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第22話 やめて下さい

 不思議だなあと、顔を見つめる。耳まで真っ赤になっていて、可愛くて虐めたくなった。  いつもイジワルされるから、僕もたまには弄ってもいいよね。そう思って少しニヤニヤして、もう一度筋肉を触ってみた。 「……やめて下さい」 「えー、いいじゃん。凄い筋肉、羨ましい」 「もう一度言います。やめろ」 「……はい」  急に体をクルッと回転されて、押し倒されてしまう。顔を見ると、余裕のない笑みを浮かべていた。  その表情がいつにも増して、綺麗で洗練されていた。僕はまた体が熱く、火照っていくのを感じた。  それと同時にもう、弄るのは金輪際やめようと心に固く誓った。僕は静かに目を逸らして、何度も頷いてみる。  すると急に首元に息を吹きかけられて、変な声が出てしまった。僕が恥ずかしがっていると、クスクスと肩で笑っていた。  この人はもうっ! でも、怒っている顔もカッコいいけど……笑っている時が、一番カッコいいな。  そう思って頬を触ると、少し驚いていた。でも直ぐにいつもの優しい笑みを浮かべて、笑っていて綺麗だった。 「お風呂入りましょう」 「う……腰が痛くて……起きれない」 「仕方ないですね……捕まっていて下さい」  甘い声でそう言われて、前から抱きしめたままで脱衣所まで連れて行かれた。重くないのかな……。  軽々と持ち上げられるとか、彼氏力というか……高いような気がする。僕がそんなことを、考えているといつの間にか体を洗われていた。 「あの……そこまでしなくても」 「いいでしょ? もう、体全部に触れていますし……ここの奥にもね」  そう言って後ろから、お腹の辺りを触られた。言葉の意味に気がついて、また体が熱を帯び始める。  こんなに短時間で体温が上がったり、下がったりしたら身が持たない。一緒にいるだけで、こんなに幸せな気持ちに浸れる。  体を洗い終わって彼が浴槽に入って、膝の隙間に僕も入る。なんか落ち着かなくて、思わず体育座りをしてしまう。 「もっと、ゆったりしていいですよ」 「恥ずかしい……」  お湯の中に口まで入れて、僕はブクブクしていた。そんな中、考えてしまうのは……こんな幸せがいつまで続くのかという一抹の不安だった。  結婚を前提にって言っていたけど、蒼介はいなくなってしまった。別れたことも、花楓を選んだことも後悔はない。  僕たちはαとΩだから、結婚も出来るし番にもなれる。だからといって、永遠とは限らない。  離婚することもあるし、最悪の場合……番の解消だってありえる。番の解消はΩにとって、人生を大きく変えてしまう。  どうしよう……不安になってしまって、そんな自分が許せない。こんなに真っ直ぐに、愛情を注いでくれているのに……。  そんなの花楓のことを、信用しきれていないってことじゃないか……そう思っていると、後ろから抱きしめられた。  耳に息を吹きかけられたとかと思ったら、首筋に顔を埋めて舐めてきた。僕はまた変な声が出て、浴室内に響いてしまう。 「余計なこと、考えてますよね」 「……かんが……えてな」 「嘘ついても、分かりますよ」  この人は……分かるはずないのに、この人が言うと本当にそうなんじゃないって思えてくる。 「不安で……花楓も蒼介と同じように、いなくなるんじゃないかって……だけど……信じていないみたいで……だから、その」 「大丈夫……絶対に、永遠に一緒にいるから」  根拠のない言葉だけど、確かに彼の言葉には僕への愛情が感じ取れた。それだけで、とても幸せな気持ちになった。  僕は抱きしめられている手に、僕の手を重ねてみる。しばらく僕たちは、そのまま入っていた。  お風呂から上がって、脱衣所で着替えている彼の背中を見る。そこにはしっかりと、引っ掻き跡がついていた。  あれって……僕がつけた傷だよね……そう思ったら、さっきの出来事が鮮明に思い出された。  あーもう……かなり、恥ずかしいことを言ってしまったような気がする。自分の手を見てみると、ずいぶん爪が伸びていた。  切らないと危ないような気がする。着替えてリビングに行って、ソファで彼に髪をドライヤーで乾かしてもらう。 「そういえば、僕のこといつから……その、好きになって」 「あー、私が初めて出社した日のこと覚えてますか?」 「はい、覚えてます」  あの日は僕がくしゃみをして、蒼介がマフラーを巻いてくれた。あの時、一瞬だけ花楓と目が合ったような気がした。 「あの時、くしゃみをした湊さんに一目惚れしたんです」 「えっ……でも、僕たち一度も話したことなかったですし」 「クスッ……一目惚れなんだから、当たり前でしょ」 「あっ……そっか」  確かに……一目惚れってしたことないから分からない。でも彼の言うことは、もっともだと思う。  そんな風に話していると、ドライヤーのスイッチを切った。彼の髪も濡れているなあと、思っていると無造作にタオルで拭き始める。 「ドライヤーで乾かさないの?」 「……もう乾いてきてるので、大丈夫です」  ぶっきらぼうに言って、ドライヤーを戻しにいく。変なの……そこで僕は爪を、切ろうとしたことを思い出す。  爪切りは確か……テレビ横の棚の上から二番目……あっ、有った! 再びソファに座って、僕は爪を切ろうとする。  自分でも不器用なのは知っていたけど、凄く下手くそだった。なんていうか、切る以前の問題だった。 「切るの怖い……腕が震える」 「何してるんですか」 「うわあ!」 「人を見てお化けを見たみたいな、リアクション取らないで下さい」  突然背後に来て、急に声かけられたら誰だって怖いでしょ。僕がそう思っていると、爪切りを僕の手から取って隣に座った。  そして何も言わずに鼻歌を歌いながら、僕の爪を切っていく。嬉しそうだから、僕は身を完全に任せていた。 「今まで誰かに、切ってもらっていたんですか」 「あっ……その、えっと」 「……小笠原さんですか」 「はい……」  僕の言おうとしてることが、分かったのか途端に機嫌が悪くなる。蒼介のことそんなに、嫌いなのかな……。  顔をチラッと見てみると、少しムスッとしていた。もしかして、嫉妬かな? あーもう、そう思ったら可愛いじゃないか。  いつもスマートでカッコいいのに、嫉妬して不貞腐れている。どんだけ、僕のこと好きなの?  なんか起きてもいないことで、悩むのがバカらしくなった。そんなことを考えながら、爪を切ってくれている恋人を見つめる。 「終わりました。ご飯でも、何か」 「ちょっとこのままで……いさせて」 「……分かりました」  立ち上がって行こうとしたから、僕は後ろから抱きついてみる。ぶっきらぼうな返事をしたけど、耳まで真っ赤で可愛い。  優しく香ってくる柑橘系の匂いが、僕の心を癒してくれる。でもこの香り、前にも思ったけど……どこかで嗅いだような気がする。  何処だっけ? まあいいか、そんなこと……この時は知らなかったんだ。僕らが初めて出会ったのは、社長就任の日じゃなかったって。  それよりももっと前に、蒼介に出会うもっと前だった。知っていても、知らなくても結果は変わらない。

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