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第4話
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数週間が経つ頃には、随分と委員会の仕事にも慣れた。ナツが働かない分、相神と二人でしなければならないのだから同然だ。そして最近気づいたことがある。ナツは勿論だが、相神も毎日のように図書室に通っているということ。だが二人が通う動機は全く違った。ナツは司書室の本を読むためだが、相神はソファを私物化し、昼寝をするために通っている。この点に関してはナツの方が正当だ。しかしいつの間にかその環境に慣れ、二人につられるように、蓮も図書室に入り浸るようになっていた。会えば喧嘩しかしないのに、何故か通ってしまう。それが蓮自身不思議で仕方がなかった。
相神の昼寝は二・三年の間では暗黙の了解となっているようで、誰も相神を注意しようとする人はいない。下手すると、放課後まで寝ていることもあるらしい。だが、出来るだけ関わりたくない、と起こす人もいない。蓮はそれほど恐ろしいかと首を捻ってしまうが、他の生徒にとって相神のあの態度はかなり恐ろしいものらしい。
「ナツって相神先輩と仲良いですよね…あの人って、不良ですか?」
蓮は司書室で本を漁っているナツに尋ねた。
「んにゃ、あいつ無愛想で態度悪いだけ。梨那に聞いてみな」
そう言いながら本の虜になっているナツは、カウンターに座る梨那を指差した。これ以上何よりも大好きな読書を邪魔されたくないのだろう。
司書室を出てカウンターで作業をする梨那の隣に座る。火曜日である今日は梨那が担当する曜日だ。今は手が空いているのか、梨那も本を読んでいる。
「梨那、相神先輩って不良ですか?」
蓮はさっきと同じ質問をすると、きょとんとした顔で梨那が返した。
「相神? ううん、無愛想で態度悪くって、よく上級生に喧嘩売られてたけど、不良じゃないわよ」
「……へぇ」
それを不良と言うんじゃないだろうかと思ったが、蓮はそこで言葉を飲み込んだ。毎日学校には来ているようだし、問題児と言えば問題児かも知れないが、今のところ口喧嘩だけで、自分に大した害はない。
「あ、そういえば、蓮君とナツ先輩の噂聞いたわよ」
思い出した、というようにポンと手を叩き、梨那がにっこりと微笑んでいる。しかし蓮は特に心当たりもなく、眉を顰め首を捻ることしか出来ない。
「付き合ってるんだって? ナツ先輩から聞いてたけど、もう噂になってたのね」
「……は?」
その言葉に蓮は大きく目を見開いた。確かに中学でもそんな噂を立てられたことがあったが、ここでもか、とうんざりしてしまう。
「何々? 俺と蓮が何?」
どこから聞こえたのか、司書室からナツが飛び出してきた。本当は聞こえていたんじゃないかと疑ってしまうほど緩みきった顔。
「蓮君と先輩が付き合ってるって噂を聞いたから」
「マジ? 俺ら付き合ってるんだって! やったな、蓮」
満面の笑みで嬉しそうなナツにげんなりとしつつ、蓮は違いますよと否定した。
「あら、私同性愛に偏見なんかしないわよ」
「だから違いますって…もし男が好きだとしても、ナツはお断りです」
きっぱり、ハッキリとした口調で否定する。ナツとは確かに仲はいいが、仲がいいからこそそんな間柄には到底なりえない。
またまた照れちゃって、と言いながらナツが抱きつこうとするが、蓮はそれを綺麗に躱す。これだけハッキリとした態度を取っているのにどうしてそんな噂が流れてしまうのか。信じる方も信じる方だ。
「あ、もうすぐ昼休み終わりますね」
何とかこの話題から逃れようと蓮が時計に目をやると、あと五分ほどで昼休みが終わりを告げようとしていた。
「良いとこだったのに、残念」
梨那の茶化すような言葉に蓮は思わず苦笑する。梨那も本当に信じているわけではないようだ。単にからかうネタとして言ったのだろう。
「…そういえば相神先輩ってまだ寝てます?」
ふとこの場にいない相神の顔が頭に浮かび、蓮はソファが在る方を覗く。何となくこのメンバーが揃っていると相神もいて当然のような感覚になってしまう。それほど蓮はこの状態に慣れてきていた。
「そうかも。蓮君、悪いけど相神を起こしてくれる? 寝起き悪いから気をつけてね」
「そんなに悪いんですか?」
そういえば初めて会ったときも寝起きだったことを思い出す。
「悪いって言うか……性質が悪いのよ。いつも以上に口が悪いのに、本人寝惚けて殆ど覚えてないんだからこっちは堪んない」
そのときのことを思い出したのか少し不満そうに愚痴を漏らしながら、梨那はカウンターを片付け始める。その話を聞いて流石に一人で相神の相手をするのはあまり気乗りしない。ナツに手伝ってもらおうかと考えるが、ナツはさっさと司書室に篭り、もうすぐ授業だというのにも関わらず、本の続きを読み始めていた。
蓮は仕方ないと諦め、ソファへ向かうと、案の定、相神はまだ眠りについていた。いつもの如くソファに横になり、投げ出した足がはみ出ている。いつも思うが、こんな狭いところでわざわざ寝なくても、保健室のベッドを借りた方が寝心地もいいだろうに。そんなことまで考えてしまう自分はかなり寛大ではないかと思ってしまう。
少し離れた場所からでも分かるほどハッキリとした顔立ち。黙っていれば綺麗なのに、と蓮は寝ているその容姿に思わず見惚れてしまった。近くに寄り、その寝顔を覗き込む。いつも強い視線で睨みつけてくる二重の目。よく見ると目じりが少し吊り上っている。その目にかかるように流れる前髪。そっと払うように触れると相神は眉間に皺を寄せ、身じろいだ。
「ん…」
僅かに開いた唇。魅せられたように目が離せず、静かに寝息をたてるその唇に指で触れた。触れたのは一瞬。蓮は弾かれたようにその手を引いた。
「何をしてるんだっ」
もし誰かに見られて有らぬ噂でも立てられたら、と焦り自らを叱咤する。蓮は動揺しながらも、行き場をなくした指先をじっと見つめた。濡れているわけでもないのにしっとりとしていて柔らかく、指先に比べほんのりと温かい。その微かな感触がまだ残っているようで、頬が熱くなる。
ふにっ。
無意識にその指で自分の唇に触れた。
「蓮君、相神起きた?」
後方からの声に驚き、蓮は自分がしたまさかの行動に顔が赤くなるのが分かった。
普段冷静で大人びていると言われることの方が多いのに、相神が関わるとなぜか冷静でいられない。自分の感情についていけない。自分の行動が分からない。どうしてこんなことをしてしまったのだろうか。
蓮は自分のとった行動の意味が分からなかった。
「あ、僕じゃ駄目みたいなんで…梨那、お願いします」
それだけ言うと顔を俯かせたまま、梨那の横を通り過ぎる。微かに声が震えてしまった。梨那に気づかれなかっただろうか。
図書室を出ると一気に階段を駆け上がり、蓮は屋上に出た。
「ばれてないよね…」
上がった息を落ち着かせるように天を仰ぎ何度も深呼吸をする。少しずつ落ち着きを取り戻すと、全身の力が抜けたようにその場にゆっくりと座り込んだ。視線を落とすと視界に右手が入った。その人差し指を見つめると先刻のことが思い出され、また顔が熱くなる。落ち着いたはずなのに、胸だけが忙しなく、ドキドキと煩かった。
翌週の月曜日。
「ナツ、僕おかしいんです」
あの日以来、何となく相神に会い辛く、図書室へ来るのを避けていたが、月曜は図書委員の仕事があるため必然的に顔を合わせる事になってしまう。その為、蓮は逃げるようにナツと一緒に司書室に篭っていた。
自分の取った行動がいまだに信じられない。
蓮の呟くような相談を聞いているのか聞いていないのか、ナツは本に目を落としたままだ。それでも構わず蓮は話を続けた。聞いてないように見えても、長年の経験でナツがちゃんと話を聞いていることを知っているからだ。
「僕、相神先輩を見ると感情のコントロールが上手く出来なくなるんですよ…」
「まぁ、尋にあそこまで言い返せるのは蓮くらいだよなぁ」
相変わらず視線は本に向けたままでナツが答える。やっぱり聞いていてくれた、と蓮は安堵する。別に聞いていなかったとしても、どこかで吐露したかった。自分ひとりの中で考えてもドロドロとした考えにのまれるだけで身動き出来なくなりそうだった。
「この前も…」
「この前? 何かあったっけ? てか、蓮、図書室に来んの久しぶりじゃん」
本から顔を上げ、ナツは不思議そうに首を傾げる。敢えて避けていたことはナツには言えず、そこは空笑いでかわす。
蓮は自分の中で処理しきれなくなってしまったものを聞いてほしくなり、重い口を開いた。
「その…寝てる相神先輩見たら綺麗だなって思って…それで、あの…」
しかし、自分のしたことを全て話したら、流石のナツでも引いてしまうのではないかと思い、つい言い淀んでしまう。
「何? 寝込みでも襲っちゃったとか?」
先を急かすような目でナツが見つめてくる。だが、蓮はその言葉の内容につい動揺してしまう。そんな大それたこと出来るはずがないし、相神相手にどうしてそんな発想が出来るのだろうか。
「違っ! 襲ってなんか…」
勢いよく否定するものの、未遂に終わっただけで、もしかしたらそれ以上のことを相神にしていたかもしれない…と先週のことを思い出してしまい、赤くなったあと一気に青褪めた。
「僕…最低ですよね…」
自分のしたことを思い出し、一人がっくりと自己嫌悪で項垂れる。ナツはその様子をジッと見つめたあと、口を開いた。
「うーん…最低かどうかは何をしたかと、した理由にもよるかもな。で、何したの?」
いつもの茶化すような態度ではなく、急に真剣な目をするナツ。いつもと違う雰囲気に、蓮は観念するかのように答えた。
「そ、れは…唇に触れました……指で」
「それだけ? じゃ、何で?」
それくらい何でもないと言わんばかりの軽い口調で返され、蓮の方が呆気に取られてしまう。だか、何で? と聞かれて蓮は言葉に詰まった。蓮自身どうしてあんなことをしたのか理由が分からないのだ。
なんとも言えず感じたあの胸の動悸はなんだったのか。
今感じているこの気持ちになんて名前を付ければいいのか。
「いつもの仕返しをしたかったとか、気持ち良さそうだったからとか。行動を起こすには何かしら理由があると思うんだよね。俺が、蓮を好きだから抱きつくみたいに」
「好きだから…?」
「そう。好きだから触れたい。ちゃんとした理由でしょ」
好きだから…そうなのだろうか。
好きだから目がいく。
好きだから構って欲しくて突っかかる。
感情のコントロールが出来ない。
好きだから…触れたい。
蓮は普段の相神としていたやり取りを思い返すと、なんだかその行動一つ一つが子ども染みた愛情表現のようにも思えて恥ずかしくなる。でも、気づけば目で追っていた。彼を見ていたかった。そして、今感じているこの感情は、後悔。
「そっか…僕、先輩が好き…だったのか」
呟くように出た言葉。初めて見たあの日から、彼に魅せられていた。あの眼に射抜かれていた。だから自分勝手な感情であんなことをした自分を後悔している。
「蓮、尋が好きなの?」
そう訊ねられ、一瞬の間をおいて素直に首を縦に振った。素直に認めた瞬間、今まで感じていたモヤモヤが晴れて、気分が少しすっきりとする。だが一度感じた後悔はそうそう消えそうにない。それでも、この感情はハッキリと言えた。
「好きです」
言葉と同時にガラッと窓が開く音がした。そこから相神がいつにも増して不機嫌な顔を見せる。一瞬ではあるが、ハッキリと分かるほど、じろりとナツを睨み付けた。ナツはナツで相神の方を見ているが、纏う空気がいつもと違っている。その重たい雰囲気にのまれ、蓮は固まってしまった。
「告白中悪いけど、仕事しろ」
その低い声に背筋が凍りつくような感覚を覚える。相神の背中越しにカウンターに並ぶ生徒と返却された本が積まれているのを見て、またやってしまった、とその場から逃げるように司書室を出た。
司書室から出てカウンター内に入ると、相神はなぜかナツを睨みつけていた。ナツも今まで見たこともないような眼で相神を睨みつけている。相神は蓮がカウンターに入って来たのを確認すると、無言のまま窓を閉めた。
「さ、相神先輩…あの」
今まで感じたことのない二人の雰囲気に不安感が煽られる。ナツとの会話を相神に聞かれたのではないかと怖くて、次の言葉が出てこない。もしこの気持ちを知られたらどうなるのだろうかと不安が襲う。
偶然委員会が一緒になっただけで、特に親しい関係ではない。寧ろ喧嘩が絶えないのだから、仲は悪い方だと言える。好きだと知られたら、相神は益々嫌悪して離れてしまうだろう。ならば、せめてこの関係だけでも保ちたい。蓮は願うように心の中で呟いた。
「お前ら、付き合ってるのかと思ってたけど、まだだったんだな」
「え?」
相神の突然の言葉に何を言われているのか分からず、蓮は益々頭の中が混乱する。
「とりあえず、早くしろ」
そう言って相神はサッサと受付を始めた。
ばれていないのだろうか。深く聞いてこない相神に不安と安堵が入れ混じる。蓮にとって分からないことばかりだが、それでも相神の平素と変らない態度に、この一週間感じていた気まずさと後ろめたさは確かに薄れた。
「あ、はいっ」
言われて急いでカウンターに入る。またしても本の山。相神に一人で仕事をさせてしまっていたことを思わず後悔してしまう。
「僕、受付代わります」
「いい」
任せてばかりで申し訳なくて交代を申し出たが相神にあっさりと断られてしまい、更に圧倒的に感じる威圧感に蓮はそれ以上何も言えなくなってしまった。
今までと態度が違う、しかし確実に相神は怒っている。その静かな怒りが蓮は怖かった。今までのようにはっきりとした怒り方であればいつものように言い返せるのだが、罵詈雑言を並べるわけでも、嫌味を言うわけでもない。
ただ、静かに怒っていた。
同性愛に対して嫌悪しているのだろうか。そもそも、最近偏見がなくなってきているとはいえまだまだマイノリティ。同性愛に対して寛大な人の方が少ないだろう。それに、相神はきっとこういうことに関しては多数派に思える。もしそうだとすれば…先刻自覚したばかりのこの想いは、行き場を無くしてしまう。想いを伝えることも出来ず、ただ時が過ぎるのと同じように、想いが枯れ果てるのを静かに待つだけしか出来ないのだ。
なんて虚しい恋をしてしまったんだろう。
こぼれそうになる涙をグッと堪え、蓮は作業に集中した。
「相神、機嫌悪い?」
「……」
本の確認をしていると、いつものように梨那が遊びに来た。相神の様子がいつもと違うことに気づいたのか、本人に直接訪ねているが、相神は無言のまま。梨那が聞けば怒りの理由に答えるかと思い、蓮はこっそり聞き耳を立てていた。しかし相神は答えなかった。残念に思いながらも蓮は少し嬉しくもあった。今まで普段周りに人を寄せ付けない相神が、唯一梨那にだけは気を許しているように見えて悔しかった。幼馴染だと梨那は言っていたが、相神はそれ以上の感情を梨那に抱いているんじゃないかと。だから梨那にも話さないということが蓮は嬉しかった。梨那にも言えないことなのだ。傍目から見ていて、相神と会話が出来るだけで仲が良いと思うし、梨那と相神なら性別の問題もなく、付き合っていてもおかしく思われることはない。蓮はそれが羨ましく思う反面、憎らしくも思えた。
どうして女に生まれなかったのか。
女にさえ生まれていれば悩まなくていいはずの悩み。今ほど女に生まれたかったと思ったことはない。今まで女に生まれればよかったなど、考えたこともなかった。
叶わない願い。
叶わない想い。
叶うことのない願いに目頭が熱くなるのを感じた。開いている本がぼやけて見えなくなっていく。ジワリジワリと滲んで歪んでいく。視界を取り戻そうと目蓋を閉じると、頬に冷たく感じるものが伝っていった。ポトリと一滴こぼれたものが涙だと気づくと、次々とその瞳から溢れ始めた。
「蓮君!?」
気づいた梨那が焦ったように声を上げる。その声に相神も振り向く。
「なっ!?」
目を見開き驚いた表情の相神。蓮は二人の反応に泣き止まなければ思うが、止めようと思えば思うほど涙はこぼれてくる。その涙を袖口で拭い、漏れそうになる声を押し殺すのがやっとだった。
「はい、昼休みの貸し出しはここまで。借りたい人はまた放課後来てね」
どこでこの状況を見ていたのか、ナツが司書室から出てきた。そして手際よく図書室内にいた生徒を全員外へ出していく。
「蓮、おいで」
いまだ涙を止められず泣き続けていると、ナツにその手を取られ、司書室へと連れて行かれた。
優しいナツの手。
「何、あの二人、喧嘩したの?」
梨那の言葉に誰も答えることはなかった。
「大丈夫か?」
司書室の扉が閉まると、ナツが蓮の腕を取った。取られた腕の袖口が涙で濡れてしまっている。ゆっくりと顔を上げ、蓮はナツの顔を見つめた。
「何か、言われた?」
ナツの優しい声音に蓮はまた涙がこぼれそうになったが、それをグッと飲み込むようにして耐えた。
「…うして…っどうして、女に…生まれなかったんだろうって…っ」
途中何度か詰まりながらも、必死に言葉紡ぐ。
「どうして?」
ナツの冷静な言葉に少しずつ落ち着きを取り戻し、冷静さが戻ってくる。
「だって…女の子だったら、相神先輩に好きだって言えた」
「女じゃないと言えないの?」
その言葉に胸を刺されたような感覚になった。
女じゃないと言えないわけじゃない。
女じゃないといけないわけじゃない。
「…梨那が、羨ましいんだ」
相神の傍にいることを許されている。それが純粋に羨ましい。そう思ったら蓮はまた涙が溢れた。
何で梨那に生まれなかったんだろう…。
手を引き、ナツは蓮を椅子に座らせた。そして、それから何も聞かずに、ただ蓮の涙が止まるのを待っていた。
「あの二人が付き合ってたらってどうしようって…ほら、相神先輩って、梨那にだけは優しいでしょ? だから、そう思ったら何で女に生まれなかったんだろうって…悲しくなりました」
漸く涙が止まり、ナツにこれ以上心配かけまいと蓮は無理矢理笑顔を作って見せた。
胸はズキズキと痛い。もう枯れてしまったように涙は出てこなかった。
「蓮……俺にすれば? 俺だったら、ありのままの蓮を受け入れられるよ」
またいつもの冗談かと思ったが、いつになく真剣な表情を見せるナツに、蓮はいつもの言葉を飲み込んだ。
「ナツ…?」
真剣な男の眼だった。その眼が、ナツの言葉が本気であることを伝えていた。ただ慣れないその強い眼に、思わず怯んでしまいそうになる。
「それに俺、蓮のこと好きだし」
そう言ってナツはにっと笑った。その笑顔に蓮はナツがいつもの雰囲気に戻ったことにホッと安堵する。またいつもの冗談かも知れない。本気じゃないかも知れない。そう思った方が気持ちも楽だった。
「ナツ…ありがと。でも僕は…相神先輩がいいんです」
そう言葉にすると相神の顔が頭に浮かんだ。偉そうに腕組みして不機嫌そうな顔。笑顔なんて一度も見たことない。きっとナツだったらいつも優しくしてくれて、喧嘩も時々はするけど、でもその後は目一杯甘やかしてくれるだろう。今までずっと一緒にいたからお互いのことよく分かっているし…でも、それでもナツじゃなくて相神がいい。理屈じゃなく、胸の奥が相神を好きだと言っている。
「ちぇっ、傷心の蓮に付け込もうかと思ったのに」
失敗したと言うナツは本当に普段のナツで。
「ナツみたいな浮気者お断りですよ」
「俺がいつ浮気したよ」
心外だと言いながらも優しい手つきで頭を梳いてくれる。兄のような存在のナツ。
「あーあ…五限目サボっちゃいましたね」
「まぁ、たまにはいいさ」
普段だったら蓮も駄目です、と言い張るところだが、この時だけはこのゆったりとした時間を過ごしていたかった。
まったりとした時間を二人で過ごしていると、五限目終了のチャイムが鳴り響く。
「もうすぐ六限目始まりますし、戻りましょうか」
そうナツを促して司書室を出ると、ソファからはみ出す足がちらりと見えた。
「ナツ、先に行ってて下さい」
それだけ言うと、蓮はソファへと足を進める。ナツは察したように苦い顔をしながらも、図書室を出て行った。
「先輩…」
いつものように眠る相神の姿。
「どうして…」
呟いた言葉の続きが、『どうしてここにいるのか』なのか、『どうして先輩を好きになったのか』なのか、蓮自身よく分からなかった。
傾きだした陽に照らされる相神。蓮はそれを傍らに立って見つめた。
初めて会った日もこの場所だったと、ほんの数週間前のことを思い出す。あの日と変わったのは、自分の中にある、もどかしく、そして切なく思えるほどの気持ち。
相神は変わらず綺麗だった。変わらない艶やかな髪。鼻筋。
その鼻筋の先にある唇に目が止まった。ほんの一週間前、この唇に触れた。薄く開いた赤みを帯びた唇に誘われるように触れる。
今度は自分の唇で。
自分の取った行動に驚きつつも、蓮の中で後悔はなかった。
今…今この瞬間だけでいい…。
触れた唇が規則正しい寝息を立てている。やはり、温かく柔らかな感触だった。
暫くその寝顔を見つめた後、蓮はそっと図書室を後にした。
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