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第4話 最悪でもないクリスマス

 夕夜は悩むより行動を心掛けている。初恋が何もできず終わったゆえだ。  ただし手当たり次第ではなく、いつもきちんと判定した上で「この男こそ」と思ってプレイしてみている。でもハズレ、の繰り返しなのだ。 (次だ、次)  今週は忘年会にクリスマスと行事続きで、平日もみっちり仕事が入っている。気合を入れて臨もう。  二十四日。神泉(しんせん)でのドム限定異業種交流会兼クリスマス会にて、国家公務員だという男が熱い視線を送ってきた。判定もクリア。  ただ、一緒に派遣された後輩が上の空なのが気に掛かる。貸切の一軒家レストランの階段ですれ違いざま、耳打ちする。 「契約書、またチェックしてやろうか?」  彼は毎年末、レセプタント事務所の所属契約を更新していた。契約内容は結構細かい。 「慎さん助かりますぅ……! 実は他のエージェントにも声掛けられて、迷ってまして」  案の定、後輩が目をきらきらさせる。頼られるのは嫌いじゃない。 「って、肌つるつるですねぇ。どんなメンテしたんですか?」  と呑気に言ってくるのには「あ?」と威嚇したが。後輩が大げさに震え上がる。  肌や髪は常に手入れしている。いつ運命のドムに巡り合うかわからない。あの公務員がそうかもしれない。  足取り軽く、屋根裏のプレイルームへ移動するが――ハズレ。  ベッドサイドにさまざまなSMアイテムが並んでいた。ダイナミクスは特殊嗜好と似て非なるのに。 「自称(サド)がよ。Sとしても最低だぞ」  夕夜はコマンドも、独りよがりな「ご主人様」の命令も無視し、冷たく吐き捨てた。 「キ、キミが偽サブなんじゃないか?」  独りよがりドムが憎々しげに反論してくる。  夜の街には、サブを装い、希少性ゆえ高い指名料をふんだくるボーイもいると聞く。だが夕夜はれっきとした専門事務所所属のサブだ。 「てめえには偽サブがお似合いだ」  相手にせず踵を返す。  判定をクリアしても、プレイで豹変するドムもいる。プレイの必要がないふつうの恋愛ならうまくいったかもと思うと、悔しくなる。  店の前に例の尾行車を見つけ、二倍いらいらした。聖夜に浮かれたカップルを目に入れたくないのもあって、マンションまでハイヤーを飛ばしてもらう。  ベランダに直行し、煙草をふかす。 「おかえりー、夕夜さん」  甘い香りを嗅ぎつけて、また隔板から派手な顔が現れた。  気を紛らわすどころか、いらいらのとどめか?  イブだし女を連れ込んでいると思いきや、真王は仕事の資料づくりかタブレット片手に、トナカイみたいに鼻先を赤くしている。  夕夜は無言で、掃き出し窓のすぐ内側に置いていた赤外線ヒーターを外に出した。 「今日のプレイもいまいちだった? あんたドム運ないんじゃね」  やっぱり仕舞った。真王は夕夜がハズレドムばかり引くのを喜んでいる。日付が変わらないうちに帰宅するのはそういうことだ。  八つ当たりめいた気持ちが湧く。 「てめえこそクリスマスに独りだろうが」 「おー、二十六年生きてきて初だわ。じゃ、なくて。腹減らない? 夜食あるよ」  真王が、ミニサイズのストウブ鍋を持ち上げてみせた。ほかほかと湯気を立てるは――にゅうめん。  出汁の香りに唾液が分泌される。接待中、自分の食事は二の次だ。退勤はたいてい夜遅くなのもあって普段なら寝てやり過ごす空腹を、自覚する。  いったん引っ込んだ鍋を目で追う。隔板沿いにテーブルセットでもあるのか、今度は麺と具をよそったレンゲを差し出された。 「ほい、あーん。きのこあんかけだから肌にも優しいし」 「……てめえがつくったのか?」 「そそ。駅前のクイーンズ伊勢丹で『すくよか』の舞茸見っけてさ。麺は揖保乃糸な」  坊っちゃんめ。夕夜が食べてくれると信じて疑わない様子だ。  まあ、麺に罪はない。観念して口を開ける。 「ん……」  舞茸の旨味を活かしたシンプルな味つけで、美味い。手もとの灰皿で燻る煙草に劣らず癒される。ほ、と白い息が漏れた。  傍らで、真王が人懐こい犬のごとく笑う。この男、顔で何が言いたいかわかる。 「天才っしょ。、夕夜さんに食べてほしかったんだよ」  相変わらず自信過剰だが、憎めない。  それで待っていたのならドムっぽくない甲斐甲斐しさだが――もしや、先週言っていた「先払い」か? やはりプレイしたいのか。 「なんでおれにこだわる? てめえなら相手は掃いて捨てるほどいるだろ」  夕夜はそわそわと落ち着かず、追及するような口調になった。 「なんでって。あんたみたいな堂々としたサブいるんだ、って、気になったんだよ」  真王は意外にも真面目に答える。  夕夜の従順でない性格、毒花ぶりが好ましいと? いつもと真逆の評価に、戸惑う。 「ふん。火曜だぞ、とっとと寝ろ」  戸惑うあまり、無意識に身体を寄せていた隔板から離れようとする。 「あ、鍋持ってって。んじゃまたな」  真王はミトンごと鍋を押しつけてきた。それ以外はあっさり引く。  夕夜は両手が塞がったまま、何とも言えない顏でベランダに佇む。真王に「美味い」も「ありがとう」も伝えそびれた。  それに、ドムならコマンドを使って夕夜を思いどおりにもできるのに、真王はしない。 (仕事は一応できるし、傲慢ってほどじゃねえ、か……?)  夕夜はめずらしく考え込んだ。  二十五日。今夜は大人数の接待ではなく、パトロンの指名が入っている。  銀座のオーベルジュで二階堂と落ち合った。会うのはひと月ぶりだ。長身をダブルスーツに包み、黒髪をオールバックにして、五十歳を越えても色気が衰えない。 「慎、新居は快適かね」 「……はい、おかげ様で」  真王の派手顏が頭を()ぎった。新居のベランダに乗り出してくるせいだ。  個室に移り、プレイが始まっても、真王を慰めるはずが善がっていたセックスを思い出してしまう。 (集中しねえと)  二階堂は多大な金や魅力を持ちながら、さらりと使う。プレイも紳士的だ。奇をてらわないほうが、夕夜も素直にその気になる。 「[見せてみなさい(present)]」 「……っ」  白肌も、彩りを添える粘膜も、隅々まで見せて、愉しんでもらう。  やがて呼吸が色を帯びた。ダイナミクスの充足は、性的満足に似ている。  サブの男がみなゲイとは限らない。ただしパートナー限定で肉体関係になる例が多い。なぜなら、コマンドは性的な意図のあるものが半数を占める。だからパートナーと恋人は同じほうがうまくいく。 「[ご苦労だった(Well done)]」  プレイは一時間ほどで終えた。  分厚い封筒――指名料を受け取り、別々にハイヤーに乗る。ひと晩中プレイ、とはいかない。 (向こうは家族サービスしねえとだしな)  夕夜は、事務所に入る際に上京したきり一度も里帰りしていない。せめてパートナーを紹介できるようになってから、と考えている。  帰宅するや暗いリビングを突っ切り、ベランダの柵に寄り掛かった。香りが在宅の合図になってしまうので煙草は吸わない。  にもかかわらず、隣室から足音がした。掃き出し窓を細く開けて、夕夜の足音を聞いていたようだ。 「おかえりー」 「……寝てろ。何時だと思ってんだ」  二日連続の派手な顏と軽い声に、つい和んでしまう。  頭を冷やしたくて目を逸らした。夕夜の退勤時間は日によって違うので、待たなくていいというのは本心だ。 「明日の仕事のご心配どうも。コネで入った事務所だし、適当にやっても楽勝なんだわ」  夕夜は一転、奥歯を噛み締めた。競争率の高い大手のくせに、コネとは何だ。  柵に頬杖を突き、クリスマスカラーの緑と赤にライトアップされた東京タワーを眺め続ける。何となく今は真王と話したくない。いちいち癇に障るから。他のドムとプレイした直後だから……? 「あんた、ほんと黙ってりゃミステリアスな美人だよな。プレイもうまくいきそうなのに」  夕夜のつくった壁を薙ぎ倒すみたいに、真王がぺらぺらしゃべる。頬に刺さる視線まで煩い。視線の場合は静音妨害罪にならないか。 「口が(わり)いのは昔からだ」  文句あるかと向き直れば、気さくな笑顔とぶつかった。悔しくも心臓が跳ねる。 「やっとこっち見た。ほい、クリプレ」  真王は揚々と小箱を突き出してきた。  手の甲の血管と骨張った指が惜しげもなく晒され、唾を呑む。  涎を出している場合か、と反射で受け取ってしまった。  包みには夕夜も知っているブランドロゴ。  「開けて開けて」と真王の顔が煩いので、その場でべりべり包装を解く。  ジッポ(オイルライター)が出てきた。ゴールドだが派手過ぎないデザインだ。質もいい。だが、いつの間に調達した? 「あんた適当なライター使ってたっしょ。明日からそれ使ってよ」 「……おれは何も用意してねえが」  夕夜は頷きかねた。ドムや男に貢がれて当然とは思わない。贈り物を持て余す。  対する真王は、自嘲じみた息を吐いた。だがすぐ、口角を片側だけ上げて笑う。 「んじゃセックスする?」 「はっ。安くねえって言ったろ」  真王の体温を想起して腰が疼くも、ぎりぎり踏みとどまった。真王は作戦失敗を悟り、下心を引っ込める。 「ちぇ。まあいいわ、おやすみ」  やはり粘りはせず、引き上げていった。  遅くまで待っていたことに免じてジッポは突き返さず、夕夜も部屋に戻る。  二階堂にプレイしてもらった直後より肩が軽い。  真王をつっぱね切れないのを、認めざるを得ない。逆に真王は「脈なし」と判定すれば、元カノのようにあっさり見切るだろう。 (運命判定材料、追加で集めるか)

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