしている由利に胸を貸す。  団扇で仰いでやりながら、眼下に伸びる由利の脚に目を遣った。  本当は、太腿にも腰にも痕を付けてしまいたかった。  由利が好きだと周囲にも、由利当人にも見せつけたくて仕方ない。  由利の脚には、狩りで付いた痣や傷が未だ癒えずに残っている――由利が戦いに懸ける誇りを示すその痕に、自分の欲望の印が並んでも良いとは思えなかった。

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