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第2話 別れよ
「別れよ、蒼介」
「いやっ! いやだ! 俺には、湊しかいない! 捨てないでくれ!」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていて、その状態で僕の足にしがみついてくる。気持ち悪いから、やめてよ。
「蒼介に決める権利ないよ。言い訳ばかりじゃん」
「ごめ……ごめんなさい……もう二度としないから」
「今度なんてないよ。仕事以外で会うことは、ないんだから」
僕はそう言って踵を返して、今度こそ玄関へと向かう。何度も何度も僕の名前を呼んでいるが、無視して玄関から外に出る。
何も考えたくなくて、僕は近くの公園のベンチに腰掛けた。ここは初めて蒼介と、出会った場所だったな。
高校二年生の時に、不慮の事故で両親が他界した。絶望のどん底に、突き落とされた。
今日と同じく雪が、降ってきそうな寒い晩だった。両親の葬式が終わって、この公園に来ていた。
その時に心配そうに、話しかけてくれた。それが、当時今の会社に入社して一年目の蒼介だった。
「おい、大丈夫か? 具合でも悪いのか?」
「……ほっといてください」
「あのな……辛いなら、辛いって言えよ。知らん奴なら、言えるだろ」
そう言って僕の頭を撫でて、優しく微笑んでくれた。その時から、僕は蒼介のことが好きだった。
彼になら色んなことを話せたし、彼も誰にも言えなかったことを伝えてくれた。僕の心に空いた穴を、いつだって埋めてくれた。
無事に高校を卒業して大学に進学し、彼の勤めている会社に内定をもらった。同じ営業部に配属された。
そして僕から意を決して、人生初めての告白をしたんだ。僕はΩで彼はαだから、将来も考えることができた。
「あの時は、嬉しかったな……」
何度も番にして欲しいと頼んだけど、結婚するまではしない。彼はいつもそう言ってくれていた。
僕のことを第一に考えてくれていた。そこに愛情は確かにあったし、どんなに喧嘩してもご飯は作ってくれていた。
「もう、いいや……」
溢れてきて止まってくれない涙が、凍えそうなせいか……いつも以上に冷たく感じてしまう。
僕はベンチに横たわって、淡々と積もっていく初雪を眺めていた。眠くなってしまって、目を閉じる。
寒くなっていくはずなのに、体が急に暖かくなった。暖かくて僕は、その温もりにしがみつくしかなかった。
「大丈夫ですよ。湊さん」
優しい声を、聞いて僕はうっすらと目を開ける。白くて端正な顔立ちが見えて、舞っている雪が溶けていって綺麗だった。
気がつくと寝てしまったようで、目を覚ますと知らない天井が見えた。蒼介が連れて、来てくれたということはないみたいだ。
起き上がって体育座りをして、また涙が溢れてくる。僕にはそれを堪えることは、出来なかった。
あの時は、不安と焦燥で可笑しくなってしまっていた。好きなのに、大好きなのに……。
別れるなんてできない……四年、いや……出会ってから、来年で十年の僕たちの関係性は……。
こんなことで終わってしまうなんて、受け入れることは出来ない。それでも、無理だ……。
知らない女の人と、僕たちのベッドで寝ていた。運命の番に、出会ったことないから分からない。
僕が思っているよりも、何十倍もの欲望があるのかもしれない。それでも、やっぱ許すことは今はできない。
「み……広瀬さん、泣き止んでください」
「えっ……しゃ、社長……な、んで」
「たまたま通りかかりましたら、広瀬さんが冷たくなっていたので。お連れしました」
あー、あの綺麗な顔立ちは社長だったのか。雪が溶けていって、とても光り輝いていた。
あの時の光景を思い出して、少し体が熱くなってしまった。僕は一体何をしているのだろうか。
「クシュン……」
「すみません、寒いですよね。お風呂沸かしてくるので、もう少し寝ていてください」
優しく微笑んでくれたその笑顔は、誰が見ても美しく見えた。そこで僕は、自分が裸だったことに気がつく。
急に恥ずかしくなって、布団に潜り込んだ。社長のフッと笑う声が聞こえて、布団越しに頭を撫でられた。
いつも僕が落ち込んでいる時に、彼は優しく抱きしめてくれた。そして僕が泣いている時は、決まって何も言わずに頭を撫でてくれた。
「もう……終わりなのかな」
僕が終わらせてしまったのかな……。確かに、悪いのは蒼介だ。あんなに必死に謝ってくれたのに、突っぱねてしまった。
僕たちのこの四年間は一体、なんだったのかな……こんなことなら、強引にでも番になれば良かった。
そうしたら、彼が運命の番に会うことは絶対になかった。でも……もしかしたら、どこかで破綻していたのかもしれない。
そういえば、今って何時? あたりを見渡しても時計の類はなく、時間は分からなかった。
そのため、僕のスマホを探そうとした。部屋のコートがけに、僕のコートがかかっていた。
ポケットにスマホが入っているはずだから、連絡した方がいいのかな。でも出来るはずないよな。
そう思って一度立ち上がったけど、直ぐにベッドに座った。カーテンの隙間から、朝日が差し込んできていた。
「そう……すけに、電話なんてできないか」
「する必要ないですよ」
「社長……なん、で」
「小笠原さんと、何があったんですか?」
そう言って優しく微笑んでくれて、抱きしめて頭を撫でてくれる。彼と同じように、慰めてくれるとかズルい。
そんなこと言われたら、言うしかないだろ。僕には彼以外に、頼れる相手がいないのだから。
それからぽつりぽつりと、僕は社長に昨日あったことを話した。社長は同情することなく、只々抱きしめてくれた。
それがとても、心地よく感じてしまった。久しぶりに声が枯れるぐらいに、泣きじゃくってしまった。
「落ち着きました?」
「はい、すみませんでした」
「何故、謝るのですか? こういう場合は、ありがとうと言って欲しいです」
「……ありがとうございます」
とても暖かくて優しい人だ。大きな会社の社長だからもっと、厳しい人かと思っていた。
これで僕よりも年下って、包容力ありすぎだろ。天下の帝財閥の御曹司だからなのかもしれないけど。
考えてみたら、社長に就任してしばらく経つけど。悪い評判って一切聞かないし、むしろ色んな部署に顔を出してくれている。
僕みたいな、特に目立たない一社員の顔と名前を知ってくれているわけだし。
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