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第6話

ピース大学記念会堂では朝から慌ただしく職人たちが動いている。フランスブーゴー新人作家賞の発表と授賞式がパリで2月26日午前10時、日本時間では午後5時に行われるからだ。ブーゴー新人作家賞委員会は21日、冬心の作品「黒と白、noir et blanc」を含む最終候補作3本を公開した。各マスメディアでも13年ぶりの日本人のノミネートで大騒ぎになった。記者たちは椿冬心という謎の人物を取材したく、いろいろと手を尽くしていたが、本人の韜晦というか拒絶によりインタビューができなくて、冬心の在籍しているピース大学に取材を申し出た。 日本を始め、世界はオメガ人権保護法によって押しかけや無理やりな取材は禁止だった。ピース大学もテレビのニュースや新聞で盛り上がっている椿冬心の記事で、記者たちのインタビューが殺到し、繁多していた。270年の伝統のあるピース大学では今まで、ノーベル賞116人、ブッカー国際賞27人、ピューリッツァー賞39人、グラミー賞25人、アカデミー賞27人、カンヌ映画祭103人等々、著名人を輩出してきたが、50年の歴史を持つブーゴー新人作家賞の最終候補決定は初めてだった。 冬心は21日、ブーゴー新人作家賞委員会からのメールをもらって、嬉しくてすぐにジャンダ教授にノミネートされたことを知らせるために電話をした。ジャンダ教授もとても喜んで慶賀してくれた。ジャンダ教授はこれから記者たちの取材や出版社からの出版依頼などが殺到するので、何かあったら助けたいと言った。 記者たちは椿冬心がピース大学付属ピース私立高等学校の2年生の時、世界知能テストで優勝したその絶滅危惧種の天才極優性オメガの椿冬心と同じ人物だと知り、ますます取材ブームを巻き起こしていた。記者たちはもちろん世界中の人々は3年前のテレビでヒットされた美しい冬心が今までずっと頭にこびりついているのだ。 一方、宇宙天命は冬心の個人情報を守るため、ありとあらゆる手を尽くしているが、大衆の好奇心に思案に余るところだった。冬心の正体を追い続けた記者たちが奮闘して調査し、ようやく冬心の住居地を見つけたのだ。天命は急いで星空町の警察署長に電話をして冬心の安全のために、保護してくれるよう頼んだ。記者たちは銀河水公営アパートで陣を張って冬心を待っていた。 21日のブーゴー新人作家賞候補発表後、23日、記者たちは極優性オメガ椿冬心を取材したく、夜明けから銀河水公営アパートの周りを囲んで待っていた。銀河水公営アパートを出入りする住民に出会ったら、椿冬心に関して質問攻めしたが、誰も知らないと言うばかりで、記者たちも焦ってきた。朝、8時45分、背が高く、すらりとして黒のチェスターコート、黒のスラックス、黒のアンクルブーツ、黒のニット帽、白のマスクをかけた椿冬心がアパートのエントランスを出た途端、警察官が現れて冬心をエスコートし、警察車両に乗せる。記者たちは慌ててカメラのシャッターを切り続け、フラッシュが鳴り響いた。冬心は昨夜、星空町の警察署から事前に連絡をもらったので、記者たちと揉めずにピース書店に行けることで安心した。 でも、ピースデパートの周りでも各社取材陣が待っていた。ピースデパート側も天命の指示により、多くの警備員たちが陣を張っていて緊張が高まっている。冬心は申し訳なさそうに警察官たちと警備員たちからエスコートされながらピースデパートの従業員出入り口に入ることができた。7階のピース書店に着いたら、スタッフたちがおめでとうと祝福してくれる。高橋店長は微笑みながら言い出す。 「冬心。本当におめでとう。この書店の、いや、この日本の誇りだ」 「いいえ。そんなに大したことではないです。ありがとうございます」 「冬心。本部からの指示が来たが、当分はバイトを休んでもいいとのことだ。休んでもしっかりバイト代は出るので心配しなくてもいいんだ」 「そんなに迷惑はかけたくないです。申し訳ございません。できる限りは、仕事したいです。裏の倉庫での仕事だから記者たちとは会わないと思います」 「そうか。今日の一日だけ様子を見て、働けるなら働いてもいいよ。休憩の時は、従業員休憩室は控えて事務所で休んだほうがいいと思う。今日もよろしく」 高橋店長は冬心の肩をポンポンと優しく叩いて行ってしまった。その日から、ピースデパートのピース書店には記者たちと冬心を見たいと意欲を抱いた大勢の人々で早朝から賑わった。冬心は警察官のエスコートを受けながら、欠かさずにバイトに出た。冬心は休憩を従業員休憩室ではなく、ピース書店の事務所で休み、書店の表には顔を出せないようにした。冬心の祖母、椿知加子もオメガ支援施設へバイトに出るときには帽子とマフラーで顔を隠し、記者たちの質問には知らないと答えるだけだった。 ピース大学ではお騒ぎの末、ブーゴー新人作家賞委員会の依頼と文部科学省の仲裁で学長を含んだ行政職員たちが会議を開き、26日の発表日に報道関係者たちを招き、生放送と簡単なインタビューを設けることを決めた。 ざわつく日々がたって2月26日のブーゴー新人作家賞の発表当日が訪れた。冬心の嘆願により、ピース大学記念会堂の発表会でジャンダ教授は冬心の付き添いとして同席することになった。パリでは午前10時、東京では午後5時、日本だけではなく海外報道機関も集まり、ピース大学では人だかりができて混雑していた。 冬心のスマホは友達や知り合いからのお祝いのメッセージで喜びの歓声を喧喧と鳴り響いていた。愛子も何回かラインを送ってくれた。鈴木先生と高校時代の恩師からも連絡がきた。 冬心は鈴木先生からプレゼントされたローズブラウンファーロングコートと栗梅色のスラックス、白のヴィクトリアンシャツでお洒落に着こなし、とても美しい。祖母も黒のワンピースにキャラメル色のステンカラーコートで 久々の垢抜けた着こなしをして胸を躍らせている。 冬心と祖母は午後4時30分頃、発表会場に着き、ジャンダ教授と学長、職員たちに挨拶をする。ジャンダ教授は自分の息子のような冬心をとても誇らしく思い、目を潤ませていた。午後5時の10分前に冬心はジャンダ教授と一緒に記者会見の席に登場する。ジャンダ教授は大きなマスクをして顔を隠している。報道陣は美しい冬心の姿を見て、息を呑み、カメラのシャッターを華やかに押し続ける。 ピース大学記念会堂に現れた冬心はマスクをかけずに素顔で登場し、その並外れた美貌をマスコミに初めて晒していた。テレビ局のカメラへ納められる冬心の純美な美貌を驚異的に見つめている視聴者たちも目を離すことができず、その美しさに肝を抜かれている。その視聴者の中にいる天命も渋い顔でテレビを注視している。 午後5時になり会場のスクリーンがつけられてパリのブーゴー記念館のブーゴー新人作家賞会場が中継される。権威ある作家たちとブーゴー新人作家賞委員会の会長が映される。司会者の挨拶が終わり、会長の演説と候補者の3人の紹介が行われる。ブーゴー新人作家賞はパリのブーゴー記念館で発表とともに授与式も行われるが、冬心はパリの会場への参加を断ったので、代わりにピース大学記念会堂で行われることになった。冬心以外の2人の候補者はフランス人で会場に直接参加されていた。 演壇に立った権威溢れる会長がブーゴー新人作家賞の受賞者を発表する。 「融通無碍で耽美的な傑作です。今年のブーゴー新人作家賞は黒と白、noir et blancの椿冬心さんです。おめでとうございます!」 わーわーわー拍手と歓声が響き、カメラのシャッターが煩く鳴り続ける。ジャンダ教授は冬心をひしと抱きしめる。座っていた冬心の祖母も思わず起きて拍手した。会場は喜びの波で畝っている。冬心はジャンダ教授の胸で抱かれて 随喜の涙を流す。会場は歓喜に酔っていた。司会者が冬心に所感の一言を頼んだ。 「今まで支えてくださったおばあさんとジャンダ教授、そして鈴木先生を始め、いろんな方々に感謝いたします。天国で応援してくれる両親にも感謝いたします。本当にありがとうございます」 目を潤んで静かに話す冬心がカメラレンズにクロースアップされる。日本を始め、世界中の人々が見つめている生中継だ。会場はお祝いで盛り上がっていて、記者会見が開かれた。一人で一つの質問のみ許された。 「おめでとうございます。ピーステレビ局の木村です。極優性オメガで高校2年生の時に世界知能テストで優勝されたのですね。ピース私立高等学校は3年間特別奨学金をいただき勉強され、ピース大学も4年間成績優秀者奨学金をいただいていますね。そんなに優れた知能のお持ち主ですが、なぜいままで公に出なかったのですか?」 「静かにいたかったからです」 「おめでとうございます。東京理想新聞の三浦と申します。この本はいつから着想を得て書きましたか?どうして応募されたのか経緯を聞かせてください」 「この小説は高校1年生の時に趣味で書きました。小さい頃から詩や小説を書いていますが、大学の教授がお勧めしてくれてブーゴー新人作家賞に応募することになりました」 「おめでとうございます。アメリカのタイマー誌のマイケルです。冬心さんの家族関係や経歴など、全く情報が出ていないです。差し支えなければお話ししていただけませんか?」 「10歳の頃、両親は亡くなり、おばあさんと二人暮らしです。ケナリ小学校、朝顔坂第一中学校、そしてピーズ大学付属ピース私立高等学校を卒業しました」 「おめでとうございます。イギリスのBTBC局のフレリーです。世界でただ一人の極優性オメガとして、大変だったことはありますか?なぜ、今になって正体を明かすことを決めましたか?」 「いつも注目されてきたので、静かに暮らしたいと思いました。今回の記者会見を受けたのは、これから作家として活躍するためには避けられないと判断したので、公に出ることを決めました」 「おめでとうございます。フランスのヴェリテ社のロイスと申します。ブーゴー新人作家賞は50年の歴史の中、フランス人以外の外国人が受賞したケースが7件程で少なくなっています。フランス語の語感を表現し難しいので、翻訳しても本来の語意を引き出すのが難しいと言われています。椿さんは自らフランス語で長編を書きましたが、フランス語で表現するのに難しいところは何だったのですか?」 「小学生の頃からフランスの文学に親しんでいました。特に、ブーゴー、カミュ、ペール、サガンなどが凄く好きで何回も読みました。そのうちにフランス語も堪能になり、自然にフランス語で詩や小説を書きました。書くのに特に大変なことはありませんでした」 「本当におめでとうございます。J&Jエンターテインメントの沢尻と申します。卓越した美貌でいらっしゃいますが、芸能界には興味がないですか?ぜひ、我々のプロダクションでお招きしたいです」 「すみませんが、今は学校生活を充実に謳歌したいです」 「おめでとうございます。韓国のソウルの花日報です。母親が韓国人だと聞いておりますが、正しいでしょうか?韓国の家族の関係も詳しくお聞かせてください」 「はい、母親は韓国人で留学生でした。いつも韓国語や韓国のことを教えてくれました。実は、祖父がアメリカ人の空軍パイロットで、祖母が米軍基地の医師でした。母親が12歳の時、アメリカのニューヨークへ移住しました。祖父と祖母はアフリカの支援活動を行っていましたが、スーダン紛争で命を落とし、孤児になった16歳の母親はカリフォルニアの叔父のお世話になりました。母親はカリフォルニア大学バークルー校を卒業し、22歳の時に日本のエンライトメント公立大学の大学院に留学しました。」 「おめでとうございます。SNSBシンガポール紙です。親族や両親も形質者でしたか?今、付き合っている人はいますか?」 「父親が劣性アルファで母親が優性オメガでした。母親側の祖父が優性アルファで祖母は優性オメガでした。父親側の祖父は劣性アルファで祖母はベータです。そして、付き合っている人はいません」 時間を見ていたジャンダ教授が話の中に入る。 「すみませんが、そろそろ時間になりましたため、インタビューは終了とさせていただきます。ありがとうございました」 冬心とジャンダ教授は丁寧に頭を下げて、会場を出て行く。もっと質問したかった報道陣は渋々席を立つ準備に入る。事務室でテレビを見ていた天命は頭を抱えてこれからの方向について考え込んでいた。 「冬心。うまくやったね」 「おばあさん、ありがとう」 「おめでとうございます。冬心」 学長を始め、教授たちと職員たちがお祝いの言葉を述べ続けた。 「ありがとうございます」 「もう6時になりますが、冬心。ご一緒に夕飯はいかがですか。ぜひ、お祖母さんとジャンダ教授もご一緒にね」 学長の宇宙天弥が冬心に食事に誘う。冬心は祖母に聞いてみる。祖母は笑顔で頷く。 「誘ってくれてありがとうございます。ご厚意に甘えてご馳走になります」 会場の出入り口では大勢の報道陣が待っていた。冬心は頭を下げ、会釈しながらジャンダ教授にエスコートされて駐車場まで来た。祖母と一緒にジャンダ教授の車に乗せられ、学長の家まで行く。ジャンダ教授はニコニコしながらこれから賞が届くことや出版のことなどを楽しく喋る。木槿丘町にある学長の家は壮大で豪華絢爛な城のような邸宅だった。恐る恐る入っていくと、学長と奥様が迎えてくれた。既に使用人たちが晩餐を準備しており、大きなテーブルにはいろいろな美味しそうな料理が並んでいた。学長の宇宙天弥はピースグループ会長の宇宙太陽の異母弟で、冬心の不幸な出来事も知っていた。学長は貫禄があり配慮深い人なので、冬心と冬心の祖母によく気を配りながら食事を楽しんでいた。ジャンダ教授も笑顔で話に加わりながら美味しく食べていた。学長はこんなに素晴らしいオメガならぜひ、息子の番にしたいという思いが沸いてきた。 「これも食べてください。熱海の海で採れた天然のアワビでバター焼きして香ばしいのよ」 学長の奥さんの宇宙鈴子が冬心の取り皿にバター焼きのアワビを盛ってあげる。 「ありがとうございます。全部美味しいです」 「冬心君は20歳ですよね。我らの長男は22歳でイギリスのオックスフォーで天文学を勉強しています。今度、時間が合ったら一緒にお茶でもしたいんですね」 上品な笑みを含みながら奥さんの鈴子が言った。 「ありがとうございます」 冬心は笑いながらお礼を言った。テーブルに囲まれた学長、奥さん、ジャンダ教授、冬心の祖母、冬心の5人は冬心の本の話や交換留学のことなどで話を楽しく弾んでいった。 天命は橘から冬心が祖母と一緒に大叔父の家に行ったと報告を受けてから無性にイライラしてきた。自分の手には収まらないほど冬心が大きくなった。どうしようもないとは分かっていたが、むらむらと燃える苛立ちは慣れないえぐい感情だった。大叔父は曾祖父が70歳の時に30歳の愛人との間で生まれた子で、祖父とは40歳の年の差がある。オメガ遊びが激しかった曾祖父にうんざりした祖父は、勤勉誠実な生き方をしているのだ。天命は細い煙草に火をつけて吹き出しながら言葉に表せないもどかしい感情の塊で藻掻いていた。 銀河水公営アパート周辺では日没し夜10時になっても記者たちに囲まれていた。ジャンダ教授は銀河水公営アパート前で車を停めて冬心と祖母を降ろし、エレベーターまでエスコートする。ジャンダ教授は冬心と祖母が安全に家に入るのを見届けてから車に戻ったら、記者たちが近寄って質問を浴びせる。でも、大きなマスクで顔を隠しているジャンダ教授は礼儀正しくインタビューを断り、やっと車に乗ることができた。 祖母が先に風呂に入り、冬心は学長の奥様からいただいた和牛やアワビなどが入ったパックを冷蔵庫にしまっている。当分は買い物しなくてもいいと思いながら、とても親切だった上品な奥様の顔を思い出し、嬉しくなった。祖母が風呂から出てきたので、冬心は風呂に入る。湯船に入って今日の一日の出来事が信じられないくらい素敵な奇跡みたいで、胸が感謝でいっぱいに満ちた。 「ポール、ママだよ。寝てるの」 家に帰ってきたジャンダ教授は急いでポールを呼んでいる。まだ何も鳴き声が聞こえないからキャットタワーで寝ているかと思い、近寄ってみたら思った通りぐっすり眠っているポールがいた。ポールの頭を優しく撫でていたら、スマホが声を上げている。光出版社の望月編集長からだ。冬心と連絡したくて手を回していたがうまくできず、結局ジャンダ教授に電話したわけだ。ジャンダ教授の予想通り、冬心の本の出版に関して出版社も猛忙しいそうだ。ジャンダ教授は今まで児童書を全部光出版社から出している。光出版社は退職されたシニア4人を中心にして立ち上げられて今は27年を迎える堅固な出版社に成長した。ジャンダ教授が光出版社を愛用している理由は、光出版社が創立から毎年利益の2割も児童施設に寄付しているからだ。望月編集長は先代社長の孫である。冬心から出版のことはジャンダ教授に任せたいと言われたので、ジャンダ教授は出版権と印税の説明も必要なので、冬心と日程を合わせて後日望月編集長に返事をしてあげると言って電話を切った。ジャンダ教授は冬心の利益を考えるなら、もっと印税をくれる大手の出版社がいいと思ったが、冬心が光出版社がいいと申し出たのだ。ジャンダ教授は冬心の人生が華やかに変わる岐路に立っているとつくづく感じだ。 冬心の銀河水公営アパート周辺にはカメラを持っている記者を含めて大勢の人々が純美な冬心を見たくていつも集っていた。テレビや新聞は今年のブーゴー新人作家賞受賞者椿冬心で見出しを出して大騒ぎしている。どの賞よりも難しいと言われるブーゴー新人作家賞はフランス語特有の性質により、外国語をフランス語にセンス良く生かすのが難しく、外国人の作家にはハードルが高い賞だった。その故に、日本人の作家は50年の歴史の中、だった17人のみが第二次選考でノミネートされただけで、最終候補者になったのは冬心が初めてで、また、受賞したのも冬心が初めてだった。 冬心はブーゴー新人作家賞受賞後も相変わらず警察官にエスコートされながらピース書店に出だ。ピース書店も冬心が働いていることで毎日大勢の人々で溢れ返っていた。テレビ局や新聞社などのSNSでは冬心をもっと見たいという投稿がバズっている。冬心の代理人を務めているジャンダ教授の事務室の電話が毎日怒涛の勢いで鳴り続ける。明日から1学期の受講が始まる。大学側も収まる気のない冬心の熱風をどう対処するかで悩んでいた。 3月1日の火曜日、2年生の1学期を迎えて冬心は学生たちで活気あふれるピース大学に警察車両に乗せられて入る。校庭に入る正門には大きなスローガンを持った冬心の大勢のファンが集まっていた。警察車両を見るや否や、大勢のファンは「冬心女神様」と叫んで大騒ぎしていて、ピース大学の警備員たちが必死に抑えていた。あっと言う間に冬心のファンクラブが結成されて、SNSで活発に活動している。芸能界も冬心を招きたくてありとあらゆる手を尽くしていた。 ジャンダ教授と助教の齋藤は絶え間なく冬心のことで電話が来るので疲れ果てていた。芸能界、出版社、テレビ局など様々な分野からの依頼の電話で仕事に支障が出始めた。講義室に入った冬心を見て同級生たちがお祝いの言葉を投げる。また、冬心とツーショットを撮りたいという写真申請もたくさんあって講義室も賑やかだ。1時限目の8時30分になり、ジャンダ教授が講義室に入ってきたので、皆は静かに席に戻った。 2時限目が12時10分に終わって、学生たちは冬心を食事に誘ったが、冬心はジャンダ教授との約束があり丁寧に誘いを断って3階にあるジャンダ教授の事務室に足を運ぶ。助教の齋藤は昼飯のために出かけたので、ジャンダ教授と二人だけで話ができる。ジャンダ教授は冬心の分まで買ってきた幕の内弁当を取り出して、冬心に食べるように促した。 「冬心。今はマスメディアが追っていて大変ですね。この騒動はそう簡単に収まらないようです。アーラン教授からもお祝いのメールが来て、フランスに来たら自分の家で過ごしてほしいとも言われました。ね、冬心。今、交換留学の申請をすれば審査を通過して合格したら、9月の2学期からフランスロイヤル大学で授業が受けられますが、学長と話し合って特別に冬心だけは今すぐフランスに行って授業を受けられるように手配ができます。フランスロイヤル大学も快く承諾してくれたので、今週中でも行けます。日本が少し静まるまではパリに行って勉強するのも良いと思います」 温かいお茶を一口飲んだ後、冬心が口を開く。 「ありがとうございます。おばあさんと話して決めます」 「おばあさんは心配しないでね。私が面倒をみるから、優しくて愉快な方だから私も好きだよ。おばあさんとは話は済んでいる。おばあさんは冬心のこと、応援しているから」 「ありがとうございます。でも、今回の賞で賞金ももらったので、自分で下宿を探して自分で費用を出したいです」 かまぼこをゆっくり噛んで飲み込んだジャンダ教授が笑顔を見せながら話す。 「冬心の気持ちはよく分かります。でも、フランスロイヤル大学はパリの高級住宅地の17区にあるのよ。下宿も探すのが難しく、賃貸も高いです。大学の寮は満室だし、アーラン教授の家は16区にあってフランスロイヤル大学まで電車を利用すれば近いですが、親しくない人からお世話になるのも気が重いでしょうね。それで、私の妹ソフィアが17区で暮らしています。悪戯坊主の甥二人と可愛い姪一人、ブリティッシュショートヘアの子猫2匹、あーもう、大きくなって子猫ではないけれど。あぁ、母猫1匹もいて、妹はローゼホテルの専務、妹婿はローゼホテルの副社長として働いていて和気藹々と暮らしています。余っている部屋もあるから、ここで下宿してもいいと思います。もちろんフランスロイヤル大学まで歩いて20分くらいかかるから便利だと思います。また、家には使用人が3人いますが、アフリカからの難民でフランス語はうまくないけれど親切でいい人達だから、過ごしやすいと思いますが、どうかな」 「ありがとうございます。じゃ、せっかくの機会なので波に乗って行きたいです。おばあさんのことが心配ですが、おばあさんとの未来のためにも成長して大きくなりたいです。おばあさんのことはよろしくお願いいたします。いつも助けていただいて恩に着ます」 冬心が大きな薄茶色の目を意思強く輝かせて頭を頷く。 18時35分の5時限目が終わって冬心は急いでピース書店に足を運ぶ。フランス交換留学を決めた今は書店に行ってバイトを辞めることを伝えなければならない。やることがいっぱいで胸が高く鳴り響く。新しい所で挑戦することは怖いけれど、もっと知りたいという意欲が沸いて来て心を奮い立たせる。自分の人生は自分で開けていくのだ。冬心はワクワク躍る熱い胸を抱えてピース書店に入っていった。

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