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五十六話※ 服従の形

「すみません、わざわざ……しかもお食事中に」  詰所の土間で道場の鍵を受け取りながら、相馬は丁寧に頭を下げた。  今日は道場が休みだ。  オーオンの修復に忙しい邪機は鎮守の森に引っ込んでいるので、狩りも休止。  ただ相馬が道場を使いたいと申し出てきたので、佐久良が鍵を渡したのだ。 「構へん。  刀とか鎗に比べて、銃は練習場所に困るやろからな」 「そうなんですよ。  家庭用のキセノンビームライフルやと緊張感無くて」 「休憩と水分補給は忘れずにな」 「はい」  元気に返事して道場へ去って行く相馬を見送ってから、佐久良は奥の間へ向かう。 「もう良えよ」  声を掛けると、執務机の下から由利が慎重に這い出て来た。  両手はざるうどんが乗った竹ざると、つゆがなみなみ入ったグラスで塞がっている。 「相馬が朝早うから鍛錬に来てくれんのは嬉しいけど……危なかった……」  この奇妙な同居生活のことは、モノノベのメンバーにも内緒だ。  中の間で二人向かい合って朝食を摂っていた時に合い鍵を使って玄関の鍵を開ける音がしたので、由利は慌てて隠れた。  うどんが二杯あるのは不自然なので、一緒に持って行ったのだ。  中の間で食卓に座り直し、再びうどんを啜る。  慌ただしかったのは相馬が現れた一瞬だけで、その後は落ち着いて食べることが出来た。  空になった器と箸を集め、由利は料理房へ入る。   仮契約して由利のドロップを佐久良が少し引き受けて以来、その分ドロップの症状が軽減した由利が家事を担う頻度が増えつつあった。  流しで洗剤をスポンジに垂らしている由利の背後に、音も無く佐久良が立つ。 「俺は先に行ってるから、洗い物が終わったら風呂場にCome(来い)。  湯帷子を置いとくから、それ着て入っといで」  耳元でコマンドを囁かれ、Sub神経を走り抜けたざわざわした感触に腰が砕けそうになる。 「はい……」 「Goodboy(良い子)」  佐久良が去った後も疼きは治まらないままだった。  気持ちを直視したくなくて、手先に集中する。  すると当然のことながら、あまりにも早く洗い物が片付いてしまった。  これではまるで、プレイが楽しみで仕方ない変態みたいじゃないか――由利は風呂場へ直行することなく、回廊に座り込んだ。 「沢山の人に嫌われようが平気で生きてきたこの俺が……佐久良一人を相手に、変態やと思われたくないってびくびくして、こんなあほみたいにへたり込んで……何してんねやろ」  中庭の鹿島に向かって呟くが、見事にしかとされた。  覚悟を決めて立ち上がると、風呂場へ向かった。  脱衣所で湯帷子に着替えバスルームに入ると、甘いバニラの香りが由利を迎えた。  湯船に浸かった佐久良が、アロマディフューザーから出る香り付きの蒸気と湯船の湯気が絡み合い溶けていく様を眺めているところだった。 「ドアは開けといて」  春の繊細な気候では、暖房を付けなければ肌寒く、かといってそのまま閉め切ってしまうと蒸し暑くなる。  今この風呂場にも暖かい空気は送り込まれている。  由利は言われたまま、ドアを半開きの状態にしておいた。  佐久良は湯船から上がり、結い上げていた髪を結び直す。  湯帷子一張で二人は向かい合う。  佐久良が置いた風呂桶の中には、あらゆる物が入っていた。  長い鎖の付いた首輪、鈴のチャームが付いた白い花の髪飾り。  同じく鈴の付いたアンクレット。  そして黄金色の粘液が入った小瓶。  いつもの首輪はともかく、装飾品や粘液をわざわざプレイに用意する意味は由利には分からない。  しかし佐久良のことだから、何か考えがあるのだろう。  これから受ける痛みや恥辱を思うだけで眉と眦が下がってしまう。 「由利、Domの足を舐めるのには興味あるか?   嫌やったら、別のプレイにする」  今の二人はまだ主人と奴隷ではなく、対等な友人だ。  佐久良の言葉に強制力は無い。なのに、強く惹かれてしまう。 「それで良い、やりたい……」  由利が同意した瞬間から、佐久良は由利だけの支配者になる。  滑り止めのマットの上に更に幾重にもふかふかしたタオルを置いた所に由利を招くと、佐久良自身はその正面の椅子に座る。 「少し前から思い付いとったけど、あまりにも由利の尊厳を壊してしまうような気がして遠慮しとった。  まさかオーケーされるとは……呆れる」  由利の首に首輪を嵌めながら佐久良が言う。 「……お願いします、壊してください」  請う由利の赤い髪に白い花を挿しながら、佐久良は頷いた。 「うん、もう遠慮せえへんから。  由利、帯を外してGive(渡せ)」  命令通り湯帷子の帯を解き、佐久良に手渡す。 「Turn(回れ)」  言われるがまま佐久良に背を向けて立つと、両手を後ろに纏められて帯で縛られた。  佐久良が手に掬った湯を帯に掛けたせいで、容易には解けなくなる。 「Turn(回れ)、Look(見ろ)」  振り返り、佐久良の方に向き直る。  その拍子に由利の湯帷子は、締めるものを失ってふわりと広がった。  しかし手を縛られているので開いた前をどうすることも出来ず、肌を殆ど佐久良に晒すことになる。  佐久良も自身の湯帷子の裾を肌蹴る。  そして両足首にアンクレットを結ぶと、これ見よがしに足先を揺らして鈴を鳴らした。 「Kneel(跪け)」  由利がタオルの上に跪くと、佐久良の陶器のように滑らかな長い脚が眼前に来る。  脚に佐久良は自ら、黄金色の粘液を掛けた。 「甘い味を付けた潤滑油。  食べ物ではないけど、飲み込んでも問題あらへんから」  佐久良は脚を組み、まずは右足を差し出してくる。 「Lick(舐めろ)」  由利は怖ず怖ずと、佐久良の足の甲にくちづける。  同時に髪飾りやアンクレットの意味を悟った。  動いて鈴が鳴る度に、自分達が何をしているか痛い程思い知らされるのだ。  硬く滑らかな感触を唇で確かめてから、舌先を出して突いてみる。バニラを再現した人工的な香料が味蕾に染み渡った。 「続けられそうか」  佐久良が優しく訊ねてくれる。  ほっとしながら由利は答えた。 「はい……」 「ほな、もっと壊れよか」  佐久良の声色が無慈悲なものに変わった瞬間、足先を腔内に捩じ込まれる。  五指全ては入らなかったが、親指から中指までを含まされ、反射的に口蓋へ張り付いてしまう舌の根が気道を塞ぎ息苦しい。  文字通りの蹂躙だった。  それでもコマンドは遂行しなくてはならない。  涎に潤んだ舌で、そっと佐久良の指を舐め上げる。  誇りをかなぐり捨てた挙句、呼吸すら奪われている由利に対し、佐久良は余裕の表情でこちらを見下ろしている。 「More(もっと)」  言われた通りに自ら佐久良の足を深く咥え込み、指の間に舌を差し入れて舐め回す。  すると佐久良の澄まし顔に、ほんの少し動揺が滲んだ。  ただ驚いているだけでなく、実際にくすぐったさを感じているといった表情だ。  いけないものを見てしまったかのような緊張感に由利の心臓が大きく跳ねた。  佐久良が淡々とコマンドを下し、由利だけが情けなく反応してしまうのが当たり前だったので、由利の行いで佐久良が表情を変えたことに動揺した。  そんな顔をされると、プレイを楽しんでくれているのではないかと勘違いしそうになる。  佐久良はただ、由利を救う為に無理矢理仮の番をしてくれているだけなのに。 「寡黙で強い由利様しか知らん奴らが見たら卒倒しそうな光景やな」  佐久良に仕返しかのように足指で舌を軽く挟まれ、鎖を引かれる。  じわりと、身体を浮遊感にも似た快楽が襲い来る。  スペースに入ったのだ。  それを逃そうと悶える度に湯帷子が摺り落ちていく。  生理的な涙が頬を伝うのを見て、やっと佐久良は足を抜いてくれた。  甘い喘鳴を上げながら肩で息をする由利に、間を空けることなく命令がなされる。 「まだいけるな? Beg(乞え)」 「……佐久良様、脚、もっと舐めさせてください……見下してください」 「ああ。Lick(舐めろ)」  佐久良は舐める箇所を示してはくれなかった。  どこにくちづけようか少し逡巡してから、窓から射し込む陽の光でぼんやり輝いて見える脛の稜線に顔を寄せる。  薄い胸板も佐久良の脚に擦れ、潤滑油の艶を帯びる。  あらゆる感触が全身に纏わり付いてきて頭が眩む。  とろとろと皮膚を濡らすものが脳にまで浸食してきて、まともな思考を溶かすかのようだった。  朦朧として「佐久良様も気持ち良い?」だの何だのと余計なことを口走ってしまわないか、という心配が楔となって理性を留めてくれていた。  両方の脛を一頻り舐めきった由利の瞳は、佐久良の太腿へと吸い寄せられる。  鎖を掴んでいた佐久良の手が、ふっと緩んだ。  それを契機に由利の意識は少し浮上し、正気を取り戻す。  膝から下を舐めるのは、いかにも服従を示す行為だが、それより上の領域はどことなくその意味が曖昧になる気がする。  DomだのSubだのは関係なく、単に佐久良の肌を味わいたいだけではないか――だなんて恐ろしい考えが浮かぶ。  その時、撓んでいた鎖がぐっと引かれた。  よろめくままに、由利は佐久良の脚の間に割って入り、太腿の内側に頬を擦り付けることとなる。 「佐久良様、ごめ……」 「Shut up(黙れ)」  コマンドの通りに押し黙ると、囁くような佐久良の声だけが風呂場に仄々と響く。 「脚をもっと舐めさせろって請うたのは由利や。  俺のこと、そんなお願いごとも聞かれへん程けちな主やと思てる?」 「……いいえ……」 「俺にかてセーフワードを使う権利はあるんや。  嫌やったら止めるから……好きにしたら良え」  怒られたり、嫌がられたりする方が楽だった。  佐久良が優しいせいで歯止めが効かない。  葛藤しながらも衝動に抗えず、佐久良の太腿に舌を這わす。  潤滑油は太腿には殆ど掛かっていない。  バニラとは違う、佐久良自身の甘い香り。  味わうのはこれが最初で最後になる。そうでなくてはならない。  濡れた湯帷子に透けて、佐久良の腹筋の隆起が眼前に迫る。  うっとりと盗み見ていると、不意に背後から明るい声が響いた。 「佐久良さーん」  相馬の声だ。薄く開いた扉の向こう、脱衣所に相馬が来ている。

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