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第2話 運命判定ポイント

金曜、二十時。同僚を引き連れ、丸の内のホテルのエレベーターに乗り込む。  奥の鏡で金髪のセットを手直しするはずが、男に梳かれた感覚を思い出した。ブラックスーツの着こなしを見ようにも、男の唇が這った軌跡が浮き上がる。 (態度は気に入らねえが、連絡先聞いときゃよかったか。めったにねえ極上品……)  引っ越し初日に寝た男が、日が経つにつれ惜しく思えてきた。残念ながらあれ以降マンションで見かけもしない。  まあ今日理想のドムを見つければいいと、気を取り直す。 「忘年会かと思ったら新歓なんですねぇ」 「司法修習が一年半あるから、やつらの新卒採用はこの時期なんだよ」  今夜は、夕夜のパトロンが経営する大手弁護士事務所の新人歓迎会だ。毎年接待役に呼ばれている。  スイートルームの扉の前で、くるりと同僚たちに向き直る。 「いいか。コマンド頼まれたら、軽いのなら料金内として聞いてやれ。身体触られそうになったら、合意なしの証拠の写真撮れ」 「そんなの(シン)さんにしか無理ですよぉ」  注意事項を告げると苦笑された。  夕夜の源氏名「慎」は、言動と正反対である。口が悪いのを直そうとしてつけたが、直らなかった。 「困ったら、ドムにも強い慎先輩呼びます」  同僚が勝手に頷き合う。  夕夜は今やベテランレセプタントだ。事務所の先輩たちは半身のようなパートナーを見つけ、一人また一人と退職していった。 (弁が立つからって、接客の仕事を長くやるつもりじゃなかったんだが)  やるせなさも感じつつ、会場に入った。  すでにできている大小の人の輪が、好奇心と喚起された支配欲とでざわめく。 (さて、誰の隣に座るかな)  夕夜は五十人ほどが行き交うダイニングエリアを縫っていく。何人かは夕夜と目が合うと赤面した。初々しくて可愛い。 「真王(まお)くん、このワイン美味しいわよ」 「司法試験の順位、一桁だったんでしょ? すごいね」  窓際のソファで両手に花状態の男を、二度見する。  派手な顔、オーダーだろう細身のスーツが映える長い脚、自信に溢れた笑み。  この前喰った男だ。 (こんな偶然、あるのか?)  遊び人と思いきや、弁護士だったとは。それも大手事務所に入るとは有望だ。ストレート採用なら一歳下か。  よくも悪くも彼のことばかり考えていたから、胸が高鳴る。浮ついて「判定」が甘くならないよう、いったん方向転換した、が。 「『待って』!」  夕夜に気づいた男――真王の一言に、近くにいた夕夜の後輩のみならず、事務所の秘書と思われる面々まで動きを止めた。まるで身体を操られたみたいに。 (コマンド(命令)として効いたか)  ドムは、コマンドを使ってサブを従わせられる。ニュートラルとてサブ値はゼロではない。ドムの命令形の単語が効く場合がある。  そのため、企業の重役や人前に立つ職種、それこそ弁護士などはドムの割合が多い。  真王は、ドムなのだ。  夕夜は振り返り、驚きと期待と警戒の入り混じった目で真王を見つめた。 「真王坊っちゃん、支配欲抑えろ~」  真王が何か言う前に、先輩弁護士が冗談っぽくたしなめる。  笑いが起き、真王も笑った。コマンドを効かせた相手を[ケア]するでもない。一瞬泣きそうに顔を歪めたように見えたのは、錯覚だろう。  夕夜は笑わない。合意のないコマンドは侮辱や脅迫も同然だ。接待のお戯れだって、「プレイしまーす」とかの仕切りがある。  もっとも、コマンドの乱用は罪に定められていない。それをいいことに生来の特権を鼻にかけるドムが、夕夜はいちばん嫌いだった。 (再会できた上にドムだなんて、運命かもと思ったのによ)  さっきのときめきを返してほしい。そんな私憤もあり、真王がいる輪には頑として加わらない。  「オレはドム値があと1高かったらドムだった」とのたまう男の、へなちょこなコマンドに応えてやったりして過ごす。  酒を取りに立った際、軽いめまいがした。 (……てめえは明らかにニュートラルだよ)  中途半端なプレイは体調不良を引き起こす。特に夕夜はパラメータ値が不安定だとかで、不調になりやすかった。  しゃんとすべく一服しようと、バルコニーに向かう。  気に入りの香りつき煙草に火を点けたところで、傍らの柵に誰かが寄り掛かった。  真王だ。事後並に偉そうに切り出す。 「夕夜、あんたサブだったんだな」 「『慎』と呼べ。さんもつけろ、歳上だ」  夕夜はじとりと睨んだ。本名だと仕事モードが鈍る。ベッドで「名前呼びたい」とねだられたからって教えるんじゃなかった。 (つか、おれの名前は憶えてるのかよ)  それでいて「なんで、なんで」と泣きついてきたのは憶えていないとは、都合のいい。 「歳上? 見えないわ。不機嫌でも美人だし」  真王は悪びれず目を細める。接待中も夕夜を目で追い、ずっと何か言いたげだった。  近くで瞳を覗き込むと、欲が揺蕩っている。  ……これはプレイに誘われる流れか。  パトロンも新歓の場にはいないことだし、プレイ検討、兼、運命判定してやるか? (セックスも悦かったし。だが、事後とさっきの傲慢な振る舞いは理想に合わねえな)  夕夜の理想は、セックス中あれしろこれするなと煩くなく、他を下げて自分を上げずとも魅力や実力があり、それゆえプレイでも自然と「従いたい」という気にさせる男だ。 「あ、いたいた。慎くん」  身体の相性とダイナミクスの相性を天秤にかけていたら、真王の先輩が割り込んできた。 「噂は聞いてる。僕とプレイしてみないか」  夕夜は性格はさておき美形のゲイなので、こうして男からのプレイ申込みが絶えない。  ふむ、と腕を組む。先にこっちを判定しよう。 「パートナーは?」 「今はいない。フリー」  左手の薬指に指輪もない。  判定ポイント1、「パートナーなしかつ独身」、クリア。 「おれの指名料は安くねえぞ」 「払えないように見えるかな」  ポイント2、「魅力や実力がある」。経済力は客観的な物差しだ。夕夜の客層なら大体クリアである。  ただポイント3、「言動が傲慢でない」と両立しにくい。誇示しては魅力は半減する。  この男は余裕があった。クリアとしよう。 「ちょ、俺の話まだ途中」と喚く真王を黙殺し、男に煙を吹き掛ける。プレイ了承の合図である。  歓迎会もほとんどお開きだ。夕夜は後輩たちに「無駄なサビ残はしねえで帰れよ」と目配せし、スイートルームを後にする。 「真王! 二次会でドム様ゲームしようぜ」  同期に呼ばれた真王を、ちらりと見やる。  しょぼくれた犬みたいだったのが一転、「俺がコマンド出すだけにならね?」と笑い、さっきコマンドを効かせた秘書の腰を抱き寄せた。最悪なドム仕草である。  プレイの前に、二度目のセックスもなしだ。 「ド下手くそ。優良誤認表示か?」

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