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幕後短編)紅葉に焦がれる

「先生は、相模のことどうする気なんですか?」  校舎の総点検のために行われた臨時休校が明けた数日後。  仁科はハクから和都を庇って腕に傷を負ってしまった菅原の、ケガの具合を確認するため、昼休みに保健室へ呼び出していた。  神獣によってつけられた傷なので、通常のケガと変わりがないか、霊力のない菅原に何かしらか起きていないか気になったのだ。  傷の状態を目視で確認し、体調などの変化がないか簡単な問診をしてみたが、通常のケガと変わりはないらしい。  ひとまず問題はなさそうだ、と包帯を巻き直していると、菅原にそんな質問をされた。 「は?」 「一応、マジメなハナシです」 「どうって言われても……」  珍しく真剣な顔で菅原が言うので、仁科は困ったように眉を下げる。 「──どうするつもりか言ったら、菅原クンは俺の味方になってくれんの?」 「ザンネン、オレは春日派なんで」 「じゃあ聞くなよ」  和都の命を狙う鬼から守り、諸悪の根源である祟り神から引き離すためとはいえ、四月からの半年以上を可能な限り近くで過ごした。  最初こそ渋々協力をお願いしてきた和都だったが、今では自分を見つめる視線に、四月以前とは違う感情が混ざっているのは、自他共に明白である。  そしてそれを、嬉しく思う自分がいた。 「……今のところ、相模とは菅原クンが喜ぶような関係じゃないよ」 「でも将来的にはそういう関係になるつもりでしょー?」 「さぁ、どうだろうねぇ」  順調に治りつつある腕の傷に包帯を巻き終えると、仁科はコーヒーをいれるために立ち上がる。 「学生時代の色恋なんて、憧れの錯覚が殆どだからね」  誰かを好きになる、という感情。  そこには色々な理由がある。  そしてそれは時に、慣れない感情の起こす錯覚や勘違いということも、あり得るのだ。 「なんかそういう経験でも、あるんですか?」 「──狛杜にくる前の話だよ」    大学を出て最初に着任したのは、桜崎市内の共学の高校だった。狛杜高校よりも大きな学校で、常駐の養護教諭が二名もいるような高校。  まだ若かったこともあり、女子生徒から冗談めかしたものも含め、告白をされることは度々あった。  もちろんその度に丁寧に断っていた。  着任して数年、保健委員だった男子生徒から告白をされた。  委員の仕事で保健室に二人きりで居残っていた、放課後。  顔を真っ赤にしながら、冗談とかではない、本当の気持ちを打ち明けられた。  男子生徒に言われたのは初めてで、予想していなかったのもあり、かなり面食らったのを覚えている。 「えー、なにそれ! 先生モテモテじゃんっ」  菅原が目をキラキラさせて、興奮したように言う。こういう話が大好物の菅原には、やはり堪らないものらしい。 「まぁね」 「そういや先生って、同性のほうがいいタイプ?」 「んー、あんま気にしてなかったんだけど、女性とはどうも上手くいかなくってねぇ。その頃にそうなのかもなぁーって自覚した感じ」 「ふーん、そっかぁ」  学生の頃から、女性に執着される雅孝を助けていたので、女性の醜悪な部分をこれでもかと見続けた。  もちろん、弟・孝文の妻である咲苗のように、卑しい女性ばかりでないことは知っている。  けれど年齢を問わず、時には自分の命や身体を傘にしてまで幼い子どもを欲する様は、思春期の自分の奥底に消えない傷を残していった。  そしてそれとは別に、雅孝に対して自分も異常な執着を抱いていたので、自覚する前からそうだったのかもしれないが、今ではもう分からない。 「それでそれで! その生徒とどうなったんですか? あ、もしかして手を出しちゃったりしたんですか?!」  妙にはしゃぐ菅原に、仁科は呆れながらコーヒーに口をつける。 「してねーよ。んなことしてたら、今頃ここに居ないわ」 「あ、それもそっか」  男子生徒からの告白も、当初は女子生徒同様に丁寧に断った。けれど、向こうはどうも自分が同じように同性が恋愛対象だと分かっていたようで、しつこいくらい告白された。  紅葉のように真っ赤な顔で。  まるで日課のように繰り返されるので、その後は適当にあしらっていたが、卒業するまで彼は自分を好きだと言い続けた。  そして卒業式の日。  彼は卒業証書を握りしめながら『ずっと好きだから!』と、最後の告白と一緒に連絡先の書かれたカードを一方的に押し付けて去っていった。 「先生はその生徒のこと、なんとも思ってなかったんですか?」 「学校のある日は毎日保健室に来て『好きです』って言われるんだよ? あんなに熱心に言われ続けたら、やっぱりちょっと揺らいじゃうよねぇ」  一部の先生や生徒から揶揄われても、毎日のように保健室に会いにきては、まっすぐな気持ちをぶつけてくる男の子。  あんなに粘り強い告白を受けたのは、初めてだった。 「へー、じゃあ卒業後に連絡しちゃったり?」 「ううん」 「えー、ヘタレじゃん」 「うるせぇな」  菅原が分かりやすくガッカリした顔をしたので、仁科は眉間に皺を寄せる。  あの頃はまだ、雅孝の死を引きずっていて、違う誰かに心が揺れてしまった自分が許せなかった。  けれど、いつまでもこのままではいけないと、頭では分かっていて。 「……でも、一度だけ連絡してみようかなって、思ったことがあってさ」  彼の卒業から半年。自分の気持ちに整理をつけるためにも、一度だけ連絡をしてみようと思っていた。  そんな矢先、買い物に出た街中で、その生徒を見かけた。  あまりに偶然すぎる出会いに、思わず声をかけようとして、やめた。  少しだけ大人びた、少年から青年の顔つきに変わった彼の隣を、同年代くらいの可愛らしい女性が手を繋いで歩いていたからだ。  その女性の着ていたピンク色のワンピースの裾が、柔らかく翻っていたことだけ、鮮明に覚えている。  帰宅した後、卒業式の日にもらったカードは破って捨てた。 「……うわー」 「子どもの『好き』は大人とは違うもんなーって痛感した話」  男子三日会わざれば。  半年も会わなければ、況んや。  きっと、憧憬を恋情と勘違いしていたんだろう。よくある話だ。 「だからまぁ、相模とのことは、もう少しお預けってとこかな」  狭い世界に閉じ込められていた彼の、世界を広げる手助けをした。  まだまだ足りないけれど、彼はこれからもっと色んな人に出会うはず。  自分なんかより、もっといい人を見つけるかもしれない。  そんな可能性を、摘んでしまうことはしたくなかった。 「……もし、相模の気持ちが変わちゃったら、先生はどうするんですか?」 「んー? まぁバクに相模のことは『なんとかする』って約束しちゃってるからねぇ。何かしらの形で支える立場であろうとは思ってるよ」  例え彼が自分を選ばなくても。  彼が自由に飛べるよう、支えられるようにしておきたい。  大人として。  金色の瞳の、泣き虫な神様との約束だから。  窓の外はよく晴れていた。  ふと校舎の裏側に人影が見えて、仁科は何気なく窓際へ近づく。  校舎と葉の落ちた桜並木の間にある裏庭に、生徒が二人立っていた。  渡り廊下の通用口から外に出てすぐ、ブラインドの下がった保健室の裏手。  告白の定番スポットでもあるそこに、三年生らしき生徒と、その先輩に呼び出されたらしい和都が立っていた。 「やっぱりヘタレすぎでしょ、先生」 「……立場的にしゃーないだろ」  教師と生徒がいくら想いを寄せあっていても、付き合うのは御法度である。 「そんなこと言って、うかうかしてると春日辺りに掻っ攫われますよ? 気持ちが変わっても好きでいる! くらいの気持ちでいないと! あと好きでいてもらうためにも、もうちょっとこう、周りから囲い込んでおくとか、盤石にしとかないとさぁ!」 「菅原クンはどっちの味方なの」  まるでこちらの味方のように言うので呆れると、菅原がむむっとクチをヘの字に結んだ。 「……オレは、頑張ったヤツが報われるべきだと思ってるだけです! 頑張ったのに報われないなんて、辛いじゃんっ」 「世の中報われないことだらけよ」 「そーなんでしょうけど! ……報われる可能性があるなら、報われて欲しい!」  菅原の言う『頑張ったヤツ』というのは、春日のことだろう。  中学の頃からずっと、和都をそばで守り続けてきたのは彼だ。  なんだかんだ、菅原は春日の味方らしい。 「……その報いを、本人が受け取るつもりがないみたいだからねぇ」  窓の外、声は聞こえないが、三年生と思しき生徒が和都に向かって懸命に何かを訴えている。  その少し離れた校舎の影に、和都に害が及んだ場合に備えてか、春日がひっそり佇んでいるのが見えた。 「だーからそこは譲れって言ってるんじゃないですかぁ」 「取られないようにしろって言ったクチで譲れって……。菅原クン、矛盾がひどくない?」 「どっちも選び難い、二律背反の乙女ゴコロです!」  両手を組んでそう言うが、どう考えても自分たちの状況を、楽しんでいるだけにしか思えない。 「いつから乙女になったのお前。……それに、決めるのは俺じゃないしね」 「分かってますけどぉ」  頬を膨らませた菅原が、仁科が窓の外から視線を動かさないことにようやく気付いた。 「……先生、なに見てるんですか?」 「んー? あれ」  問われて仁科が、窓の外を指さすと、なになにと菅原が窓辺に近付いて覗き込む。  ちょうど和都を呼び出した三年生が、懸命に頭を下げているところだった。 「……わー、今日も呼び出されてるぅ。てかここ、めっちゃよく見えますね」 「でしょ。覗き見し放題よ」  下からは見えにくいだろうと思われている、保健室裏の告白スポット。仁科はそこで繰り返される、悲喜交々を眺め続けている。 「『狛犬の目』のチカラが弱くなったからか、頻度はだいぶ減ってるけどね。まぁ今日も春日クンが近くにいるから、大丈夫でしょ」  窓の外では、先輩に向かって和都が頭を下げているのが見えた。きっと告白を断っているのだろう。  普段なら、ここから和都に迫って強引に頷かせようとする輩が多いのだが、今日はあっさりと引き下がってしまった。 「今回は聞き分けのいい生徒だったのかな?」  珍しいな、と眺めていると、菅原が妙に楽しげな顔で仁科を見上げる。 「……先生、知ってますぅ?」 「なにを?」 「相模が最近、なんて言ってお断りしてるか」 「いや、知らないけど」  菅原の怪しげな笑顔に引きながら答えると、ニヤリと笑って言った。 「『好きな人がいるんで、ごめんなさい』ですよ」 「……そうデスカ」  言葉に詰まって、返答が遅れる。  和都の気持ちは充分に知っているのだが、改めて言葉にされていると思うと、妙に照れてしまった。 「きゃー、照れてるー!」 「うるせぇよ」  揶揄う菅原をたしなめていると、窓の外では三年生が先に去っていき、和都と春日も通用口のほうへ向かっていくのが見える。 「あ、先生。オレもう行ってもいいよね?」 「どーぞ」  確認したいケガの具合はとっくに診た後なので、問題はない。  じゃあねー、と手を振って保健室を出て行った足音が、階段を上がっていく和都たちを追いかけるように去っていく。  きっとどんな告白をされたのか、どんな風に答えたのか、問い詰めにいくのだろう。 「……まったく、小賢しいヤツめ」  妙に緩んでしまう口元を、仁科は懸命に手で抑えながら呟いた。 「おーい。相模、春日!」  和都が春日と一緒に東階段を上がっていると、後方から菅原が追いかけてきた。 「あ、菅原。仁科先生にケガの確認してもらった?」 「うん、問題ないってさ」 「そっか、よかった」  追いついた菅原も一緒に、三階にある教室へ向かう。 「今日もまた呼び出されてたのねー」 「ちゃんと断りました!」  和都はムッとしながらそう答えた。保健室からは裏庭が見えてしまうので、きっと見ていたのだろう。 「春日も一緒に聞いてたの?」 「まぁ、一応な」  和都を挟んで向こう側にいる春日に尋ねると、いつもどおりの無表情でそう答えた。  三年生からの呼び出しは、ヘタをすると力づくで要求を通そうとされることがあるので、近くで見守るのは必要な対応だろう。  それにしても、と和都が息を吐いた。 「『狛犬の目』のチカラ、弱くなったはずなのになー。何でなくならないんだろ……」  彼がこうして呼び出しをうけるのは、いろんなものを惹き寄せる『狛犬の目』のチカラのせいだけではないのだが、本人は全くそう思っていないので、タチが悪い。 「……無自覚は怖いわねぇ」 「なんか言った?」 「べっつにぃ〜?」  菅原はそう答えつつ、眉を下げた和都の顔を見てながら、ああそうだ、と思いついた。 「あ、そうだ。ケガの確認ついでに、先生が前の学校でモテモテだった時の話、聞いてきたんだけどさっ」 「……あっそう」  和都の顔がムッとしたまま答える。  なんだかあまり見ない表情をするので、菅原は少し楽しくなってきた。 「あ、もしかして相模は聞いたことあったり?」 「……知らない、けど」  嫉妬に近い微妙な感情を見せる和都に、菅原が内心にっこりしていると、春日が話に食いついてくる。 「あれでモテるのか」 「らしいのよー! なんかここに来る前は、共学の学校だったらしいんだけどさぁ」  菅原がそう言って話し始めると、和都が慌てたように両耳を塞いだ。 「あれー、聞きたくないのぉ?」 「自分で聞くからいい!」  叫ぶようにそう言って、和都は一人、階段を駆け上がっていく。  そんな和都を見送りながら、菅原はポツリと言った。 「……ちぇー。相模がどんな顔するか、見たかったのにぃ」  好きだと自覚している人の、過去の恋愛を聞くには心の準備がいるらしい。  他人の心が揺れ動く様子は、見ているだけなんだか満たされる。  心の中で頷いていると、同じように置いていかれたもう一人が口を開いた。 「……それで?」 「えっ」 「前の学校で、先生はどんなやらかしをしたんだ?」 「お前は興味津々かよ」 「あの先生の弱みなら、いくらでも握っておいて損はないだろうからな」 「動機が不穏!」  春日は相変わらず仁科を敵視しているらしい。  それならば、彼の味方をしている自分が話さない理由はないだろう。 「いやぁ、それがさ──」  菅原は保健室で聞いた仁科の、紅葉色の思い出を話し始める。  狛杜高校の『姫』と呼ばれる彼を取り合う、寡黙な同級生と先生の攻防は、まだまだ長く続きそうだ。

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