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 京介とほぼ毎日メッセージを送り合うようになっていた。メッセージアプリでやりとりをしているが、京介は様々な機能を使えるようになったらしい。使い方が分かっていく度に、朝晴は何とも可愛らしいと思えた。だがその旨を伝える訳にはいかないので、ひたすらに「よかったね」と返すしかない。  そして時折通話もするが、それは毎回京介からである。話題はやはり他愛もないものがほとんどであり、京介はかなり話し上手なのか聞き手に回っていても楽しんでいた。  だが何度もほぼ毎日こうしていて、自身は京介に対して受け身であることが分かった。このままではいつか京介に愛想を尽かされるのだろうか。知美のように。そう考えていると不安が押し寄せてくる。  なので月が変わって十二月のある水曜日になると、朝晴は思いきって遊びに誘ってみた。勿論、土曜日の午後からで待ち合わせはあのカフェだ。メッセージをちょうど昼に送れば、京介からは「勿論だ」と来ていた。あまりの嬉しさに、朝晴は自室で飛び上がりそうになる。  予定は三日後と急だが、京介への想いよりも楽しみが今は上回っている。PCの前に落ち着くが、ソワソワして仕方が無かった。 「あ、あぁ……楽しみだなぁ……!」  声に出すと更に楽しみに拍車が掛かった。  だがそこで、当日の服装は今のようなセーターにジーンズでいいのかと考える。冬場は大抵このような格好をしているが、地味なのではないのかと考える。  立ち上がりクローゼットを見れば、同じような服しかない。思わず溜め息をつてしまった朝晴は、クローゼットを閉じる。  服を新調した方がいいのだろうか。洗面所に向かい現在の服装を見たが、そこでもう一つ気付く。髪型は現在のままでいいのだろうか。鏡を見れば地味なモブが写っている。このようなモブの姿では、顔が整っている京介と釣り合う訳がない。  先月に京介と遊んだ際もこのような格好であった。このままでいいのだろうか。そのような疑問が浮かんだ後に、次回はもっとまともな格好にしたいと思えた。  これはデートではないのかと考えるが、土曜日の京介との予定はそれくらいに朝晴にとっては重要に思えた。  改めて鏡を見て自身を見つめ直すが、そうしていると京介への想いを募らせるばかりになっていた。もしも京介と付き合うことができれば、もしも京介と恋人のようなことができれば。次第に鏡にある自身の顔が赤くなっていた。それくらいに、京介のことが好きなのだ。勿論、断られることも考えてもいるが、そうなれば仕方がないと思うしかなだろう。  だが、京介は優しいので今後もいつものように接してくれる筈だ。京介の優しさに甘えていることは分かっているが、それでも朝晴の決心は固い。  まずは髪型を何とかしなければと、朝晴はPCの前に戻ってからスマートフォンを操作し始めた。調べ物をするが、それは手軽でおすすめの髪型を検索しているのだ。画面に様々な髪型をしたモデルが出てくるが、なかなか朝晴でも真似をしやすい髪型が見つからない。これは朝晴自体のセンスの問題もあるのかもしれないのだが。  溜め息をついた朝晴は、美容院に行って直接聞くしかないと思えた。なので近くの美容院を検索していこうとすると、メッセージが入った。京介からではなく、大学時代からの友人だ。開けばどこかで集まって飲み会をしようというものであるが、日にちは土曜日だ。朝晴は断ったが、そこで友人におすすめの美容院を聞いてみることにした。  メッセージを送れば、一分後にはメッセージが返ってくる。その友人のおすすめの美容院の名前とURLがあるが、そのURLは地図アプリからコピペしたものだ。分かりやすい案内に、朝晴は感動をしてしまう。  友人からは「彼女の前で、いい格好をしたいよな」と来たが、朝晴は複雑な気持ちになる。大学時代からの友人に、知美とはどこまで進展をしているか話していた。そして知美のことを指しているのだろうが、そういえば誰にも別れたことを言っていなかった。だが否定をしようにもどう返せばいいのか分からない。  少し考えた後に、まずは「ごめん、その日は男友達と会う」と当たり障りのない返事をした。だが返ってきたものは「男友達と会うのに、そこまでする必要はあるのか?」というものだ。  言われてみばそうなのだが、朝晴の中でモヤモヤが広がってくる。それは手で捕まえても、キリがないようになってきているのだ。  頭を抱えた朝晴は、こうなったらと正直に伝えることにした。知美とは別れたことと、その男友達が好きであるということだ。そして今度告白をしたいと付け加えれば、拍手をしているキャラクターのスタンプが送られる。どうやら応援をしてくれるらしい。朝晴はいい友人を持ったと、感動をしている。  友人が背中を押してくれるメッセージを送ってくれば、朝晴の目頭が熱くなった。応援してくれることもあるが、男同士の恋模様でも引かずにいてくれるところである。今のご時世ならば当たり前の価値観であり、アップデートをしてくれているのだと。  礼を述べた朝晴はそのまま会話を終えた。  朝晴はリモートワークであるので、この時間ならば長時間席を外していても問題はないと思えた。つまり、美容院に行こうと思えば行くことができるのだ。なので早速に、友人にすすめてもらった美容院に行く支度をした。  まずは施術代だが、朝晴は普段は美容院に行かない。前に何度か行ったことがあるが、それは知美と付き合い始めた頃だ。この頃は、とにかく美容院で切ってもらえばいいと思っていたのだ。  今は床屋などで切ってもらっているので、価格帯がいまいち分からず、財布に万札を突っ込んでからクレジットカードの存在も確認する。  そしてスマートフォンを手に取るが、そういえば美容院の場所を確認してなかった。URLを開いて場所を確認すれば、ここから歩いて約十分くらいの距離である。友人は家から行くことを見越して、ここをすすめてくれたのだろうか。思わず拝みかけた朝晴は、時間を確認してから急いで外に出る。  外に出ると、空は曇っていた。今日は雨は降らないらしいが、空を見上げるだけで寒々しいと思える。  地図アプリをちらちらと見ながら歩いていいけば、すんなりと美容院に到着した。外観はやはりおしゃれで、店名は英語だが読めない。英語はそれなりにできる自信はあるものの。  入ればあまり客がいない。平日のこの時間なので寧ろ幸運に思いながら、大きな鏡の前にすぐに通されていく。担当する美容師は女で、朝晴は少し緊張してしまう。 「どのようになさいますか?」  美容師は笑顔である。さすが接客業だと思いながら、朝晴は意を決するように答えた。 「あの……デートみたいな約束が近いので、僕に合うような髪型にして下さい!」  つまりはおまかせである。だが美容師は嫌な顔は一つせずに「かしこまりました」と言ってから、施術の準備をしていく。  最中に大きな鏡を見れば、顔が真っ赤である。デートという言葉を出したからに違いない。それが恥ずかしいと思っていると、顔が熱くなり赤みが増す。このままでは埒が明かないと思って、視線を逸らす。そうしていると、洗髪をするらしい。美容師に案内をされた。  やはり久しぶりの美容院であるので、朝晴はドキドキとしていた。立ち振る舞いが分からないということはないが、とにかく体の動きがぎこちない。自身でも分かっているが、美容師はありがたいことに言及などはしてこなかった。流石だと思いながら、朝晴は洗髪されていく。  洗髪が終われば、次はカットである。その途中で、美容師が話しかけてきた。 「お相手はどんな方ですか?」 「あ、はい、えーと、かっこいい人です!」 「クール系ですね、なるほど」  美容師は相手を異性だと思っているのだろうか。だが訂正する訳にはいかず、朝晴は髪を切られていく。  手際よくカットされていき、次第に鏡に写る自身が垢抜けていくように見えた。まだ前髪以外を切ってもらっている最中であるというのに、不思議に思える。なので鏡の自身を凝視していた。  そして前髪を切られていくと、まるで別人かのように見える。少ししかカットしてもらっていないというのに。  髪を乾かしてから整えると、朝晴はやはりプロは凄いと感じた。そして施術後の仕上げにワックスをつけてもらえば、朝晴からしたら完璧な髪型になっていた。モブ感などない。目を輝かせながら美容師に礼を述べる。  顔を晴れさせていると、美容師がニコニコとしながら「よかったですね」と言ってくれる。朝晴は改めて礼を述べると、少し待機した後に会計をしていく。ここはクレジットカードを使えるので、それで決済をしながら。  外に出れば、いつもより見える世界が輝いているように見えた。外は、曇っているのだが。  朝晴は店の前で立ち止まり、友人にメッセージを送る。すすめてもらった美容院に行ったと。現在の時刻は午後三時を回る前だが、返事はすぐには来ないと思っていた。なのでスマートフォンをしまってから、次の用事を済ます。髪の次は、服だ。  買いに行く場所はどこがいいのか考えるが、生憎にも朝晴はファッションには疎い。なので悩んだ挙げ句に、数駅隣の大きな駅に行けば何かあると思った。この周辺でも、幾らでも服屋があるのだが。  なので駅に向かうと改札を抜けてホームに行き、電車に乗る。この時間は退勤ラッシュでもないので、余裕で座ることができた。どっしりと、座席に座る。  そして目的の駅まで快適に到着すれば、朝晴はそそくさと降りてから改札を抜ける。足はアパレルブランドが並ぶ、駅ナカのエリアに向かおうとしていた。  既に学生が居るのが少し居心地が悪いが、退勤ラッシュの時間帯よりかは幾分か良いと思えた。なので学生を避けながらブランドの看板を見ていくが、そこで気付く。ここは休日でも通る場所なのだが、看板を意識して見たことはなかったのだ。  なので今頃になって看板を見ていくが、どのブランドがどのようなコンセプトにしているのか分からなかった。なので内心で頭を抱えながら、気になった数店を見ていく。だが値段を見て顔を青ざめさせると、そのまま退店した。  やはりここは知っている店がいいと、朝晴は現在居るエリアを去った。全国展開している様々な店が入っている、別のビルへと移動する。ここは見慣れ過ぎている店しかなく、朝晴は安心をしかける。しかしここには買い物へ来たのであって、単に見に来た訳ではない。  頭を振った朝晴は、その中で服屋を目指す。エスカレーターに乗った。  服屋があるフロアに到着すると、朝晴はまずは新作を見ていく。冬物は出尽くしているので変わりはないが、それでも安定したラインナップだと思った。セーターにトレーナー、ジーンズにジャケットだ。  朝晴はその中でセーターを見てしまう。家に幾らでもあるが、その中には持ってない色がある。それを手に取った後に、手触りを確認してみた。良かったので、買おうとしてしまう。だが、いつものセーターで京介と会っていいのかと考える。いつものような服装では、それこそこのビルのテナントのように代わり映えがしないだろう。  戻そうとした朝晴だが、では他にどのようなコーディネートがあるのかと考える。しかし何も思いつかないと悔やんだ結果、先程のセーターを再び手に取ってから会計をした。朝晴は肩を落としながら、改札に向かう。  帰宅すれば、早速に買ったセーターを一度着てみる。洗面所に向かい鏡を見れば、思ったよりも似合っていることが分かった。なので一安心をすると共に、これで京介に会おうと思った。脱いでから先程着ていたセーターを着ると、次に当日の髪について考える。今の髪は美容師に既に手を加えられたものであるが、これを当日もしようと思った。なのでよく観察した後に、スマートフォンで写真を撮る。当日に、きちんと再現をできるように。  棚にはワックスがあるが、これは半年前の初夏に使ったきりだ。開けてみるが少し使った程度。知美と付き合っていた時に、デートの際に使っていたものだ。  ワックスの存在を確認した朝晴は、当日の準備は完璧に思えた。頭の中で思い描いている自身の姿に満足をすると、次に京介への告白の言葉を考える。  男とは付き合ったことはないし、男友達をそのような目で見たことはない。では異性に告白するつもりになるのかと思えたが、知美とは自然に付き合うような形になっていた。なので頭を抱えながら、ベッドに向かってから勢いよく乗り上げる。そして横になると、天井を見ながら考えた。 「告白……ねぇ……」  疑問を口に出してみるが、解決する訳ではない。なので目を閉じるが、それでも思いつく筈はない。溜め息をついてから、様々な告白の言葉を口にしてみる。だがしっくり来ないうえに、京介の顔のことしか言っていない。いや、実際に本人に対してもそう言っていたような気がする。これでは面食いみたいだと思うと、呆れてしまう。  すると何も思いつかないうえに、スマートフォンに通知が入った。それは友人からで「どういたしまして」の一言である。友人に相談してみればいいのではないのかと、入力画面を表示させた。しかしやはりこのようなものは自分で考えなければ、とメッセージアプリを閉じた。  時計を見れば、PCの前から離れて数時間が経過しようとしていた。このまま仕事を放り投げるのは良くないと思い、仕事に渋と戻ったのであった  ※  遂に土曜日を迎えた。結局は、告白の言葉も思いつかないままだ。溜め息をつきながら支度をしてから、水曜日に買ったセーターを着ていく。そして洗面所に向かうと、髪をいじり始めた。  写真など無くとも、美容師がしてくれたものを再現できた。なのでスマートフォンで写した自身の写真などは、見る羽目にはならず安心をする。  自分から見ればいいと思うが、京介から見ればどうなのだろう。似合っているのか、相応しいのか分からない。これは本人に聞くしかないが、京介は優しい人間だ。似合っていないとは言わないだろう。  いや、そのようなネガティブなことを言うイメージがどうにも湧かないのだ。実際に、京介はあまりネガティブなことを言わない。本当にそのようなことが無いのか、或いは隠しているのかは分からない。  そういえば先日に、彼女と別れているという話をしてくれた時に、表情が暗くなっていた。振られたのだろうかと思ったが、京介のような男を振る女は存在するのだろうかと疑問に思う。  むしゃくしゃした朝晴は昼にしては速い昼食を済ませると、時間を確認した。約束の時間までまだ余裕があるが、この間がもどかしいと思えた。早く、京介に会いたい。早く、京介に告白したい。  そのような考えを駆け巡らせながらもスマートフォンを取り出し、ゲームをしようとした。だが落ち着かずに何度もタップミスをしてしまう。  やるせない思いに包まれた朝晴は、ベッドの縁に座ってただ時を過ごしていた。  そうこうしているうちに約束の十分前になっていた。朝晴は急いで立ち上がり、すぐに家を出る。空模様は怪しいが、傘を持つなどの考えをしている暇は無かった。  身だしなみは崩れていることはなかったので、そのまま待ち合わせのカフェへと直行した。  カフェへは走れば約五分で到着をする。激しく息切れをしながら、朝晴はスマートフォンを取り出す。髪が崩れているかもしれないが仕方が無い。時間を見て安堵をするものの、メッセージアプリを開いてから京介に連絡をした。店の前に居るが、今はどこに居るのかと。  するとすぐに京介からメッセージがきた。既に店の中にいるらしい。なので店に入り、店員に待ち合わせをしている旨を伝えると、すぐに席に通された。 「ごめん、待った!?」  謝りながらそう言い、席に座るが京介は首を横に振る。そして目の前にあるお冷やを見れば、それなりに汗をかいていた。 「いや、約束の時間を過ぎていないから、大丈夫だ」  京介が冷静に言ってくれた後に、こちらを見てから表情を明るくしていった。 「ん……? 朝晴君、今日はいつもと違うな雰囲気が違うが、似合っているぞ」 「ありがとう、ちょっと髪型を変えてみたけど……さっき走ってたから崩れたかもしれない」 「崩れている? いや、そうには見えないが?」  ワックスのおかげで、あまり崩れなかったのだろう。朝晴は安堵をすると共に、店員が朝晴の分のお冷やを持ってきた。それを静かに置かれると共に、京介が「ココアでいいか?」と聞く。頷くと店員にココアを二つ注文した後に、店員が去る。  そこでただ座っているだけの京介を見るが、なんだか俳優のように見えてしまう。今日もセーターを着ているが、先日のようなダサセーターなのだろうか。そうか考えてしまうが、今回もそのようなわけがないだろうと思考を変えた。  だが何を話したらいいのか朝晴は分からなくなっていた。今は一時的にかもしれないが、静まり返っている。他の席から会話が聞こえるので完全に静かではないものの、何だか気まずい。朝晴が京介を意識しすぎているせいでもある。  なのでそわそわと体を小刻みに動かしていくと、京介が口を開いた。 「今日は俺と会うだけなのに、そこまで良い格好をしてくれるとは……」  京介は感動をしているらしい。こちらを凝視し、視線を上から下へと移動させているからだ。  あまりの嬉しさに、朝晴は顔が熱くなった。好きな人に格好を褒められて、嬉しくならない訳がない。だがそれを見て、京介は若干首を傾げているようだ。どうして、顔を赤くするのかと。 「男の俺が褒めて、そこまで喜んでくれるとは思わなかった。いや、俺の一張羅がいつもと変わらなくて申し訳ない」  すると京介が立ち上がり、そのいつもの一張羅を見せてくれた。朝晴は二度見をする。  京介の髪型は変わらないものの、着ているものは思わず二度見をしてしまう程にまたしてもダサセーターであった。色は薄橙色で、模様はマッチョのクマが餅つきをしているものだ。周囲には「ハッピーニューイヤー」とある。まだクリスマスですら迎えていないというのに、正月のものを着ているのだ。朝晴はもう一度見てから「もう、いいよ。分かった。いいセーターだね」と褒めると、京介は満足気に着席をした。  本当にどこで買ったのだろうか。ネット通販なのだろうか。聞いてみたくもある。しかし聞いてしまえば、買うという選択肢を強要されている気分になりそうなので止めた。  そうしていると、注文していたココアが来た。目の前に湯気が立っているココアがあり、それを見ているとふと思ってしまう。どうして京介はここのココアにこだわるのかと。そのような疑問が湧くと止まらなかった。  朝晴の思考が止まらなくなり、遂には予想をし始める。ここのココアが、美味しいからなのだろうかと。だが悪い言い方ではあるが、ここのココアは特別美味しいものではない。普通の、自身のようにありふれたココアだ。作り方だって、そこまで凝っていないのかもしれない。  なので、何気ない日常話のように朝晴は質問をしてみる。 「京介さんは、ここのココアが好きなの?」  すると京介の表情が凍った。まるでしてはいけないう質問を受けたかのように、顔が固まっている。綺麗な顔は、彫像のように動かない。まるで、別人かのように思えた。 「あっ、ごめん。やっぱり……」  即座に謝罪をしようとした朝晴だが、京介の言葉により遮られる。 「ああ、ココアは好きだ」  朝晴は次の言葉が思いつかず、黙ってしまう。それがよくないというのに、口を閉じてしまっていた。  出していた手をテーブルの下に潜り込ませ、拳を握りしめた。すると京介が話題を変えるように、話しかける。 「……どこに行く?」  気分や雰囲気を変える言葉である、京介の顔には先程の低い温度は感じられない。だが朝晴は、京介のあの表情が忘れることができずにいた。瞼の裏に焼き付いてしまっているのだ。  そのような中で京介への答えを考えているが、何も思いつかない。なので必死に考えても、何も浮かばない。そうしていると、京介が立ち上がった。 「今日はもうお開きにしよう。朝晴君は、具合が悪そうだし」  京介の声には、溜め息が混じっているように感じられた。それが恐ろしくなった朝晴は耳を塞ぎなくなったが、今そのようなことはできない。  すると頭の中が真っ白になり、ただ京介の方を見る。  するとまだ京介と別れたくない、京介とまだ話していたい気持ちが浮かんでくる。これはやはり、朝晴の本望なのだ。それらの気持ちの炎が点き、そして激しく燃え上がっていく。頭の中がそれに満たされていく。すると体が勝手に動き、立ち上がっていた。手を伸ばしてから京介のごつごつとした手を掴む。 「朝晴君……?」 「京介さん、僕は大丈夫です……いや、大丈夫だよ。一旦座ろう」  そう言うと一呼吸置いてから京介が座ってくれた。なのでひとまずは安心をしながら座るが、この後は何を話せばいいのか今更ながらに考える。そうしていると、京介に先を越された。 「どうした?」 「ごめんなさい。友達といっても、踏み込むべきじゃないところって、分かってなかったよ。本当にごめん」  頭を下げると、京介はばつが悪そうな顔をしている。 「いや、いいんだ。これは俺が悪い。少し、悪いのか良いのか分からないことを思い出しただけなんだ」  京介がまたしても悲しげな顔をしているが、朝晴はそのような顔は見たくはなかった。京介に似合うのは、整った顔が穏やかなものをしている時だ。だが、朝晴にそのような顔を作らせる自信はあまり無いのだが。例え、京介の唯一の友人であっても。 「僕は、京介さんの顔が好……いや、じゃなくて、笑っている顔が好きだよ」  気付けば本音が出かけていたが、どうにか訂正をすることができた。対して京介は言葉を足そうと思い、言葉を変えたと思っているのだろう。そうであって欲しいと、朝晴は思う。京介に今日のうちに告白をしようとしているが、まだ今ではないのだから。  すると京介がくすくすと笑い始めた。朝晴がつい怒ってしまうが、ここで二人の雰囲気が変わったような気がする。先程まで尖ってしまっていた雰囲気が、柔らかくなったような気がするのだ。 「もう! 何!」  つい朝晴が頬を膨らませると、京介の笑いは止まらない。 「いや……そのようなことを同じ男に言われたのが初めてでな。だが、朝晴君に言われると何だか嬉しいな。何故だろうな」  朝晴がぽかんとしていると、京介がココアを一気に飲み干した。そして伝票を持つと「次はどこに行く?」と聞いてきた。それについ笑ってしまう。 「行動と発言の順番が逆だよ」 「ん? あぁ、確かにそうだな」  すると朝晴も続けてココアを飲み干す。ココアにはまだ熱さが残っており、口や胃の中が熱い。なので冷水を飲むと、体の中にある熱さが溶けていくように思えた。  結局は京介のおごりであったので、礼を述べるとカフェを出る。見れば外は今にも雨が降りそうだ。雲行きが怪しい。二人は傘を持っていないので、どこかで雨宿りをすることを考えなければならない。  そこで朝晴は思ったのだが、京介の家には何度か行っている。しかし朝晴の家に京介を招いたことはまだない。それならば、京介を家に招けばいいと。だがそのような勇気が出ない。京介は空とスマートフォンの天気予報を交互に見ており、こちらはまだ見ていない。  勇気を出さなければ、と朝晴は意を決してから口を開く。京介のセーターを軽く摘まむ。 「あの……僕の家に来る? あっ、ココアが無いけど、ココアじゃなくてもいいかな?」  朝晴としては、一世一代のような発言である。顔はかなり熱くなっており、さぞかし顔を赤くしてることだろう。 「大丈夫、そこまでしなくてもいい。だが、朝晴君の家にお邪魔しようか」  朝晴は思わず大きく喜んでしまうが、つまりは好きな人を家に呼ぶことになる。忘れてしまっていた緊張が次第に襲ってくるが、後悔などはない。寧ろそう言うことができた自分を褒めたかった。  現在地から朝晴の家までは徒歩で数分だ。のんびり歩いたとしても十分しかかからない。この空模様から雨が降るとしても、あまり濡れることはないだろう。  なので二人は朝晴の家に向かって行く。朝晴は緊張を未だに胸につっかえさせながら、京介の隣を歩く。やはり京介の方が足が長いので、当然のように歩幅が広い。気持ち早めに歩き、歩行速度を合わせることができるレベルだ。朝晴の息が上がる。  向かう途中は特に会話はないが、朝晴が「ここを曲がって」や「ここをまっすぐだよ」と言って案内をしていた。京介は素直に従う。  途中で行き交う人々が京介を二度見するが、顔を見ているのだろうか。或いはダサセーターなのか。どちらなのだろうかと思いながら歩いていくと、朝晴の自宅アパートに着いた。京介の自宅マンションと比べたら、かなり慎ましやかな外観である。その点は申し訳ないと思いながら、部屋の扉の前に立つ。  解錠をした後に「狭いところだけど……」と遠慮がちに言うが、京介は首を横に振った。 「そのようなことはない。では邪魔するぞ」  家の中に入るが、散らかってはいない。普段の自身の部屋の手入れを怠っていないことに感謝しながら、京介に適当なところに座ってほしいと促す。  部屋はワンルームであり、一人用の机と椅子とベッドしかない。朝晴はベッドの縁にでも座るかと思っていた。だがその予想は大きく外れてしまう。 「友人の家に行くのは久しぶりだ……!」  そう感動しながら京介は床に座った。朝晴はどうしてなのかと駆け寄る。 「そういう意味じゃなくて!」  日本語とは難しい。そう思いながら、朝晴はベッドの縁をポンポンと叩いて示した。京介は納得をしながら、座る場所を移動する。  服装といい言動といい、人とは少しズレている。だがそこも京介の魅力なのだろうと思うと、自然と笑う。  朝晴は何かを出そうと冷蔵庫を開けた。生憎にも、来客用のものは何もない。いや、普段から来客を想定していないので、備えてある筈がない。だが未開封のコーヒーのペットボトルがあったので、それを出す。来客用のグラスはあったのだろうかと、食器棚を見るとちょうどあった。これは知美と付き合っていた頃に用意してくれたもので、複雑な気持ちになりながらそれを取り出した。  並々とコーヒーを注ぐ。この時期にアイスコーヒーはどうかと思われそうだが、一人暮らしであるが故に仕方が無い。内心で溜め息をつきながら、それを京介に渡した。  受け取った京介は早速に飲んでくれたのだが、口に合うのだろうか。市販の、ごく普通のコーヒーと言えど口に合わなかったらどうするのか。  今更ながらに考えてしまった朝晴だが、その考えは杞憂に終わった。 「美味いな。それにこれは……」  少し考えた京介は、何とコーヒーのメーカーを当ててきた。驚いた朝晴は「凄いね……!」と言うが、京介は満更でもないような顔をしている。  そして京介が部屋を見渡すが、朝晴の部屋は狭いうえにオタク丸出しになっている。壁にはゲームのキャラクターのタペストリーがあり、そしてカレンダーもゲームのキャラクターのものだ。今は十二月なのでちょうどクリスマスの絵柄だが、キャラクターの服装がかなり際どい。女子高生くらいの年齢の女キャラがサンタ姿をしているが、とにかく肌の露出が多いのだ。そして部屋中にアクリルフィギュアがある始末。  このようなものの存在を忘れていた朝晴は、つい内心で頭を抱えてしまう。京介を家に呼ぶならば、せめてポスターやカレンダーだけでも隠しておくべきであった。後悔をしながら京介を見る。何だか、物珍しいものを見ているような様子だ。  そしてこちらを見るなり、笑顔で部屋について褒めてくれる。 「朝晴君は、ゲームが好きだったよね。凄いね、本当にここまで好きなんだね。いや、いいと思うよ。何かに熱中することは素晴らしいからね」  すると立ち上がってから、アクリルフィギュアを見る。それはピンクの髪をした女キャラで、これも際どい格好をしている。髪型はツインテールで体型はとにかく巨乳。それを京介は指差した。 「これも、ゲームのキャラクターかな?」  そう質問がきたので、朝晴は頷くことしかできない。京介に性癖というべきか、それが知られてしまって恥ずかしく思える。先のことを考えてしなかった自身を責めるがもう遅い。  頭を掻きむしりたくなる衝動に駆られながら、朝晴は小さく頷く。 「この部屋にあるのが、朝晴君の好きなキャラクターかな?」 「う、うん……」  話題を他のものに変えなければ。そう思ったが何を話したらいいのか分からない。平常心などもう持てる訳がない。なので京介から目を逸らしていると、考える仕草を見せていた。そして何か思いついたような素振りを見せると、京介は言う。 「……多分、この中で好きなのは、タペストリーの子たちだと思うのだが」  京介がタペストリーを見るが、そこには何人もものゲームのキャラクターが描かれている。しかし全員女で、水着姿だ。  朝晴は否定をしたかったが、見事に当たっているので、否定のしようがない。なので観念をしたように頷くと、京介が満足そうにこちらを見る。  何か話題を変えなければ。そう思った朝晴は、咄嗟に京介の話を始める。 「京介さんって、不思議な人ですよね」 「ん?」  こちらを見るが、横顔でさえ美しい。そう思った朝晴だが、それは口にすべきではないと思った。まだ、告白のタイミングになっていないからだ。 「僕と出会ったのは、僕が恋人に振られて雨に打たれているときだったね」 「あぁ、そうだったな。朝晴君は雨に打たれていて、寂しそうにしていた。それに風邪を引きそうだったから、君を助けたんだ。だが、本当は赤の他人だから放っておけばいいものを、俺は朝晴君のことを助けたいと、自然に思えた。どうしてだろうな……」  少し考えた後に、京介は何かを思いついたらしい。こちらへぐっと近寄ってから、整った顔が迫ってくる。朝晴は緊張をしながら後ずさりをするが、京介との顔の距離は変わらない。後ずさりをした分、京介が迫ってきているからだ。  すると背中が壁にぶつかった後に、京介が手をがしりと掴んでから言う。 「これは、運命の出会いかもしれない! だから……俺たちは巡り会う運命にあったんだ!」 「は、はぁ……」  朝晴は京介のことが好きではあるが、さすがにこれには引くしかなかった。返事に困りながら、ぎこちなく頷く。運命の出会いには否定ができなかったのだ。いや、寧ろ嬉しい言葉と言うべきか。  すると京介が朝晴の手をがしりと掴む。その力はかなり強い。 「だから、これからも、友人としてよろしく頼む」  京介の「友人として」に朝晴は大きなショックを受けた。それは朝晴の心に、鋭利な刃物で何度も刺されたような感覚だ。ダメージが大きかったのだ。  だが異性同士でもあるまいし、と朝晴は心の刺された箇所をすぐさま修復しようとしていた。そこで、朝晴は思う。ならば今、ここで京介に想いを伝えたらいいのではないのかと。想いを伝えることができれば、心に刺さるダメージが減る筈。しかし断られたこともまだ頭の片隅にある。京介は、自身のことを友人だと思っているからだ。  京介のことが好きだ。この気持ちが消火されることはない。寧ろ先程から燃える勢いが増している。心にダメージを受けたおかげなのだろうか。  そして朝晴が俯くと、京介が「どうした?」と訊ねてくる。 「僕は……」  京介への想いが、今にもあふれそうになっていた。これは今言わなければ、永遠に言うことができなくなると顔を上げた。勇気を振り絞って口を開くが、京介は首を傾げている。 「僕は、もう……京介さんのことを友達とは思えない」 「えっ……」  京介の顔が青ざめていくが、気持ちは分かる。だが訂正をするように、或いは正しい答えを示すように言い放つ。 「僕は、恋愛対象として、京介さんのことが好きです!」  部屋がしんと静まりかえる。いつもは聞こえる筈の、外の雑踏やサイレンの音が聞こえない。唯一聞こえるのは、自身のうるさい鼓動である。まるで、ここではないどこかにいるような気分であった。  京介を見れば、ぽかんと口を開けている。衝撃の言葉を受けたからに違いないが、そこで朝晴の心が落ち着いてきた。心にあった炎が、たちまち落ち着いていく。 「……ごめんなさい、忘れて下さい」  背を向けた朝晴は泣きそうになっていた。もう、京介と顔を合わせることはできない。  朝晴は終わった、と思った。なので肩をがっくりと落としていると、京介が名を呼んだ。思わず振り返ると、京介が頭を下げていた。なので朝晴は慌てて「顔を上げてよ」と言う。京介が顔を上げた。酷く辛そうな顔をしている。当たり前だろうと、朝晴は思いながら京介を見た。  すると情けなくなり、涙が溢れそうになっていた。耐えようにも堤防が崩れてしまっている為に、どんどん流れていく一方だ。なので頬まで涙が伝うと、京介がそっと抱き締めてくれた。  何と残酷なことをするのだろうか、と朝晴は何となくに思う。だが京介のその体を離すことはない。この騒がしい心音も聞こえているのだろう。そして案外にも、京介の体が逞しいことが分かった。太い腰に暑い胸板。思わず、そこに溺れたいとも思える。  京介の体は暖かい。まるで体の芯から、体を暖めてくれるようだ。 「気持ちは嬉しいが、俺には好きな人が居る。だから申し訳ない。朝晴君の気持ちには応えられない」  そう言い切ってから、京介の体が離れていく。暖かさが無くなり、朝晴はつい手を伸ばしたくなる。 「……ごめんなさい」 「いや、いいんだ。大丈夫だ。また、友人同士としてやり直そう。俺は大丈夫だから。俺を好きになってくれてありがとう、朝晴君」  そして京介がコーヒーを飲みきると「ごちそう様」と静かに言ってから家を出る。朝晴はその場で体を崩した後に、大量の涙を流していた。
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