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第20話 人のような神様
頭の中に浮かんだ光景が夢だったのか、誰かに見せられた先祖の記憶だったのか、円にはわからなかった。
ただ、起きたら目の前に直日神がいて、額に温かな手が乗っていた。
「吾にとっては懐かしき記憶だ。円と保輔にとっては初めて知る事実であろうな」
隣に目をやると、保輔の額の上にも直日神の手が乗っていた。
「俺にとってはきっと、懐かしい……のやろな。初めて知る話やのに、感覚としては懐かしくて、変な感じや」
保輔の目がどうしてか、切なく潤んで見えた。
「直日神様が、みせて、くれたん、ですか?」
直日神が首を振った。
「円の中にある種が見せた記憶だ。保輔にも教えてやりたくて、ちとお節介をした」
直日神が悪戯に笑う。
その顔がやけに優しくて、とても身近に感じてしまう。
(直日神様は、こんな神様だったっけ? もっと神々しくて俺なんかが話せるはずもないくらい、遠くに居る神様じゃなかったかな)
始めて直桜の神力に触れた時は、怖かった。直日神の顕現した姿を見た時はまるで遠く感じた。神力が温かいと感じてからは、古い友のような、それでいて近づけないような、変な距離感だ。
「種は芽吹きたがっておる。円は、どうしたい?」
直日神が直桜のように問い掛ける。
これは直桜の言葉なのだと思った。
「俺、は……」
気持ちは既に決まっている。だから、智颯と共にここまで来た。
(だから、あとは)
円を見守る直日神の目が、最後の勇気をくれた。
右手を大きく振りかぶって、隣に寝ている保輔の腹を思いっきり叩いた。
保輔が大袈裟に体をくの時に曲げて、恨めしい目を円に向けた。
「なんや、急に。八つ当たりか」
「そうだよ、八つ当たりだよ。保輔が智颯君以上の運命なんて嫌だ。智颯君と保輔がこれ以上仲良くなったら嫌だ」
バシバシ殴る円の手を保輔が受け止める。
「だから、それはないっていうとる……」
「でも」
円の強い声に、保輔が言葉を止めた。
「でも、保輔がいて、良かった。折れそうになっても一緒に頑張れる。保輔となら、友達になれる気がする。弥三郎と調以上には、なれないかも、だけど」
円の手を摑まえた保輔が呆気に取られている。
「あは、ははっ……」
保輔が脱力したように笑った。
「俺も、円とはええ友達になれる気ぃがしてる。智颯君とも。俺な、理研の保育園でも友達作るの下手で、英里には叱られるし、武や蜜にフォローしてもろてばっかりやってん。だから正直、友達ってどうやって作ったらええか、わからんねん」
意外な話に、驚いた。
何でも器用にこなす保輔でも、苦手なことがあったんだなと、初めて思った。
「なんだ、俺と同じだ」
微笑んだ円の顔を見て、保輔が目を見張った。
「やっぱり円も、花が咲くように笑うのやな」
先祖の調は、円とは似ても似つかない性格だ。
けれど、保輔にそういわれるのは悪い気分ではない。むしろ、嬉しかった。
二人のやり取りを静かに見守っていた直日神の目が、気吹戸主神に向いた。
「円と保輔は素直になったぞ。あとは気吹戸だけだが、どうする? これ以上は、知らぬ振りも誤魔化しもできぬぞ」
気吹戸主神が気まずそうに目を逸らした。
「鬼面山の天狗と仲直りせよと仰りたいのでしょう。困りましたな。直日神様は此度、働き過ぎですぞ」
呆れたように息を吐いた気吹戸主神に直日神が笑って見せた。
「此度はお節介をすると、腐れ縁の知己と約束してしまったのでな」
神様も人のようだなと思った。
だからこそ、人を依代とする惟神の神なのかもしれない。
「天狗と仲直りすれば済む話ではないぞ。花笑が何故、種を封じたか。智颯と円に教えられるのは、気吹戸だけであろう。同じ後悔を、智颯でもしたいか?」
気吹戸主神が口を引き結んだ。
まるで心情を言い当てられた顔をしていて、神様でも後悔するのだなと思った。
「己が選んだ惟神を信じよ。智颯はもう、気吹戸が守ってやらねばならぬほど弱くはなかろう。円と保輔、二人の守人もおる。強い智颯を、受け入れてやれ」
直日神の言葉が、神託のように気吹戸主神に降り注ぐ。その姿に祓戸の最高神の威厳を感じた。
「気吹戸の、前の惟神と、折伏の種を封じた、俺の御先祖は、知り合い、だったの?」
気吹戸主神が眉を下げて小さく頷いた。
「そうだな。円は正《せい》に、よぅ似とる。だから種が目を覚ますのが怖かった。智颯に力を戻して、円が智颯の眷族になるのが、怖かった。臆病だったのは、儂じゃよ」
「正って、種を封じた、人?」
気吹戸主神が頷いた。
「正は女子であったが、見目も性格もまるで円に似て、感じ易くて脆くて臆病で、自分の力を嫌っておった。抜きんでた才がありながら受け入れられず、持て余しては怯えるばかりの女子であったよ」
そう語る気吹戸主神の顔は、切なさで歪んで見えた。
気吹戸主神が直日神を見上げた。
「あの時の儂は、見ておっただけであった。だが、祓戸大神である直日神様がここまで人に寄り動くのならば、此度は儂とて傍観に徹するわけにはいくまいて」
直日神が小さく笑んで、円に向き合う。
「惟神の神は、惟神の生き方を邪魔せぬよう、意見も行動も控える場合が多い。それでいい、それが良い時代が多いのよ。しかし、そうではない時もある」
神が意見し、動かねばならない時もある、ということだろうか。
今は神が傍観していていい時ではないと、直日神が伝えている。
(それだけ切迫した状況、神が直接に導きを与えなければならない状況なんだ)
その中に、円の種の芽吹きや保輔の鬼の力の開花が含まれるのだろう。
改めて、自分という存在が大きな時代のうねりに巻き込まれているのだと感じた。
「教えて、気吹戸。俺と智颯君のために、俺はきっと、知らないといけないと、思うから」
気吹戸主神が大きな手で円の頭を撫でた。
「ああ、そうだな。円は強ぅなった。智颯のために、心も体も強ぅなってくれた。正とは違う、円は円じゃと、わかっておったつもりだったのだがなぁ」
まるで自分に言い聞かせるように、気吹戸主神が円を撫でて、微笑んだ。
「智颯と共に、しっかと話そう。二人はもっと強くなれる。儂はずっと前から、知っておったよ」
いつも豪快に笑っている気吹戸主神ではないような、穏やかな笑みだった。
不意に、気吹戸主神が顔を上げた。
その表情が険しくなったかと思うと、部屋の襖が開いた。
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