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第256話 エイトドッグス白浜ベース

 ここにはたくさんの謎が秘められている。 あれから数十年。シンギュラリティも言われて久しい。AIが人の思考を追い越しても、それは一面的なところだけだ。  仏教の一念三千という概念をAIは踏襲できるだろうか。我々の思考は宇宙の果てまで飛ぶ。想像の翼でどこまでも行ける。  死をもってその思念はますます自由だ。不滅の思念。スサが気づいたその思念は、終わる事の無いものだろう。  仏陀は方便現涅槃(ほうべんげんねはん)と説いた。涅槃、すなわちニルヴァーナは肉体の死だ、としてもそれは方便だという。  思念の一時的な行き場が死なのか。  玉梓は不死とこの話では、書かれている。彼女自身、自分はバグのようだ、と言っている。  それほど、つらそうでもなく、悠々と不死の生き様を泳いでいる。時には忘却の力を借りて。  仏陀の一切衆生所有楽との観点から、思念は一切衆生(全ての生き物)に存在する生きる権利のようなものを犬たちが体現している。  白浜ベース、その後。 五月雨も不死の命を継いでいるようだ。琥珀と愛し合った人生に一区切り、結構長生きだった琥珀の死、を乗り越えて長生きしている。  その美貌も衰える事なく。  人類に生じるバグなのだろうか。 五月雨の友人、ロジャー五十嵐はその研究に一生を捧げた。  オショーは玉梓のそばで何回も生まれ変わり、玉梓と結婚したこともあったが、やはり先に死を迎える。  死ぬことが悲しいのは、それまでの人間関係がすっぱりと断ち切られるからだろう。  寂れてしまう高齢化が進んだ白浜ベースに、一時の仇花のように咲いた賑やかな未来。  その後、また衰退して行くだろう。 それでもこの星は美しい。  生き物を喰らい合う運命、の殺戮の星の存在がそもそも宇宙のバグだったのだろう。  オショーは死ぬ時いみじくも言った。 「生きる事は只々寂しい。」と。                おわり  この物語は一切の実在する物事との関係を持たない。  似ていると思うのは、あなたの「気のせい」です。

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