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5)空白地帯 〈4〉*

◇ 「今年のアンケートって、なんでこんな設問多いんですか?」  放課後、先日配布した健康に関する意識調査のアンケート集計をしながら、和都が疲れた声でぼやく。  集計を始めてすぐの段階では保健委員が数名はいたのだが、門限などの理由で少しずつ減っていき、空がオレンジに染まる頃には、和都と仁科の二人だけが予想通り残っていた。 「毎年夏に、近隣の県の養護教諭が集まって研究発表とかやっててな。今年はうちの市内の高校で、合同研究発表するのよ。それで必要なデータ集計も兼ねてんの」  こういった研究発表会は、地域ごとに年に一度は開催されており、小中高を問わず、集まった養護教諭たちの交流と、意見交換の場にもなっている。 「へー、そんなのやってるんだ」 「まぁね。保健室の先生は、そういう研究発表とかもやるんだよ」 「ふーん、先生っぽい」 「いや、先生だってば」  他の保健委員がいる段階で、ほとんどのクラス分が終わっており、あと一クラス分が残っていた。最後のクラスが終わったら、全体集計をして完了である。 「そういや、神社探しの聞き込み、どうだった?」  終わりが見えてきて余裕ができたからか、仁科のほうから聞いて来た。 「あ。小坂のおばあちゃんに教えてもらった話から、候補の三箇所まで絞り込みました」  和都は得意げに、指を三本立てて見せる。 「へぇ、やるじゃん。ちょっとは進んだねぇ」 「古い神社の話とかは、やっぱ地元の人に聞くのが早いですね」 「宮司の常駐してない神社は、地域の人がお世話してることが多いしね」  神社は各地域に大小たくさん存在するが、宮司のいない神社も多くあるものらしい。そのため、神社の管理自体はその土地に住む人たちが担い、必要な祭事を執り行う際は、管轄としている近隣の神社から宮司が赴くのだそうだ。 「そうみたいですね。知りませんでした」 「とりあえず、そこまでアタリをつけたんなら、次は行ってみないとだね」 「うんっ」  なんだか妙に明るく返事をされたので、仁科は和都のほうに視線を向ける。 「……なんか、楽しそうね?」 「そういう遠くに出掛けたりするの、あんまりないから、ちょっと楽しい」  和都が珍しく素直に笑っているので、仁科もつい顔が綻んでしまった。 「ふーん。じゃあ、中間テスト終わったら行ってみるか」 「はーい」  雑談のような休憩を挟んだ後は、それぞれで計算した分を合算する。  それから各学年毎の項目別の合計を出し、さらに全体分を集計。これでようやく、おしまいだ。 「さ、集計はひとまずこんなもんかね」  学年別にプリントをまとめて積み上げながら仁科が言う。 「おわったー」 「あとは結果のグラフ作ったりしなきゃだけど。こりゃ明日だねぇ」 「そうだったぁー」  仁科の言葉に、広くなった談話テーブルの上に和都は突っ伏した。  アンケートは集計結果を表やグラフにして配ったり、掲示板に張り出したりする作業もあるのだが、一日ではさすがに無理がある。外はすっかり夕焼けのオレンジが身を潜め始めており、夜がやってきそうな色合いだ。  仁科はいつの間にかコーヒーを入れて飲みつつ、座っている和都の近くまでやってくると、事前に用意していたのか、紙パックの牛乳を差し出した。 「はい、お疲れさん」 「あ、ありがとうございます」  和都はそう言って受け取ると、遠慮なくストローを差して飲み始める。その様子を見ていた仁科が、ふと何か思い出した顔をした。 「あれ? そういや、今日の分てしてない?」 「……あ、今朝はユースケが観察簿持って行ったんだった」  ホームルーム後の休み時間ギリギリに行こうとしたのを、春日が代わりに持って行ったのを思い出す。 「あれ、何の話だったんですか?」 「大したことじゃないよ。『番犬』さんからご忠告いただいただけ」 「『番犬』て。……あー、そういう話かぁ」  仁科の困ったような、苦笑するような表情を見て、話の内容になんとなく予想がついてしまった。  中学生の頃から、春日祐介は自分に近づいてくる『危ないもの』を色々な手段で遠ざけ、排除し、ただずっと側にいてくれる。 「アイツ、お前に近寄ってくるヤツ全員にあんな感じなの?」 「あはは……。昔、色々あったもんで」 「ふーん?」  色々なことがありすぎて、笑って誤魔化すことしかできない。そのくらい、中学時代は酷かった。  あまり聞かれて気持ちのいいものでもないので、和都は保健室から戻って来た春日に言われたことを思い出す。 「……そういや、おれが先生の、亡くなった弟さんに似てる、って言われたんですけど」 「ああうん、言った」  そう答えながら、仁科は今朝の春日とのやりとりを振り返って、困った顔をする。 「いい感じに同情引けるかなぁ、と思ったんだけどね。全く動じやしねぇの。マジでアイツなんなの? ビビるわ」  ほとほと呆れたと言わんばかりの顔をしながら、仁科はコーヒーをすすった。 「そりゃあ、おれと先生そんな似てないし、無理あるからでしょ」  所謂、顔の系統はわりと近いと思うが、基本的な各パーツの部分でだいぶ違う。それを思えば、仁科が苦しい言い訳をした、と捉えられていても仕方がない。 「弟は母親似だったからね。……結構似てるのは、本当の話」 「それは喜んでいいのか、困るんですが」 「まぁ一応、納得はしてもらったつもりだけどね」 「どうかな──」  すぐ近くに立つ仁科を見上げると、ふっと影が降ってきて、自分の唇に柔らかい物が当たった感覚。  ほんのり伝わるコーヒーの香りと苦味に、唇が触れたのだと分かった。 「……悪い、間違えた」 「な、にしてんですかっ」  悪戯っぽく笑う仁科に、明らかにわざとだと悟って、和都は思わずすぐ脇に立っていた彼の鳩尾に向かって拳を突き出す。が、それはあっさり躱され、手の届かない距離を取られてしまった。 「おっと。普通のチューくらいで恥ずかしがるなよ。ベロチューした仲でしょ」 「あれは先生が勝手にやったんじゃん!」  なんとなくコーヒーの味を感じてしまって、仁科を睨みつけながら、和都は唇を手の甲で拭う。 「えー? 人工呼吸と似たようなもんじゃない」 「他にもやりかたあるし」  上手く水を飲み込めない相手に対し、口内に舌を入れて水を飲ませる行為は、やりかたとして間違ってはいない。だが、他に方法がないわけでもないので、和都は未だにあの時のことについては甚だ疑問がある。  言われたほうの仁科は、うーん、と考える顔をしていた。 「……まぁ、理由はなくはないけど」 「なに?」  眉を八の字に下げ、困ったように聞き返す和都に、何やら意味ありげに楽しそうな顔を向けて言う。 「んー、……言わない♡」 「……えぇ」  相変わらず考えが読めないこの教師に、果たしてこのまま協力してもらっていいのだろうか、と和都は少し考えてしまった。

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