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第1話 欠陥サブと最悪ドムの出会い

「てめえの[プレイ]、詐欺かってくらい感じねえよ。玩具頼みのハズレ[ドム](Dominant)が」  相良夕夜(さがらゆうや)が六本木のホテル前で言い放つと、追ってきた男はがくりと膝を折った。  構わずコートを翻し、タクシーを捕まえる。気の早いイルミネーションを反射する金髪の夕夜に、夜遊び中の男女が見惚れている。  分けた前髪は頬骨にかかる長さ。ブリーチを繰り返しているのに艶がある。華奢な肩と薄い腹、すんなり伸びた脚に纏うは、洗練された黒一色だ。肌は透き徹って髭の気配もない。長い睫毛と化粧せずとも赤い唇も相俟って、小づくりな男ではなく女性モデルのような印象を持たれる。  ただ、容姿で注目を集めたって気は晴れない。後部座席に乗り込むなり溜め息を吐く。 (割の合わねえサビ残(アフター)になっちまったな)  夕夜は[サブ](Submissive)専門事務所に所属するレセプタントである。ハイクラスの接待の場に派遣され、ドムやドム気分を味わいたい男どもをもてなすのが仕事だ。  アフターもやぶさかでない、が。 (従わせてえなら、その気にさせろ。なんでてめえが下手なせいでおれが「お仕置き」される)  支配されたい原初的欲求を持つ[サブ]。  さらに夕夜はゲイだ。同性とのプレイでも性的な[コマンド]を使える。  にもかかわらず、コマンドが効きにくく、いまいち気持ちよくならず、二十七歳の今に至るまで一度も[サブスペース]の充足を味わったことがない。  おかげでドムのプライドをへし折る毒花だと、界隈で有名になってしまった。 (……まあ、おれの「判定」が甘かったか)  ドムが憎くてつれなくしているわけじゃない。むしろ年甲斐もなく、運命のパートナーに出会うのを夢見ている。  高校時代の初恋相手のドムと、そのパートナーのサブみたいに。  結露して、夕夜のパートナー探しの行く先のごとく滲む車窓を見ていられず、目を閉じた。早く煙草を吸いたい。 ◇  そんなこんなで、夕夜には逆恨みやストーカーが少なくない。パトロンのはからいで、白金(しろかね)のマンションに引っ越すことにした。  支配したい原初的欲求を持つ[ドム]のパトロンとは、仕事で出会い、五年続いている。  ただし、プレイ不足による体調不良対策、という利害で関係を持っているに過ぎない。  ダイナミクス――ドム・サブのパラメータ値は生まれつきだ。思春期に性質が表出する。一定以上の値を持つのは人口の一割以下しかいない。なのにプレイで欲求を満たさなければ心身に不調を来たすとは、やっかいなものである。  パトロンはパートナーじゃないのかって?  歳の離れた彼には、[ニュートラル](Neutral)の妻がいる。魅力的ゆえ女に放っておかれなかったのだ。後から聞いてがっかりして、運命判定ポイントを追加した。  ――心身がすでに他の誰かのものなら、運命ではない。  ちなみに、夕夜のパートナー探しは禁じられていない。 (身体も心もダイナミクスもぴったりな、パートナーが欲しい……)  何度目かに思う。「破れ鍋」サブの夕夜の「綴じ蓋」になる男と、早く出会いたい。  気の重さを紛らわすべく、輸入物煙草を咥えた。チョコレートの香りで気に入っている。 「つべこべ言うより、荷解き終わらすか」  入居初日の今夜は、仕事は休みにした。  リビングの白床タイルもパトロンが用意したガラス製ローテーブルも、田舎出身の夕夜には落ち着かないが、贅沢は言うまい。  私物はごく少ない。段ボール箱をばりばり開けると――古い資格テキストが出てきた。適当に荷造りしたせいだ。 (いい加減捨てろって……、っ!)  もうひとつの未だ叶わない夢に感傷的になりかけたところ、玄関扉がガタッと鳴った。  肩が跳ね、煙草の灰が床に落ちる。  マンションはこの十二月に竣工したばかりで、夕夜が一〇〇四号室に住むのはパトロンしか知らない。セキュリティもしっかりしている。  となると、酔っ払って部屋を間違えた住人か。ちょうど忘年会シーズンだ。  なおも扉を揺らされている。しつこい。 (鍵壊したら器物損壊罪っつってやる)  咥え煙草で扉を開ける。  ドアガードの隙間に、覚えのない、だが目を惹く男が見えた。  髪はブリーチなしでベージュを入れたような色合いで、ゆるく波打ち、こだわりを感じる。間接照明下でも目鼻立ちがわかる派手な顔。身長は少なくとも百八十あり、ほぼ脚だ。歳は少し下か。  酒と香水の匂いが混ざり合い、いかにもクラブ帰りの(てい)だった。  真冬なのに、なぜかコートを着ていない。 「……愛し方、わっかんないよ。思ってたのと違うって、もう聞き飽きた」  男は俯いたまま、掠れ声で嘆いた。  知るか。と追い返すつもりが、男がえぐえぐ泣き続けるので憚られる。大きなくしゃみまでした。よく見ると蒼い顔だ。 (はあ。外に放置して凍死でもされたら寝覚めが(わり)いからで、美味そうな身体してるからとか、泣き顔がそそるからとかじゃねえぞ)  誰にともなく言い訳し、ドアロックを外す。男が甘えるように体重を預けてくる。広い背中を抱き留めると、妙にしっくりきた。 「なあ。水飲みたいから、起きてくんない」  とろりと魅惑的な声による要請に、しぶしぶ瞼を持ち上げる。  まだカーテンをつけていない寝室の窓から、朝陽が直撃した。寝返りを打ちたいが、脚が男の裸の腰を挟み込んでいて叶わない。  昨日喰った男を見上げる。明るいところで改めて見ると、「職業は芸能人」と言われても驚かない。顔色が良くなっており、安堵する。 「礼は?」 「えーと。セックスの? それなら俺が言われるほうじゃね。()かったっしょ」  男が嘯く。この口ぶり、憶えていないのか。夕夜の愛撫で()たせ、夕夜のリードのもと腰を振りたくり、夕夜のナカで三回も吐精したことを。 (そりゃ悦かったが)  容姿の優れた彼は遊び慣れているようで、それなりに男を知る夕夜も喘がされはした。とはいえ昨夜の泣き顔と一転、自信に満ちた笑顔に、むっとしてくる。 「違え。夜中に玄関ガチャガチャしやがったてめえを、人肌であっためてやったんだろうが。住居侵入罪で訴えんぞ」 「ぎゃ!?」  夕夜が引き入れたのは棚に上げ、男の股間を強く握る。男は情けない悲鳴を上げた。 「住居侵入罪ってなに……あれ?」  かと思うと、不思議そうに寝室を見回す。 「俺、部屋間違えた? てか、酔ってたからって喰うのもどうよ」  気づくのが遅すぎる。物が少なくてホテルだとでも思ったか。もはや事情を聞いてやる気も起こらず、ベッドから蹴り出した。 「恩知らずが。とっとと帰れ」  脱ぎ捨てたきりの服もぽいぽい投げつける。毛布を肩に羽織り、男を玄関まで追いやったら、男は「ちょ、わ」と慌てて服を着始めた。 「コートは?」 「着てなかった」 「ウッソだろ、マルジェラの新作!」  男が喚く。夕夜はビッチ呼ばわりされた意趣返しで、妖艶に笑ってみせる。 「てめえのちんこは極上品だったぜ」 「え、待てよ。勃ったんだけ」  色めきたつ男の鼻先で、扉を閉めた。  欲しいのは身体を満たすセフレではなく、ダイナミクスを満たし合えるパートナーだ。  ――と、思ったのだが。

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