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第1話

1  四月。校庭に僅かに残っていた桜の花が、春風に吹かれ、はらはらと散っていく。その様子を、ジュール蓮(れん)は教室からぼんやりと眺めていた。窓から風がそよそよと入り、白みがかったブロンドの髪を揺らす。 「あの髪って地毛かな?」 「てか、瞳も青いよ」 「留学生とか?」 「でも、顔はいいけどさ…小さくない?」  チラチラと不躾な視線を感じる。同時にクラスメイトの話し声が聞こえるが、新しい環境ではいつものこと。蓮は慣れた様子で聞こえない振りをしつつ心の中で、身長は関係ないでしょ、と不満を漏らした。  初対面の人はまず蓮の容姿に気後れするのか、大抵は遠巻きに見ているだけだ。直接話しかけてくる人は少ない。話しかけてきたとしても、先程からクラスメイトが話している内容を、数人が代表して聞きに来るくらいだ。いい加減噂されるのに慣れたと言っても、正直気分は良くない。悪い噂じゃないとしても、コソコソと自分のことを言われて気分よくいれる人がいるはずないのだ。特に、蓮にとってこの外見はコンプレックスでしかない。そのコンプレックスを噂されているのだから尚更だ。  はぁと嘆息を吐き、別に取って食べるわけでもないのに、と項垂れる。少し周りと見た目が違う。それだけでこんなにも憂鬱になってしまうのは、同じような状況を何度も経験しているからだろう。田舎じゃなければまだ目立たなかったのかもしれない。だが、田舎に生まれ、育ち、ただ外見が日本人のそれと少し違うというだけで頭の固い大人たちからずっと奇異の目で見られてきた蓮は、自然と心を閉ざした。成長するにつれ幾分か外交的な性格になったものの、常にどこか一歩引いた態度は変えようがない。完全に心を許せる友達は今まで殆どいなかった。こんなことで友達なんて出来るだろうか…。そんなことに頭を悩ませていると、いつの間にか入学式の時間を迎えた。  一時間ほどで式は終わり一度教室に戻った後下校となったが、折角だからこれから通う学校を見ておこうと、蓮は一人校舎内の探索をすることにした。各教室がある棟を出ると、隣には管理棟と呼ばれる棟があり、一階には職員室や事務室などがある。二階へ上がるといくつか部屋が並んでいて、その一つに図書室を見つけた。 「図書室か」  誰に言うでもなく呟くと、蓮は何気なくその扉を開く。室内はしんと静まり返っていて、明かりも消えている。生徒どころか先生の姿すら見当たらない。  入ってすぐの場所にある受付カウンターにも人の姿はなく、『本日の貸し出しは終了しました』と書かれた立て札が置いてある。  元来から蓮は読書が好きで、これだけ沢山の本を目の前にしてこのまま帰るのは何だか勿体ないような気になり、折角だからと蓮は室内に足を踏み入れた。 「うわぁ…」  本独特の匂いに自然と気分が高揚してくる。  室内には重厚な本棚が所狭しと並んでいて、窓際には机が並んでいた。どの棚から見ようかと迷いながらカウンターを横切り窓際へと向かうと、右手側にも部屋が広がっており、そこにも本棚が並んでいた。どんな本があるのだろうと気になり覗き込むと、本棚の間から更にその奥が見え、蓮は思わず足を止めた。  誰かいる?  誰もいないと思っていたこの部屋に人がいた。人がいたというより、足が見えただけなのだが。蓮は少し驚きながらも、こんな誰もいない日にこの部屋にいるなんてどんな人だろうかと興味をそそられ、そちらへと足を向けた。奥にはソファが置いてあり、そのソファから足がはみ出している。寝ているのだろうか。そう思い、むやみに起こしてしまわないよう息を潜めた。近づくにつれ全体が姿を現す。  そこには一人の少年が横になっていた。その少年の姿にまるで心を打たれたような感動を覚える。じんわりと胸の奥から熱いものが込み上げてきた。  窓から差し込む麗かな春光に照らされた長めの漆黒の髪が艶やかに輝いている。  瞳は閉じていて分からないが、鼻筋は真っ直ぐ通っていて高め。  大きめのソファからはみ出した足を見て、自分より遥かに長身なのだと分かる。  少年と呼ぶには大人びていると思わせるその雰囲気。  どれも自分が羨むもの。 「いいなぁ…」  蓮は思わず彼に手が伸びそうになる。何をそう感じるのか分からないが、本能的に欲しいと感じた。 「相神(さがみ)ぃ」  ガラッと扉が開く音と同時に、女の子特有の高めで可愛らしい声が室内に響く。蓮は驚きに肩を揺らし、カウンターがある方向へと顔を向ける。そこに声から想像した通りの容姿をした少女の姿が見えた。 「相神っ」  もう一度少女が名前を呼ぶ。少し呆れたような、怒ったような、そんな声音。  この人のことだろうか?  蓮がその名前を呼ばれたと思われる人物に目を向けると、その人物は静かに閉じていた目蓋をゆっくりと開いた。そこに髪と同じ色の瞳が現れる。その開かれた瞳と視線が交わる。瞬間、眉間に深く皺が刻まれた。 「誰だ、テメェ。人の顔ジロジロ見てんじゃねぇよ」  先刻の好印象を一気に崩壊させるほどの言葉遣いに、蓮は思わず唖然とし、二の句が継げなくなってしまう。 「何だ、お前、金髪・碧眼って外国人か?日本語わかんねぇのかよ」  蔑んだような物言い。二言目に嫌いな容姿のことまで言われ、蓮は一気に頭に血が上った。  初対面でどうしてそこまで言われなくてはいけないのか。いくら寝ているところを見ていたからといって、あまりにも不躾すぎる。 「わかりますよ!外見はこんなんでも僕は日本育ちです!まさかこんな所で寝る人がいるなんて思いもしなかったので…驚いただけです!」  蓮は堰を切ったように強い口調で捲し立てて返した。普段怒鳴ることなど滅多にないのだが、相神に対して先刻勝手に抱いた印象が良かった分、余計に不快感を覚え、自然と棘のある言い方をしてしまう。勝手に抱いた印象だと分かっていても、その挑発的な言葉を不満に感じずにはいられなかった。 「別に俺がいようがいまいが、お前に関係ないだろ」  その突っかかってくるような物言いに、蓮は益々腹が立つ。  相神が体を起こしながら蓮の方にチラリと視線を向け、上から下まで無遠慮に視線を動かす。 「何だ、一年か。背も小さいし、ヒョロヒョロで女みたいだな」  その言葉を聞いてカッと頭に血が上る。確かに蓮は線が細く、抽象的な顔立ちをしているためか女に間違われることもしばしばあった。身長もどちらかと言えば小さい方かも知れない。だからといって人が気にしていることばかりを嫌味混じりに言う必要はないはずだ。 「失礼な!それにあなただって十分女みたいな顔じゃないですか」  そう言いながら相神を見遣った。ふとホームルームで学年によってネクタイの色が違うと担任が説明していたことを思い出す。一年は赤色、二年は青色、三年は緑色で、一年である蓮は当然赤色のネクタイをしていた。多分一年生だと分かったのはこの為だろうと思い、相手のネクタイを確認すると、青色のネクタイをしている。今まで喧嘩という喧嘩をしたことがないのに、入学早々しかも二年生に喧嘩を売ってしまったことを後悔するが、最初に絡んできたのは向こうだと自分に言い聞かせ、蓮は開き直った。 「んだと、コラァ!」  相神が勢いよくソファから立ち上がり、蓮の眼前に立つと物凄い勢いで怒鳴ってくる。瞬間、殴られると思い、蓮は歯を食いしばると固く目を瞑った。 「相神っ」  少女の声とバンッと何かを叩く音がして目を開くと、目の前で少女が相神の頭を鞄で叩いていた。 「一年生いじめないの!お兄ちゃんが呼んでるよ」  もう…と怒ったように腰に両手を当てながら少女が相神を窘めている。  蓮は相神への怒りにすっかり失念してしまっていたが、相神を呼びに来ていた人がいたのだ。 「チッ」  叩かれた頭を押さえながら舌打ちし、相神は蓮の横を通り抜けると図書室を出て行った。 「ごめんなさいね」  そう言いながら少女も相神の後を追うように図書室を出て行く。 「何なんだ、あの人…」  中途半端な苛立ちだけが残り、流石に本を読む気も失せてしまう。 「……帰ろう」  蓮も図書室を後にし、そのまま帰路に着く。  本当ならば、これからの新しい学校生活に胸を弾ませているはずなのに、出鼻を挫かれた気分だった。 「最悪だ」  昨日のことが頭から離れず、蓮は嘆息を漏らした。気が重いと思いながらも、入学早々学校をサボるわけにもいかず、仕方ないと自分に言い聞かせ玄関を開く。 「はよ、蓮」 「ナツ、おはようございます」  ひょこっと顔を覗かせ門外に立っていたのは、隣に住む幼馴染の兎川(とがわ)ナツ。学年は二つ上だが、幼い頃からずっと一緒。蓮がわざわざ知り合いも殆どいないこの学校を選んだのも、ナツがいたからだった。  一人っ子で両親にはどちらかというと厳しく育てられた蓮は、外では容姿のことでからかわれ、家ではそれぐらいで泣くなと相手にされず自分の居場所がないように思えた。勿論、友達どころか普通に話せる同世代の子どももいない。蓮は心を閉ざし、すっかり塞ぎ込んでいた。そんなとき、ナツが隣に引っ越してきたのだ。初めて会ったとき、ナツは自分もハーフだから一緒だと言って笑っていた。同じと言われても自分はそんな風に笑えない。どこが一緒だというのだろうか。卑屈になった蓮は、ナツのそんな声すら耳を閉ざし拒んでいた。それでもナツは諦めず、毎日蓮の家に通い続けた。そんなナツに蓮は徐々に心を開き、一月も経つ頃には毎日のようにナツの家を訪ねるようになっていた。内向的になっていたが、ナツのおかげで少しずつ外へ出るようになり、笑顔も見せるようになった。だが、幼い頃の記憶は薄れたとはいえ、今でもしこりのように蓮の中に残っている。それでも今こうして笑っていられるのはナツのおかげだと感謝している。今でも良き友人で兄のような、大切な存在だ。 「今日も蓮は可愛いなぁ」  横に並び一緒に登校する。すると急にナツが抱きついてきた。 「もう…ナツ、重いです」  それを蓮は慣れた様子で押しやる。 「失礼な。俺これでもモテモテなんよ」 「いや、意味わかんないですから」  二つ学年が離れていると、当然だがナツは先に卒業してしまい、どうしても一緒に登校出来る期間は短くなってしまう。だから一緒に登校するのはナツが中学を卒業して以来で、本当に久しぶりだった。そんな嬉しさや懐かしさを感じつつ、じゃれ合いながら学校へ向かっているうちに、蓮は先刻までの憂鬱さを忘れてしまっていた。

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