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五十四話 初めての雨
台風がネオ南都を襲ったのは、その年の秋だった。
空は朝から暴風雨を連れた厚い雲に覆われ、陽が射さない時間が続いたため午前からネオンが灯されていたが、陽が落ちる頃にとうとう高田と隣接した清水町一帯が停電した。
停電に巻き込まれた一〇〇人程の住人達は鬼院山城や別の地区の知人を頼って避難して行った。
モノノベは御池の発電所から依頼を受け、復旧工事の間、作業員達を邪機から守ることになった。
顔の傷が痛みだした由利は、佐久良が調合してくれた痛み止めを飲んでから戦場へ向かう。
案の定、飛行能力を持つドローン型の邪機や、それに引っ付いて来た小型の邪機がネオンの海にぽっかりと空いた黒い穴を目掛けて舞い降りて来る。
家屋の屋根に立ち、雨風で揺れる瓦屋根や翻る千載花の擦過音に鼓膜を軋ませながら、由利達は得物を構えた。
間合いがレーザー銃の射程距離と等しくなった瞬間、空を舞うドローン達に内蔵された銃から光線の弾幕が放たれた。
他のメンバーには四重にしたバリアで身を守らせ、由利と佐久良はレーザーを躱しながら走り出す。
四方から迫り来る小型達を斬り伏せながら、ドローン達へとどんどん近付いて行く。
ある地点で二人は示し合わせたように立ち止まる。
佐久良のグレアと由利のバフが、広範囲かつ強力な桜色の光となって周囲を包み込んだ。
二人が敵地の中心にまで迫っていたために、グレアの拘束を免れた邪機は一体も居なかった。
バリアの中で待機していた栗栖達が飛び出し、グレアにより電流が停止し墜落してくるドローンを次々に破壊する。
死骸が風で飛んで行って人や物にぶつかる二次災害を防ぐ為に、発電所が用意してくれたトラックのウィングコンテナに直ちに死骸を収容するのも急務だ。
いざとなれば自分の身は自分で守れる夏目が、この仕事を引き受けていた。
事は順調に進み四十分も経てば、あと少しで清水町は復旧すると無線が入った。
しかし立て続けに、発電所職員の悲鳴にも似た声が聞こえる。
『衣傘町、多聞町、御堂町……供給切れました!』
名が挙がったのは全て泥梨大路沿いの、清水町より更に小規模な町だ。
由利達が西を向くと、確かに光を失った箇所がある。
モノノベの目を盗むように邪機がそこへ集結していくのも見えた。
佐久良が迅速に指示を下す。
「由利、井斗、浪越。
俺達は先に行って向こうの邪機を少しでも片付けておこう。
夏目と栗栖は、ここが復旧するまでは警護を続けて」
由利達は四人で泥梨大路の方向へ、屋根を渡って駆けて行く。
子どもや老人を庇いながら避難する人々が眼下に見えた。
停電した地区の住人達も武装して邪機を倒しているが、やはり練度は低く圧され気味で、既に犠牲者も出ている。
由利達が突入したことで戦況はやっと互角程度になった。
このチャンスに、AIが手勢の大量投入を決断したのだろう。
とにかく切りが無かった。
乱戦の中、由利の視界は突如として灰色に覆われ、脇腹に痛みが走る。
痛みを感じた瞬間、由利は左手を脇腹に遣り、ビスチェを一撃で貫いた異物を掴む。
それは鎗だった。
鎗を繰り出しているのは、人間の上半身と鳥の下半身を組み合わせたような形の中型ロボットだ。
その背には、由利の視界を灰一色で塗り潰す程の巨大な翼が取り付けられている。
未曽有の強風に上手く乗ることで由利にここまで接近し、高速で得物を突き刺したのだろう。
しかし刃が内臓に達する前に、由利が柄を掴んだ。
由利は身を捩って刃から傷口を引き剥がすと、鎗の柄を振り回す。
半人半鳥のロボットが鎗を手放せば、好機とばかりに丸腰となったロボットの背に飛び移る。
同型のロボットが上空に集い、仲間ごと由利を八つ裂きにしようと急降下してくるのを瞬時に視認した。
穂先が目標に届くと同時に由利はロボットの背を蹴って宙に舞う。
眼下では無益に突き刺されたロボットが砕かれていく。
鎗が機体から引き抜かれる前に、由利はハネカヅラを左手に握り、清けし雪村との二刀流で半人半鳥型達の通信機を叩き斬った。
残骸と共に由利が着地すると、瓦屋根に血飛沫が迸る。
脇腹の傷が、今の一暴れで広がったらしい。
「由利、離脱しろ。夏目と栗栖には伝えてある」
佐久良が由利に近付いて来て、撤退を促した。
佐久良の方も手強かった敵を撃破したようで、珍しく負傷している。
「……手当てしたらすぐ戻るけどな。
井斗、浪越! 一旦退くぞ!」
由利が無線で呼び掛けると、少し離れた所でバディを組んで戦っていた二人から、了解と返ってきた。
こちらへと走り出した二人が、はたと立ち止まった。
二人が立っている家屋の裏手にある空き地――正確には基壇と礎石だけを残す遺跡を揃って凝視する。
浪越が遺跡に向かって笠塔婆を構えたが、迷いが生じたらしく腕までぶれる。
見兼ねた井斗が遺跡へ飛び降りると、その周辺の空気が青く染まった。
井斗がグレアを発動させている。
浪越も慌てて井斗に続いた。
一体何が起こっているのか――追い掛けようとした佐久良と由利を、新たに大量の邪機が囲む。
脇腹を押さえる由利の額に、冷や汗が滲んだ。
「夏目に迎えに来てもらうから、由利だけでも退け」
そう言った佐久良も、嫌な予感がしていたのかもしれない。
由利だけでも死なせたくない、と言わんばかりの悲痛な声色だった。
「出来る訳ないやろ、そんなこと!」
叫びながら、由利は邪機の群れへと突っ込んで行く。
佐久良はそれ以上何も言わず、由利の背中を懸命に守った。
遺跡の方から、レーザー銃が一斉射撃される音が響いてくる。
先程は四人ぶんのバリアを重ねて弾幕に耐えた。
一枚や二枚しかバリアを張れないことが分かっている場合、集中砲火は躱すのが鉄則だ。
井斗と浪越がその判断を出来ているよう願うことしか出来ない。
井斗のグレアの影響で、由利と佐久良に襲い掛かって来た邪機の視界が少しジャミングを受けていたのは幸運だった。
やっとのことで敵陣を突破した時、遠い屋根の上にぐったりと横たわる二つの人影を見つけた。
駆け寄ると、一人は致命傷は免れたものの血塗れになった浪越であったが、もう一人は由利とは面識の無い青年だった。
彼の左脚は膝から下がすっぱりと切れているが、血は出ていない――彼の左脚が、義足の役割を持つエレクトロウェアだからだ。
「浪越!? 大丈夫か」
「僕のせいや……僕が……」
浪越は震えながら呻く。
そこに栗栖と夏目がやって来た。
「手当てする言うてたのに待ち合わせ場所に居らへんから来たったで!
ちょっと、大丈夫なん!? ……井斗は!?」
無線を介する手間も惜しいようで、雨風に負けぬよう声を張り上げて栗栖が訊ねる。
由利は衝動的に、遺跡へ飛び降りていた。
「皆はここで待っとって」
そう言い残し、佐久良も遺跡へ降り立つ。
土が泥濘み、基壇の周りでは彼岸花が激しく揺れている。
あれ程居た邪機は破壊されて転がっているか、生者を殺す為に去ってしまったようだ。
人間を殺したいならば、もはやここに留まる意味は無いからだ。
カノエサルで両断した半人半鳥ロボットに凭れて座る井斗の姿がある。
肩から胸にかけて、耐熱防刃の衣服もエレクトロウェアも貫く程の傷がある。
千載花も大部分が破損し、井斗の肌を雨が叩き付けている。
それでもなお、広がり続ける赤を洗い流すことは出来ない。
弾幕、集中砲火、そして先程由利も喰らった暴風を利用した鎗の突き――彼がそれを受けたことは容易に想像出来た。
井斗と浪越は、義足を破壊されて逃げられなくなっていた青年を助けようとしたのだろう。
浪越が屋根の上から優位を取って邪機を狙撃しようとしたが、笠塔婆の射線と青年が近すぎたために引き金を引けなかった。
井斗はすぐさま作戦を変更し、邪機の間近まで下りて行きグレアを使ったのだ。
そして邪機が停止している間に、浪越に青年を救出してもらうつもりだった。
しかし遺跡はグレアで全体をカバー出来る程狭くはない。
動けない怪我人を庇いながらこの群れを全滅させ、無事に戻ることは難しい。
そう考えた井斗は、グレアを力の限り使い続けて敵を少しでも足止めし、浪越に青年の避難を託すことにしたのだろう。
そうしている間にも邪機がグレアの範囲外を囲んできた。
ジャミングで視界を奪われてはいるものの、逃げ場の無い低所で護衛の一人も付けずに地脈を読もうと停止している井斗になら、がむしゃらに攻撃しても効果はある筈だ――AIはそう判断した。
グレアの届かない地点から遠距離攻撃され、ぼろぼろになってグレアの効果も切れた所に鎗で致命傷を負わされたという訳だ。
「井斗! 待っとけ、すぐ手当てに……」
由利が手を伸ばすが、井斗はそれを弱々しく押し返した。
井斗は二人を見上げると、いつものように笑う。
「俺はとうとう、あんたらのしけた面しか拝めんかった……少しは俺を見習って楽しく生きろや……
やないと、モノノベに……未来は、あらへんわ」
全ての停電が復旧したのは、井斗の死から二時間近く経った頃であった。
灯りが点き、雨風の勢いが少し衰えた町で、取り残された邪機を狩る。
それも終わると、井斗の亡骸を連れた佐久良は一旦詰所に戻ってから、井斗に何かあった際の連絡先となっている場所へ向かうこととなった。
憔悴した浪越を夏目が送り届け、由利と栗栖はとぼとぼと帰路につく。
「最期に井斗が言うてた……俺と佐久良は井斗に、しけた面しか見せたれへんかったらしい。
少しは井斗を見習って楽しく生きろやて……やないとモノノベに未来はあらへんって」
由利が言うと、栗栖は頷いた。
「井斗らしいなあ。守ったるんやで、後輩の最後のお願いやねんから」
そこから商店街の入り口で別れを告げるまでは、ずっと無言だった。
田中家に帰り着き、銃と防災グッズの傍らに座っていた三善に、災害が懸念されるピークは過ぎたことと井斗の死を伝える。
食事をする体力も、風呂に入る気力も無く、由利は二階の自室へ真っ直ぐ向かった。
エレクトロウェアを脱ぐとベランダに出て、雨が降り注ぐ夜空の下に手を差し出した。
生まれて初めて触れる雨は、思っていたよりもずっと冷たく皮膚に突き刺さった。
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