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5)空白地帯 〈3〉

◇ ◇ 「小坂、昨日はありがとうね」  翌朝、和都はホームルーム後の休み時間のうちに小坂の席へ行き、昨日のお礼を改めて伝えた。 「どーいたしまして。おら、約束のものを出しやがれ」 「はいはい」  和都が呆れながら現国の宿題として出ていたプリントを手渡すと、小坂は嬉々として解答を写し始める。 「そういや、なんで神社なんか探してんの?」  小坂の前の席に座っている菅原が、こちらのやりとりに気付いて身体を向けた。 「あー、ちょっと気になって。なんていうか『暇つぶし』みたいな?」 「暇つぶしにしちゃ本格的だったじゃん」 「いやほら、塾とか部活とかできないからさ。たまに気になったことがっつり調べて遊んでんの。だから本当、ただの退屈しのぎだよ」 「ふーん」  この説明に嘘はない。中学の頃から春日を巻き込んでやっていた『暇つぶし』でも似たようなことはやっていたので、ある意味間違いではないのだ。  ちょうどそこに春日もやってきて、 「小坂のばーちゃんから、話聞けたの?」 「あ、うん!」 「聞けよ春日。相模の奴、でっけー地図とかしっかり用意しててさぁ」  菅原が昨日の出来事を大仰に話し始めたが、思った通り春日はさして驚かない。 「コイツの『暇つぶし』は、前からそんなもんだぞ」 「うわー、頭のいい奴らの遊び、意味わかんねぇ」  ただただ引いている菅原をよそに、春日は神社探しの結果のほうが気になっているようだった。中学の頃からこういった捜索系の『暇つぶし』は春日の方が張り切ることが多い。 「結局、探してた神社は見つかったのか?」 「見つかったってわけじゃないけど、それっぽいとこを絞り込めた感じかなぁ」 「何箇所?」 「三つ!」  和都は嬉々として指を三本立てて、春日に見せる。 「だいぶ絞り込んだな」 「実際に行ってみたりとかすんの?」  その様子を見ていた菅原が、楽しげに聞いてきた。  思っていた通りの流れになって、和都は少しだけ申し訳ない気持ちになってしまう。 「……まぁ、行けたら行ってみたいなぁとは、思ってるんだけど」 「三箇所とも山の方だったもんなぁ」 「結構遠いのか?」 「距離もあるけど、結構広いんだよね、あの山」 「一緒に行く?」  三人はごく当たり前のようにそう言ってくれた。  けれど、ここで線を引かなければ。 「……あぁ、大丈夫。みんな部活とか塾とか、忙しいでしょ?」  視えない世界の面倒事に、彼らを巻き込みたくはない。  ──それに、仁科先生と行くことになってるから、なんて言えないし。  そんな話をしていたら、日直担当だったクラスメイトが黒板に大きく『一限 自習』と書き始めた。それをみて教室のあちこちから歓声が上がる。一限目は確か数学だったはずだ。 「お、ラッキー」 「先生どうしたんだろ」  話題が上手いことそちらへ逸れたので、内心ホッとしていると、何やら考え込んでいた春日が口を開く。 「和都、今日も委員の仕事はあるのか?」 「へ? あー、うん。こないだのアンケートの、集計作業が……」  春日にそう答えながら、黒板の上にある時計を見ると、ホームルーム後の休み時間が残り僅かだった。 「あっやば、観察簿持ってかなきゃ」  和都は慌てて自分の机に置いてあった観察簿を取り、教室を出ていこうとしたのだが、なぜかそれを後ろからついて来ていた春日に取り上げられる。 「え、なに?」  ついて来ていたのにも驚いたが、観察簿を取られたことにも吃驚した。 「俺が持ってく」 「なんで?」 「仁科先生に話がある」 「あ、そう……。じゃあ、お願いします」  どうにも、不機嫌そうな雰囲気をまとった春日が、観察簿を持って教室を出ていく。教室の入り口でそれを見送って、和都は小坂と菅原のいる席まで戻った。 「……なんか、ユースケ怒ってなかった?」 「そうか?」 「アイツ、わりといっつも同じ顔してね?」  そう言いながら、宿題を写し終えたらしい小坂がプリントを渡してくる。  ──……先生に話って、なんだろう?  あまり表情が大きく変わらない友人ではあるが、もちろん喜怒哀楽がないわけではない。付き合いが長いので、小さな変化でも分かるほうだけれど、先ほどは多分誰がみても『怒』の顔だった。  何に怒っていたのか、見当もつかない。  自席に戻って宿題のプリントを仕舞いながら、あ、と毎朝の日課のことを思い出した。  ──でもまぁどうせ、放課後に会うしなぁ。  今日の集計はきちんと人数を確保した上で作業することになっているが、保健委員で一番暇な自分はきっと最後まで残ることになるだろう。急ぐようなものではないし、その時でも問題はない。  とりあえず、アンケートの提出状況を確認しておくか、と黒板の近くに設置しておいた回収箱を見ようと和都は席を立った。 ◇ 「二年三組です。観察簿持ってきました」  一限目がもうすぐ始まろうという、ギリギリの時間。そう言って保健室のドアを開けて入って来たのが、なんだか久しぶりに聞く声で、仁科は小さく驚いた。 「あれ、春日クンじゃん。なんだ、相模は休み?」  保健委員が休みの場合、観察簿は各クラスの日直が持ってくることになっている。当然の流れとして、仁科はシンプルにそう考えて聞いたのだが、返って来た答えは予想とは違っていた。 「いえ。先生に話があるんで、俺が持ってきました」 「話? ……なぁに、怖い顔して」  観察簿を受け取りながら、仁科はじっと春日の顔を観察する。  去年一年間、保健委員として春日と接していたのもあって、彼の分かりにくい表情変化はそれなりに分かるほうだ。  それにしても今日は随分と分かりやすく、怒っている。 「……和都に、委員の仕事を振りすぎなんじゃないですか?」 「えー、そう?」 「去年、俺も保健委員でしたが、委員の仕事でそんなに居残りしませんでしたよ」  なんとなく予想はついていたが、分かりにくいが分かりやすいな、と仁科は内心苦笑した。 「だってお前、一年の時から三駅隣のあの有名塾行ってたじゃん。週三だっけ?」 「週四です。土曜もあるんで」 「あら忙しい奴ね。相模は帰宅部な上に塾も行ってないっていうから、頼んでんだよ。今年の保健委員、暇な奴いなくて捕まらなくってさ」 「それにしたって多すぎます」 「……塾行って頑張ってるヤツに仕事をたくさん振れない分、相模に頑張って貰ってるだけよ」  こちらの事情もあるとはいえ、保健委員の現状について大きな嘘はない。  ──春日クンは、やっぱり知らないのか。  わざわざ居残りの多さを注意しに来た、ということは、春日は和都が抱えている事情について、何も聞かされていないようだ。 「本当にそれだけですか?」 「それ以外に何があんのよ。……ちょっと警戒しすぎなんじゃない、お前」 「先生が知らないだけで、こっちは色々あるんですよ」  春日がイラついたような顔で、大袈裟に息をついて見せた。  確かに、先日の川野の件といい、一年生の頃から頻繁にある呼び出しや、本人が持ってしまった『惹き寄せる』チカラのことを考えれば、和都を原因としたトラブルは高校入学以前から起きているのだろうと容易に想像がつく。  もし春日がそれらに対してずっと注意を向けており、和都が倒れる度にここへ運び込んでいたように、(あら)ゆることへ対応を続けていたのであれば、狛杜高校始まって以来の天才が、有名な名門校などではないこの学校へ来た理由にたどり着く。 「お前、さては相模のために、わざとこの学校来たな?」 「……第一志望に落ちただけですけど」  やや間はあったが、瞬きを一度しただけで、表情を変えずに返して来た。 「俺がお前の成績知らないと思うなよ、学年首位め」 「塾のおかげです」 「一年の時に保健委員やってたのも、相模のためだろ」 「委員決めで残ってたのが保健委員だっただけです」  まるで聞かれる内容を予め想定していたかのように、考えることもなく淡々と春日が答えるので、仁科もこれには参ってしまう。 「心配しなくても、お前が思ってるようなやましい理由じゃないから安心なさい」  やれやれ、と頭を掻いたところで、ちょうど一限目の開始を知らせるチャイムが鳴った。 「あーほれ、一限始まったぞ。教室に戻りなさい」 「一限、自習なんで」 「納得するまで戻らないって顔だねぇ」  時間を理由に逃げられないよう、だからこそ、このタイミングで来たのだろうか。  仁科は呆れながらため息をつき、和都が春日に知らせていない事情を明かさない程度で、それらしい理由を考える。  物事を隠す時に、嘘をついてはいけない。『嘘』に近い、それらしい『本当』のことで逸らして、隠してしまうのが一番だ。 「まぁ、相模が気になる理由としてはさ。……俺、弟が二人いるんだけど」 「はぁ」  急に関係のない話を始めたせいか、春日があからさまに訝しんだ顔をしたが、仁科は構わず続ける。 「俺が大学ん時に、一番下が事故で亡くなってな。まだ中学生だったんだけど。……ちょっと、ソイツに似てるもんだからさ。正直な話、それで他の生徒より相模を気に掛けちゃってる、てのはあるよ?」 「……それだけですか?」  だからなんだ、と言わんばかりに表情を変えず返されて、仁科も流石に動揺した。  どうやら情に訴える、というものは効かないらしい。 「えぇー? あとはそうねぇ。あー……お前は知ってるんだろうけど、アイツの家庭環境も心配なのよ。アイツの親、ほとんど家にいる感じしないじゃん?」  一応教師の端くれなので、生徒達を委員活動などで居残りさせる時は、帰宅時間を必ず気にするようにしている。だいたいの生徒が門限なり、通学時間なりの都合があるのに対し、和都だけが必ず問題ないというのだ。いくら自宅が徒歩圏内とはいえ、流石に異常なことだ。  これはこれで、もう一つの『本当』の心配事である。 「……忙しい人たちなので」  和都の両親については、さすがの春日も手に負えないものらしく、ようやく視線が逸れた。こちらがネックならば、こっちを理由にしてしまったほうがよさそうだ。 「そうは言っても、限度はあるでしょ。なるべくバスケ部の連中と帰れるよう、遅くなりすぎないように気を付けてはいるけどね。まぁ、一人にしとく時間減らしてやろうかな、くらいの気持ちだよ」  そこまで言ってようやく、春日が諦めたように息をついた。 「ひとまずは、そういうことにしておきます」 「信用ないなぁ」 「もし、先生に何かされたって聞いたら、殴りにくるんで」 「まぁこわい。……心得ておくよ」  その返答を聞いて、ようやく春日が保健室を出て行った。  仁科は大きく息を吐き、デスク用の椅子に深く座って受け取った二年三組の観察簿を開く。念のため『相模』の欄を見たが、空欄。これはきちんと出席しており、健康状態にも問題はないということだ。  つまり彼は、自分と話をするためだけに、本当に代わりに持って来たらしい。  なんとも厄介な『番犬』だ。 「……うーん。バレたらおっかねーなぁ」  頭を掻きながら、仁科は小さく呟いた。

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