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第21話 鬼面山の天狗と気吹戸主神

 温泉から上がって部屋に戻り、襖を開ける。  気吹戸主神が目を覚ました円と話しているようだった。  顔を上げた気吹戸主神が目を見張った。  護に背負われて帰ってきた智颯を一瞥すると、一緒に来た喜多野坊と組手して睨み合いを始めた。 「久しいのぅ、爺。どの面下げて儂の前に現れおった。智颯に何やら手でも出したか。只では済まさぬぞ」 「気が短いのは変わらぬなぁ、気吹戸主神よ。こーんなに可愛い惟神なら、儂が貰っちゃってもよいがなぁ。何なら、もっと仲良くなっちゃおっかなぁ!」  智颯が護の背中で、力なく手をぶんぶんしている。 「気吹戸、落ち着いて。僕が気吹戸と仲直りしてほしいってお願いして来てもらったんだ。それに気吹戸は、種を持っていた先代の花笑を知ってるんじゃないのか? どうして話してくれなかったんだ?」  気吹戸主神が表情を落として組手を解いた。 「その話を、俺たちも今、していたところだよ」  組み合う天狗と気吹戸主神を見上げていた円が、智颯を振り返った。  隣に座す保輔も円も、体調は問題なさそうだ。二人ともちゃんと目が覚めて、直桜は安堵した。  喜多野坊が直日神に歩み寄った。 「久しいのぅ、直日神。息災なようで何より。これまた随分と、強く優しい惟神を得たようじゃな」 「ああ、吾の直桜は可愛かろう」  直日神が満足げに喜多野坊に微笑んだ。 「可愛い、可愛い。気吹戸主神の惟神も可愛らしいが、気吹戸主神が可愛くないわ」  喜多野坊と気吹戸主神が目を合わせて、ぷいっと顔を逸らした。  そんな気吹戸主神を円が苦笑して眺めている。 「なんや、喧嘩の仕方がガキやね。もっと根が深い感じなのやと思ぅとったけど、これならすぐ仲直りできるんちゃう?」 「そうっぽいね」  保輔の言葉に、円が苦笑しながら同意していた。  保輔の顔を喜多野坊が凝視した。 「これはまた。伊吹山の鬼か。導きとは、あるものだなぁ。うぅむ、なかなかに、揃っておるなぁ」  喜多野坊が部屋の中の面々をじっくりと眺めた。 「直日神の惟神、鬼神、気吹戸主神の惟神に花笑の弓取り、伊吹山の鬼とな。理を守る者が勢ぞろいだなぁ、直日神よ」  喜多野坊の視線を受けて、直日神が笑んだ。 「どうやら今は、そういう時のようだぞ、喜多野坊」  直日神の言葉に、喜多野坊の目が仄暗く光った。 「なるほど、そうか。なれば鬼面山の天狗は智颯に味方しようかの! 大峰山の天狗は役行者に戻ったのであろう、なぁ、前鬼坊!」  護の背から降り、布団に横になろうとしていた智颯が、名を呼ばれてビクリと肩を揺らした。  喜多野坊が那智の肩を抱く。  至極嫌そうに面倒そうな顔をする那智など、お構いなしだ。   「戦じゃな! どこを攻める? 鬼面山の天狗も大峰山に負けぬぞ。一騎当千が万はおるからの!」 「盛り過ぎじゃ、爺」  テンションが上がりまくりの喜多野坊に、気吹戸主神が静かに突っ込んだ。  いつも豪快に話す気吹戸主神らしからぬ表情だと思った。喜多野坊の勢いに気圧されているんだろう。 「月山の天狗は、かの日光大権現《徳川家康》が恐れ、江戸開府直後に根絶やしにしようとあの手この手で嫌がらせしてきたくらいじゃからなぁ。強さは御墨付よ!」  喜多野坊に肩を抱かれたままの那智が、ぐぃとその体を押し返した。  白髪の爺さんだが、ガチムチ体系の喜多野坊と細身で小さい那智が並ぶと、とても同じ天狗とは思えない。 「天狗は修験者からなる者や、私のように修行を積んだ鬼からなる者もありまするが、猿田彦神の加護を受ける種族も多い。こんな爺でも役には立ちましょう」  猿田彦神は伊勢の五十鈴川に住んでいる国つ神で、天孫降臨の道案内をした導きの神だ。記紀を始めとした容姿の記述が似ているので親近感があり、天狗とは仲良しだと聞いた。  那智に顔を押されて、喜多野坊が笑っている。 「戦とかではないけど、守らなきゃならない理が在るのは、確かだよ。力を貸してくれたら、助かる。ね、智颯」  直桜に振られて、智颯がこくりと頷いた。  喜多野坊が直桜と智颯を眺めて、納得した顔をした。 「其方は、如何にも直日神の惟神であるなぁ。どっしりと構えて臆さぬ。良き眼、良き魂だ。今、この時に、必要な惟神なのだろうなぁ」  喜多野坊が直桜の頬に手を添えた。直桜の顔を覗き込む表情は、決してふざけてなどいない。真剣な眼が、直桜を貫くように見据えていた。 「喜多野坊さんが強くて優しい天狗だって、よくわかる。だから俺たちと人狼の里を助けてほしいんだ。その前に、円くんの種と人狼の話を、気吹戸主神と喜多野坊さんから聞きたいんだけど」  喜多野坊が楽しそうに、ニシシと笑った。 「なぁに、儂は昔から気吹戸主神の眷族に花笑を勧めてきただけじゃて。妖怪と仲良しな花笑となら互いに高め合える関係になれようぞ」 「昔から?」  疑問を纏った円の言葉に、喜多野坊が顔を寄せた。  突然に迫った顔に、円が恐縮して身を引いた。 「そうじゃ、調とは仲が良くてのぅ。安寧の地を探して、この下野《しもつけ》にも来ておったのよ。結局、相模……、武蔵だったか? に落ち着くまでは、長く留まっておったよ」  喜多野坊が気吹戸主神を振り返る。 「だから儂の方が花笑とは長い付き合いなんじゃて。気吹戸主神に花笑を紹介したのも儂じゃて」  口元を手で押さえて小馬鹿にしたように喜多野坊が笑う。気吹戸主神があからさまに顔を引き攣らせた。 「花笑宗主が毎年会いに行ってる栃木の親類って、もしかして喜多野坊さん?」  喜多野坊がムフフと笑いながら円の顔を撫でまわした。 「儂から聞いたとか、堅持に話しちゃいかんぞ。儂が怒られちゃうから。よくわからぬが花笑は草の仕事を始めてから、やけに秘密が好きになった。だから内緒じゃ」  笑顔の圧に押されて、円が何度も頷いていた。 「今回の栃木出張は堅持さんも御存じのはずですし、円くんが喜多野坊さんと接触するのは想定内でしょうから、ある程度のお話は問題ない気がしますよ」  円に絡む喜多野坊を苦笑いしながら眺めて、護が忠言する。 「ほうほう、そうか。なれば気吹戸主神が何を話しても問題ないじゃろうなぁ」  喜多野坊が気吹戸主神を振り返った。 「なんで花笑が種を封じたのか、とかぁ。人狼を置いて行ったのか、とかぁ。全部、気吹戸主神のせいだ、とかぁ。話しても叱られたりせぬなぁ」  爺さんが、すっとぼけた様子で大袈裟な言い回しをする。 「儂のせいではない! とは言わぬが。しかし、話すべきじゃろうな。それがきっと、智颯の力の解放にも繋がろう」  気吹戸主神の手が智颯の頬を撫でた。 「すまなんだなぁ、智颯。儂は智颯を失いとぅない一心で、智颯から力を奪った。危うく、仲間まで奪ってしまうところであったわ。神として情けない」  気吹戸主神の手を握って、智颯が首を振った。 「僕を想って、してくれたんだろ。神力を抑え込むのは、僕が望んだ。僕も、僕の力が怖かった。けどもう、逃げるのはやめたんだ。僕は円と、今より深い繋がりが欲しい」  気吹戸主神がじっと智颯を見詰める。 「そうか。なれば、話そう。力も、戻そう。智颯がそう決めたなら、どこまでも共に在ろうぞ」 「気吹戸とは死ぬまで一緒だ。これからもずっと、僕と円を見守ってくれる神様だ」    額を合わせて、智颯と気吹戸主神が微笑み合う。  全く性格の違う一人と一柱なのに、同じ顔をしているなと思った。

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