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第4話 い……やじゃ、ない

 いつの間にか近くに来ていた社長が、髪をタオルで拭いてくれていた。そして、申し訳なさそうに謝ってくれた。 「すみませんでした……その、髪が濡れていたので……乾かそうと思ったのですが、怖がらせてしまいましたね」 「あ、その……違くて、その……」 「広瀬さんは、優しいですね」  後ろで、拭いてくれている社長の顔が見れない。だって、只の善意を変な風に受け取ってしまうなんて……。  考えてみたら一晩一緒にいたのに、何もされていない。それにこんな冴えなくて、婚約者に浮気されてしまう。  こんな僕を上級αである社長が、恋愛感情とかで見るわけないよね。自惚れがここまでくると、お笑いなのかもしれない。  はあ……恥ずかしすぎて、僕は自分の顔を両手で覆った。しばらくして、乾かし終わったようで声をかけてくれた。 「流石にその格好では、風邪引いてしまうので。他のものを、用意しますね」 「あっ……はい、そうしてもらえると……」  リビングのソファに、案内してもらって座る。すると毛布をかけてくれて、優しく微笑んでくれた。  そして、何も言わずに寝室の方に行ってしまった。何か着るものを、用意してくれるのかな?  考えてみたら、昨日着ていたスーツを着れば良いんじゃないだろうか。そう思ったが、人ん家を勝手に歩き回るのもな……。 「流石に……止めておこう」  社長が来たら、そのまま思っていることを伝えよう。どの道、辞表も書かないとだし。  僕がそう思っていると、社長が戻ってきたようだった。柔らかな笑みを浮かべていたから、急に申し訳なくなってしまった。  こんなによくしてくれて、介抱してくれただけでなく。一晩泊めてくれて、ご飯とお風呂まで入れてくれて。  ここまで善意でよくしてもらって、辞表を出すのは心苦しい。でも彼と同じ部署で毎日、顔を合わせるのはもっと辛いから。  僕は意を決して、微笑みかけてくれている社長に伝えることにした。今一度、深呼吸をして口を開く。 「社長、お話があります」 「奇遇ですね。私からも、ありますよ。でも先に、着替えていただけませんか? その格好では、体に良くないので」 「あ、はい。そうですね」  体に良くないって、風邪引くってことだよね? そう思っていると、着替えを渡されたのだが……。  これってパジャマだよね? 家だから不思議じゃないけど、なんか可笑しいでしょ……。  しかもこの大きさに、水玉って社長の趣味じゃないよね。流石に違和感を覚えて、僕は思っていることをそのまま口にする。 「あの……昨日、着ていたスーツでいいのですが」 「あーあれなら、クリーニングに出しましたよ。それにですね、家でスーツはおかしいと思いません?」 「た、確かに……そうなんですけど」 「風邪引くといけないので、着てください」  完全に、押し負けて横を向いてワイシャツを脱ぎ始めた。その間も、食い入るように見つめてきた。  そんなに見つめられていると、緊張してしまう。なんとなく自分の手が、震えているのが分かった。 「あの……そんなに、見つめられていると……その」 「それもそうですね。手伝いましょうか?」 「えっ……あの、それは流石に……」 「クスッ……冗談ですよ」  揶揄われた……もう、社長は僕を揶揄って遊んでるんだ。なんか色々と悩んでいるのが、馬鹿らしくなってしまった。  そっぽを向いたままで、僕はワイシャツを脱いだ。そして、渡されたパジャマに身を包んだ。  やっぱ、変なことをしているような気がしてきた。社長って意外と、Sなのかもしれない。  それはそれとして、僕は言わなくてはいけないと思った。再び深呼吸をして、口を開く。 「あの社長、お話があります」 「そういえば、そうでしたね。聞きますよ」 「……辞表を出したいです」 「……えっ」  言えた……やっと、言えた。怖くて社長の目を見ることが、出来なかった。  それでも気になってしまって、恐る恐る見てみる。  信じれないぐらいに、目が笑っていなかった。怖いなんてものじゃない、この世の終わりみたいな。  なんで、そんな顔するんですか……そんな顔しないでください。罪悪感が胸に、広がっていくじゃないですか。  そんなに僕が辞めることが、嫌なんですか? どうして、どうすればいいんですか……。  気がつくと僕は、社長の頬に軽く触れていた。いつも暖かくて綺麗なその眼差しが、冷たく感じてしまった。 「広瀬さん、何故。辞めたいのですか」 「……彼と、小笠原と一緒に仕事したくないからです。すみません、私情で」 「いえ、無理はないですよね。昨晩のようなことがあれば……」  なんでこの人は、こんなに優しいのだろうか。頬を触っている僕の手に、社長は自分の手を重ねてきた。  彼のとは違う大きさに、体温の暖かさが心地いい。真剣な眼差しの社長に、目を逸らすことが出来ない。  ただ一点を僕だけを見つめるその瞳が、捉えて離さないようにしていた。ハーフって言っていたけど、目も若干青いんだな。  端正な顔が段々と近づいてきて、気がつくと唇に柔らかいものが触れた。嫌だって、言わなくちゃいけない。  心では分かっていた……こんなことは、絶対に良くないと。それなのに、体は離してほしくなかった。 「嫌なら言ってくださいね。歯止めが効かなくなるので」 「い……やじゃ、ないです……」  僕がそう言うと社長は、ソファに僕を押し倒した。余裕がなくなった表情をしていて、僕は思わず息を呑んでしまう。  それから貪るような荒々しいキスをされて、体がビクンッと反応する。首元にキスを落とされて、身体中が熱くなっていくのを感じた。  胸をパジャマ越しに触られて、思わず変な声が出てしまう。その瞬間、彼の優しい微笑みが脳裏をよぎる。  社長の両腕を掴んで、涙が溢れてきてしまう。急に怖くなってしまって、止まらなくなってしまう。 「広瀬さ……」 「そう……すけ」 「……すみません、頭冷やしてきます」  社長は弱々しく呟いて、僕の上から退いた。そしてそのまま、どこかへ行ってしまった。  僕はソファにしっかりと座り直して、体育座りをした。なんで、拒まなかったんだよ。  しかもあのタイミングで、蒼介の名前出すとか。色々と最低すぎるだろ……僕の太ももに当たった社長のアレが、完全に立っていた。  僕のだって完全に立っているし、体が敏感になっていた。それでも社長とヤルのは、流石にマズいから良かったのかもしれない。 「……この考え方が、最低なんだよな」  しばらく自己嫌悪に陥っていると、涼しい顔をした社長が戻ってきた。そして、近くのダイニングテーブルの椅子に腰掛けていた。

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