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第12話

夢を見ていた。 それはいつもの悪夢で、何度も何度も繰り返しみた、自分が襲われる夢だった。 ──途中までは。 異変に気づいたのは割と初めの方だった。未発達な身体をまさぐる太い指が、いつの間にか違う手になっていた。 無遠慮だった動きが、壊れ物を触る様に優しくなった。 節榑(ふしくれ)立った長い指、硬い手のひらには剣を握ってできたタコがあり、アルフォルトはこの手を知っている。 悪夢ではいつも、アルフォルトが暴れると頬を叩かれる。逃げようとしてアルフォルトが身を捩ると、そっと伸ばされた手は優しく頭を撫でて「大丈夫」と繰りす。 ふと、自分の身体を見ると十二歳の小さな身体ではなく、今の身体になっていた。縛られていたはずの手も自由に動かせる。 戸惑うアルフォルトの身体を優しく抱きしめた相手が誰なのか、確かめようと顔を上げ──そこで目が覚めた。 「······あれ······?」 最初は嫌な夢を見ていたはずなのに、気付いたら違う夢になっていた。 意識がはっきりするのに合わせて、どんな夢だったのか曖昧になっていく。 アルフォルトは起き上がり、ゆっくり伸びる。妙に身体がすっきりしていた。 「よく寝れた、のかな」 大きな欠伸をしていると、ライノアが部屋に入って来た。空のように澄んだ蒼い目に、ドキリと心臓が跳ねた。 (······?なんでドキドキしてるんだ?) 「おはようございます、アルフォルト」 「おはようライノア。今日はお前に起こされる前に起きれた」 勝ち誇った顔をしたアルフォルトに、ライノアは変な顔をする。いつもならすかさず「起きれて当たり前なんですけどね」と、お小言を言われるのに、今日は何も言わない。 「······身体は、大丈夫なんですか?」 視線を逸らし、尋ねて来るライノアがいつもよりよそよそしい。 「そうそう、なんか身体が軽いんだよ。よく寝たのかな」 昨日はそんなに早く寝たかな、とアルフォルトは思考を巡らせた。 昨日は早目にお風呂に入って、それから──それから? 「あれ、もしかして僕、お風呂で寝落ちしてた?」 アルフォルトの言葉に、ライノアが怪訝な顔をした。何か言いたげに口を開いて、閉じて。 言葉を必死に探しているようだ。 「バスルームでの事、覚えていないんですか?」 「何の話?」 昨日は暑くて早めにお風呂に入って······アルフォルトは記憶を辿るが、どうにも頭に靄がかかっているようで思い出せない。 頭をわしゃわしゃとかきまわしていると、相変わらず足音も気配もない侍女が寝室にやって来た。 「おはよーございます、アルフォルト王子」 独特な間延びした挨拶をするメリアンヌに、アルフォルトは微笑んだ。 「おはようメリアンヌ。ねえ、昨日お風呂に入ってからの記憶が曖昧なんだけど、僕は寝落ちしちゃったのかな?」 変な格好でバスタブに浮いていたならさすがに恥ずかしい。窺うように見つめると、ライノアとメリアンヌは一瞬顔を見合わせた。 「そうね、忘れた方がいいのかも」 「えっそんなに変な格好で寝てたの?」 メリアンヌが複雑そうな表情を浮かべた。相当酷い体勢で寝ていたのだろうか。 「覚えていないなら無理に思い出さない方がいいですよ」 質問には答えず、ライノアは曖昧に頷いた。 「なんなんだよ、もう······」 一人ブツブツ言いながら、アルフォルトはシャツに袖を通す。 あの後、ライノアもメリアンヌも少し様子がおかしかった。そこまで酷い体勢で寝ていたのならいっその事笑い飛ばしてくれればいいのに。 覚えていないのだから今更取り繕う事も出来ないが、なんとなくライノアがよそよそしいのが気になった。 「寝落ちしてたら、いつも怒られるのに──っ痛っ」 シャツの襟に付いた装飾が、アルフォルトの髪の毛に絡まってしまったようで、襟足が引っ張られる。 「ライノアー、近くにいる?」 少し声を張ると、すぐに従者が部屋に入ってきた。 「ルト、どうしました?」 奇妙な体勢で固まるアルフォルトを見つけ、ライノアは吹き出した。 すかさず襟足に手を伸ばし、装飾に絡まった髪の毛を丁寧に(ほど)いていく。 項に触れた指の感触に既視感を覚え、ドキリとした。よく知っているライノアの手になぜそんな事を思うのか。ライノアの行動一つ一つに感情が揺さぶられて、アルフォルトは首を傾げた。 「横着して無理に引っ張りましたね?」 「悪かったね、シャツも一人でロクに着れなくて」 思わず口を尖らせたアルフォルトにライノアは優しく微笑んだ。 「そもそも高貴な方は一人で着替えなんてしませんよ。貴方がやりたいって言うから尊重してるだけで」 アルフォルトは、自分で出来る事は極力自分でやりたいが、結局上手く出来ない事もある。今のように。そもそも、このシャツが無駄に装飾が多いのが良くない。 「着替えを人に手伝ってもらうのって、なんか子供みたいで抵抗があるんだよね」 この国では十六歳になったら成人だ。アルフォルトは成人の儀をやらなかったとはいえ、十七歳なので世間的にも既に大人だ。しかし、アルフォルトはいつまでたってもあどけなさが抜けない。身体は小柄で鍛えても華奢なままだ。 その事を誰よりも気にしていて、アルフォルトのコンプレックスでもある。 「我々従者としては、手間がかかる方が嬉しいんですけどね。世話を焼くのが仕事ですし」 「子供扱いするな」 アルフォルトが頬を膨らませると、ライノアはその頬を人差し指で突いた。 「そういう仕草が子供っぽいんですよ」 慣れた手つきで、ライノアは小さい上にやたら多いシャツのボタンを止めていく。 先程髪が引っかかった襟を整えていたライノアは、何かに気づいて一瞬手を止めた。 「······今日は襟を少し高くしても大丈夫ですか?」 「?別に構わないよ」 いつもそんな事聞いてきたかな?と少し疑問に思うが、特に気に止めずアルフォルトは従者に任せる事にした。 クラヴァット、カフス、上着のボタン。どれもアルフォルトが一人で着替えると苦戦するが、ライノアは手際が良く、あっという間に着替えが終わった。 「ありがとう、ライノア」 「これが仕事ですから。なんなら執務室まで丁重に運びましょうか、アルフォルト様?」 恭しくアルフォルトの手を取り、片目を瞑ってみせたライノアが可笑しくて、アルフォルトは堪らず笑い声を上げた。 「たまにはいいかもね」 言い終わらないうちにアルフォルトの視界が廻った。軽々とアルフォルトの身体を持ち上げ、所謂(いわゆる)お姫様抱っこでライノアは寝室を出る。 「ルトは軽くて持ち運びやすいですね」 「人の事を荷物みたいに言うな!」 「荷物だなんてとんでもない。ルトは大切な私のご主人様ですよ」 アルフォルトは頬を膨らませ、そっぽを向いた。そんな主に苦笑いすると、ライノアは急にワルツでも踊るように軽やかにターンする。驚いたアルフォルトは咄嗟にライノアの首にしがみついた。 「ちょっとライノア!」 「はははっ」 悪戯が成功した子供みたいに、ライノアが笑う。 普段は淡々としていて老け顔だなんだと言われるライノアだが、楽しそうに笑うと年相応にみえる。 執務室はアルフォルトの自室にあるので、寝室からはすぐだ。それでも、なんとなくライノアに甘えたのは、ライノアが落ち込んでいる気がしたからだ。 一歩外に出れば、ライノアは笑わない。 だから、他の人はライノアがこんなに感情豊かだと知らない。アルフォルトだけにみせる表情が沢山ある。 楽しそうに笑うライノアに、アルフォルトは何故か胸が締め付けられた。 執務室にメリアンヌの姿を見つけた途端、ライノアが無表情になって、あまりの温度差にアルフォルトは堪えきれず腹を抱えて笑った。

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