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第30話(最終回)
柿の木に下げたロープに輪っかを作る。
二度目の作業だった。
どうしたって自分が生きていて良い道理はない。
金井は今日退院した。これから検察や裁判所へ行って、なんらかの刑罰が下るのだろうが、どんな刑罰も自分には生ぬるいと思った。
椅子を持ってロープを見上げていると、不意に
「退院おめでとうございます。お祝いに寿司買ってきましたよ」
と、この状態を見ても何事もないように声をかけられた。
「篠田…」
時臣は自分が蹴破った竹のフェンスの合間を通って庭に入り、縁側に寿司桶を置くと金井から椅子を受け取ってそこに座った。
「勾留執行の停止は今日までなんでしょ。今夜から検察だってのにそんな隙をつくように…表の警官も立ってるだけでいいんすかねえ」
勾留執行停止相当の処分中の金井には、退院直後半日だけ自宅へ行く許可が下り、警官が逃走防止に家の表と裏に立っている。
立ったままじっと時臣を見つめる金井の目は空虚だ。
「どうせ影山は死ぬべきじゃなかったとか考えてんでしょ。自責の念に耐えきれないんでしょうけどね、これは違うよ金井さん」
ロープを指差して、空虚な目を見つめる。
「辛いだろうね、影山はそこまで悪いことしてなかったんだから」
金井の目が怒りに満ちた。
「お前に何が解るんだ!娘を勝手な言い分で手籠にされて、それを金で請け負ったんだぞ影山は…だから…悪いやつなんだよ…」
怒りはそこそこで、すぐに声は萎れてしまう。理屈はそうでも、優しく扱ってくれた影山に本当は恨みなどはないのだ。
「でも思うんすよ、死んじまったら金井さん逃げ得じゃないすかね」
両手の拳を握って立ちすくんでいた金井の顔が緩んで、時臣を見た。
「まだ金井さんの半分しか生きてない俺に言われるのもなんでしょうけど、あんたが抱えてる苦しみ。それを抱えて生きてくのが、あんたのやるべきことだと俺は思います」
ー偉そうに…ーそう呟いて、金井は拳を解き地面を見つめる。
「辛いでしょうね。でも、やんなきゃでしょ。どんだけの刑を喰らうかはわかりませんが、出所したら思うことやってください。酒井たちが寝食削って少しでも減刑できるよう頑張ったらしいですから、たいした年月かかりませんよきっと」
少しだけ先にいる金井に向かって、両膝に両肘をのせて屈む形で時臣は話している。
「それに俺、聞いたんですよね。定年間近で異動と言われた時、自分から少年課を選んだって。未来ある子供を救いたいって言ってたって」
金井の目から涙がポロポロと地面に落ち、崩れるように地面に膝をついた。
菜穂を埋めた地面に、菜穂はもういないがそこに涙が溢れた。60にしてポロポロ泣いた経験がもう一つ増えてしまった。
「やりたいことちゃんとあるじゃないですか。俺もいますし、酒井も、元の仲間もいるでしょ。協力します。子供の未来を守ること出所 きたらやりましょう」
椅子から立って、金井の肩を掴んでそっと立ち上がらせる。
膝を払ってやると、恥ずかしかったのか自分で払い始めた。
「それとね、これは信じるか信じないかは人による話なんですけどね」
時臣は金井を縁側へと誘導しながら言う。
「例の悠馬たちの心霊探検の時にね、どうやら心霊動画と言われる物が撮れていたらしくてね」
なんの話だ?と不思議そうな顔で金井は時臣を見た。
「そうですよね、信じられないと思うでしょうけど実際俺も見たんですよ。女の子が映ってたんです。髪が肩くらいで髪の先が、癖でくるんとしている女の子なんですけどね」
金井は庭に戻そうとしていた顔を、再び驚いたように時臣へ向ける。
「その子がね、事件が全て解明して金井さんが入院してる時に、動画の中で『ありがとう』って言ったんです。これは悠馬もその仲間も唯希も、そして俺も聞いてるので、嘘か本当かと言われたら本当なんですけど、信じられない事ではありますよね」
乾きかけていた金井の瞳が再び潤み出した。
「最初ね、俺らもなんで『ありがとう』なのか解らなかったんすよ。でも、金井さんが助かって、裁判の目処も立った頃に急にその子消えちゃいましてね…」
縁側に座った金井の目から涙が頬を伝う。
「菜穂…だったんだな…その幽霊は…」
「俺らはそう言う事だと思っています。俺たちの所にきたのは、多分…金井さん…あんたを助けてくれて『ありがとう』ってことなんじゃないすかね」
「菜穂…」
涙をこぼすだけではなく、60になって声を出して泣くという経験も加わった。
時臣はその肩に手をかけて
「だから、早まったことをしちゃダメなんですよ。娘さんは生きてほしいって言ってます」
片手で両目を覆う金井の指の合間からも涙が溢れ出ている。
ハンカチなどもたぬ時臣がどうしようかと身体をパタパタしてると、本人がズボンのポケットからハンカチを出して涙を拭った。
刑事の習い性でな、と涙声でそう言って無理に笑う。
時臣もさすがですね、と笑って
「寿司、悪くなっちゃうんで食いましょ。まず腹一杯にして、気力だしてください」
そう言って、
「醤油取らせてもらいますよ」
と家に入り、醤油差しを持ってきて寿司桶の中の寿司にちょろちょろとかけ始めた。
「おい!」
流石に金井も声を出しその手を止めた。
「なんて雑なやつなんだ」
桶の半分ほどにかかった醤油は一部の寿司のシャリまで黒く染めている。
「お前そっち側食えよ。俺は無事な方を食うから!まったく、血圧が高いんだよ俺は」
そう言いながら寿司桶を持って家に上がり、小皿を二つ持ってちゃぶ台へついた。
「こっちで食うぞ、行儀悪いからな」
さっきまでロープに首突っ込もうとしてた人が、健康考えてるよ、とおかしくなった。
もう大丈夫かな。
「へいへい」
と上がりこみ、付属の割り箸で醤油に浸った一部の寿司を頬張る。
「篠田…ありがとうな…」
言いながら照れたのか、金井は目を逸らし庭をみた。
入院中にすっかり熟した柿がたわわだ。
さっきまでそれすら目に入ってなかったなと思い、目を戻して無事な寿司に醤油をちょんとつけて口に入れた。
「旨い」
「でしょ?これはね…」
金井が柿の木に下がっているのを1番最初に見つけてしまった隣の主婦に、お見舞いと称して菓子折りを持って行った時に美味い寿司屋を聞いておいたと言って、時臣はもう一つ、醤油まみれの寿司を口に入れる。
「うん、この寿司屋は旨いんだよ。しかしお前、醤油まみれ 旨さはわからんだろう」
金井が苦い顔でそう言った。
10月に入ったのに今年はまだ暑い。
柿の木も、そよふく風に葉を揺らしカサカサと葉ずれの音を立てていた。
「寿司食い終わったら、柿食いましょうよ。旨そうだ」
オレンジ色の実が、葉と一緒に緩く揺れるのを時臣も見ている。
「そうだな」
と金井が笑って、ーお前、背高いんだから取ってこいなーと言った瞬間に、柿が一つ、一時 なり菜穂が眠っていた地面に落ちる。
2人はそれを一緒に確認して、同じ事を考えて笑い合った。
※勾留執行停止中に家に戻れるかは微妙です。戻れたとしてももっと監視が厳しいと思われます。
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