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第68話 鬼神の謝罪
「大変なご迷惑をおかけしました!」
訓練室に着くなり、護が清人を始めとした指導者の面々に深々と頭を下げた。
全員が呆気に取られて護の姿を眺めている。
「回復室の見立てでは身体に異常はなさそうだが。化野も智颯も、体調は問題ないか? 霊元に違和を感じないか?」
忍だけが、いつもの様子で淡々と質問を投げた。
「私は特に問題ありません。普段通りです」
おずおずと頭を上げて、護が気まずそうに返事する。
「僕は逆に調子がいいくらいです。昨日より体が軽いし、神力が使いやすい気がします」
智颯が自分の手を握ったり閉じたりしながら返事した。
その姿を眺めて、忍が少しだけ考えるような顔をした。
「そうか。体から神力や神を出して戻すと、かえって巡りが良くなるのかもしれんな」
「そんな、デトックスみたいに……」
開が苦笑いして突っ込んだ。
「まぁ、何事もなくて良かったよ。いや、何事かはあったけど、二人の体調が悪くなったりしなくて、良かったね」
開のフォローが、いつもよりぎこちない。
「神力の巡りが良くなるってんなら、直桜は普段からやって貰ったらいいんじゃねぇの? お前だったら問題ないだろ。症例数的に、もう一人ぐらい試してぇし」
「実験的なものなの?」
清人の提案に、思わず呆れ声で突っ込んでしまった。
とはいえ確かに、護には鬼神の本能に慣れてもらいたい。その為に回数を重ねるなら、相手は直桜しかいないわけだが。
「でも、どのタイミングで本能が出てしまうのかもわかりませんし、自分でどうにかできる訳でもないので、どうしたらいいのか」
戸惑う護を、清人と開が気の毒な目で見つめる。
「あれを意識してやっていたら、確かに色々と問題だろうな」
閉が、とても小さな声で呟いた。
その言葉に護が痛そうな顔をした。
「普段の化野くんを知っているだけに、不意にあんな風に迫られたら、きっと俺でも落ちる」
閉が漏らした言葉に直桜は耳を疑った。
心なしか閉の顔が照れて見える。
隣で閉の顔を見詰めていた開が、ゆっくり護に目を向けた。
「化野くんは鬼神の本能の訓練必須だね。瀬田君と二人でできないなら、俺が二人に付きっきりでコントロールできるまで指導してあげるけど、やる? 出来るようになるまで部屋から出さないけど、いい?」
開の笑顔が怖い。いつものような穏やかな顔ではなく、鬼気迫る笑顔だ。
笑っているのに十分すぎるほど怒りを感じる。
「直桜と二人で頑張ります。閉さんに被害は出しません」
護が早口で言い切った。
「直日神に助言をもらえるだろう。化野の鬼神の本能については直桜に一任するしかないな」
忍の言葉は直桜に向いているようで直日神に向けているのだろうと思った。
「それが一番無難だね。直日とも相談しながら、護と頑張ってみるよ」
直桜は護に目を向けた。
護が直桜に向かい何度も頷いた。
「俺にもあるのやろか。護さんみたいな鬼の本能」
後ろの方で皆のやり取りを聞いていた保輔が、ぽそりと呟いた。
「弥三郎の記憶の中には、ないのか?」
忍の問いかけに、保輔が首を捻った。
「きっとあるのやろけど、よぅけわからん。そもそも弥三郎の記憶も全部をちゃんと把握しとる訳やない。きっかけがあると浮かんでくるみたいな感じや」
伊吹弥三郎の記憶を引き継いでいる保輔は、直桜の眷族になり直日神の神力が流れ込んだのをきっかけに、その記憶が溶けこんだ。
今はまだ、まだらな記憶を繋ぎ合わせているような感覚なのだろう。
「詳しくは解りませんが、伊吹山の鬼も本能が目覚めても人を喰わないはずです。神力を頂いた鬼は人を喰わない。その代わりに、人肉や血以外の特異な何かを喰う場合が多いようですが」
「護が神の神力や神そのものを喰うみたいに?」
直桜の問いに護が頷いた。
「化野の鬼は太古の昔に産土神を食った鬼です。だから神殺しの鬼と呼ばれた。伊吹山の鬼は惟神と婚姻し、血筋に神力を宿した。そういった類の稀有な鬼の種族は、化野の鬼や伊吹山の鬼だけではないはずです」
護の説明を受けて、忍が腕を組んで考える顔をした。
「俺はあまり出会わなかったな。神力を得た鬼というのは、数が少ないのか?」
昔は山岳で修行に明け暮れていた役行者だ。鬼に出くわす事態も多かっただろう。
その忍でも知らないのだから、本当に希少なのだろうと思う。
「私も他に種族を知りませんが、数も少ないし潜んでいる場合が多いのではないでしょうか。化野の鬼が産土の鬼という呼称を隠したのは、狩られる懸念を考慮したとも聞いています」
神力を拝した鬼を崇めるか恐れるかは、時勢や土地柄にもよるのだろう。
平安の頃の人間なら、討伐に動きそうだ。
最強でありながら争いを好まない化野の鬼や伊吹山の鬼が素性を隠すのは当然に思えた。
神力を拝する鬼とは、力を持ちながらも穏やかな種族なのかもしれない。
「保輔も伊吹山の鬼である以上、備わっている鬼の本能が目覚める懸念はあるな。直日神に聞けるか?」
「あ、そっか。直日なら知ってるよね」
忍の言葉に、直桜はポンと手を打った。
直日神の惟神であった伊予は伊吹山の弥三郎に嫁いでいる。直日神が知らないはずがない。
「みんな、頑張っているかい? 昨日、色々大変だったみたいだけど、化野と峪口は大丈夫?」
訓練室の扉が開いて、優士が顔を見せた。
「その確認を、今、していたところだ。特に支障はないが。今日は子連れか?」
忍が下の方に視線を向ける。
優士に手を引かれた稜巳が忍を見上げていた。
「おー、稜巳。久しぶりだなぁ。掃除機、使えるようになったか?」
清人が屈んで稜巳の頭を撫でる。
稜巳が嬉しそうに頷いた。
「うん。紗月が教えてくれたから、一人でも使えるようになった」
「そっか。もう掃除機持って倒れんなよ」
撫でてくれる清人の手を取って、稜巳が頬擦りする。
とても懐いている感じだ。
清人と紗月は揃って優士の家に遊びに行っているようだから、稜巳と接する機会も多いのだろう。
「重田さんが稜巳を職場に連れてくるなんて、珍しいすね。どうしたんすか?」
「朝から稜巳が来たいって聞かなくて。どうしても会いたい人がいるんだって」
見上げた清人の顔付きが変わった。
優士が訓練室を見渡した。
「稜巳は誰に会いたかったんだっけ?」
手を引いて促され、稜巳が優士を見上げた。
その目が訓練場の中に向く。一同を眺めた稜巳の目が、保輔で止まった。
一直線に駆け出して、床に座り込んでいた保輔に抱き付いた。
「ずっと探してた、弥三郎。逃がしてくれて、ありがとう。助けられなくて、ごめん。伊吹山のおうち、なくなっちゃって、ごめん」
懸命に話す稜巳が抱き付いた保輔に顔を埋め込む。
小さな背中に、保輔がそっと手を添えた。
「稜巳、思い出したの?」
直桜は優士に問い掛けた。
「全部ではなさそうなんだけどね。年始くらいからずっと、弥三郎に会いたいって言い続けていたんだ。最近は13課に連れて行けって言い始めて。記憶が戻っているだけだと思っていたけど、保輔の気を感じている可能性が高いと思って、連れてきてみたんだよ」
「年始から……」
呟いて、護を見上げる。
「保輔君を眷族にして、弥三郎の記憶が保輔君の中に溶けたから、でしょうか」
直桜は保輔の表情が気になった。
見開いた目は一点を見詰めて、まるで自分の中の記憶を探っているようだ。
「……稜巳。角ある蛇の長の……、澱の娘の、稜巳、か」
呟いた保輔の声に、稜巳が返事をした。
「そう、稜巳。私を神許に送ったから、弥三郎は負けた。沢山、奪われた」
稜巳の背中に回した手に、保輔が力を籠めた。
「いいよ。稜巳が生きてたんなら、それでいい。澱との約束は、守れたさ」
保輔の関西訛りが抜けている。弥三郎の記憶が戻ると、保輔は話し方が変わる。
その姿は、保輔が弥三郎に呑まれているようで怖くなる。
保輔でない誰かになってしまいそうで、怖くなる。
同じ恐怖を智颯と円も感じているのだろう。硬い表情をして見えた。
「神許に届けてくれた饒速日命様が酷い目に遭ってる。私がまた弥三郎に、皆に会いたいって勝手に武御雷神様の元を離れたから。反魂香を使われたから。ごめんなさい」
稜巳が泣きながら保輔に縋った。
その言葉に、一同が息を飲んだ。
直桜は、忍と目を合わせた。
「その辺りの事情、詳しく話せるか? まだ、怖いか?」
稜巳が顔を上げて、首を振った。
「話す。ちゃんと話したい。弥三郎に聞いてほしい」
「わかった。稜巳が話したいなら、全部聞く」
稜巳の頬を撫でて、保輔の目が直桜に向いた。
「直桜さん、稜巳の封印、浄化したってや。今ならきっと、問題ない。あー、けど、封印が解けたら稜巳は元の姿に戻るけど、重田さんは、いい?」
直桜に向いていた保輔の目が、心配そうに優士に向く。
「本人が望んでいるんなら、解くのがいいよ。ある程度は覚悟して連れてきたから、大丈夫だよ」
保輔の言葉を聞いて、優士が笑みを向けた。
直桜は、稜巳に歩み寄った。
「ちょっと触るね」
稜巳が保輔に身を寄せて、頷く。
背中に触れて、封印を確認する。
(記憶と妖力の封じ。楓の封じの鎖とは、違う。覆って隠しているような、内側に何かがある)
稜巳にかけられた封印は綻んできている。
だから記憶の一部を思い出したのだろう。
以前に稜巳に会った時、ただ封印を浄化してはいけないと感じていた。
その答えが今、わかった。
「稜巳の中に、穢れた神力が仕込まれてる。封印が解ければ稜巳が穢れた神力に犯されて狂う仕掛けなんだと思う」
封印を掛けた相手は稜巳の封印が解けて真実が明るみに出る事態を恐れたのかもしれない。
たとえ自然に封印が解けても、精神が穢れた神力で犯されれば、正気を失う。狂って人でも襲えば、妖怪は13課の駆除対象になる。
「つまり、封印を掛けた者は天磐舟関係者、綾瀬の可能性もあるか。伊吹山討伐の一件が関わっていれば、当然か」
忍が独り言のように呟いた。
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