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第3話 今までの誰とも違うドム

 ホテルの別部屋に移って三十分も経たず、プレイを切り上げた。  真王の先輩は、「おしっこ飲んで」とか抵抗ある行為を、「サブが従いたがっている」という顔で要求してきた。  ハズレだ。まずその気に……誰がなるか。  夕夜は、「誰が好んで他人に従うか」という、サブでなければふつうな感覚を持っている。  ひとりでエントランスまで降り、ひとりでタクシーに乗り込もうとして――灰色のバンが一台、ホテルの向かいに不自然に停まっているのに気づいた。 (またか。逆恨みとか暇だな)  最近、仕事場に()けてくる。時期的に六本木のハズレドムの仕業と思われた。  しつこい割に直接文句は言ってこない。失敗プレイのトラウマを抉られたくないのだろう。  営業妨害のつもりらしいが、効いていない。家を突き止めようとしたって無駄だ。  パトロンの二階堂(にかいどう)にメッセージを送り、ハイヤーを手配してもらう。彼が雇う運転手は、尾行を撒く技術がすこぶる高い。  おかげで無事マンションに帰り着いた。 (ったく、東京にはましなドムはいねえのか。千歳(ちとせ)みたいな)  エレベーターホールで、初恋相手に思いを馳せる。  最後に会ったのはもう十年も前だが、「相良、『おいで(come)』!」とプレイ中でも対等な友人らしさを失わない声は、忘れていない。  高校の同組でダイナミクスが基準値を越えていたのは、夕夜と千歳のみだった。ちょうどサブとドムなので、軽いプレイをして体調を整えたり、支え合った。 『将来の夢は一攫千金かなー』  と厭味なく言えたりする彼に、自然と友人以上の想いを秘めるようになった。  だが、千歳は他にパートナーを見つけた。  なんと修学旅行先の長崎で。向こうも修学旅行中の他県の高校生だった。  ひと目で自分のサブだと直感したと、惚気られた。  夕夜にとってはほろ苦い失恋ではあるものの、自分にも運命のドムがいるはず、とそのとき以来信じている。 (せめて誰かの運命のサブになりてえよな)  などと夢見がちなことを考える間に、最上階に着く。  着替えより先にベランダに出た。ド下手くそプレイを忘れるには、チョコレートの香りの煙をくゆらせるに限る。  東京タワーを眺めながら、ライターで火を灯す。空っぽの身体を仮初めの甘さで満たした。満たされると同時に、さみしくもある。 「夕夜、さん?」  隔板越しに、聞き覚えのある声がした。  空耳かと思ったが、隣の一〇〇五号室のベランダから、派手な顔がぬっと乗り出してくる。  真王ではないか。  やわらかいパーマヘアを夜風に揺らし、はしゃいだように笑う。 「やっぱり。この煙の匂い、もしかしたらって思ったんだ。すごい偶然だな。あ、プレイはもう終わったの? いまいちだった?」  夕夜は裏腹に顰め面をつくった。  真王の先輩のド下手くそプレイが思い出されたのが半分。二度目の偶然への期待を押さえ込むのが半分。真王は二次会を女と抜け出してきたのかもしれない。 「そこ、てめえん家か女ん家かどっちだ」  問い質す。というか、もし夕夜と同じ銘柄を愛飲する別人だったらどうする気だったのだ。他人の住居を覗くのは迷惑防止条例違反だ、が。 「俺ん家だよ。俺たち隣人だったんだ」  真王は屈託なく喜ぶ。 「行き帰り会わないし、表札も出てないし、あんたこそ住んでないのかと思った」  生活サイクルが合わず行き違っていたらしい。先週、真王が自分の部屋でないと気づくのが遅かったのは、間取りが同じだからか。  ……否応もなく、運命を意識してしまう。  一方で、新社会人にして都内一等地のマンションに住める恵まれぶりに反発も湧いた。  ドムは成功が約束されている。夕夜と正反対だ。  夕夜の複雑な胸中を察しもせず、真王のおしゃべりは止まらない。 「な、その甘い匂いの煙草、一本ちょうだい。礼は俺のでするのでどうよ」  横目に真王を見る。目当ては煙草でなく夕夜だと、言わずとも雄弁な顔に書いてある。  この男は理想のドムじゃない、と断ずるのは早計か? ただ第一印象は案外当たる。 「してえのはセックスかプレイか、どっちだ」  切り返す声が上擦った。まるで自分に問い掛けているみたいだ。運命未判定なのに。  真王の顔が半分隔板に隠れる。一瞬、項垂れたように感じた。かと思うと再度乗り出してきて、へらりと笑う。 「どっちでも。あ、俺今フリーだよ。なんでか先週あんたとやったの彼女にばれてさ」 (逆だろ。彼女に振られたから泣きながら帰ってきたんだろうが)  夕夜は失望とともに煙を吐いた。  あの夜、真王は人目も憚らず泣いていた。その割に今はあっけらかんとしている。  どうやら真剣に恋人やパートナーを探す気はないらしい。体調不良の兆しが出たら、一夜限りのサブを楽々引っ掛けられるとみた。 「てか、あのあとすごくすっきりしてたから、憶えてないのもったいないと思って」  真王が濡れた瞳を向けてくる。セックス狙いだったか。  夕夜のほうは、下手にセックスして流されたくない。そのまま忘れていてもらおう。 「おれはもやもやしたし、そんな安くねえ」 「俺だって払えるし。なあって! わかった、先払いするわ」  真王があれこれ言うのは黙殺して、煙草を灰皿に押しつける。極上品に後ろ髪引かれつつも部屋に引っ込んだ。 (……けど、プレイ求めねえとは変なドムだな)

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