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後編

  ◇ ◇ ◇  夜が明け、いつもと変わらない朝。学校に着けば、いつもと変わらず、麻人と誠司の姿があった。だがいつもと違って誠司と麻人の間にピリピリとしたものを感じる。というよりも、二人がそれぞれの席に座っているのだ。  窓際の席である虎太郎の隣が誠司の席で、麻人は真ん中の列の一番後ろに席がある。いつもであればホームルームが始まるまで麻人は窓際まできて一緒に話しているのだが、今日は珍しく自分の席にいるのだ。 「おはよう」 「おはよ!」  声をかければ変わらぬ返事が返ってくるが、二人は全く互いを見ようとしない。一体何があったのか、虎太郎には全く予想がつかなかった。  麻人が自分を避けるのであれば、昨日の件だろうと予想がつくが……どうして二人が?  確かに昨日、先に帰った麻人に対して誠司は愚痴を漏らしていたが、それだけのことで怒るとも思えない……。  思い当たる節もなく、虎太郎はただ首を捻る。  鞄を置くと、幾分か口の軽い麻人へと足を向けた。こういうときの誠司は頑として話してくれないことは、今までの付き合いでわかっている。それをしつこく問い詰めた日には、ただ火に油を注ぐようなものだ。 「何かあった?」  麻人の傍に近づくと、虎太郎は回りくどい言い回しなどなしに、率直に訊いた。実直で、言葉の裏を読むのが苦手な麻人に遠回しな言葉は伝わりにくい。だからこそ虎太郎ははっきりと訊いたのだが…。 「……ん」  返ってきたのは、何処と無く歯切れの悪い答え。二人のことに首を突っ込むのはお節介かとも思ったが、いつも三人一緒なのに二人が仲違いしていると、こっちまで気まずくなってしまう。  再度訊ねると、あとで、と短い返事が来た。  そこでタイミングが良いのか悪いのか、担任が教室へと入ってきたため、虎太郎は席へと戻る。あとで、と言ったのだから、きっと話してくれるだろうと麻人の言葉を信じ、待つことにした。  だが授業の休憩時間になっても、昼休みになっても、麻人からの話は一向にない。誠司にそれとなく訊いてみようかとも思ったが、休憩時間の度に、委員長の仕事があるからと、教室から出ていってしまう。これはもう、麻人が口を割るのを待つしかないと諦め、とうとうそのまま放課後を迎えた。 「じゃ、職員室行ってくるから」  いつも通り職員室へ日誌を持っていく誠司。  喧嘩しているのだから、流石に今日は先に帰るだろうと思っていたのに、麻人は帰ることなく、いつものように虎太郎の前の席を陣取った。  喧嘩したのなら昨日みたいに先に帰ればいいのに、律儀というか、愚直というか……。それでも一緒にいたいと思えるほど好きなんだろう。  ――わかっているのに、やはり胸が痛い。  痛みから目を逸らすように本を取り出し、開く。  麻人は椅子に座ったまま口を開かない。何か考え込むように頬杖をついて外を眺めている。  一瞬だけチラリと見ると、虎太郎は再び本に目を落とした。暫く文字を目でなぞり、読み終えたページをペラリと捲る。 「誠司に……彼女が出来たかもしれない……」  漸く口を開いた麻人の言葉に、虎太郎は手の動きを止めた。  抑揚のない声で、呟かれた言葉。それはあまりに意外で、理解するのに幾分か時間を要した。 「……は?」  暫くの間を置き、漸く虎太郎が言葉に出来たのは、それだけだった。  誠司が誰と付き合おうが、それは個人の自由だから、いくら親友だろうが幼馴染みだろうが、口出しする権利はないだろう。だがそれでも、誠司が麻人以外を選んだ、という事実は受け入れがたかった。 「誠司に……彼女…?」 「かも、だけど……でも昨日夕方、誠司の家に副委員長が来てた…夜も、いつもはどっちかの家で遊んでんのに、遅くまで電話してて…」  副委員長とは、多分同じクラスの池田梨沙のことだろう。麻人の言葉の通り、クラスの副委員長をしている。委員長をしている誠司とは比較的一緒に行動することは多いが、虎太郎は当然彼女とはクラスメート以外何の接点もない。  確か、黒いセミロングの髪型をしていたように思うが……正直、他の女子と大差なく、副委員長という肩書きがなければ、印象は薄い。  開いたままの本が、窓からの風にパラパラと捲られていく。だがそんなことも気にならならないほど、虎太郎はジッと麻人を見つめていた。 「誠司には?何か訊いた?」 「副委員長と何で会ってたのか訊いたら、無粋なこと訊くな、だって…」  麻人の性格を考えれば、たった一言で一蹴され怒らないはずがないだろう。麻人が怒り、しつこく訊いてしまったために、誠司も怒り……というのが喧嘩の原因だろうか。  思い返してみれば、休憩時間に教室を出て行く度、二人は一緒だった。委員長と副委員長だからだと思っていたが、違ったのか…。  虎太郎の中に、裏切りに似た感情が沸々と湧き始める。  誠司も麻人のことを好きなんだと思っていた。誠司なら麻人を大事にすると思っていた。だから今まで、麻人への想いを隠して、ただ二人を見守っていたのに……。  本に添えていた手を、ギュッと握りしめる。  確かに、麻人への想いを誠司に訊いたことはない。だが端から見ても明らかなほど誠司を想ってる麻人を見れば、思わせ振りな優しさなんか見せれるはずがない。幼馴染みを無下に出来ない、と言われてしまえばそれまでだが、幼馴染みだからこそはっきり対応すべきだと思う。 「コタ……やっぱり誠司に彼女できたら、嫌?」  外に向けられていた目が、ジッと虎太郎を見た。  何とも表現しがたい…その捨てられた子犬のような寂しげな目が、悲しみを隠しているようで、切なさが増す。  好きな人に好きな人ができた。その事実がどれ程胸を痛めることか、虎太郎は十分わかっている。  好きなのに憎くて、自分の目の前で嬉しそうに好きな人の話をする麻人を見て、何でこんなヤツ好きになったんだろう…って悔やんだり、悲しくなったり……でもやっぱり好きだから傍にいたくて――。  誠司に彼女ができて嫌なのは麻人だろ……何て告げれるはずもなく、虎太郎は静かに閉口し、本へと目を落とすと風に捲られたページを一ページずつ戻した。まるで、自分の中にある複雑に絡まってしまった感情を一つ一つ整理するように…。  せめて、僅かでも自分を見てくれれば……この気持ちに気づいてくれれば――。  そんな想いで一瞬だけ上げた視線。その視線に麻人のそれが絡まる。まさかまだこちらを見ていると思っていなかった虎太郎は、その眼差しに、勝手に胸がドキドキと高鳴った。  平素と違う男らしい鋭い目付き。唇をなぞる指の、艶っぽい仕草。さっきまでの切な気な目をした麻人とは全く違う。そんな男らしさにも、胸はどんどんと高鳴っていくばかりで。 「ねぇ……男にとって大事なことって何かな?」  問われた言葉に咄嗟に浮かんだのは、昨日亮と交わした言葉。 『男ならテクニックで勝負だ!』  自信満々に断言した亮の顔。それ以外にどんな答えがある、と言わんばかりの言葉が頭にしっかりと残っていた。 「……テクニック」  虎太郎は、思い出したままをボソリと呟いていた。言った後でイヤイヤと頭を振ってみるが、既に言ってしまったことを取り消せるはずもなく……。 「なるほど…」  どこか納得したように麻人が呟く。  男にとって大事なことがテクニック……。  テクニックといっても勿論喋りに関するテクニックだったり、相手との駆け引きに於けるテクニックだったり、様々あるわけで。 「ねぇ、コタ……俺のテクニック、見てよ」  麻人のいうテクニックが何を指すのかわからない、なんてかまととなこと言うほど虎太郎だって初ではない。年頃の男が考えることなんてそんなことばっかりだ。友達が少ないとはいえ、虎太郎にだってそれなりの知識はある。ただそれは、決して女を対象としたものではなかったが……。  この申し出は、虎太郎からしてみれば、好きな麻人と出来るまたとないチャンス。この好機を逃せば、二度と麻人とは――。  そう思った瞬間、今まで守ってきた麻人との関係や家族の評価、世間体や外聞を気にする間もなく頷いていた。頷いた瞬間、麻人の見慣れた顔が鼻先に触れる。刹那、唇にも温かいものを感じ、気づいて目を見開いた時にはその熱は離れてしまった。 「まずは…キス、から――」  息が触れるくらいの距離でそう囁かれ、何度も何度もその温かく柔らかな唇が触れてくる。  しっとりしてるわけではなく、かといってカサカサと乾燥しているわけでもない。でも触れるだけのその感触は今まで感じたことのない麻人の熱を確かに伝えていて、虎太郎は痛いほど脈打つ胸をギュッと握りしめた。  チュッ、チュッ、と触れるだけの唇。  叶うなら、その腕の中に抱き締められたい――。  机一脚分の距離をもどかしく感じながらも、こうして唇に触れられたことに目頭がジワリと熱くなる。  どれ程の時間が経過したのか……きっと僅かな時間だろうが、虎太郎には悠久にも思えた。だが、やはりそれは刹那で、廊下から聞こえる足音が虎太郎に現実を伝える。 「お待たせ」  唇が離れていった瞬間、足音ともに、ガラリと扉が開いた。用を終えた誠司が戻ってきたのだ。  今まで麻人としていたことを思い出すと、虎太郎の頬は段々と熱くなっていく。 「お、お疲れっ!」  きっと赤くなってしまっているであろう顔を隠すように下を向き、机に出したままの本を鞄へと仕舞う。  麻人の顔だって見れない。今更だが、恥ずかしくて仕方がないのだ。 「さ、帰ろっか」  不自然な所作にならないよう、自然に自然に、と自分に言い聞かせるが、そう思いながらやっている動作が既に不自然じゃないだろうか……と妙に焦ってしまう。態とらしくないだろうか、と不安になり、虎太郎がチラリと誠司を見やれば、麻人をジッと見て訝しげな顔をしていた。もしかしたら、喧嘩してるはずの麻人がいるから不審に思っているのかもしれない。  昔から、喧嘩すると一番根に持つのは誠司だった。きっと今でも昔した喧嘩の話になれば、誠司が一番克明に覚えているだろう。そして一番覚えてないのは麻人。もしかしたら本人は喧嘩したとさえ思ってないのかも知れないが……。  基本的に麻人が怒るというのは珍しいのだ。だからこの誠司との喧嘩も、こんな血迷ったとさえ言ってもおかしくない行動をさせる程に衝撃的だったのだろう。   ◇ ◇ ◇  あれから昨日は、変な勘繰りもされることなく帰宅し、今朝も誠司から何も言われることも、訊かれることもなかった。  麻人も昨日のキスのことなど何も気にしていない様子で過ごしている。  喧嘩も収まったようで、人の心配も余所に二人とも普通に喋っていた。 「じゃ、日誌出してくるから」 「いってらっしゃーい」 「…いってらっしゃい」  もうテクニック云々も忘れてしまったのだろう……。  あのキスに何の意味もないことはわかっていても、キスできるくらいには好きでいてくれているのだと……僅かでも期待してしまったことは確かだった。現に、以前と変わらぬ二人に、虎太郎の胸が痛みを訴えている。  麻人が誠司に振られるのは見ていられないが、麻人が自分を想ってくれないことも――辛い…。  昨日のことを振り切るように鞄へと手を伸ばす。いつものように本を読んで、誠司が戻ってくるまでの間ただジッと麻人の話を聞き流していればいい。今まで通り、言葉は流して、ただその声さえ聞ければ――。 「ねぇ、コタ」 「何?」  いつもと違う声音に視線を向ければ、昨日と同じ男の目をした麻人の顔。椅子に座り、距離を無くすかのようにその机にドッシリと腕を乗せている。 「昨日のキス、どうだった?」 「え……?」  突然の問いに、虎太郎は思わず手を止めた。  昨日の、キス……?  それは、今麻人に必要なのだろうか?  誠司との蟠りも取れたんじゃないのか?  次々と湧き上がる疑問。だが、何から訊けばいいのかわからない。 「ねぇ……もう一回、いい?」  返事を待たず、言葉が終わると同時にその唇に塞がれてしまう。まるで、端から返事など求めていなかったようで、されるがまま、虎太郎はその温もりに目を閉じた。  目蓋を閉じると同時に、後頭部に温もりを感じる。そのしっかりとした熱と、包まれるような感覚にそれが麻人の手だと知り、その手によって、麻人の近くへと引き寄せられた。  机一脚を挟み寄せられる力強さと、触れる熱。しかしその熱は昨日と違い、離れようとしない。ゆっくりと唇を食み、もっと…もっと…と求めてくる。その求めに応じるように、虎太郎も麻人の唇を食んだ。  ゆっくり、まるで呼吸を合わせるようにその柔らかな唇を食めば、しっとりと濡れたものが意思を持って唇をなぞっていく。  くちゅ…と小さな音が耳の鼓膜を揺すった。薄く目を開けば、同じようにうっすらと目を開いた麻人の視線と絡まる。  ――麻人とキスをしている。  その事実を目の当たりにし、一気に羞恥が湧き上がった。  固く目を瞑れば、触れる唇と舌の感触。撫でるような吐息。鼓膜を揺する水音。そして、まるで視姦されているような錯覚さえ起こさせる視線。その全てを必要以上に感じ取ってしまう。 「っ……は、ぁ……ふ…ん」  漏れる吐息と共に、鼻から声が抜けていく。  唇を撫でていた舌はいつの間にか口腔内を撫で上げ、ねっとりとした動作で歯列をなぞり、捕らえた虎太郎の舌と絡みあっている。  当然抵抗など出来るはずもなく、虎太郎はされるがまま、感じるまま、麻人の全てを受け入れていた。  閉じる暇もないほど絡み合う唇から、耐えきれず唾液が溢れ出る。ツーッとその虎太郎の細い顎を伝い、ゆっくりと喉元へと流れた。  その頃になって漸く麻人の唇が離れていく。二つの唇の間を細い糸が繋ぎ、それは離れるにつれ細くなり、プツリと切れた。  切れた繋がりに、切ない気持ちが湧き上がる。繋がっていた細い糸が、まるで二人を表しているようで……。  だがよくよく考えれば、このキス自体お試しみたいなものなのだ。切なさを感じることが間違っている。  それでもキスの余韻に痺れた脳は、身勝手にも、淡い想いを抱いてしまった。  ――麻人に好かれたい。  親友じゃなく、幼馴染みじゃなく……恋人として、好きになって欲しい。  僅かでもいい。自分を見て欲しい……。   ◇ ◇ ◇ 「コタ、今日も…」  言葉を最後まで聞く前に、虎太郎は静かに頷いていた。  どんな想いで麻人がキスしてくるのかはわからない。なんだかそれを訊いてしまうと、このキスすらできなくなってしまいそうで怖かった。  ただ求められるがままキスに応えている。それだけで、虎太郎は十分嬉しかった。  叶わないとわかっている想いだったから、キスしてもらえるなんて、まさに夢のようだ。  虚しくないのか、と問われれば、うん、とは頷けない…。  たとえこれが誠司とするための練習だとしても、麻人の中には何の感情としても残らないような出来事だとしても、虎太郎にとっては、他に代え難いことだった。それほど麻人が好きで好きで、今まで守ってきた全てと引き換えてもいいと思えた。  麻人の顔が近づき、虎太郎はゆっくりと目を瞑る。性急に絡まってくる舌に、虎太郎も積極的に舌を絡めた。  いつ終わりを告げられるかもわからないこの時間を、少しでも長く、深く感じることが出来るように。 「ん、ん…っはぁ」  漏れる吐息の熱に、胸の奥の方がジンジンと痺れ、触れる唇がしっとりと濡れていく。  舌で互いの口腔内をなぶれば、奥まで絡み合い、唾液が溢れ始めた。  くちゅ、ちゅっ、と漏れる音が徐々に劣情を煽り、虎太郎は自身が静かに熱を持ち始めるのを感じると、小さく身動いだ。その瞬間、麻人の腕が背中に回され、力強く引き寄せられる。机を挟んだまま、夢にまで見た腕に包まれ、触れる肩にその逞しさを感じた。  離れた唇が、零れた唾液を伝い、顎から喉元までを撫でていく。普段そうそう触れられることのない場所に熱い息がかかり、ゾワゾワッとした感覚が背筋を通った。 「ん……ぁ…」  擽ったいようなその感覚が快感なのかはまだ判断できないが、決して嫌な感覚ではなく、できればもっと……と思ってしまう。 「コタ…」  首筋から上がってきた唇が耳に触れ、艶めいた声で麻人が名前を呼ぶ。ゾワゾワッと全身を駆け巡る感覚に、虎太郎の身体がビクッと揺れた。 「もっと、したい…」  言葉と共に舌が耳をなぞっていく。  そんな誘い方をされて、嫌だ、と断れるはずない――。  思わず、うん、と頷きかけたところで、視界に広がる光景に理性が引き戻された。  いくつも並ぶ机と椅子。使い慣れた黒板。左に視線をやれば窓の外で部活に励む生徒の姿と声。  ここは、学校で教室なのだ。いくらこの教室が三階にあると言っても、誰にも見られないという確証も、誰も来ないという保証もない。――いや、寧ろ確実に来る。  今自分達はその人物の戻りを待っているのだ。それなのに、ここでこれ以上の行為が出来るはずがない。 「せ、誠司が!戻ってくる……」  感じた懸念を口にし、麻人の胸を弱々しく押す。  できるのならば、これから先の行為すら望みたい。だが、できるはずがないのだ……。もうすぐで戻ってくる誠司は、麻人の想い人。これ以上を望んでいいはずがない。自分は今、ただ麻人のテクニックを試されているだけで、麻人にはそれ以外の他意はないのだから――。 「なら、俺ん家で」  言い終えるか終えないかのタイミングでグッと腕を掴まれ、引かれまま席を立つ。  え、と驚く間も抗う間もなく手を握り直され、その手を引き、麻人が歩き始めた。  繋がれた手と逆の手を見れば、そこにはちゃっかりと二人分の鞄。  何が何だかわからず混乱する頭で、虎太郎はただ一つだけ……その繋がれた手の熱を振りほどくことは出来ないと思った。   ◇ ◇ ◇  久しく訪れた麻人の部屋。  最後に来たのは二年生に上がる前の春休みで、ほんの二ヶ月ほど前だ。その時と殆ど部屋の様相は変わらない。  6畳ほどの部屋にはベッドとテレビ、そしてローテーブルと棚があるだけだ。勉強部屋は隣にあり、勉強と遊びは分けているらしい。  大雑把に見えて、そんなところは拘りを持っている。  いまだ繋がれたままの手を再び引かれ、ベッドへ座らされた。 「コタ…」  自分に向けられる優しい笑顔。ドキドキと早鐘のように打ち続ける鼓動が更に加速する。  麻人の笑顔なんて見慣れてるはずなのに、こうして自分だけに向けられていると思うと堪らなかった。  並ぶように麻人も座り、唇が触れる。  腰に回された腕のせいで逃げることは叶わないが、逃げたいと思うはずもない。  身を任せるようにその腕に身体を預ければ、ゆっくりと身体の向きを変えられる。身体を捻ったまま向き合うような不安定な形になり、虎太郎は慌てて麻人の腕を握り締めた。  ちゅ、ちゅ、と戯れのように触れる唇が擽ったくて、でも触れてくれることが嬉しくて、握り締める手に力が入る。 「ん、ん、っあ……ふ、ん」  触れあう唇に夢中になっていると、徐に胸元を撫でられる。 「あ!麻人!?」  驚きに唇を離し、相手を見遣れば、どうしたの?と言わんばかりの顔をしていて、これから行うことが至極当然のように思えてきた。  視線を落とせば、いつの間にやらブレザーのボタンは外されていて、シャツの上から麻人の手が撫でてくる。  女ではないのだから、胸の膨らみなどない。体型もどちらかと言えば貧弱だ。こんな身体でいいのだろうか?  突然押し寄せる不安に、虎太郎は麻人の手を掴んだ。 「やっぱり……こういうことは、好きな人とした方が…」 「俺、下手だった?」  遮るように麻人が不安気に訊ねてくる。 「下手じゃない!」  慌てて返すが、麻人の不安そうな顔は変わらない。  下手じゃない……が、やはりセックスは恋人同士でするものだ…。どんなに虎太郎が麻人を好きでも、麻人が想ってるのは誠司……。こんな一方にしか想いが向いていないのに、この行為を続けるのは辛いことでしかない。 「待っ、麻人っ」  頬、こめかみ、耳朶、首筋と、唇で触れられていく。何とか止めようとするが、不安定な姿勢はバランスを崩し、後ろへと倒れてしまった。 「あさ…」 「愛撫だけ」 「麻人…?」 「入れたりしないから……お願い」  どうしてそんなに不安そうな顔をするのだろう?  眉根を寄せ、まるで、捨てないで、と泣く犬のような目で懇願され、胸が痛くなる。  ――これが、最後になるのかも知れない。  キスも慣れ、愛撫にも慣れれば、もう自分とこんなことをする必要もなくなる。こんなに必死なのは、早く誠司と繋がりたいから……。  浮かんだ考えに、捨てられるのは俺か……と、胸がズキズキと痛んだ。ギュッと締め付けられ、ジクジクと抉られたような痛みだ。  今になって、キスなんかしなきゃ良かった、と後悔する。しなければしないで後悔しただろうが、したらしたで、苦しさを伴う後悔が出来てしまった。 「コタ、いい?」  こんなことも、何年…いや、何十年かすれば、若気の至りだった、で済まされる日が来るのだろうか……。  ジワリと浮かぶ涙を隠すように目蓋を閉じて、虎太郎は静かに頷いた。   ◇ ◇ ◇ 「ふ……ぁ、あっやぁ!あさ…」  性急に服を脱がされ、虎太郎は足に絡まる下着以外、何も身に付けていない。それに比べ麻人はボタンを全部外しているものの、シャツを羽織っている。  愛撫だけだと言ったのに、全て脱ぐ必要があったのか……快感に飲まれる前の頭であれば考えられただろうが、今の状態の虎太郎には難しいことだった。 「気持ちいい?コタは、ここが気持ちいいの?」  ここ、と言いながら麻人の指が胸の突起を摘まみ上げる。 「んんっ!」  何度も何度も刺激を受けたそこは赤く色付き、快感を得る場所だ、と虎太郎の脳に伝えた。 「気持ちいい?」 「きも…ち、いいっあぁ!」  クニクニッと弄ぶように押し潰したり、摘まんだり、舌でねっとり舐め上げたかと思うと、歯を立て尖らせていく。敏感になった突起は、些細な刺激さえも拾い上げ、虎太郎の脳を支配した。  下半身にジクジクと熱が溜まっていく。自身は見なくとも勃起してしまっているだろう。麻人とのキスだけで反応し始めていたのだ。喘ぎを漏らすほどの愛撫を受けて勃起しないはずがなかった。  胸を弄っていた手が腹部を撫でながら下肢へと向かっていく。その動作にさえ、ゾクゾクとした快感に変わり、虎太郎は小さく吐息を漏らした。 「コタの、勃ってるね」 「あっ…」  虎太郎のものに顔を寄せ、嬉しそうに麻人が喋る。喋る息が自身にかかり、それが刺激となってピクリと揺れた。 「ピクピク揺れて…可愛い」 「ああっ!」  言い終わると同時に、麻人はそれを指先で撫で、震える先端から溢れる蜜をジッと見つめる。  好きな人に恥部を……それだけでなく、浅ましくも勃起し蜜まで溢す様を見られ、羞恥のあまり、虎太郎は腕で顔を覆った。こうでもしないと、耐えれそうにないのだ。  息がかかりそうな距離でジッと見つめると、麻人は勃起したものを手で包んだ。そしてゆっくりとした所作で、虎太郎のものを扱き始めた。 「んあぁ!っあ、や…んん」  突然の刺激に虎太郎の口から矯声が漏れる。  自身で行うことはあっても、他人からされることは初めてで、自分でするときとは違う強さと早さに、何も考えられなくなっていった。 「あ、あ、あ……っあさ、と!」  虎太郎の矯声に合わせ、麻人の手の動きも段々と早くなっていく。雁に指がかかるように扱かれ、下に潜む双球もやんわりと揉まれれば、一際高い矯声を上げ、虎太郎は白濁とした液を飛ばした。 「はぁ……はぁ…はぁ…っ」  射精の際強張った身体が、余韻が過ぎると共に弛緩していく。  ダラリと四肢を投げ出し、開いた口は喘ぐように呼吸する。白い腹部は精液を纏い、色素の薄い局部の毛も、しどろに液体を纏っていた。  終わった……。  ジワリと涙が浮かび、目尻を伝う。  気持ちいいこと以外何も覚えていないが、これで、この関係も終わる。これからは今まで通り幼馴染みとして、親友として、接していかなくてはいけない。  ……できるだろうか?  そんな不安が過るが、どんなに不安に思っても、そうしなければいけないのだ。 「麻人……!?」  名前を呼んだ拍子に投げ出し弛緩していた足をグッと持ち上げられた。  驚きに見遣れば、麻人のズボンは寛げられ、そこから凶暴なまでに怒張した麻人のものが取り出されている。勃起した状態を見たのは勿論初めてで、怒張したそれは自身のモノとは違って色濃く、雁首の太さは指が回るか怪しい程だ。我慢の限界だと主張するように全体を這う血管は浮き出ており、ピクッと揺れる先端には透明な蜜が滲んでいる。 「コタ……ごめん」  言うやいなや、麻人の長大という言葉に収まりきらないものが虎太郎の蕾へと押し入ってきた。   ◇ ◇ ◇  重たい目蓋を開けば、不安そうな麻人の顔。 「っ…コタ!」  涙を浮かべて悲痛な声を出している。  ああ、そうか……と先刻までの状況を思い返した。  強引に割り開かれ、痛いと泣き叫んでも止めてくれず、ただされるがままに身体を揺さぶられ――。 「俺……気絶した?」  それから後が記憶になく、麻人に問えば、しゅんと落ち込んだ様子で小さく頷いた。 「そっか……ごめん」  小さく呟きながら身体を起こす。痛みに身体が悲鳴を上げるが、麻人が手を貸してくれたおかげで幾分か楽に身体を起こすことができた。  虎太郎が起きると、麻人はブンブンと大きく首を振った。 「何でコタが謝んの!?謝るなら俺の方だよ!俺、コタが嫌がってたのに無理矢理――っごめん!」  あの男らしさは一体どこに行ったのかと思うほど情けない顔で、その目を潤ませている。 「いいよ、別に…」 「よくない!コタ、好きな人としたいって言ってたのに俺っ……っ本当は……誠司としたかったんだろ?」 「………?」  予期せぬ麻人の言葉に、虎太郎は目を瞬かせ、首を傾げた。  誠司としたかったのは麻人の方だろう。あんなにも楽しそうに誠司のことばかり話していたのだから…。 「それは麻人の方だろ?麻人はずっと誠司が好きで……」 「え…?……ちょ、ま、待って!俺が!?誠司を好き!?」  麻人が慌てた様子で虎太郎の言葉を遮る。 「…違うのか?」  あまりの麻人の慌てように、虎太郎も目を見開いて驚いた。  何かなくても誠司の話ばかりで、昔、好きか、と訊いたときには笑顔で頷いていた。先日も、誠司を好きか、と問われたときに渡さないと言われたばかりで、彼女ができたかもしれないとあんなに落ち込んでいたのに……。  それらを全て麻人に告げると、麻人は眉間に皺を寄せ、またしてもブンブンと大きく首を振った。 「ずっと、虎太郎は誠司を好きだと思ってて、少しでも喜んでほしくて誠司の話を……でもやっぱり俺も虎太郎のことが好きだから誠司に渡したくなくて!でも誠司のヤツ彼女作ったりして、それに腹立って……それは結局勘違いだったけど、でも誠司なんかに虎太郎取られるくらいなら!って……アイツ愛想いいけどめちゃくちゃ腹黒いし、いまだに、初めて虎太郎見たときに俺が言ったこと覚えてるし…」  麻人が訥々と紡ぐ言葉を、虎太郎はただジッと聞いていた。それは今まで知らなかった麻人の想いで、ジワリと目頭が熱くなる。 「知らなかった……」 「コタ!?」  麻人が慌てているが、嬉しくて溢れる涙の止め方なんて知らなくて、虎太郎は流れる涙をそのままに、麻人に抱きついた。今まで抱き締めることができなかった大きな背中に腕を回し、ぎゅっと力を込める。それに応えるように麻人の腕が回され、一回り大きな身体に包まれた。  好きでよかったんだ――。  諦めなくてよかったんだ……。  嬉しくて、嬉しくて……抑え込んでいた好きという気持ちが、次から次に溢れてきて――。 「…き……麻人が、好きっ!」 「っ!?俺も、コタが好き!」  言葉も溢れた。   ◇ ◇ ◇  その後、帰りが遅い虎太郎のスマホが鳴り、慌てて帰らなければならなくなったが、帰っても明日になればまた会える。ずっとずっと一緒にいたんだから、これからもずっとずっと一緒にいられる。  満ち足りた気持ちで帰れば、出迎えた弥恵が一瞬驚いた顔をした。 「……勉強に差し支えなければ、たまには遊ばれるのも宜しいようですね。」 「弥恵さん…」 「くれぐれも!夕飯までにはお戻りくださいますよう。あと、遅くなるときは必ず連絡を入れてくださいませ」 「はい!」  苦笑しつつも、学校以外で麻人と会う時間ができたことはやっぱり嬉しくて、虎太郎は早速麻人に教えようとスマホを手にした。  明日、どんな顔で会おう……なんて、乙女めいたことすら考えては虎太郎の顔に、珍しく笑みが零れていた。 END

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