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第10話

 ルードヴィッヒ辺境伯が自分の気持ちにようやく気がついたころ、アレクシアは薬草園で熱心に働いていた。  吹雪は止んでいる。ときおりはらはらと粉雪が舞うぐらいだ。  アレクシアは、ふわふわの白い毛皮のベスト姿。  ベストはルードヴィッヒからの贈り物で、とても暖かい。  冷たい川に落ちてしまって、吹雪にも襲われたけれど、ルードヴィッヒが暖めてくれたので、風邪も引かずにとても元気だ。  薄い雪雲を見上げて思った。  ——この天気だったら、数日中には芽がたくさん出るな。  そっと心の中で聖女の祈りを唱える。  ——天にいらっしゃいます我らが主よ、どうぞ、僕にあなたのお力をお貸しください⋯⋯。  すると蒔いたばかりの種からニョキニョキと芽ができたではないか。  聖女の奇跡の力で薬草の生育が速くなったのだ。 「白百合は咲いてないかな?」  心配になってキョロキョロとまわりを見まわした。 「よかった!」  白百合はどこにも咲いていなかった。  聖女が奇跡の力を使うと白百合が咲く。だけど植物の生育を助けるぐらいの小さな祈りなら、白百合が咲くことはないらしい。 「これぐらいの祈りなら白百合は咲かないんだ」  心からほっとした。  もしもこんな寒い季節に白百合がどんどん咲いていったら、城のみんなに変に思われてしまうだろう。 「聖女だと知られたらここにはいられなくなるから気をつけないといけないな⋯⋯」  生まれて初めてのおだやかな生活なのだ。この生活をいつまでも続けていたい——、そう強く願わずにはいられない。 「奇跡の白百合だけは絶対に咲かせないようにしよう!」  雪雲のあいだから太陽がのぞく。明るい日差しに目を細めてそう決心した、そのとたん——、 「あれ? あの侍女さんは膝が痛いのかな⋯⋯?」  薬草園を横切る年老いた侍女の歩き方が気になった。侍女は重そうな水桶を持っている。 「侍女さん、もしかしてお膝が痛いのですか?」 「ええ、そうなんです、アレクシアさま。両膝がズキズキと痛みます」 「そうですか⋯⋯」  老女の膝は赤く腫れていた。 「もう歳だから仕方ありませんね、我慢いたします⋯⋯。お仕事のお邪魔をしてすいませんでした。失礼致します、アレクシアさま」 「あの⋯⋯、もしかしたら、この薬草を塗ったら治るかもしれません」  黙っていられずにそう言ってしまった。  ——薬草の効果だと誤魔化そう。  と思ったが、薬草を侍女の膝に塗りながらそっと祈ると、奇跡の白百合が咲いてしまったではないか! 「ありがとうございます、アレクシアさま! なんということでしょう、すっかり痛みが取れました。⋯⋯おや? こんなところに、美しい白百合が?」 「あれ? どうしたんでしょうね? 季節外れの百合の花ですね。⋯⋯水桶を運ぶのをお手伝いしましょう!」  なんとか老侍女の視線を奇跡の白百合から外し、薬草園の外まで送っていく。 「どうしよう⋯⋯。あの白百合をなんとかしないと⋯⋯」  考えながら急いで薬草園に戻る。そして驚いた。 「あれ?」  白百合がどこにも見当たらないではないか? 「どこにいったんだろう?」  アレクシアは首をかしげて考えた。  そしてこの日から、なん度もなん度も、同じことが起こった。  アレクシアは病人や怪我人を放っておくことがどうしてもできず、指がちぎれそうなほど酷い怪我をした若い下働きの青年や、井戸修理でぎっくり腰になった老職人、そして産後の日立ちが悪くて意識を失った若い侍女⋯⋯などの人々を、聖女の奇跡の力で癒したのだ。  そのたびに、純白の美しい百合の花が咲いた。  が——。  その白百合は、しばらくすると、跡形もなく消え去った。 「いったいどういうことなんだろう?」  不思議でたまらない。 「変だな⋯⋯。もしかして、奇跡の白百合はしばらくすると消えるのかな?」  白百合の奇跡はとても神秘的な現象だ。  もしかしたらなにかの理由で奇跡の白百合が消えるようになったのかもしれない⋯⋯。  首をかしげながらも、そう自分を納得させた。 「白百合がすぐに消えるなら、もっとみなさんを聖女の祈りで助けることができる」  たくさんの人を助けたい——それが夢なのだ。  次の日も、その次の日も、アレクシアは聖女の力を使って城で働く人たちを助けた。 「みなさんのお役に立てた!」  毎日がとても嬉しかった。  薬草園での仕事にも力が入る。薬草からたくさんのポーションを作って、そこにちゃんと聖女の祈りを込めることができたら、もっとたくさんの人々を癒すことができるだろう。  そして、小川に落ちた吹雪の日から、一週間が過ぎたころ——。 「頑張ろう!」  この日も、張り切って薬草園で仕事をしていた。  きょうは種の選別をする日だ。  真っ白でふわふわの毛皮のベスト姿。きょうのベストにはフードがついている。フードをかぶれば頭も暖かい。  ときおり雪がちらつく天気だが、このベストのおかげで体はポカポカだ。 「そういえば⋯⋯」  と、ふと、手を止めた。自分の偽りの身分をまた思い出したのだ。 「僕は、悪役令息のふりをしているんだった⋯⋯。忘れないようにしないと⋯⋯。だけど悪役令息というのがこんなに難しいなんて思わなかったなあ」  意地悪なんて絶対にしたくないのに、それをやらないと疑われるかもしれないのだ。 「意地悪をしないで悪役令息になるにはどうしたらいいんだろう?」  悩んでいるとき、背の高い美丈夫が薬草園にやってきた。  ルードヴィッヒ・フォン・シュタイン辺境伯だ。 「あ! ルードヴィッヒさま!」 「手伝うことはないか?」  日差しに輝く金色の髪も、笑顔も、あまりに眩しくて真っ直ぐに見つめていられないほどだ。  ルードヴィッヒは、がっしりとしたたくましい体に黒い毛皮の短マントを羽織っていた。 「こんなに暖かい毛皮のベストをいただいてありがとうございます」 「礼には及ばぬ——。来週には北の民族から珍しい毛皮が届くはずだ。届いたらすぐに仕立てさせよう」 「いいえ、もう十分でございます」  慌てて断ったが、ルードヴィッヒはニコニコと笑っているだけだ。  ちょうどそのとき、黒髪の少年従者のカールがふたつの水桶を運んできた。  小さな体でふたつも水桶を抱えているのでよろよろとしている。 「カールさん、お手伝いします⋯⋯」  手を差し出して、ハッと思い出した。  ——そうだ、僕は悪役令息らしくしないといけないんだった。  とっさに水桶をカールの足に落とそうかと思った。だけどそんなことができるはずもなく⋯⋯。 「わあ! いつもありがとうございます! ねえ、ルードヴィッヒさま、聞いてください。アレクシアさまはいつもとてもお優しいんですよ。わたくしはいつも助けていただいているんです」  結局は水桶を運んでしまった。 「それはよかったな」  ルードヴィッヒが微笑みながらアレクシアとカールの手から水桶を取った。軽々と運んでくれる。  カールが大きなため息をついた。 「わたくしもいつか、ルードヴィッヒさまのように筋肉隆々になりたいです。そして、ララさまが指揮をする騎士団に入ってお役に立ちたいです」 「ララさま?」 「アレクシアさまはまだお会いになっていらっしゃらないんですか? ララさまはルードヴィッヒさまの弟君です。騎士団の副隊長で、とってもお強いオメガなんですよ! わたくしは一介のベータに過ぎませんが、いつの日か、だれよりも強い騎士になって、ララ副師団長さまにお仕えするんです!」  カールが頬を真っ赤に染めてキッパリと言った。 「応援しています!」  アレクシアは思わずカールの手をとり、ギュッと握りしめた。 「ありがとうございます、アレクシアさま!」  カールの元気な声が薬草園に響く。  ——カールさんの願いがいつの日か叶いますように。  アレクシアは心の中で、そっと祈った。 *****  そしてこの日の午後遅く——。  アレクシア念願のポーションがついに完成した。 続く

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