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 第16話 安政期の建物

 台所を確認し、大きな冷蔵庫に食材を仕舞い終えて、護は一息ついた。 「台所も広いし、皆で料理を作れそうですね」  保輔や智颯と一緒に料理をするのは楽しそうだ。  部屋の中を見回していた保輔が、太い柱に手を添えた。 「にしても、年季が入った建物やんな。かなり古いんちゃう?」 「松の間があるこの建屋は、江戸は安政期の創建と茶々殿が話しておりました故、近歳でございましょう」 「いや、古いわ。人間の感覚的に、昔やわ。江戸時代の建物に泊まれるとか、ヤバいな。ちょっと興奮するわ」  保輔が表情を明るくして台所中を観察している。  その姿を、智颯が遠巻きに眺めていた。 「円くんが心配ですか?」  護が声を掛けると、智颯が我に返ったように顔を上げた。 「心配というか、気になっていて。僕は円を傷付けたのかなって」  車の中での会話を気にしているのだろう。  鬼力の話をしてから円の表情が暗いのは、護も気になっていた。きっと今頃、直桜がフォローを入れてくれているはずだ。 「智颯君のせいではありませんよ。勿論、保輔君のせいでもない。円くんが自分で乗り越えないといけない壁です。私はむしろ、智颯君が心配です」 「僕、ですか?」  見上げた智颯に微笑みかけた。 「智颯君は、眷族にあまり積極的でない気がします。それも円くんを心配する理由の一つではないかと思ったんです」  智颯の発言を思い返すと、円を眷族とする、それ自体を戸惑っているように感じた。 「そうですね。僕は直桜様のように、自分の恋人を眷族にはできない気がします」  はっと気が付いた顔をして、智颯が護に向き直った。 「別に悪い意味じゃないです。直桜様と化野さんの関係は理想だし、眷族といっても主従って感じじゃない。だけど、僕も同じように振舞えるか、わからないから」  護の中の疑問が一つ、解消された。  智颯は円と主従関係になりたくない。だから眷族契約を悩んでいる。しかし、円が花笑の種を開花させれば、周囲はきっと智颯に円を眷族とするよう強いる。  昨日の忍の話し方から考えても、智颯に異を唱える隙はなさそうだ。 「それに僕はまだ、直桜様のように眷族を持てる実力がない。藤埜室長や須能班長の期待に応えられるような強い惟神では、ないです」  改めて、円と智颯は似ているなと、護は思った。  自分の可能性に気が付かずに、自分からその扉を閉じてしまう。持て余す才に翻弄されて意識が付いていかずに自信を喪失してしまう。   (大丈夫、なんて他人に言われても、きっと響かないんだろう。保輔君のショック療法くらいが、ちょうどいいのだろうな)  保輔は智颯や円の性格をよく掴んでいるなと思った。 「では訓練を頑張らないといけませんね。智颯君は皆に期待されている未来の直桜なのですから。帰ったら、きっとプログラムがびっしりですよ」  智颯が顔を蒼くして目を見開いた。  絶句している、とはこういう表情なのだろうなと思った。 「化野さんて時々、意地悪やんな。そないにプレッシャー掛けんでも、ええやん」 「そういうつもりではないですよ。励ましたつもりだったのですが」  どうやら意地悪に聞こえてしまったらしい。  直桜の恋人である護は、只でさえ智颯には好かれていないだろうに、自分から嫌われにいくのは避けたい。 「プレッシャーでは、あるけど。化野さんがそんな風に言ってくれるのは、ちょっと嬉しいです。直桜様を一番近くで見て感じている人だから。僕も円と、二人みたいになれたらいいのに」  伏し目がちに視線を落とす智颯に、ドキリとする。  智颯の口から直桜の傍にいる自分を肯定する言葉をもらえるのは、護としては安心できる。 「せやったら眷族にするべきやわ。正直、俺は智颯君と円が早ぅ眷族契約してくれたらええのにって、思ぅとるよ」 「なんで保輔が、僕と円の眷族契約を急かすんだよ」  智颯がムッと、ふくれっ面をした。 「二人に切れんような縁ができたら、安心して友達になれるやん。円とはもっと協力して瑞悠と智颯君、守りたいもん。車ン中で瀬田さんと化野さんの話聞いて、俺はそう思ぅた。けど、俺一人の意志じゃ、どうにもならんから」  保輔にしては珍しく、言葉を濁して聞こえた。  智颯が息を飲んだ気配がした。 「……保輔がそんな風だから、僕も円も保輔が大好きで嫌いなんだ。もっと仲良くなりたいのに、三人でいたいのに、嫉妬して嫌な顔して嫌な言葉、言っちゃうんだ」  細い肩が小刻みに震えている。  きっと、普段思っていても言えないことを思い切って話したのだろうなと思った。  保輔が智颯を振り返った。 「なんや、それ。友達なら普通やろ。もしかして、悩んでたん?」  智颯が、ぐっと言葉に詰まる。  平然としていた保輔が、急に気まずい顔になった。 「いやでも、円が俺を警戒するんは俺のせいやな。金輪際、智颯君には手を出さへんて、どうしたら納得してもらえるやろか」  あろうことか保輔が護に答えを求めた。  さすがにこればかりは、苦笑いするしかない。 「今後の行動で示すしかありませんね。私のように、やられたらやり返すように円くんに伝えておきましょうか?」  護の顔を見て、保輔が怯えた表情をした。 「それは、やめて。円にキスされんのは、なんか怖い……」 「才出しの時、自分からしてただろ。というか、お前まさか、直桜様にも何かしたのか?」  自分や円の時より智颯が前のめりになっている。 「瀬田さんにも才出ししただけや。神結びするんに必要やったから。そしたら化野さんに無理やりキスされてん。これで帳消しにしたるって言われた。怖かった」  保輔が普通に怯えている。  そこまで怖がられるようなキスをした覚えはないのだが。  智颯が驚愕と呼べる顔で護をちらりと見上げた。 「私も私なりに保輔君には嫉妬していたんですよ。君の方が直桜の眷族に相応しいのではないかとね。けどやはり、この場所だけは譲れませんから。可愛い鬼の後輩でも明け渡すわけにはいきませんね」  ニコリと笑みを向ける。  保輔がじっとりと護を眺めた。 「そないに大層な場所、狙ってへんよ。俺には分不相応や。てか、なんで皆して俺に嫉妬すんの? 俺からしたら化野さんや智颯君の方が羨ましいで。力があって好いた相手と恋人で。俺も瑞悠と来たかったなぁ、温泉」  保輔が、がっくりと肩を落とす。  その肩を、智颯ががっつりと掴んだ。 「温泉とか、泊りとかダメだ。まだ早い。恋人にもなってないのに、来れるわけないだろ」 「せやから、おらんのやんな。瑞悠は結局、俺をどう思ってんのかな」  何となく那智に促されて、護たちは台所を出て歩き出した。  保輔の背中が小さく見える。 「……悪くは、思ってないんじゃないか。温泉は、まだダメだけど」  智颯が、とても小さな声で呟いた。 「知っとる。そう言われとる。縁結びの勾玉もくれた。けどなぁ」 「勾玉、貰ったんですか?」  意外でもないが、勾玉を渡したのなら好意はあるのだろう。更に色が変わったのなら縁がある相手だという証だ。  護に向かい頷いた保輔が、左腕を見せた。  保輔の腕に巻かれた勾玉は琥珀色に輝いていた。 「これ貰ろて発情が収まったんよ。せやから前より楽んなった。けどなぁ」  同じ言葉を繰り返して、保輔がまた肩を落とした。  保輔にしては珍しい。何か余程の事情があるのだろうか。 「勾玉をくれたのなら、気持ちは決まっているのではないですか?」  もう恋人みたいなものだろうと思うが、智颯の手前、明言は避ける。 「んー、ちょっと違う、いや、違わへんけど。なんつーか、恋人とは、違うのかもしれん。少なくとも今は、違うのやろなぁ」  煮え切らない答えに、智颯と護は顔を見合わせた。 「なんていうか、それは、みぃも悪いと思うから、僕が謝っておく」  保輔があまりに居た堪れなかったのか、智颯が素直に労った。 「いや、悪いとかいう話でもないねん。ただ、もっとちゃんと話して、瑞悠の気持ち、ちゃんと知らんと、瑞悠も、俺自身も納得できひんのやな」  自分の気持ちを確かめるように、保輔が言葉を噛み締める。  そんな保輔の顔を、智颯がじっと見詰めていた。 「……保輔が僕を、お兄さんて呼ぶ日が、くるかもしれないんだな」  ぼそりと零れた智颯の言葉には実感が籠って聞こえた。  保輔が意外なほどに慌てた。 「なんやねん、急に。さっきまで温泉ダメとか怒っとったやん」 「温泉は恋人になって一年以内はダメだ。前は気楽にお兄さんて呼んでただろ」 「一年以内って、なんでやねん。ってか、前はな、ふざける余裕が、あったけどな」 「今は、ないんだ?」  智颯の視線から逃げて、保輔が目を逸らした。 「あるわけないわ。散々ふざけて呼んだ後で呼ばれへん状況になったら、流石の俺でも心が折れる」  保輔の顔を見ていた智颯が、吹き出した。 「保輔でも心が折れたりするんだな」 「するに決まっとるやろ。俺を何やと思ぅとんねや」 「何って……」  智颯がじっと考える。視線を上げて、保輔に向き合った。 「頑張り屋で前向きで、すぐに気持ちを立て直せて、絶望的な未来にも折れない心を持っている人。友達をよく見てくれて、人の気持ちに気付いて気遣える人、だ」 「は? え?」  智颯の言葉に保輔が挙動不審になっている。   「そんな保輔が、みぃの言葉や態度で心が折れるって、なんだか意外で、人間らしいなと思った。保輔は鬼だけど、僕と同じ人間なんだ」  智颯が自然に微笑んだ。その笑みはどこか優しくて、すっきりして見えた。  保輔が普通に照れて、頬を染めている。 「……そら、そうや。俺、人ベースの鬼らしいから」  保輔がぽそりと零した。  先を歩き出した智颯に、護が並んだ。 「智颯君もやっぱり惟神ですね。直桜や清人さんと、持っている心が同じです」  多少、捻くれて見えたとしても、心根は温かくて優しい。神様が寄り添う人間とは、きっとそういう人たちなんだろうと護は思う。 「僕は直桜様みたいに優しくないし、藤埜室長みたいに強くもないです。だけど、折角、いつもとは違う場所に来たんだから、普段なら言わない気持ちも、言えるかもって。みぃの態度は、ちょっと悪いと思ったし。それだけです」  早足で歩きだした智颯の耳が赤い。 「智颯君の笑顔は直桜にそっくりですよ。柔らかくて、優しいです」  振り返った智颯が意外な顔をする。その顔が照れ臭そうに笑んだ。  やはり智颯も、神様みたいに笑うのだなと思った。

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