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第15話 神官王と大砂漠の古き神2

「やけにいい香りがすると思って来てみれば、やっぱりきみだった」  美女のごとき美貌がにこりと微笑む。それにユリティもにこりと微笑み返した。 「久しぶりですね。長らく見ていませんでしたが、相変わらずのようで安心しました」 「やだな、ぼくそんなに引きこもってた? おかしいなぁ、ほんの七晩くらいのつもりで寝てたんだけど」 「そちらに行ってからは一度も姿を見ていませんよ」 「あちゃー、寝坊しちゃったのか」  誰もがひれ伏すような美女が子どものような笑顔を見せる。 「っていうかアシュ、見た目変わった? 相変わらず綺麗だけど……なんていうか、舐めただけですぐに壊れそう」  美女と見まごうばかりの顔がコテンと首を傾げた。それに微笑みながらユリティが「いまはほぼ人の肉体ですからね」と答える。 「えぇ? きみ人になっちゃったの?」 「作りものの肉体ですが、すでに三巡、いえ四巡目でしたか」 「そっかぁ。アシュ、ずっと金竜探してたもんねぇ。でもよかったじゃない、見つかって。その子金竜でしょ? ってあれ? ちょっと違う? んん? なんだか贄の子たちの匂いもするねぇ」 「金竜はもういませんよ」 「えぇ~? ほんとに? ぼくもあの子のこと、すごく気に入ってたのに」  青白い肌が震えているのが目の端に入った。それを気にすることなくユリティが言葉を続ける。 「わたしの目を盗んで目合(まぐわ)うくらいですからね」 「やだなぁ、ちょっとした出来心だよ。それにぼくは、」  美しい唇が動きを止めた。黄金の瞳がユリティの奥にいる青白い人影に向く。 「もしかして、あそこにいるのってベルファ?」  名を呼ばれた古の神――ベルファは大袈裟なほど体を震わせた。ユリティを激しく睨んでいた漆黒の眼には怯えたような色が見え隠れしている。  美女のごとき美丈夫が立ち上がった。巨大な水晶の頂をトンと蹴り、重力を感じさせない身軽さで正方形の床にストンと降り立つ。 「ベルファったら相変わらず贄が好きだねぇ。でもさ、ちょっとは遠慮したほうがいいんじゃないかな。ぼくたち、もうこっち側の神様じゃなくなったんだしさ」  黄金の瞳にベルファの下半身がゆらりと揺れた。影のように揺らめいていた部分が少しずつ形を顕していく。そこにはユリティの目に映っていたとおり二人の男が寄り添っていた。男たちは両側からベルファの男根に舌を這わせ、指で自らの尻の奥をいじっている。二人が座る床には白濁が飛び散り淫猥な匂いを撒き散らしていた。 「我が君、」 「そういえばベルファって、いつこっち側に来るの?」  遮るように尋ねる声に青白い顔がぐにゃりと歪んだ。それを見たユリティが「連れて行ってもらえませんか?」と美しい横顔に話しかける。 「ん? ベルファを?」 「一人では向こう側に行けないようなので」 「ふぅん」  黄金の眼がベルファをじっと見る。何の感情も浮かんでいないせいか、その目は金色に輝く(ぎょく)のようにも見えた。 「まぁ、連れて行くのはいいけど……でも、その前にちょっとだけ味見したいなぁ」  そう言いながら黄金の瞳がユリティを見た。尻を隠すほど長い金髪が意思を持つかのようにシュルリと動き、ユリティへと伸びる。そうして美しく微笑むユリティの頬をするりとひと撫でした。  頬を撫でられながら、ユリティは内心ため息をついていた。こちら側で古の神を相手にするのは気が進まない。さすがのユリティも直接触れられれば体が崩れてしまうかもしれないからだ。「それにいまはリシアもいる」と、腕の中でなおも恍惚とした表情を浮かべる花嫁を見た。 「わたしに触れないでください。あぁ、もちろん花嫁にも触れないでくださいね」 「ええぇ、残念。いろいろ楽しんだ仲なのに」 「それはかつてのことでしょう。それにこの肉体はいまやほとんど人ですからね、うっかり崩れてしまいかねません」 「……ほんとに?」  美女のごとき顔が疑うようにユリティを見た。 「わたしが嘘をつくとでも?」 「だってきみだからなぁ。ねぇ、舐めるのも駄目?」 「駄目です」 「じゃあ、ちょっとだけ舌を入れるのは?」 「もっと駄目ですよ」 「じゃあ尻尾は? 尻尾の先っぽを、ほーんのちょーっと挿れるくらいは? あ、それともぼくのをアシュが舐めるってのはどう?」 「いずれも無理ですよ。肉体が崩れてしまえばわたしは存在できなくなります。そうなってはあなたも嫌でしょう?」  かつて“気高き享楽の神”と呼ばれていた美丈夫が「そうだけどさぁ」と不満げな顔をする。それに小さく笑ったユリティは「では、代わりのものはどうでしょう」と提案した。 「代わりのもの?」 「我が花嫁の咲いたばかりの蜜を」  ユリティを見る黄金の瞳がきらりと光った。美女のごとき顔に艶麗な笑みが浮かぶ。 「いいねぇ」 「我が君!」  それまで気配すら押し殺していたベルファが声を上げた。二つの切れ目は大きく開き、その奥にある漆黒の眼は必死に美丈夫を見ている。 「花嫁の蜜かぁ……うん、悪くない」 「我が君!」  美丈夫の興味をリシアから引き離したいベルファがさらに声を上げるものの、美しい顔はちらりともベルファを見ない。それが歯がゆく、提案をしたユリティを漆黒の眼が再びギロリと睨んだ。  かつてのユリティと美丈夫は金竜を共有する仲だった。それどころか体を交えることさえしていた。ベルファはそれが許せなかった。  いずれの神よりも美しく気高い主が、たとえ相手が神であっても誰か一人に気持ちを寄せるのが許せない。だからこそ二人が愛でる金竜を消してしまおうと考えた。そうすれば主の気持ちがユリティから離れると考えた。  一度目は成功した。ところが再び金竜が現れた。それをユリティが愛で始めた。このままでは主も以前と同じように愛でるかもしれない。「それなら再び消し去るのみ」と、大砂漠を治める太陽王を手懐けリシアを手に入れるように囁いた。  しかし失敗してしまった。しかも眠っていたはずの主が目覚めてしまった。 「我が君!」  叫ぶベルファに黄金の眼差しは応えない。麗しい唇を舐めながら「金竜の味も久しぶりだし」と艶やかに笑っている。 「それにあの頃はアシュともこうして楽しんだしね」 「我が君……!」 「ベルファ、ちょっと待ってて。味見したら連れて行ってあげるから」 「我がき――」 「うるさいなぁ。待てもできなくなったの?」  美丈夫が尻尾でピシャンと床を叩いた。次の瞬間、尻尾の先がグネグネと蠢きズルズルと床を這い始めた。ベルファが口を開く前に白い巨蛇となった尻尾が青白い体に巻きつく。そのまま締め上げるようにググゥと白蛇となった尻尾がうねった。  一方、美女のごとき顔はうっとりと微笑んだままだった。そうして床にしゃがみ、ドレスの切れ目から先端を覗かせているリシアの花芯に顔を近づける。 「すっごくいい香りがするね。懐かしいなぁ。……それに、アシュの香りもたまんない」 「見るだけですよ」 「わかってるって。あ、また出てきた」  赤い舌が(つや)やかな唇をちろっと舐める。黄金の眼はなおもリシアの初心な花芯を見つめていた。視線を感じたのか、リシアがゆっくりと目を開けた。快楽に濡れた黒眼でうっとりとユリティを見上げる。 「さぁ、もっと乱れなさい」 「ふふ、いいの?」  リシアが甘く答えた。それに微笑みを返しながら、ユリティが交合口に挿し込んでいた指をグゥッと奥まで突き入れる。 「ぁん!」  突然再開した愛撫にリシアが頭を仰け反らせた。すっかりほころんだ交合口からはジュプジュプと淫猥な音がひっきりなしに聞こえる。挿し込んでいる指はおろか手首まで蜜で濡れるほどの有り様だった。  リシアの華奢な体がビクンと跳ねた。うわごとのように「でる、でちゃう」と口にしている。それを聞きながらユリティが膨らんだ肉壁をグゥッと押し、そのまま小刻みに擦るように指を動かした。 「ひぃ……っ!」  掠れた嬌声が上がった。薔薇と柑橘の香りが混ざり合い、媚薬香のように辺りに漂い始める。 「さぁ、極上の蜜をこぼしなさい」  プシュ、プシュプシュ、プシュッ。  初心な花芯から噴き出したのは透明な蜜だった。その蜜は目の前で様子を見ていた美女のごとき顔にも飛び散った。 「たしかに、これはたまんないなぁ。極上の香露(こうろ)だってこんなに甘くなかったよねぇ」  唇にかかった蜜を赤い舌がぺろりと舐めた。頬を濡らす蜜は指で拭い、それももったいないと言うように舐め取る。 「ん、美味しかった」  美丈夫が満足げな顔で立ち上がった。すると床を這っていた尻尾がピンと伸びる。 「おっと、興奮しすぎて尻尾に力が入っちゃった。ねぇベルファ、生きてる? それとも死んじゃった?」 「この世界で消さないでください。古の神がこちら側で一人消えれば世界のどこかが崩壊しかねません」 「ごめんごめん。……あぁ、やっぱりそっちも食べたかったなぁ」  黄金の眼が見つめるのはユリティの神官服だ。下腹部より少し下のあたりが大きく膨らんでいる。その下には毎夜のように花嫁を満足させている熱塊が雄々しく勃ち上がっていた。 「駄目ですよ」 「……ほんと、つまんない」 「十分満足したでしょう? さぁ、さっさと連れて行ってください」  尻尾がブンと動いた。その先に捉えられているベルファが苦悶の表情を浮かべる。それでも漆黒の眼は淫靡に微笑む主を熱く見つめ続けた。  いつの間にかベルファが座っていた椅子も両脇で奉仕していた男たちも消えていた。白蛇に締め上げられた青白い体は宙に浮き、苦しむ顔とは裏腹に股間には腹につきそうなほど頭をもたげた屹立が見える。それを嘲笑うかのように美丈夫の尻尾がブンとしなった。すると何もない宙に切れ目のようなものが現れた。それはゆっくりと大きくなり、最後にパカッと口を開くように広がる。 「ねぇ、いつかきみもこっちに来るんでしょ? 金竜も見つかったんだし、一緒に来ればいいじゃない」 「どうでしょうね。随分と賢者の石を食べてしまいましたから、しばらくは新たな人の肉体を得てしまうでしょう」 「そっかぁ」  黄金の眼がリシアをじっと見る。そうしてユリティに視線を移した。 「やっぱり妬けちゃうなぁ。きみの目にはあの頃から金竜しか映っていなかった。いくらぼくが笑っても泣いても、きみは金竜ばかり。そしていまもその子しか見ていない」 「そうですか?」 「やっぱり意地悪だよねぇ……アシュトレトは」  美女のごとき顔に一瞬だけ哀しみのような表情が浮かんだ。しかしすぐに消え、「じゃあ、またね」と言って尻尾をブンと振る。  宙に空いた穴にまず放り込まれたのはベルファだった。ベルファを離した尻尾を再びブンと振った美丈夫が、片足でひょいと床を蹴って宙の切れ目にストンと座る。 「じゃ、また暇になったら呼んで」 「そう簡単に呼べるはずがないでしょう。あなたを呼ぶのにどれだけの神語が必要だと思っているんです?」 「きみなら平気だよね?」  美丈夫がニィと笑いながらゆっくりと切れ目の中に両足を入れた。そうして胸のあたりまで切れ目の闇に飲まれながら「アシュ」とかつてのユリティの名を呼ぶ。 「たまにでいいから呼んで? ぼくの名前を呼んでよ」  睦言のような声にユリティが美しく微笑んだ。 「そうですね、話し相手程度になら、バアルセルブル」 「その声で呼ばれるとやっぱりゾクゾクする。ぼくはきみに名前を呼ばれるのが大好きなんだ。そのこと、忘れないで」  そう言い残した美丈夫の整った顔が切れ目の闇に飲み込まれた。同時に開いていた穴が小さくなり跡形もなく消える。  カラン。  静寂を取り戻した祈りの間に何かが落ちる音が響いた。音のしたほうに目を向けると床に真っ赤な石が落ちている。それはかつて三大神と呼ばれた古の神バアルセルブルが落とした欲望の化身だった。ユリティはため息をつくと、意識を失ったリシアを横抱きに抱きかかえ歩き出した。 (まったく、これだから古の神というのは……)  賢者の石は後で回収しよう。それまで祈りの間は封鎖しておかなくては。人工池に伸びる通路を歩きながらユリティは今後のことを考えた。 (さて、ベルファが用意した羽虫はあとどのくらいいるのか)  ユリティと金竜から主の気持ちを奪うために用意した駒が太陽王だけとは考えにくい。大神殿の神官数名とギンシルも序の口だろう。ベルファが向こう側に行ったとしても羽虫たちは勝手に動き回る。  ユリティの口元に笑みが広がる。それは穏やかで高潔な神官王の顔ではなく、かつて“微睡みと戦場の神”と呼ばれた神の表情だった。

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