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プロローグ

 大陸の東側にウィンガラードという比較的小さな国がある。地図に国名は載っているものの大国に囲まれた国という認識しかなく、とくに有名というわけでもない。ところが二十年ほど前、小国ウィンガラードに大陸一の美姫が嫁いだことでその名が大陸中に知れ渡ることになった。  美姫は大陸中の男たちが噂するほどの美しさで、大陸一の大国シュレイザーラの王が妃にと望んだほどだったという。ところがどういう経緯か、美姫はウィンガラードの先王の二度目の正妃となり、十八年前に玉のような姫を生んだ。  姫が物心つく頃に王は急逝し、新たな王の椅子にはすでに成人していた王の長男が座ることになった。夫を亡くした美姫はいつの間にか王城から姿を消し、残された姫は王となった長兄が庇護することになった。  ――大陸一の美姫が生んだ姫が十八歳を迎えた。  美姫が残した姫が適齢期を迎えると、再びウィンガラードの周辺が騒がしくなった。母親に負けず劣らず美しいという姫の噂は一気に大陸へと広がり、再び多くの男たちの胸を騒がせ始める。 「姫をぜひ我が妃に」  そう望むのはウィンガラード国内の王侯貴族だけではなかった。大国シュレイザーラの王族はもちろん近隣国の王族、果ては船と馬とを使ってもひと月はかかるであろう西方の大砂漠帝国シンシラーガを治める太陽王までもが姫を妃にと所望した。姫を望む者たちは互いに牽制し合いながら隙を狙い、水面下では戦争が起きかねないところまで事態は悪化した。  誰も彼もが姫を求め、どんな手段を使っても手に入れようと考えた。いっそ攫ってしまおうか、それとも国の力にものを言わせて差し出させようか、秘密裏に入国し既成事実を作ってしまえばいい、そんな欲望があちこちで渦巻いていた。そんな中、姫の嫁ぎ先が決まったという話が大陸を駆け巡った。 「ウィンガラードの輝く姫が、神聖国メルタバーナの神官王のもとに嫁ぐ」  それを聞いた国々は沈黙するしかなかった。神聖国はごくごく小さな国でしかない。国力でいえばメルタバーナが敵う国はほとんど存在しないだろう。しかし、どんな大国であっても神聖国メルタバーナを侵すことはできない。それはメルタバーナの中心に大神殿があるからだ。  大陸でもっとも信仰されている神を奉る大神殿には、全神殿を統治する神官王が住んでいる。どの国の王侯貴族や民も唯一の神を心のよりどころとして信仰しているため、一国の王であっても神を奉る神殿に逆らうことは許されない。その頂点に立つ神官王を前にすれば、どんな地位の人であっても(こうべ)を垂れるほどであった。  その神官王の花嫁に件の姫が選ばれた。神官王の花嫁は神の啓示により決められ、示された花嫁が誰であろうと違えることは許されない。たとえ神官王自身であっても拒否することは許されない御神託の花嫁、それが(いにしえ)の時代から続く神と人々との決め事だった。  こうして小国ウィンガラードの姫は御神託の花嫁として、数多の求婚者が涙を呑み歯軋りをするなか第六十七代神官王に嫁ぐことになった。  のどかな田園地帯を黒光りする堅牢な馬車が進み続ける。馬車を引くのは体格の良い白馬で、対照的にそれを操る馭者(ぎょしゃ)は全身真っ黒な服を身に纏っている。 「遠いなぁ」  馬車の中でそうつぶやくのはウィンガラードの姫だった。真っ赤に熟れた果実のような唇からため息がこぼれ落ちる。もう何度目のため息か、ウィンガラードからついてきた侍女マルガは数えることを諦めて久しい。 「ねぇ、あとどのくらいで着くの?」 「二の(とき)ほど行きましたら最後の国境を超えます」 「うん」 「それから半刻(はんとき)ほどで神官王がおわします大神殿に到着でございます」 「そう」  尋ねておきながら美しい黒眼は馬車の外をじっと見るばかりで、口から出るのは生返事だけだ。そんな姫が再び「ふぅ」とため息をつくと、艶やかな黒髪が肩からするりとすべり落ちた。その様子を見た侍女が「姫さま」と声をかける。 「退屈でいらっしゃいますか」  すると姫の黒眼が侍女の茶色の目をちらりと見た。 「移動ばかりは退屈。でも……」  姫の抜けるような白い頬が不意に赤くなる。 「待ち遠しくて体がうずうずする、かな」  うっとりした眼差しは万人を惹きつける美しさだった。高すぎず低すぎない声が耳を心地よく震わせる。 「本当にようございましたね」 「うん」  こくりと頷く姿はまさに可憐といった様子で、大人の女性になりきれていない少女のような雰囲気さえ漂わせている。しかし口元に浮かぶ微笑みは妖艶としかいえないような色香を放っていた。 「待たされすぎて気が触れそうだった」  うっとりと微笑ん

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