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第3話
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「まったく…なんで僕が相神なんかと一緒に仕事しなきゃいけないんですかっ」
週が明けた月曜日の昼休み。蓮は図書委員の仕事を行うため図書室を訪れていた。
「仕事って言っても本の貸し出しと返却確認、本棚の整理ぐらいだけだから。本棚の整理は殆ど放課後にやるし。でも昼休みが潰れたり、放課後早く帰れなかったりするから図書委員って人気ないんだよね」
だからクラスの委員決めの時、図書委員だけなかなか決まらなかったのか、とここにきて漸く蓮は合点がいった。
蓮は委員業務が初日ということで、受付カウンターの奥にある司書室でナツから説明を受けていた。本来、司書室は図書委員担当の藤川先生以外は許可がないと使用出来ないのだが、図書委員は本棚の整理などで出入りが許されている。司書室へはカウンター横にある扉から出入りでき、大きなガラス窓で囲まれているため、図書室全体が見渡せるような造りになっていた。ナツから説明を受けている間、カウンターは去年も委員だったということで相神が一人で対応している。その様子を蓮は司書室の中からチラリと覗き見た。相神は相変わらず愛想のない顔つきでそっけない態度ながらも、テキパキと仕事をこなしている。
「仕事内容はわかりました…けど、やっぱりどうしても相神なんかと一緒なのが納得いきません」
プウッと膨れっ面を見せる蓮に、そんなに俺と二人きりが良かったのかぁ、とナツが的外れなことを返す。
「はぁ…もういいです」
まともに返しても疲れるだけだ、と蓮は早々に諦め嘆息を吐いた。どうしてこうも疲れることばかり言うのか。蓮は思わず嘆きそうになってしまう。
「まぁまぁ。相神ってあんな性格だから、去年一緒に組んだ奴耐えられなくて、途中で委員会辞めちゃったんだよ。でも相神、仕事はきちんとするし…ただ口が悪いだけで」
「そこが問題なんじゃ…」
ナツの話を聞き終える前に、蓮は思わず突っ込んでしまう。
途中で仕事を投げ出す方も確かに悪いが、相神が相手なら分からなくもない。あの横柄な態度は温厚な蓮でも腹が立つし、そんな相神と二人きりでは我慢も出来ないだろう。ろくに会話はしてないが、嫌味は多くて口が悪いのに、言っていることはそう間違っていない。だから余計腹が立つのだが。
「まぁそうなんだけど…でも蓮は相神に対して言いたいこと言えるし、藤川もそれ見て決めたんだろ。それに、相神が担当の曜日は人が減って楽出来るんだよなぁ」
ナツはなんだか楽観的に考え過ぎているような気もしたが、言えば自分も悪く考えすぎているような気がして、仕事なんだから割り切ろうと考えを改めた。
「ナツは何で図書委員に?」
図書委員の仕事について話し終えたのか、ナツは部屋に置いてある本を適当に選び、読み始めている。
「俺? だって図書委員になったらこの部屋にある本読み放題って藤川が言うから…それなら、なるしかないっしょって」
ぐるりと部屋の四方を囲むように並ぶ本を恍惚とした目で眺め、嬉々とした表情を見せるナツに、本当に本が好きなんだ、と蓮は思わず笑みが漏れてしまう。
「テメェ等! いい加減、働けっ」
バンッと勢いよく窓が開く音と同時に相神の怒声が響いた。その窓からカウンターに目をやると、返却されたであろう本が山積みになりカウンターを埋め尽くしている。
「はいっ」
その事態を目の当たりにし、咄嗟に蓮は返事をした。相神の態度は気に食わなかったが、のんびりと話し込んでしまった自分も悪いと反省し、蓮は司書室を出る。カウンターに入り、返却された本が破損していないか確認をする。ちらりと司書室を見ると、ナツは出てくる気が無いようで、先程手にした本の続きを読んでいた。
三冊ほど確認が終わり、四冊目をペラペラと捲っていくと、少しではあるが蓮は破れた箇所を発見した。どうするべきかと迷ってみてもナツは司書室で本に熱中している。癪だが、仕方なく蓮は相神へと声をかけた。
「相神」
「あぁ?」
「……先輩」
不機嫌さを表すようなドスの聞いた声で返され一瞬怯みそうになるが、ここで怯んだら仕事が終わらないと思い、話を続けた。
「この本少し破けてるんですけど、どうすればいいですか?」
はたして素直に教えてくれるのだろうかとも思ったが、破けているページを相神に見えるように開きながら尋ねた。
「横の棚に置いておけ。あとで藤川に渡す」
司書室の壁側にある棚を指差し、思いのほか丁寧に説明され蓮は呆気に取られる。意外といい人なのかも知れない、と内心感心し、破損していた本を棚へと置いた。
「チッ」
舌打ちしましたよ…今、この人舌打ちしましたよ…。
蓮は内心で呟き、やっぱり嫌味な人だ、と毒吐く。聞こえてきた舌打ちに、チラリと横目で様子を窺う。しかし、不機嫌な顔は相変わらずだが、溜息を吐くように肩を揺らすその様子は、どこか疲れたようにも見える。
「もしかして…」
返却され山のように積まれた本。
時々カウンターに訪れる生徒達。
相神が担当の日は人が少ないとナツは言っていたが、返却分だけでも結構な量がある。
今までナツと話している間にこれだけの量を一人で捌いていたのかと思うと、感心すると同時に、申し訳ない気持ちになった。そして先刻のナツの話を思い出し、本当に態度が悪いだけで仕事はきちんとする人なのだと、蓮の相神に対する見方が少し変わった。怒られて当然なことをした。よく考えもせず、相神の口調の悪さにいちいち腹を立てていた自分が情けない。
いても立ってもいられなくなり、蓮は司書室の扉を開いた。
「ナツ、仕事っ」
いまだ本を読み続ける幼馴染の襟首を掴むと、そのまま司書室からずるずると引っ張り出し、カウンターへと座らせる。どうしたの、と驚いた顔を見せるナツ。
「相神先輩は休憩」
「あぁ?」
そう言って相神が怪訝な顔を見せる。しかし蓮は有無を言わせず相神が持っていた本を奪い取ると、ナツに押し付け、元の作業に戻った。
しかしナツは大人しく椅子に座っているがカウンターに背を向け、蓮を眺めるばかりで、押し付けた本もそのままに一向に手を動かそうとしない。
「何だよ、蓮。一緒に仕事したいなんて、そんなに俺が好きなのかよぉ」
「はいはい、そうですね」
ゆらゆらと椅子を揺らしながらだらしなく顔を緩ませているナツに、蓮は適当な返事を返した。
「もう、照・れ・屋・さん」
ナツが貸し出し手続きをなかなかしない為、カウンターの向こう側では生徒が眉を下げ困った顔を見せている。
「ウサギ野郎、ウザイぞ。チビ豆、よくこんな奴と一緒にいられるな」
それを見かねたのか、相神がナツの手に乗せられた本を取り返し、手続きを済ませると、本を生徒へと渡した。ナツの態度を流石に鬱陶しく思ったのだろう、相神が口を挟んでくる。
「チビ豆じゃなくて蓮です。相神先輩は休憩だって言ったでしょ」
「じゃあ、まず、こいつをどうにかしろ」
うんざりとした顔を見せ、相神はナツを指差す。確かに、と蓮も納得せざるを得ない。
「なっ!? 尋、俺のこと邪魔者扱いすんなよ」
「勝手に名前呼ぶんじゃねぇ」
「もう、尋ちゃんったら」
妙な猫なで声を出すナツに、蓮はゾワゾワと鳥肌が立つ。それは相神も同じだったようで、バンッと台を叩いて立ち上がると、ナツの胸倉を掴んだ。
「マジ、ブッ飛ばす」
ナツの自業自得だと思いながらも、カタカタとカウンター前で震えて待つ生徒があまりにも可哀想になった。蓮は出来るだけ関わりたくなかったが、仕方なく相神を止めようと立ち上がる。
「はい、そこまで」
止めようと立ち上がったところで、向き合う相神とナツの眼前を本が遮る。それと同時に、可愛らしい声が響いた。
「もう。またやってる」
カウンターの向こうに梨那が呆れ顔で立っていた。二人の方が年上のはずなのに、蓮は梨那の方がお姉さんに見えて仕方がない。
「チッ」
相神は梨那の顔を見ると、不満そうに舌打ちしながらもナツの胸倉を放した。大人しく従う相神を見て、あの相神が梨那の言うことはどうしてこんなにもあっさり聞くのか、と蓮はなぜか腹立たしく思う。
「梨那だぁ」
ナツは相神の今までの態度を大して気に留めるでもなく、梨那に抱きつきそうな勢いでカウンターから身を乗り出した。また始まった、と蓮は呆れるしかない。
「ナツ先輩、ちゃんと仕事しないと駄目ですよ。相神も。喧嘩ばかりじゃない」
「うるせぇ」
相神が面倒臭そうに返す。それでも他の人間に対してそうするよりも態度が柔らかい。
「梨那、本借りに来たの? あ、それとも俺に会いに来たとか?」
いつもの軽い調子で梨那に話しかけ始めたナツに、蓮はひとつ溜息を吐く。相手の迷惑になる前に止めなければ、と蓮は口を開いた。
「ナツ…ちゃんと仕事しないともう一緒に帰ってあげませんよ」
蓮の子供騙しのような脅しに、相神が鼻で笑う。
「小学生かよ」
だが、ナツはそんな相神を他所に、うろたえ始めた。
「や、やります! やらせていただきます!」
蓮に注意され、漸くナツは仕事をする気になったのか、慌てて次の人どうぞ、と生徒が持っていた本を預かる。
「返却は来週の月曜日までに…って君、可愛いね。何年生?」
「ナツっ」
注意して間も開けず女の子に声をかけるナツの頭を蓮は思いっきり本で叩いた。
「痛っ」
「気にしないで下さいね」
ナツの手から本を奪い取り、女子生徒へと手渡す。本を受け取ると、頬を赤く染めながらその生徒は図書室を後にした。
「もう…女の子見たら見境なく口説くの止めて下さいって何回も言ってるでしょ」
蓮が窘めるように説教をするが、ナツにはいつもあまり効果がない。次やったら知りませんよ、と言いながら蓮は作業に戻った。
「何だお前、節操なしか」
一連の様子を見ていた相神が蔑むようにナツを見るが、当の本人は人差し指を立てながら、蓮が一番だ、と言い返す。
「蓮はなんていうか…こう、崇高というか、神の領域なんだよ」
自分の世界を作り語り始めるナツに苛立ちつつも、なぜか相神はナツの話を止めなかった。自分が知らない蓮の話。興味がないと言えば嘘になる。
相神に対してここまで言い返してきた奴はいなかった。大体の奴らは相神が一言発するだけで近寄らなくなる。今までがそうだった。高校に入ってからは何故かナツが無神経なくらいに構ってきたが、それくらいで、他は近寄りもしない。ナツの場合は単に、性格的に一人の奴をほっとけないだけだろう。だが、蓮はどう見てもそういうタイプではない。人を構うというより、嫌われないよう当たり障りなく接しつつも、心に壁を作り、ある一定の距離以上近づかないようにしている。だから余計に気になったのかも知れない。
「お前、頭腐ってんだろ」
「相神にはわかんないかなぁ…蓮の可愛さ」
ナツがカウンターに片肘を乗せ、蓮の方を指差した。蓮は自分のことが話されているとは気づかず、黙々と作業をしている。
「あいつの可愛いとこなんて身長ぐらいだろ。その分態度はエベレスト並みのデカさだけどな」
やや俯き加減で作業をしている蓮のサラサラとした髪が時々目にかかっている。その都度耳に掛ける仕種をしているが、何度目かでそれも煩わしくなったのか、とうとう手首につけていたゴムで結い始めた。その動作を相神ただじっと眺める。
「何々? 蓮君の話?」
梨那がカウンター越しに声をかけ、興味津々とばかりに話に入ってくる。
「蓮君ってね、女の子の間で大人気よ。外見は見ての通り可愛いでしょ。なのに中身は大人っぽくて、誰にでも偏見無く接して優しいって。女子の間では王子って呼ばれてるんだから。図書室利用者が多いのも蓮君目当ての子が増えたからなんだよ」
「大人っぽくて…優しい…?」
聞いてもいないのに話し始めた梨那の話を聞いて、自分が知っている蓮とかけ離れているように思え、相神は首を傾げた。胸の奥の方にじりじりとした感覚が残る。
チラリと視線を向けると、蓮は黙々と本に目を通していた。雑に結ばれた髪がゴムの先からちょこんと出ている。意味があるのだろうかとも思うが、蓮はもう気にしていない様子だ。
「あいつのどこが。口が悪くて態度のデカイただのガキだろ」
その言葉に梨那もナツも呆れたように溜息を吐く。そして哀れむような視線を向けてきた。
「相神ってさ…バカよね」
「梨那っち、そんなホントのことだからってはっきり言ったら、流石の相神も傷つくって」
「テメェら…」
意味も分からずそんなことを言われ、元々我慢のきかない相神がキレないはずがない。
「何よ、違うって言うの?」
「チッ」
しかし、梨那の有無を言わせない視線に相神は舌打ちを返す。あまりの言われように腹が立つが、梨那だけでさえ性質が悪いのに何を言っても曲解して捉えるナツも相手では面倒が増すだけだ。どうして自分の周りにはこんなに面倒な奴らばかり寄ってくるのか、相神は嘆きたくなった。
「まぁ、相神とナツ先輩目当ての生徒も多いけどね」
「マジで!? 俺のファンの子がいるのかぁ…あ、でも俺には蓮がいるからなぁ」
「馬鹿ウサギ。ったく…あんな奴のどこがいいんだか……てか、男だろ」
ナツの言葉に呆れつつも、胸の奥で感じたじりじりとしたものが増す。同時に、自分の発した言葉になぜか胸が痛んだ。
「否、蓮は女以上に可愛いって! 確かに体は男なんだけど、綺麗だし!」
「体は、って…」
ナツが発した生々しい言葉に、思わず絶句する。
「え、ナツ先輩と蓮君って本当にそういう関係!?」
「…えへっ、梨那ちゃんのエッチ」
「気持ち悪ぃんだよっ」
急激に湧き上がった怒りをぶつける様に、相神はナツの頭を拳で殴った。
「痛ってぇ」
どうしてこんな感情が湧き上がったのか、正確には分からない。ただ、二人の関係をまざまざと見せ付けられたような気がして、相神は我慢ならなかった。
キーンコーンカーンコーンと昼休み終了の音が鳴り響く。
「ナツ! また仕事サボりましたね。ほら、もうチャイム鳴りましたよ」
それをきっかけに蓮がナツ達の方を振り向く。梨那とナツが話しているのは分かるが、珍しいことに相神もその輪に入っている。蓮はその光景を見て、なんとなくムカムカとした感情を覚えた。蓮はその輪に割って入るように声をかけ、そのままナツを引っ張り、図書室を出ていった。
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