30 / 78

第30話(番外編)

夢の後 それは、天気のよい昼下がりの事。 「······ん」 何かが身じろぐ気配に、アルフォルトは目を覚ました。 頭の下にある暖かな温もり。弾力のあるそれはどうやら太腿のようで、いつの間にか膝枕をされて眠っていたらしい。ぼんやりする頭で身体を起こし──視線の先には、ソファに身体をあずけて眠る自分がいた。 「?」 どうやら、自分の膝枕で寝ていたようだ。 眠いのか、まだ頭がぼーっとする。昼寝は適度な時間で切り上げないと身体が怠くなってしまう。 そろそろ自分を起こさないと、夜寝れなくなってしまうな、なんて考えながら自分に手を伸ばした。 「······っておかしくない!?······え?!」 自分は起きているのに自分を起こそうとした奇行よりも、自分の発した声が低くて驚いた。 「ん······」 アルフォルトが状況が飲み込めずにいると、目の前で寝ていた自分が目を覚ました。 ぼんやりと周りを見渡し──思考停止しているアルフォルトと目が合った。 「何故、自分が目の前に?」 そして、自分の発した声に違和感があったのだろう。アルフォルトと同じく、目の前の自分(?)は目を見開いた。 「ラ、ライノアはどこ?」 動揺しすぎて、眠気はどこかへ行った。助けを求めて頼れる従者の名を呼べば、目の前の自分(仮)が「私が私を間抜けな顔で探してる」と目を見開いた。 ここまでくれば、お互いさすがに気づく。 「もしかして」 「私達」 『入れ替わってる!?』 昼下がりの執務室に、二人の声がハモった。 「──つまり、二人で仲良く昼寝して目を覚ましたら、入れ替わっていた、と」 ソファに座る二人を交互に見比べて、メリアンヌはため息をついた。 「そうなんだよ!目覚めたら目の前に僕がいるから何事かと思った!!今も思ってる!!」 アルフォルト(身体はライノア)は膝の上に拳を置いて頬を膨らませた。 「アルフォルト、私の顔でいつもの可愛い動きは辞めて下さい······正直キツい」 一方のライノア(身体はアルフォルト)は額に手を当てて項垂れた。 「そんな事言われたって······てか可愛い動きって何?」 キョトンと小首を傾げたアルフォルトだが、はたから見たらライノアなので違和感が凄い。 「私は小首を傾げません」 「それなら僕だってそんな無表情じゃない」 「二人とも、落ち着いて······とりあえ、ず······っ」 メリアンヌは二人をなだめようとし──途中から声が尻窄まりになり、俯いた。 「メリアンヌ?」 どうしたものかとアルフォルトが心配そうに窺うと──。 「っ······アッハハハッ面白すぎるんですけど!?」 メリアンヌは腹を抱えて笑いだした。笑いすぎて呼吸が上手くできないのか、途中から盛大に咳き込む侍女を、ライノアは毛虫でも見るかのような表情で睨む。 「ライノア······僕そんな顔した事ないよ、多分。表情筋どうなってるの、ソレ」 「その言葉そのまま貴方に返しますよ」 笑い過ぎて涙まで流すメリアンヌを、二人は暫く眺めていた。 「いや~ごめんなさいねぇ。······ふふっ······王子の冷たい目って新鮮でゾクゾクしちゃう、なんか新しい扉開きそう」 「開かなくて結構。気持ち悪い」 ライノアは心底嫌そうな顔でメリアンヌを睨んだ。 紅茶を注ぎながら、メリアンヌはまだ少し肩を震わせていた。 「逆に、子犬みたいなライノアさん可愛いくないですかー?こんな表情豊かなライノアさんレア過ぎますよねー」 騒ぎに駆けつけたレンは、面白そうにアルフォルトを見つめた。 「そうかな?ライノアって結構表情豊かだよ?」 紅茶を一口飲み微笑むと、アルフォルト以外が固まった。そんな顔しないで欲しいと、アルフォルトは思った。 「王子『僕の友達はくまちゃんとうさちゃん』て言って見てくださいー」 「ぼ、僕の友達はくまちゃんとうさちゃん?」 レンに促されるまま、アルフォルトはセリフを反芻する。 「あっはっはっはっ······全っ然可愛くねぇな!!······失礼」 メリアンヌは乱れた言葉を詫び、笑いを噛み殺した。 肩を震わせ、無言でツボに入ったレンの頭を、ライノア(見た目はアルフォルト)が叩いた。 「アルフォルトで遊ばない!」 「痛いですライノアさんー。傍から見たら王子が叩いてるから、もし人に見られたら外聞悪くなりますー」 「うっ······」 「レン、ライノアが困ってるからやめてあげて」 「これ、脳が激しく混乱するわね」 メリアンヌは頬に手を添えた。まだ頬が少し引きつっている。 「中身が違うだけでこんなに雰囲気変わるんですねー」 「ライノア、お願いだからその顔やめて。僕がものすごい暴君に見える」 「······」 天真爛漫な自分の顔に耐えられないのか、ライノアはずっと頭を抱えていた。 苦悩するアルフォルト(中身ライノア)の表情は、普段より大人びていて艶かしい。 「まぁでも、なっちゃったものは仕方がないよね。午後は特に予定が無いのが不幸中の幸いだよ」 逆に、ライノア(中身アルフォルト)は普段よりも表情豊かなせいか、年相応に見える。もはや別人の類だ。 「残りは書類仕事だけだし、部屋から出なければとりあえずは大丈夫じゃないかしら?」 メリアンヌの言葉に、ライノアは無言のまま頷いた。 入れ替わるなどあまりにも非現実的すぎて、正直脳が処理しきれていないが、なってしまったものはどうしようも無い。 いつ戻れるかもわからないこの状況では、いつも通り過ごすのが最適解だろう。 「でも、離宮にいる時で良かったよ。ここならそうそう来客なんて無いし──」 アルフォルトが言い終わる前に、離宮の侵入者対策の警報装置が鳴り、全員が顔を見合わせた。 「アルフォルト、今のは完全にですよね?」 「あーもうすみませんね!」 まっすぐ入口まで来る足取りに、誰が来たのか大体想像が着いた。 「······なんてタイミングの良い方だ」 鼻で笑うライノアの頬をアルフォルトは引っ張った。 「お願いだからシャルルにそんな顔しないでね!?······メリアンヌ、申し訳ないけどシャルルに取り込み中で対応出来ないと伝えて貰える?」 「わかりましたわ。レン、一応隠れて······早い。もういないわ」 身代わりをしているレンの存在はなるべく隠しておきたいので部屋へ戻るように声をかけようとしたメリアンヌだが、レンは既にいなかった。 メリアンヌに対応を頼み、執務室にはライノアとアルフォルトの二人だけになった。 そっと窺うようにライノアを見れば、不機嫌丸出しの自分の顔がある。 「ごめんね、ライノア」 「ルト?」 しゅん、と項垂れると、ライノアは何とも言えない顔でアルフォルトを見つめた。 「僕の身体なんて嫌だよね。······小さいし」 そっと手を取る。自分の手を客観的に見た事は無かったが、こんなに頼りない手をしていたのか、とアルフォルトは苦笑いした。 「申し訳ないけど、僕はライノアの身体になってちょっと面白いなって思ったよ」 アルフォルトは立ち上がった。 普段とは頭一つ分くらい違う目線は新鮮で、遠くまで見通せる。アルフォルトには届かないものも取れる長い手。足も長いから歩幅だって全然違う。少し羨ましいと思った。 「······ルトの身体が嫌なわけでは無いです」 「ライノア?」 アルフォルトの問いかけに、ライノアは気まずそうに視線を逸らした。 「自分の顔なのに、仕草がアルフォルトなので······頭が混乱するのと」 言葉を区切ったライノアは、アルフォルトに手を伸ばした。指先を絡め取り、自分の頬に導く。 「アルフォルトの目線で周りを見たら、皆大きくて正直驚きました」 「暗にチビって言ってる?」 頬を膨らませると、ライノアは苦笑いした。 「そうじゃなくて······私の身体が知らずに威圧感を与えていたかもしれないと思って」 ライノアの言葉に、アルフォルトは首を降った。 「ライノアは確かに大きいけど、ライノアを怖いと思った事は無いよ。メリアンヌもそう」 頬に添えた手は、自分の輪郭をなぞる。 自分の顔を直視する機会なんてなかったので、アルフォルトは新鮮な気持ちで自分の顔を見る。 「アルフォルト······」 ライノアが何か言おうと口を開き──廊下が騒がしい事に気づいた。足音が聞こえてきて、今自分は仮面を付けていないことに気づく。 慌てて仮面を付けようとしたが、ドアが開く音の方が早かった。 「兄上!取り込み中と聞いたが俺を断る程の来客──」 ドアの向こう、執務室の中の光景にシャルワールは固まった。 「何か用?」 アルフォルト(中身ライノア)がライノア(中身アルフォルト)をソファに押し倒していた。 「······あにうえ?」 シャルワールに顔が見えないよう背中を向けたまま、アルフォルトの身体でライノアは言った。 「取り込み中だと言った筈」 アルフォルトに組み敷かれたライノアは呼吸が荒く、目は少し潤んでいた。 執務室に漂うただならぬ雰囲気に、シャルワールはしり込みした。 「す、すまない。また改める」 すかさずメリアンヌがシャルワールの腕を引き、廊下へと連れ出す。 足音が遠ざかり、気配が消えたのを確認すると、アルフォルトとライノアは深く息を吐いた。 「今の、絶対勘違いしましたよね。私は別にいいんですけど」 「何が?」 「いえ、何でもありません」 「それより、痛い······慌てたら頭ぶつけた······」 ソファの肘掛に頭を強打した所を抑え、アルフォルトは唸った。 「すみません、癖で貴方を隠そうとしましたが、今隠すべきは自分の顔でした」 ライノアは苦笑いして身体を起こそうとし──アルフォルトは、その手を取って引き止めた。 そのまま、自分の身体の上に乗せて抱きしめる。 「自分に抱きしめられるって変な感じがしますね」 ライノアはアルフォルトの腕の中で微笑んだ。 「······正直、僕の身体がこんなに軽いとは思わなかった」 抱きしめた自分の身体は、確かに重さはあるが、一般的な成人男性のそれをはるかに下回るのだと改めて気付かされた。もしくは。 「私としては運びやすいですけど」 普段からライノアは鍛えているから、軽いと感じるのかも知れない。 「なんだか疲れちゃったよ」 自分の身体を抱きしめたまま、アルフォルトはうとうととしはじめる。温かい身体は眠気を誘う。 昼寝して目が覚めたら入れ替わっていた、なんてまだ夢でも見ているのだろうか。 「──」 ライノアが何か言っているのに、頭がぼんやりとして上手く聞き取れない。 瞼が重く、意識が遠のいていく感覚に身を委ねていると、名前を呼ばれた気がした。 「──ルト」 「ん······」 「アルフォルト」 今度はハッキリと、名前を呼ばれ、アルフォルトは目を覚ました。 目の前には、見慣れた蒼い瞳。覗き込む顔は無表情だが、アルフォルトにはわかる。これは心配している顔だ。 「······──ライノア?」 瞼を擦る。 欠伸をして窓の外を眺めれば、西日が眩しい。 「中々起きられないので心配しました」 手を引かれ、身体を起こす。そのままライノアはアルフォルトの頬を撫でた。 「頬が赤くなってる」 それは下にしていた方の頬で、アルフォルトは照れ笑いで誤魔化した。 「僕、結構寝てたんだね」 「私も少し前に起きたばかりです。目覚ましにお茶でもどうですか?」 目の前に手際良く並べられたティーカップからいい香りがする。 淹れたての紅茶からは湯気があがり、眠気覚ましに丁度良い。 「へんな夢を見てたみたい」 アルフォルトは、ぼんやりする頭で夢を思い出そうとし──霧がかかったみたいに思い出せず「ん~忘れちゃった」と呟いた。 「そうですか。······お茶菓子もお持ちしますか?」 「うん、お腹すいた」 ライノアは微笑むと、お茶菓子を取りに向かう。 「夢、ね」 さっきアルフォルトの膝枕で寝てた時、ライノアも夢をみていた。 それは、アルフォルトと身体が入れ替わる夢で、あんな顔の自分は二度と見たくないと思った。 うたた寝から跳ね起きたライノアの鼓動は早く、目が覚めて思わず鏡を確認した。 そして鏡に映る不機嫌な自分の表情に心の底から安堵した。 「ある意味悪夢だった······」 ライノアは深くため息をつくと、焼き菓子を手に足早にアルフォルトの元へと戻って行く。 まさか二人が同じ夢を見ていた、なんて誰も知るよしはない──。

ともだちにシェアしよう!