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23)カイキする日々〈2〉

 和都が困ったように笑う。  ハクは和都の言葉に、牙を剥き出しにして、ぐるる、と喉を鳴らし、それからぶんぶんと頭を振った。 〔……うー、やだ! ヤダ!!〕  和都を食べるのは、バクと一緒になるために必要なこと、重要なこと。  ハクにとって、バクの願いを叶えること、バクと一緒になることは、最優先事項である。  和都を食べられないということは、それが叶わないということ。  それだけは、絶対にイヤだった。 〔バクはカズトの中にいるの! 一緒になってくれないと、ヤダ!〕  前足の爪を出し、大きく口を開けたハクが、和都に向かって飛びかかろうとした。  が、それは出来なかった。  何かに引っ張られるように、ガクンとハクのお尻が地面にくっついた。それから後ろ足、胴体、そして前足と、順番に地面にくっついていく。 〔え? なに? なに?!〕  ハクが混乱している間にも、見えない透明な手がその白いオオカミの巨体を地面に押しつけていく。 〔はれ、なんで? あ、これ勅令?! 勅令だ! だれがぁ?!〕  ついにハクの頭が地面にべったりくっついた。体勢としては犬がやる、所謂『伏せ』のような格好。  その地面にくっついた頭を、どうにか無理やり動かして、術の始まりだった自分のお尻の方に向ける。 「……うまくいったか」  二股に分かれた尻尾に小坂と菅原がそれぞれしがみつき、その尻尾の分かれ目となる辺りを春日が手で押さえていた。  春日が押さえていた手を退けると、『伏せ』の意味を持つ、神獣への命令が書かれた札が貼られている。 〔ええー! なんでユースケが勅令のお札持ってるのー?!〕  札を見たハクが驚いて叫ぶ。  これは想定外も想定外。  札の存在もそうだが、春日の霊力(チカラ)が勅令の札を使えるほどというのは想定外だった。 「それは、孝四郎の日記に残っていたものだよ」  頭をべったり地面にくっつけたハクの鼻先に、和都がそう言いながら歩み寄る。  よく見ると、さきほどまで黒かった瞳が金色に光り、その真ん中で細長い六つの瞳孔が花びらのように広がっていた。 〔あ、バク! バクだ! ねぇ、なんでぇ?〕  和都がバクに成り代わっていると気付き、ハクが叫ぶ。 「ハク、もういいんだよ。もう、大丈夫」 〔……もしかして『探し物』見つかったの?〕  ハクがきょとんとした顔をした。  バクの探し物。  それは、真之介が死んでしまった、あの日の夜の真相と、孝四郎が彼を殺した理由。 「うん。ユースケとニシナと、カズトが見つけてくれたんだ」  そう言いながら、バクはハクの大きな鼻先に抱きついた。  目を閉じて、しばらくそのままくっついていると、バクの知った事件の真相と、和都を食べずに元に戻るための方法が、ハクの中に流れ込んでくる。  元々繋がっていた神獣たちは、触れ合うことで記憶を共有できるらしい。 〔……そっかぁ、孝四郎はやっぱり優しいねぇ〕  ハクは閉じていた目をゆっくり開けると、懐かしそうに金色の瞳を細めながらそう言った。 「……そうだな」  孝四郎が自分たちに残したメッセージを思い返す。  あの頃、麓の村は長い凶作で誰もが貧しくて、神社側も可能な限りの援助をしていたが、どうしても助けが足りなかった。  あれはその結果、起きてしまった凄惨な悲劇。  そこから始めてしまった自分たちの過ちすらも、彼は赦した。 〔じゃあ、もういいの?〕 「うん、もういいよ」  そう言って笑い合うと、ハクに抱きついたまま、バクがすぐ近くにいた仁科のほうを見る。  金色の瞳はただ優しく笑っていた。 「……センセイ、頼むよ」 「ああ」  仁科はバクに近づくと、普段の和都にするみたいに頭を撫でる。  それから孝四郎の遺していたもう一つの札を、バクの背中に貼った。 「うぉ……」  札を貼った瞬間、和都の身体が金色の光に包まれ、その中から和都にそっくりの、金色の光の塊がゆらりと身体を起こす。  光の塊はすぐにハクの額へ抱きつくようにして吸い込まれ、今度はハクの身体全体が大きく光り出した。  眩い光が辺りを照らし、雑木林で囲まれた真っ暗な空き地が、一瞬昼間かと思うほどの明るさになる。  その光がゆっくりと収束していき、眩しさがなくなったあたりで、和都はそっと目を開けた。  抱きついていたはずの巨大なオオカミは姿を消し、代わりに大型犬くらいの大きさの、白と黒のオオカミが二頭、こちらを向いて座っている。黒いほうの額には、金色の綺麗な角が一本すらりと生えていて、毛並みはツヤツヤと星屑を浮かべた夜空のように揺らめいていた。 「……お前が、バク?」  和都がつぶやくように問いかける。 〔ああ、やっと話せたな、カズト〕  雪の結晶のような六本の細い瞳孔を持つ、金色の瞳のオオカミが、和都に向かってそう返した。 〔……すまなかったな〕 「ううん。バクもきっと辛かったよね。今ならバクの気持ち、おれも分かるよ」  和都はそう笑って近づくと、ハクとは色違いの青と白のねじり紐を巻いたバクの首に抱きついた。  大切なヒトを失った悲しみと怒り、そして寂しい気持ち。  そこから全部始まったことだった。  ゆっくり身体を離した和都の顔を、バクはじぃっと見つめると、少し申し訳なさそうな顔をする。 〔やはり少し、残ってしまったな〕 「え?」  バクの言葉に仁科が近づいて、和都の顔を覗き込んだ。 「……左目だけ、金色になってるな」  和都の左目の、大きな黒目の部分が金色に光っており、バクと同じ雪の結晶のような瞳孔が咲いている。 〔以前ほどの強さはないが、そちらの目だけで今まで視えていたものも視えてしまうはずだ〕  元々和都には、幽霊の類を視るチカラはない。バクの目のチカラが左側にだけ残ったため、それらはこれからも視えてしまうようだ。 〔それに、その目には色んなものを寄せるチカラもあるから、多少は惹き付けてしまうだろう。もちろん以前ほど極端に執着されることはないだろうがな〕 「そっか……」  全くの『普通』に戻ることは、やはり難しかったらしい。  だが、少しでも呪いのようなチカラが弱くなっているなら、今までよりはきっとマシだろう。 〔それに、ボクが離れるのに、カズトが溜め込んでいたチカラを使い果たしてしまった。またしばらくは、センセイから分けてもらったほうがいい〕  チカラが無くなったと言うことは、悪霊に対抗することが出来ない状態。それは去年までのような、人の多い場所で悪いものに当てられ、倒れる体質に戻ってしまったということになる。 「心配しなくても、またちゃーんと分けるさ」  隣でバクの話を聞いていた仁科が、和都の頭をいつものように撫でた。その様子を見てバクは笑う。 〔まぁ、言わずともくっついてるような奴らだしな。そこは問題ないだろ〕 「……うっ」  言われて和都の耳は赤くなるが、仁科は変わらず頭を撫でたままだった。

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