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第29話

シャルワールの婚約者候補との茶会が、再び開かれた。 前回呼ばれた令嬢達の中からさらに家柄を絞込み、が|闖入(ちんにゅう)しないよう、出入口に過剰なほど衛兵を配置した室内で行われた。全ての飲食物の毒味が徹底され、安全面も万全だ。 昨日離宮から戻ったアルフォルトだが、自室の前には普段の倍の衛兵が控えていて、今日一日部屋から出ないようにと見張られている。試しにドアを開けたら、物凄い目で見られて部屋へと戻された。どうやらローザンヌに「王子を部屋から出したらクビ」と言われたらしい。さすがにクビは可哀想なので、アルフォルトは大人しくしている事にした。 「僕は猛獣とか珍獣なのかな」 溜まった書類を片付けながら、アルフォルトはため息をついた。頬杖をついて窓の外を見ると、雲ひとつない晴天だ。外に出られないと思えば、余計に外の空気が恋しい。 「また勝手に出歩いてお茶会を台無しにした挙句毒入り菓子を食べられたら大変ですからね。猛獣の方がまだ分別(ふんべつ)があるかもしれません」 ライノアは追加の書類を机に置くと、じとりとアルフォルトを見据えた。 どうやら何も言わずに事を起こして、命の危機に直面した事をまだ根に持っているようだ。 視線を逸らすと、外へ出られないアルフォルトへの当てつけだろうか。視界に入る眩しい程の青空にうんざりした。 同じ青なら、ライノアの瞳の方がずっと綺麗だ。 ちら、と振り返れば、ライノアと目が合う。何故かドキリとして、アルフォルトは気を紛らわすように口を開いた。 「······シャルルのお嫁さん、どんな子が選ばれるかな」 将来王妃となるため、家柄や人格を考慮した上で集められた子達だ。事前に候補者は宰相伝いに聞いているが、どの子を選ぶかはシャルワール次第だ。 そこに恋愛感情はなくても、王族としての務めは果たさねばならない。 「浮いた話を聞いた事はないけど、もし好きな子がいるなら、責務を押し付けたようで申し訳ないな」 好き、という感情だけで結婚出来ないのが王族だ。国の利益を最優先としなければならない。婚姻を結ぶ、という事は国の行く末さえ左右しかねないのだ。 だから貴族とはいえ、男爵という下位の身分でアリアが第二王妃として嫁いだのはかなり異例だった。 頭がよく、容姿は申し分ない程美しかったが身体が弱く、周囲は猛反対だった。第一王妃のローザンヌと婚約していた事もあり、父であるベラディオはまわりを納得させるのに五年かかったと言う。 最後までローザンヌとローザンヌの実家は納得しなかったようだが、それでもどうにかアリアを第二王妃として迎え入れた。 病院経営や孤児院の運営、慈善事業に精力的だったアリアは庶民からの人気が高く、王家の存続に欠かせないと説得したと聞いている。 「もしルトが女性だったら、シャルワール様は貴方を迎え入れたかもしれませんね。貴方の事が大好きみたいですし?」 皮肉だな、とアルフォルトは思う。依然としてライノアは弟にあたりが強い。 「一応半分とはいえ血、繋がってるよ?」 「王族間での近親婚はたまに見られますよ」 ライノアは冗談めかして笑う。 「それでもシャルルと結婚は想像付かないな」 たとえ自分が女性だったとしても、弟はあくまでも弟だ。隣に立つ自分を想像出来ない。家族の愛情はあっても、恋愛感情とは違う。 (そもそも、僕に恋愛感情なんて理解できないんだけど) トラウマのせいか、恋愛感情がなんなのかアルフォルトにはわからない。 人伝に聞く話や本で読む恋愛は、絵空事のようで何処か遠い物に思える。 「ライノアは結婚したい?」 「え?」 ふと、思い立って聞けば、従者は蒼い目を見開いた。 「あ、でも僕の従者なんてやってると、結婚し辛いよね。もし気になる人がいたらちゃんと言ってね」 うつけ者な王子の従者なんて、いくら顔が良くても女性からしたら嫌煙されるだろう。 実は気になる女性がいるのに、アルフォルトに言い出せずにいるのなら申し訳ないと思った。ライノアにはライノアの人生がある。人一倍苦労している従者には幸せになってもらいたい。その為にアルフォルトは尽力するつもりだ。 (······あれ?) ライノアの隣に知らない女性が立っている事を想像し、アルフォルトは胸が苦しくなった。仲良く睦み合い女性に微笑む姿を、なぜたろう。 ──見たくない。 自分で言った事なのにと苦笑いすると、ライノアは急にアルフォルトの手を掴んだ。 そのまま、顔が近づいてくる。 「ライノア?」 従者の表情は冷たく、眉間にシワがよっている。 「私がその辺の女と結婚したいと思いますか?」 声も固く、どこか怒ったようにライノアは見つめてくる。なぜ急に怒り出したのか、アルフォルトにはわからず戸惑った。実際、城下ではしょっちゅう女性に声を掛けられている。すべて丁寧に断っているようだが、相手には困らないはずだ。 「僕に遠慮して言わないだけかなって。······ホラ、僕恋愛感情とかわからないから」 気まずくて、距離を詰めてくるライノアから離れようとし──背中に椅子の背もたれが当たった。吐息がかかる程間近にライノアの顔がある。 怒った顔も綺麗だ、なんて場違いな事を考え、アルフォルトはすぐ近くの蒼い目を見つめた。 「私はルト以外、何もいらない」 そのまま、視界のピントが合わない程ライノアの顔が近づいて来る。 ライノアの吐息が頬を掠めた。 え、と思うと同時に、唇に何が柔らかい物が触れた。 すぐに、それがライノアの唇だと理解する。 「······ふ」 状況を飲み込めず思わずライノアの胸元に縋り付くと、細めた蒼い瞳と視線が絡む。柔らかく唇を啄まれ、アルフォルトはビクリと肩を震わせた。 指先を絡め取られ、身動きが出来ない。 優しく唇を食まれ、思考が奪われる。 その時間は永遠にも思えたし、一瞬にも思えた。 そっと離れたライノアの唇に、アルフォルトは訳が分からず、零れた吐息の甘さに戸惑った。 「······私がこういう事をしたいと思うのは、アルフォルト、貴方だけです」 ライノアの表情はもう怒っていなかった。 その代わり、蒼い瞳は熱く揺らめいている。 咄嗟の出来事に反応出来ずにいるアルフォルトに、ライノアは問いかけた。 「もしかして嫌、でしたか?」 強引に唇を奪っておいて、心配そうに聞いてくる従者がどこか滑稽で、まるで怒られた犬のようだ、と他人事のように思った。無性に可愛く思える。 フルフルと首を振るアルフォルトに、ライノアはほっとしたように微笑んだ。 「ねぇ、アルフォルト」 ライノアは絡めたままのアルフォルトの指先を持ち上げて、唇を落とした。 「私は、ルトにとってなんですか?」 真摯な眼差しに見据えられ、鼓動が早くなる。 上手く息が出来ない。 心臓が、うるさい。 ──ライノアが、わからない。 こんな感情、知らない。 アルフォルトにとってライノアは、ライノアだ。 それ以外にあるだろうか。 咄嗟に言葉が出なくて固まる。 「······主人と、その従者?」 ようやく絞り出したアルフォルトの答えに、ライノアは苦笑いした。 「今はそれでいいです」 そっと離れた指が名残惜しいと、アルフォルトは思った。 その後はいつも通りのライノアで、日中に口付けて来た事は夢だったのかと錯覚するほど何も無かった。 変に意識したため一日中挙動不審になり、メリアンヌに心配された。自分ばっかり意識して阿呆みたいだ、とアルフォルトはため息をついてベッドに潜り込む。 そうだ、きっと白昼夢に違いない、とアルフォルトがぼんやりとベッドの天蓋を見つめていると、ドアが開く音と共にライノアが入ってきた。 「今日は早く寝て下さいね」 昨日はつい本を読み耽ってしまい、寝不足気味だった。書類を片付ける間、何度か船を漕いでいたのを思い出す。勿論今日は早く寝るつもりなので言われなくても、とアルフォルトは頬を膨らませた。 「わかってるよ。おやすみ、ライノア」 「おやすみなさい、アルフォルト」 そっと伸ばされた指先が、アルフォルトの頭を撫でる。いつも通りそのまま立ち去るかと思って目を閉じようとし──ライノアが覆いかぶさって来た。 そして、そっと唇を重ねる。どうやら昼間の口付けは錯覚でも白昼夢でもなかったようだ。アルフォルトの鼓動が早鐘を打つ。 絡め取られた指が、シーツに縫い付けられる。 (キスってどういう間柄の人がするんだっけ) ぼんやりとする頭で、アルフォルトは考えた。 少なくとも、従者と主人がする事ではない。 (頬やおでこはよくするけど、挨拶や親愛を表すものだし......普通唇にはしない、よね) メリアンヌやレンの事は好きだが、頬やおでこはともかく、唇にしようとは思わない。 (じゃあライノアは?) 昼間に嫌かどうか聞かれて、嫌じゃないと思った。寧ろ、もっと触れていたいとさえ思ったほどだ。ライノアはアルフォルトに触れる時は優しい。傷つけないように、怖がらせないように。 大切にされているのだと改めて実感すると、胸の奥が温かくなると同時に苦しくなった。 触れた時と同じく、そっと離れたライノアの唇は少し濡れていて、酷く蠱惑的に思えた。 「······私は、アルフォルトが好きです」 「僕もライノアが好きだよ」 アルフォルトの返答に、ライノアは微笑んだ。 絡めたままの指をそっと離して、アルフォルトに布団をかけ直す。 「多分、私の好きと貴方の好きは違うんです。だから、ルト」 言葉を区切ったライノアは身体を屈めて、耳元で囁いた。 「私はもう、我慢しません。私の『好き』を貴方に理解して貰えるように。──おやすみなさい、ルト」 それは宣戦布告のようだとアルフォルトは思った。

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