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10)落花を撫でる〈4〉

◇  デスクに置いていたスマホが振動したので確認すると、チャットアプリにメッセージが届いたという通知だった。  送信者は、相模和都。 《ちゃんと無事に家に着いたよ》 《先生、ユースケに何言ったの?》  頬を膨らませながら文字を打ち込んでいるであろう姿が目に浮かんだ。普段通りの文面に、仁科は少しだけホッとする。  堂島の追撃があったらと思い、護衛のつもりで春日に送るよう頼んだのだが、和都にはその真意まで分かってもらえなかったらしい。 《時間差で具合悪くなる時あるからって言っただけ》 《無理しないで、今日は早く寝なさい》  和都にそう返信すると、今度は別の人間からのメッセージ通知が届いた。  内容は、古い小さなお(やしろ)の写真が一枚のみ。  どこか見覚えのある様子に、見入っていると、今度は着信が入る。画面には『安曇家』と出ていて、仁科は一呼吸だけ置くと『応答』を押した。 「……もしもし。どうも、ご無沙汰しています」 〈もしもし。久しぶりだね、弘孝くん。凛子(りんこ)から話は聞いているよ〉  電話の主は、安曇家の現当主、安曇(あずみ)竣介(しゅんすけ)その人であった。記憶の中にあるものより、声が少ししゃがれていて、それなりの年月が経ったのを感じる。 〈送ったのが今うちで祀ってる状態の白狛神社だ。その調べてるって言う生徒さんに見せてやるといい〉 「助かります。あの、白狛神社がそっちに移動された経緯とかってご存知ですか?」  和都と図書館で調べても分からなかった、一番の理由を確認してみるが、電話の向こうの声はうーん、と困ったように唸っていた。 〈それが我々にもきちんと伝えられていなくてね。摂社や末社は普通、そういう記録がきちんと残っているはずだから、言われてこちらでも保管してる資料を改めて確認したんだが、それだけは何故かないんだ〉 「白狛神社だけ?」 〈ああ。もともと神社があったっていう、教えてもらった住所の場所も、一応うちの土地のままではあるんだけど〉 「そうなんですね」 〈まぁしかし、経緯不明とはいえ、お祀りしてる以上は粗末にはできないからね。清掃や参拝は欠かしていないよ。もしかしたら、資料は蔵の方に保管しているのかもしれない。探せば見つかりそうだが、こちらもあまり時間がなくてね〉 「そう、ですか……」  不自然なまでに情報がない。過去の戦争や災害で消失した可能性も考えていたが、そうではなく、何者かによって意図的に隠されているような気がする。  やはり安曇家の蔵を探さなければいけないようだ。 〈探したいなら、昔泊まってた時のように来てもらって構わないよ。離れは使えるようにしておくから〉 「ありがとうございます。では、夏休みに伺います」  そう言って仁科は「それでは」と電話を終えようとした、のだが。 〈こっちに来るのは何年ぶりだい?〉 「……雅孝の五年祭で帰って以来、ですかね」 〈凛子もちょうど手伝いに来る頃だし。そろそろ二人で話をまとめてもらえると、助かるんだが〉  思った通りに厄介な話が始まってしまった。 「またその話ですか。アイツまだ大学生ですよ。それに俺みたいなおっさんとじゃ凛子が可哀想でしょ」  なるべく安曇家に連絡しないようにしていたのは、この話から逃げるためでもある。 〈今いる適齢の中じゃ君が一番チカラが強いんだ。年齢差は多少あるが、大した問題じゃない〉 「そうは言いますけど。きっと大学でいい人見つけてきますって。孝文が結婚したんで仁科の家督はそっちに譲りましたし、俺は今の仕事、続けたいんで」 〈別に今の仕事を辞めろとは言わんよ。なぁに、チカラの強い後継ぎさえ生まれればいいんだから〉 「……俺じゃなくても、可能性はいくらでもあるでしょう。うちの両親なんて、二人とも視えてすらいないんですし」 〈しかしなぁ。お前の叔父のところは、女の子ばかりだったし。羽柴さんとこもそうだったな。あとは神谷さんのところだが……〉  この話になると、どうしたってこの世代は会話が切れない。  親類の話になったところで、仁科はふと思い立って。 「ああ、そうだ。仁科の家系図って最新のそっちにあります?」 〈うん。孝文くんとこの二番目が生まれたときに作ったのが残ってるはずだよ〉 「それって傍系も書いてます? 直系だけ?」 〈仁科の傍系は数が少ないから入れてたと思うが。……お前、今度は何を調べてるんだ?〉 「ちょっと、気になることがありまして」  電話の向こうの声が、少しだけ低くなる。 〈まだ、マサくんのこと納得してないのかい?〉  言われて、少しだけ何も言えず。が、すぐに目を伏せて答えた。 「……それとはあまり関係ないんで、気にしないでください」 〈そうか、ならいいが。見つけたら送っておく。写真でいいかい?〉 「はい、助かります。それじゃ」  長い電話がようやく終わる。  やはり、頻繁に話をしたいと思えない相手だ。 「……納得なんて一ミリもしてねーよ、バーカ」  真っ暗になったスマホの画面を睨みつけながら、仁科はそう吐き捨てた。 ◇ ◇ 「二年三組でーす。観察簿持ってきましたー」  次の日、保健室のドアを開けて入ってきたのは、和都だった。  昨日のこともあり、てっきり休むものだと思っていたので、仁科は座っていたデスク用の椅子から慌てて立ち上がる。 「相模。……具合は?」 「へーき。休んじゃおっかなーて思ったけど、ユースケがうるさそうだから」  そう言う和都の顔は、やはりどこかいつもの明るさが足りない気がする。  仁科は近づいて和都の頭を撫でると、そのまま唇で額に触れた。 「そっか。頑張ったな」 「もっと褒めていいですよ」 「……そうだね」  まだ少し元気のない顔で、和都が笑ってみせるので、仁科は両手で頭をわしゃわしゃと、まるで大きな犬にするみたいに撫でてやる。 「ちょっともー、やりすぎ」  すっかりボサボサになった髪を、和都は困った顔で笑いながら手ぐしで直した。 「じゃあ、頑張って学校にきた子に、いいもの見せてやる」  仁科は受け取った観察簿をデスクに置き、代わりに自分のスマホを持ってくると、なにやら画像を表示させ、その画面を和都に見せる。 「……あっ!」  そこに映っていたのは、安曇家から送られてきた、末社として安曇神社内に現存する、白狛神社の写真だった。  朱色の剥げた小さな鳥居と、その向こうにこぢんまりとした石造りのお社。少しうす暗い場所にあるのか、御神体は影になっていて見えない。 「昨日、安曇家から届いた。今の白狛神社はそんな感じだってさ」 「……よかった」  仁科からスマホを受け取り、じっと画面を見つめる和都の目が、一瞬だけ金色に光ったような気がした。 「ありがとう、先生」 「……後で送ってやるよ」 「うん!」  スマホをこちらに渡しながら、元気に答える和都の顔色は、先ほどより心なしか良くなったように見える。 「神社が移動した理由とかは、聞けたんですか?」 「いんや。現当主もご存知ないそうだ」 「えぇ……。ますます謎なんだけど」  和都が眉を(ひそ)めて腕組みをした。  大きな図書館には由来も口伝されたものしかなかったうえ、移転先にすら資料にないなんて。  こうなると、移転のきっかけ自体に何か、隠さなければならない大きな理由がありそうだ。 「まぁそっちも気になるけど、肝心の鬼どもをなんとかする方法を、さっさと見つけないとね」 「……うん」  昨日は仁科が近くに居たから助かったようなものだ。ハクが対抗できるようになるには、まだまだチカラが足りない。  このままでは本当に、気を抜いたらあっという間に、彼らに食べられてしまう。 「でも、鬼を退治とか封印なんて、ファンタジーすぎない?」 「まぁ悪霊が憑いてて、それを払うってんなら、安曇神社に任せりゃいいんだけどね」 「え、そんなこと出来るの?」 「あっちはそういう家なんだ。それ系ってほぼインチキだけど……安曇は『本物』だよ」  仁科が以前、自身が視える以外に、視える人が当たり前にいる環境だったと言っていたが、そういう家系と繋がりがあったからなのかもしれない。 「ただ、今回は『鬼』だからなぁ」 「うーん。祠を作り直す、とかじゃダメなのかな」 「まぁ、どちらにせよアレは作り直したほうがいいだろうね。倒木も危ないし。結局あの土地の所有者もやっぱり安曇家だったらしいから、そっちにお願いするさ」 「そうだったんだ」 「うん。あ、倒木の話し忘れたな。伝えておかないと」  祠の状態も気になるが、跡地のあの状況はやはり危険だ。小坂が小学生の頃に遊びに行っていたと言うように、子どもが遊び場にしていたら事故でも起きかねない。 「こっちで探せるとこは探したし、これ以上は安曇の蔵に行って探さないとダメだね」 「蔵があるの? すごい!」 「まぁね。夏休みに向こうに行って探すつもり。……お前も行くか?」 「え、いいの? でも、なぁ……」  ただでさえ、少し遠くに出掛ける時は春日がいないと許可が出ない。ましてや県外なんて、両親がいないタイミングを狙うにしても難しい距離だ。 「どっちかというと、お前の探し物だから、来てもらいたいんだけどね」 「そう、だよね。どうしよう」 「必要なら俺から親に話すよ。……つか、お前の親とは一度ちゃんと話がしたいんだけどね、教師側としては。面談に一度も来てないって聞いてるぞ」 「あはは……」  両親の和都への扱いについては、担任の後藤とも度々話題にあがる。一年の頃から会えたことがないそうで、電話しても忙しいからと一方的に切られてしまうのだと言っていた。いい機会なので、少し踏み込んでしまうのも手かもしれない。 「まぁ、まだ時間はあるから、どうにかしてみよう」 「うんっ」  和都がだいぶいつもの調子を取り戻してきた気がしたので、仁科はもう一度頭を撫でる。 「さ、一限始まるし教室戻りなさい」 「はーい」  元気よく返して出ていった和都を見送って、仁科は保健室の戸を閉めた。

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