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10)落花を撫でる〈3〉

◇  和都は身体を暖めてやると落ち着いてきたので、少し眠りなさいと昼休みの間は休ませることにした。  その後は、きっちりと閉めたベッドカーテンを見つめながら、仁科は談話テーブルの椅子に座って深く息をつくばかりだ。  昼食を購入して戻る途中、印刷室の辺りで事務員の野中さんがぶちまけたプリントを拾う手伝いをしていたら、半透明のハクが大慌てで呼びに来てくれたので、今回はすぐに駆けつけられた。  問い詰めた時に堂島が「もう来たの?」と残念そうに言ったところを見るに、どうやったのかは分からないが、あれは保健室を離れた仁科を少しでも足留めするために起こしたトラブルだろう。  しかしもっと厄介なのは、保健室を出る時に確実に掛けた鍵を突破されたということだ。これは彼らに物理的な鍵は全く意味がない、ということの証明である。  そんな人智を超えたチカラを使い、生徒に襲い掛かろうとする旧友の姿は、鬼に憑かれているとはいえ見たくない光景だった。  それにしても、と仁科は眉を(ひそ)める。 「……似てるなぁ」  亡くなった末の弟も、あんな風に気の触れた人間たちを惹き寄せ、囲まれていた。いくらなんでも同じ状況すぎないだろうか。まるであの頃を再体験しているようで、正直、気持ちが悪い。  特に女性からの執着は異常で、対応するのに苦労した記憶がある。和都が女性を避けて男子校へ来たのも、同じような理由からであれば納得してしまいそうだ。  見た目だけでなく、その抱えている境遇があまりに似ていて、生まれ変わりなのではないか、と錯覚すらしてしまう。  ──それはない、けどな。  末弟が亡くなったのは、十一年前だ。年齢を考えるとそれはありえない。  この世には、自分に似た人間が三人はいるというが、それは果たして顔だけなのか、それとも生まれ持った性質や環境も含めてだったか。  考え込んでいると、コンコン、とドアをノックする音で現実に引き戻された。 「仁科先生、春日です」  ドアの向こうから聞こえたよく知る声に、ああ、そうだった、と立ち上がり、仁科はドアの鍵を解除する。 「悪い、開けるの忘れてたわ」  仁科がそう言いいながら引き戸を開けると、制服に着替えた春日が不思議そうな顔で立っていた。 「何かあったんですか?」 「いや、たいしたことじゃないよ」  そう答えると、春日が少しだけ眉を(ひそ)める。相変わらず勘がいい。  だがすぐ、ベッドカーテンが閉じられているのに気付いて、そちらに気を取られたようだった。 「和都、どうかしたんですか?」 「……ちょっと、気持ち悪くなっちゃったらしくて。横になってるから、そっとしといてあげてくれる?」  それらしい嘘だが、遠くはない。原因は別ではあるが。 「大丈夫なんですか?」 「まぁ、顔とか頭打った後って時間差できたりするからねぇ。ダメそうなら早退させるけど。多分、大丈夫。昼休み終わったら教室に帰すよ」 「そう、ですか……」  珍しく心配そうな顔をした春日から、和都の着替えを受け取る。 「じゃあ、失礼します」 「あぁ、ちょい待ち」  保健室を出ていこうとする春日を、仁科は少し思いついて呼び止めた。 「春日クンて、相模と一緒に帰るよね?」 「まぁ、委員の活動がなければ、はい」 「さすがに今日はないよ」  嫌味のような春日の返答に、仁科は眉を下げる。やはりそこは気にしているらしい。 「で、どこまで? 途中の道で別れたりとかしちゃう感じ?」 「そうですね。駅に向かう途中の道で別れますけど」 「うーん。できれば、家に入るとこまで見送ってあげて欲しいんだけど、可能かなぁ?」 「大丈夫、ですけど……」  ただでさえ心配そうな顔を、ますます深刻にさせてしまった。だが、打てる手は一応打っておかないと、学校の外は守備範囲外だ。自分だけでは手に余る。 「んじゃお願いできる? いやほら、道の途中で具合悪いのぶり返して、また倒れちゃったりしたら、嫌でしょ?」 「……わかりました」  まだ少し、何か言いたげなまま春日が去っていった。  和都が伝えてこない事情を、仁科に聞くことはできないということが、春日はちゃんと分かっているらしい。それ以上踏み込まないよう、気を付けているのが見てとれた。  ──もうちょい、甘えてもいいのにねぇ。  閉じられたクリーム色のベッドカーテンに視線を向けて、仁科は心の中で呟く。  春日の執着もなかなかなものだが、そんな彼に和都が妙な遠慮をしているのは、やはり気になる。自分を過剰に卑下する性格のせいなのか、春日を視えない世界の面倒事に巻き込みたくないだけか。  ──もしくは『これ以上はダメ』って線を引いてる、のかもな。  婚約者のことを知った時、和都は異常なまでに怯えていた。自分のせいで何かが変わってしまうことを、酷く恐れているようだった。  去年までの彼らの苦労は知らないが、大変さを測れないわけではない。  似たようなことを経験したから。  だからこそ、もっとちゃんと助けや協力を求めて欲しいと願ってしまう。  手遅れになる前に。  仁科は深く息をついて、保健室のドアを閉めた。 ◇  放課後の帰り道。  菅原と小坂は部活動でいないため、春日と和都の二人きりで帰るのは久々だった。 「……本当に大丈夫なのか?」 「大丈夫だって」  二人並んで歩きながら、心配そうに尋ねる春日に、和都はいつも通りに答える。  和都は昼休みが終わる頃に教室へ戻ってきたが、その顔色はまだイマイチに思えた。  五限と六限が終わる頃には、比較的普通の顔色に戻っていたが、春日にはどうしてもカラ元気に見えて仕方がない。 「本当に?」 「……もー、しつこい。本当にちょっと気持ち悪くなっただけ。すぐよくなったから大丈夫だって」  和都がすぐ隣を歩く春日を、面倒臭そうに睨み上げた。  振る舞いは普段通りに見える。ただ、どうしても気になるのには理由があった。 「仁科先生に言われたから」 「先生が心配しすぎなんだよ」 「……だからだろうが」  のらりくらりとこちらの追求を避け続けていた仁科が、自分に和都を家まで送れと言ったのである。よほど状態が良くないか、心配する別の理由があるに違いない、というのが春日の考えだ。 「なにさ」 「別に」  不毛な言い合いを続けていただけで、いつもの別れ道となる十字路についてしまった。  すると、ピタリと立ち止まった和都がこちらを向く。 「ほら、塾遅れるよ。すぐそこだし大丈夫だって」 「頼まれてるから」  春日が食い下がると、観念したように和都はため息をついた。 「……わかったよ」  そう言うとくるりとこちらに背を向けて、自宅があるほうの道へ真っ直ぐ、普段よりも大股で歩き始める。  春日はその後を追いかけるようについていった。  まだ日が傾き始めて、青い空が少し白みを帯び始めた、夕方にはまだ早い時間。 「……困ってることは、全部言えって言ったろ」 「言ってる」 「何、隠してんの」 「……べつにない」 「嘘つけ」 「言えることは言ってる」 「どうかな」 「おれにもお前に言えないことくらいあるよ。お前だってあんだろ」 「それは、あるけど」  少し、間を置いて。 「……去年のみたいな、サイアクなことは起きてないから、大丈夫」  こちらに背を向けたまま言うので、和都がどんな表情をしていたのか、春日には分からなかった。 「それなら、いいけど」  あっという間に和都の家に着いてしまう。  委員活動も掃除当番もなく真っ直ぐ帰ってきたので、黒い屋根に白い壁の一軒家は、当たり前のように人の気配がない。 「さ、無事に着いたよ。これで満足?」  和都が不機嫌な顔のまま、玄関の前で腕を組んでみせた。 「ああ」 「じゃーまた明日。塾、遅れるなよ」  困ったように笑った和都が、鍵を開けて玄関の中に消える。  きっちり玄関の戸が閉まったのを見届けてから、春日は来た道を戻っていった。

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