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五十五話 別れと出会い

 三日後、佐久良から井斗の家族のことを聞かされた。  井斗が何かあった時に連絡を取ってくれと頼んでいたのは鬼院山城で、そこに住んでいる豊井五十鈴という老女が井斗の唯一の身内であった。  井斗の祖母だという彼女は、鉢に植えた植物を可愛がりながら暮らしている穏やかな人物だった。  五十鈴が患った免疫系の病を和らげる為に、井斗がモノノベとして戦って得た金を薬代に充てていたというのは、佐久良も初めて知る事実であった。  報告する佐久良の手にはシックなデザインの指輪が乗っていた。  今朝、五十鈴に呼ばれて再び鬼院山城を訪れると、二つある指輪のうち一つを渡されたのだ。 「私の側と、モノノベ……この二つが、気難しい井斗にとってのほんまの居場所やった。  どうかあの子を詰所に置いてやって」  五十鈴の口振りから、それがモーニングジュエリーであるとすぐ気付いた。  これからも井斗と共に居ること、今後は佐久良が五十鈴の薬代を支払うことを誓い、戦後処理は一段落した。  しかし同時に新たな問題も噴出していた。  浪越がモノノベを脱退すると申し出たのだ。 「邪機が怖い、か……それもしゃあないわな」  浪越と向き合いながら由利が呟く。  それが浪越から告げられた脱退の理由であった。  佐久良と夏目、栗栖も、掛ける言葉を見付けられなかった。 「ごめんなさい……」  震える浪越から、いつもの笑顔はすっかり失せている。 「浪越、これだけは知っといてくれ。  あの嵐の日、浪越は僕のせいやって言うてたけど、浪越が悪いことなんて一つもあらへん」  由利が言うが、浪越は曖昧に首を振るだけだった。  メンバーが四人になっても落ち込んでいる暇など無く、モノノベは狩りを続けていた。  およそ一週間が経った頃、由利が詰所を訪れると、家主の佐久良と今日出撃する予定の栗栖が居るのは当然だが、何故か夏目の姿もあった。 「夏目、どないしたんや?」 「浪越が……自宅で、手首を切って、それで……」  言葉を詰まらせる夏目の代わりに、佐久良が手元に置いていたレコーダーを再生した。  流れてきた暗くぼそぼそとした声が、あの朗らかな浪越のものだと気付くまでに由利の頭は数秒を要した。 『浄世講も邪機もバサバサ倒していくモノノベに憧れてた……身も心も強くなって、大好きなネオ南都があかん歴史を繰り返さへんよう守りたかった。  やけど、井斗を守るどころか死なせて……邪機が怖くてしゃあなくなって、強くなりたいって目標から逃げ出した。  悔しくて、恥ずかしくて、自分が許せへん』  浪越は弱々しい声で胸中を告白している。  死の原因が分からなければ由利達が悩み苦しむだろうと考え、言葉にして遺してくれたのだろう。  浪越らしいな、と、ショックに揺れる頭の片隅で由利は思った。 『僕なんかに井斗と並ぶ資格はあらへんから、形見はモノノベに置かんといて。  あと、僕の死因はモノノベだけの秘密な……いらんこと言う人が絶対に出ると思うから。  ほんまにごめんなさい……さようなら』   そこで録音は終わっていた。 「今朝、出掛けようと思て、行きしなにお裾分け持って浪越の家訊ねたんや。  ほんだら呼んでも返事無うて……玄関の鍵開いてて」  夏目が頭を抱えながら言った。 「浪越に身寄りは……」 「無い。浄世講の粛清で死んだんやって。  やからこそ、浄世講を倒してくれた君らに憧れとったんや」  由利の問いに、栗栖が答えた。  モノノベは浪越の自死を止める堰にはなれなかった。  それどころか眩いまでの強さが、挫折した浪越にとって現実とのギャップとして立ちはだかってしまったのかもしれない。  色々な光景を見過ぎてきた四人の涙は、何年も前に枯れていた。  泣きも喚きもせず、小さなレコーダーを囲んで立ち尽くす。 「今日の業務は停止や。  浪越を、ちゃんと眠らせたらんと」  佐久良が呟いて詰所を出て行く。  由利達もそれに続いた。  浪越の家は、少年が一人で暮らすにはやや広く感じる町屋だった。  夏目の案内で、玄関から一直線の細長い廊下を突き当たりまで行くと風呂場がある。  その脱衣所で浪越は横たわっていた。  湯船に突っ伏していたのを見付けた夏目が抱え上げ、ここに安置していたのだ。  屈んだ佐久良が、手首に刻まれたがたがたの傷口にそっと触れる。  意を決したように目を細めると、懐から速疾を取り出し、浪越の髪を一束切り取った。  モーニングジュエリーにして井斗の隣に並べるつもりなのだろう。  誰が何と言おうと、例え文句をつけたのが浪越本人であっても、浪越はモノノベの一員だ――勿論、由利達も同じ気持ちであった。  それから約三年間、モノノベに新しい人員が入って来ることは無かった。    しかしとうとう、その門を叩く者が現れたのだ。 「僕は、大事な人を守る為に射撃の才能を活かしたいんです。  彼女……あ、いや、大事な人が居て、その人の命と生活を守り支える為に狩りを……」  中の間で椅子にちょこんと座り照れくさそうに語る、モノクルを掛けた少年は、二年前から道場に通っていた番條相馬だ。  相馬がモノノベに入りたい理由を述べると、その向かいに座っていた由利は頭を振った。 「止めた方が良い。  うちはいかれた奴らの集団で、相馬みたいに分別ある人間がやっていける職やない。  憧れとか使命感とか、そういう優しげな感情は後々自分の首を絞めることになる」 「そんな……僕に狙撃の才能があるって言うてくれたのは由利さんやないですか」 「それはそれや。  狙撃の才能と、戦士としての資質はイコールやない」  由利には、相馬と浪越が重なって見えてならなかった。  どこまでも誰よりも強くなって、戦い方を体系化する――人を救い導く為に掲げたその夢がかえって人を傷つけてしまうなどという事態を、もう繰り返したくはない。  同席していた佐久良、夏目、栗栖もそれを察したのか、渋い顔をしていた。  しかし相馬の方も食い下がる。 「いかれた奴らって言いはりますけど、皆さん普通の優しい人やないですか。  二年も道場通ってたら分かります。  やから、優しそうやなんて理由で断られるのは納得いきませんっ」  それを聞いた栗栖が堪らず吹き出した。 「よう見とるやん。……せやな、変かもなあ」 「そうですね」  夏目も同調する。  由利も、トラウマに囚われるあまり非合理的なことをしていると分かってはいた。  いつまでも三年前のことを引き摺って、後輩を育てるのに躊躇している訳にはいかない、と。 「……それなりの厳しい鍛錬は熟してもらうぞ。  戦場に出すまでに一年くらいは、体力作り、銃器の構造に関する勉強、過去の戦闘データの学習、まだ教えてへんかった近接戦の訓練……その他諸々。  命を預け合うんやからな」  由利が告げると、関係無い栗栖がげんなりした顔をした。  栗栖も、由利からさらりと高いハードルを課せられてぎゃーぎゃー騒ぎながら鍛錬していた身だ。  その由利がわざわざ『厳しい』などと宣言するとは、常人が耐えられる内容なのだろうか。  それに、訓練に掛ける期間も栗栖や井斗、浪越より明らかに長く設定されている。 「ありがとうございます! 頑張ります」  栗栖の心配を余所に、相馬は笑顔で頭を下げた。    これで良かったのだろうか――由利はつい、佐久良へと目を遣っていた。佐久良は小さく頷く。 「これからは相馬も、モノノベの一員や。よろしく」  佐久良が宣言し、モノノベに七人目のメンバーがようやく加わった。  相馬が加入してから二カ月が過ぎようとしていた。  夜、詰所の中の間で佐久良が資料を広げ、相馬に戦闘の立ち回りを俯瞰して教えていたところに、出撃していた三人が戻って来る。 「ただいまー」  栗栖が明るく言う側で、由利は夏目にアームカバーを外され、肘を検められている。 「お帰り。……由利、今度は何やらかした」  佐久良に訊ねられ、栗栖は戦場で起きたことを報告する。 「打刀を一瞬で逆手に持ち替えて側面から来た邪機をぶっ刺しながら、その腕で同時に背後の奴を肘鉄。  うわ、痣になっとるやん」 「しゃあないやろ。  行儀よう順番に斬ってたら背中刺されてたし、蹴ったら体勢崩れて側面の奴に隙を見せてまうって状況やった」  他人事のように痣を眺めながら由利は理屈を述べる。  やれやれと肩を竦めた栗栖は、相馬に寄って来ると耳打ちした。 「厳しい鍛錬するって宣告されてたけど、大丈夫か?   まさかぶん殴られたりしてへんよな?   いらんことあったら言いよ」 「殴られてませんよ!   毎回なるほどって思うことがあって、きつい以上に楽しいんです」  相馬は小声で否定した。 「ありゃ、そうなん? ほな良かった」  課すハードルの高さは相変わらずのようだが、浪越の件があってもさすがに由利が厳しさの方向性を誤ることはなかったらしい。  栗栖は一安心する。  業務が終わり、佐久良以外は詰所を出て行くが、由利と相馬はすぐに夏目と栗栖と別れた。  本日最後の鍛錬となるジョギングを始めるのだ。  コースには帰り道が組み込まれていて、二人ともそのまま詰所へ戻ることなく家に向かう道順となっている。  高田の緩やかで長い、通る者の体力を確実に奪っていく坂を二人は走る。  相馬がふと隣を見ると、由利の顔が険しく顰められ、その額に滲んだ汗がネオンを反射していた。 「あの、ペース落とした方が……」  相馬が提案するも、由利は荒い息の合間を縫って断った。 「相馬の鍛錬やねんから、相馬に合わせる」 「でも」 「気にすんな。俺に体力が無いだけや」  そういえば由利は成長期の大半を幽閉されて過ごしたのだ。  その時期に発育を妨げられたのだろう、と相馬は思い至る。  心配で由利の方をちらちらと窺っている間に気付く。  由利のエレクトロウェアに引かれた蛍光色のラインの輝きが鈍い――電流が少し下げられている。  丁度、Usualの相馬が身に着けられる程度の電流になっていて、そのぶん由利に付与された身体強化の効果も下がっている。  僕と同じ条件で走ってくれているのだ、と相馬はすぐに思い至る。 「由利さんは、自分の苦手なことが認められる人なんですね」  相馬はつい賛辞を零していた。  褒められても、由利は平然としている。 「認めなしゃーないやろ、事実やねんから。  短所を補う為に、連携して戦っとるんやぞ」 「認めるのが難しい人かて沢山居ますよ。  僕も認めて落ち込むのが怖い時はあるし……。  例えば小路かて、戦下手を自覚してその都度反省出来てたら、あんな無茶な軍備拡張はせんかった筈……」  相馬の声はだんだん沈んでいく。  由利は横目でちらりと相馬を見下ろした。  彼も浄世講の支配下で誰かを失った一人なのだろう。 「――俺かて、嫌にならん訳やない。  せやけど、それが頑張らへん理由にはならんやろ」  誰よりも強くなり、戦い方を体系化する。  加賀見を亡くした時に誓った目標を達成することだけが人生だ。  自身の不得手なことで辟易することはあっても、立ち止まる訳にはいかない。  井斗の遺言の意味が分からず戸惑っても、浪越の死に胸が締め付けられても、投げ出すことは許されない。  強さを失ってこの歩みが止まるくらいなら、命など捨ててやる。 「やっぱり由利さんは優しい人やと思います」 「何がどう『やっぱり』なんや……」  相馬のぶっ飛んだ結論に付いていけず、由利は聞き返したが、笑って誤魔化されてしまった。 「とにかく、無理だけはせんといてくださいよ!   無理するなってのも由利さんの教えなんですからね!」 「おう」  あと十ヶ月のうちに相馬を狩りへ連れていけるだけの実力にしなくてはならない。  由利の頭は既に、更なる計画を練っていた。

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