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第17話 南月山の人狼
部屋で落ち着いた頃にはもう夕方だった。
雪がやむ気配はなく、外は真っ白な吹雪が視界を遮っている。
「今日のうちに鬼面山の天狗と顔合わせをと考えておりましたが、如何なさいますかな」
那智一人なら、この悪天候でも会いに行くのだろう。
しかし、人間の身ではなかなかに厳しい環境だ。
「なるべく早く挨拶したいけど、天候を考えると悩むね。せめて日中がいいよね」
「雪山は人の身には堪えましょうからな。無理は禁物でございますぞ」
直桜と那智が話している途中、犬の遠吠えが小さく聞こえた。
何度か聞こえた声に顔を上げたのは那智だけでなく、円もだった。
「方向から考えて、南月山の人狼でございましょう」
那智の目が円に向いている。
円は声の方に向かって、じっと耳を澄ませていた。
「この土地には妖怪が多く住んでるって直日が話していたけど、人狼の群れがいるの?」
「近歳に住み着いた人狼が群れを成し里を作ったと聞き及んでおりまする。悪さするでもなく、静かに暮らしておりまするが。事情なら鬼面山の天狗が詳しいでしょう」
じっと南月山の方を向いている円に、智颯が声を掛けた。
「円、どうしたんだ。狼の遠吠えが気になるのか? え……、円?」
慌てた智颯に肩を叩かれて、円が我に返った。
「あれ、どうしたんだろ、急に」
懸命に目を擦る。いつの間にか涙が流れていたらしい。
保輔が円の手を握った。
「懐かしい気持ちに、なったんとちゃう? 俺も、ちょっとなった。懐かしぃて、切ない」
保輔が目を擦る仕草をする。目が潤んでいた。
「狼の遠吠えは仲間を呼ぶ合図でござりますれば。お二人を呼んでおるのやも、しれませぬな」
那智が直桜と護を振り返る。
「円くんや保輔君の気を察して、呼んでいるのだとしたら、命脈の欠片である可能性がありますね」
護の指摘は可能性が高い。
保輔が握った手を握り返して円が身を寄せた。
「会いに、行きたい。あの子たちは、元気にしているかな。家族を捨てた私を、調様や弥三郎様や伊予様はお叱りになるかな。また、会ってくれるかな」
円の体が保輔の胸に倒れ込んだ。
保輔が円の体を抱きとめた。
「叱りゃぁ、しねぇさ。いつの時代のどんな生き物にも、事情ってなぁ、あるもんだ。俺たちがまた出会えたように、必要ならきっと巡り会う。そんなものさ」
保輔の目が、直桜に向いた。
その目は保輔であって保輔でない。
話し方も表情も、今の保輔と円は、まるで別人だ。
智颯が身を寄せ合う二人の肩に手を置いた。ゆっくりと神力を流し込む。
保輔が智颯を見上げた。
「あったけぇ神力だ。直日神に似て、優しいなぁ」
保輔が目を閉じて智颯に凭れ掛かった。
直桜と護がそっと近づいて、智颯にドミノ倒しのようになっている保輔と円を覗き込んだ。
「今のは、伊吹山の鬼、伊吹弥三郎でしょうか?」
「円くんも、別人みたいだったね。先代の折伏の種を持っていた人、かな?」
「多分、そうだと思います。円の霊元の種が、熱を発してる。保輔の霊元そのものが、昂っている」
護と直桜の問いに、智颯が頷いた。
「円は、狼の声に触発されたのかなって。保輔は、きっと円の手を握ったから。円の気が懐かしくて鬼の記憶が表に出てきたのかもしれないです」
花笑と伊吹山の鬼の関係性を考えれば、なくはないかもしれない。
智颯がイマイチ不安そうな顔をしている。
「智颯の見立てが正しかろう。伊吹山の鬼は記憶を引き継ぐ。最期の鬼が最初の鬼からの記憶を持って保輔の中に在っても、不思議はあるまい」
直桜の背中から直日神が顕現した。
智颯が不安そうな目を直日神に向ける。
「保輔が、鬼の記憶に呑まれてしまったりしませんか。保輔が、保輔じゃない人間になってしまったりは、しませんよね?」
直日神の手が智颯の頭を優しく撫でた。
「保輔が伊吹山の鬼として覚醒すれば、記憶は保輔に引き継がれる。今はまだ不安定なだけだ。心配はいらぬよ」
直日神の言葉に、智颯がようやく硬かった表情を和らげた。
「天狗に挨拶も、人狼に会いに行くのも、ゆっくりはしていられなそうだけど」
「今日の所は、休みましょうか。無理をさせたくはありませんから」
見上げた直桜を護が振り返る。
一先ずは布団を敷いて、保輔と円を寝かせて休ませた。
「智颯の対処が早かった故、二人は気を消耗せずに済んだぞ。偉い偉い」
部屋を片して布団の準備をする智颯を、直日神が頭を撫でて褒めている。
顔を赤くして、智颯が素直に撫でられていた。
「そうだね。早い段階でアプローチできたから、二人の霊元の状態もちゃんと把握できたし、智颯のお陰だね」
直桜にも褒められて、智颯がこそばゆそうに照れた顔を逸らした。
「呪法解析室で円の仕事を見るようになってからの癖というか、円の解析術で神力が割と万能な触媒になるってわかって、だから、役に立つかなって」
そういえば直桜の解析をした時も、智颯の神力を触媒にして行った。
「でも、さっきのはそういうのより、二人が傷付かないように送り込んだだけで、最初から解析しようとか思ったわけではなかったんですが」
「智颯君は優しいですね」
護が智颯を優しく抱き締めた。
「何となく、保輔君が智颯君に構ってしまう気持ちがわかります。可愛くて抱き締めたくなりますね。私にとっては弟のようです」
「……お兄さん」
困惑した表情をした智颯だったが、そっと護の腕を掴んで、そう呟いた。
護が驚きながら嬉しそうな顔をしている。
面白くない気持ちになって、直桜は二人を引き剥がした。
「弟って思ってくれるのも、お兄さんて思ってくれるのも嬉しいんだけど、抱き付くのはダメ。護、円くんに嫌われるよ」
直桜の言葉に、護よりも智颯が慌てて離れた。
「今のは内緒にしてくださいね」
人差し指を口元に沿えて、護が微笑む。
その顔がもうイケメンで、直桜の方がドキドキする。
顔を赤くして智颯が頷いた。
「さてと、俺たちは、どうしようか? 温泉にでも行く?」
「いいですね。天狗の湯、楽しみです」
護が嬉しそうな顔をする。
その隣で智颯が目をキラキラさせていた。
「私がお二人を診ております故、ゆるりと入ってきてくださいませ」
「いや、那智も浸かってくるといい。円と保輔は吾と気吹戸がみていよう」
那智に、直日神が声を掛けた。
直日神は気吹戸主神と共に酒盛りを始めている。
「うむ、時には神の言葉に甘えよ。何かあればすぐに声を掛けようぞ」
「勝手知ったる者が傍にあったほうが動きやすかろうて」
気吹戸主神と直日神に促されて、那智も直桜たちと共に温泉に向かった。
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