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第31話

高級飲食店マニフィカトには、食事を楽しむ一般向けの大ホールの他に、上客向けの個室がある。 所謂(いわゆる)VIPルームで、貴族や高級官僚が密談や愛人との逢瀬を楽しむ為によく利用される。 店の入口とは別の専用入口からしか入れず、例え誰か他の客とすれ違っても口外厳禁が不文律。勿論店の給仕も同様で、客の話は他言無用。情報が欲しい輩が給仕を拐かして拷問して吐かせる、なんて事件もしばしば見受けられる。 以前は金欲しさに給仕が客の情報を売る事もあったが、情報を売ったが為に殺される、もしくは死ぬまで命を狙われるのが殆どだ。その為、割に合わないと今でははぼ見なくなった。 高い給金と引き換えに常に命の危険に晒されるためか、個室用の給仕は訳ありな人材が多い。 そんな訳ありが集う給仕の内、背の高い男が一番奥の個室へとワインを運んで行くと、室内はなんとも沈鬱な空気に包まれていた。 「──商品はすべて、されたようです」 エルトン·ディークは目の前に座る商談相手から頭の痛い報告を聞いていた。 給仕が注いだワインを受け取ると、水のように飲み干した。 良いワインなのはラベルを見ればわかるが、正直今は味わう余裕など微塵もなかった。 空になったグラスに、給仕がすかさずワインを注ごうとしたのを手で制し「あとは自分でやるから下がってくれ」と言うと、給仕は優雅にお辞儀した。一つに結わえた赤い長髪が、はらりと肩を滑り落ちる。 「かしこまりました。なにかあればそちらの呼び鈴を鳴らして下さい」 テノールの良く通る声。顔は中々の美丈夫で、立ち居振る舞いも洗練されている。 初めてみる顔の給仕はエルトンに微笑むと、足音も立てずに部屋から出て言った。 「ここに置いて置くのはもったいないな······とはいえ、こんな所の給仕をやるくらいだ、さぞ訳ありだろうな」 自分でよく利用していて、呼ばわりだが、実際に碌でも無い経歴の者ばかりなので強ち間違いではない。 給仕は金に困ってる元騎士や、主人のお手付きになって屋敷を追われた従者などが大半だ。 今の給仕は顔の良さから、おそらく後者だろう。 給仕が運んだワインを、空になったグラスに注ぐと、エルトンは再び一気に飲み干した。 「取引があった日、運悪く王子が湖のヴィラへ足を運んでいたようですね。ゴロツキ共が上手く立ち回れば良かったのですが」 給仕が居なくなったのを見計らって、奴隷商は口を開いた。 奴隷商は、太った腹に頭頂部が禿げ上がった50代半ばの男で、身なりこそ良いが品性の欠けらは微塵も無い。 「下層の者に王族の顔はわかるまい。あまつさえ商品にしようなどと」 エルトンは苦虫を噛み潰した顔で唸った。 よりによって王子か、と苦い記憶が蘇る。 エルトンが継ぎたくもない伯爵家を継いだのも、先代当主が死んだのも、社交界を追われたのも。 「王子に関わると碌な事にならない」 エルトンは飲み干したグラスをテーブルに叩きつけるように置いた。 「そもそも王族の私有地で取引きしてた時点で、遅かれ早かれこうなるのは目に見えていたのでは?」 奴隷商が呆れた口調なのが、より神経を逆撫でする。エルトンはイライラと頭をかいた。 「ヴィラの管理人が大丈夫だと言っていたから、鵜呑みにしていた自分にも落ち度はある」 ここ数年、ヴィラを王族が利用する事はなく、門番も懐柔済み、秘密の商売には打って付けだった。それに、もしヴィラを利用するなら通常は事前に管理人に連絡が来るはずだった。 「まさかお忍びで王子が来るとはな」 城に潜り込ませている密偵から事件後の粗方の話は聞いた。普段は文官として働いている男からの情報では、今回の件は徹底的に箝口令が敷かれたそうだ。 「取引相手が軒並み牢に入れられて、こちらも商売上がったりですよ」 肩をすくめる奴隷商は然程困った様子でもないが、口だけはよく回る男だとエルトンは思う。 そもそも、ライデン王国は奴隷も人身売買も禁止されている。貴族だろうと平民だろうと重罪だが、秘密裏に取引されているのが現状だ。 今回捕まったのも、奴隷商がしっぽ切りで使う下層の取引相手で、自分をはじめとした上客はボロさえ出さなければ捕まることは無い。商品の子供を集めていたゴロツキですら取引先が貴族、という大まかな情報しか知らされていないので、万が一尋問に掛けられても大した問題にはならないだろう。そもそも、制圧された時点で殆ど死んだと聞いている。 「取引先に我が伯爵家の名前も上がったそうだが、捕まる事は無いだろう。なんせ証拠がないからな」 酒が回ってきたのか、エルトンは少し気分が回復し、苛立つ感情が薄れてきた。 「大切なお取引先様ですからね、そんなヘマはしません」 奴隷商の男はニタリと卑下た笑みを浮かべた。 「暫くは大人しくしていた方がよさそうだが、またいい商品があったら教えてくれ」 エルトンは席を立つと、部屋を後にした。 「──王子、ね」 廊下を歩きながら、深く息を吐いた。 エルトンが伯爵家の当主になって五年が経つ。 先代の当主であるエルトンの父は、商才はあるが好色漢で、家同士が決めた結婚相手である妻──エルトンの母にも、息子である自分にも興味を持つことは無かった。父の興味は専ら若い女で、気に入ったメイドや商家の娘を囲っている事は、当時の社交界でも有名だった。 そんな夫に嫌気が差した母はエルトンが小さい時に他に男を作って、二度と帰って来ることは無かった。 そしてエルトンが二十歳になった時、事件は起きた。 商才を認められて登城する事が増えた父は、ある日を境に囲っていた女をすべて手放した。 うわ言のように「私が間違えていた」と繰り返すようになり、思い詰めた表情を浮かべるようになった。仕事以外は部屋にこもるようになり、窓の外を見ては物思いに耽る日々が続いた。 今までの行いを悔い改めたのか、と内心ホッとしていたエルトンだったが、その考えは間違っていたと知る事になる。 ある日、やたらと機嫌よく父が帰ってきた。──両腕に、眠る第一王子を抱えて。 出迎えた執事も、エルトンの事もまるで見えていないように、眠る王子を恍惚とした表情で見つめる父が、エルトンには恐ろしい怪物に見えた。 初めて登城した日に見た第一王子の美しさに、父は魂を抜かれたと言う。登城する度に王子を探し、見かけた日は天にも登る気持ちだったと、うっとりと語った。 そして、今日の帰りにたまたま見かけた王子は、木陰で一人眠っていたらしい。周りに護衛もみあたらず、衛兵もいない。 父は、歓喜した。これは神が下さったチャンスなのだと。そして王子を抱えて屋敷までお連れしたと父はうわ言のように話した。 執事は父が犯した罪の重さに耐え兼ね、そのまま屋敷から姿を消した。 エルトンは自室で、何も知らないふりをしてただ時が過ぎるのを待った。逃げたところで、事態は変わらない。 時間にして、二時間程だろうか。 屋敷が騒がしくなり、メイドに呼ばれたエルトンが屋敷の地下室で見たのは、胴体と頭が離れた父の遺体。傍らに立つ、黒い髪の血塗れの年若い従者。その腕に大事そうに抱えられた王子は、従者の物と思われる外套で包まれていた。 父は王城で見た第一王子に懸想して、あろう事か我が物にしようと、誘拐した。そして、王子を救助しに駆けつけた従者に斬り殺されたと言いう。 エルトンは、父の脂肪で浮腫んだ血まみれの体も、部屋中に垣間見える父の性癖も、何もかも醜いと思った。 王族の身を危険に晒した罪で、一族郎党処刑されてもおかしくなかったが、今までの父の功績と、王からの恩赦で、口外しない事を条件に領地の八割を失う事で許しを得た。 未遂とはいえ第一王子を(けが)された事は、王族としての沽券に関わるため、詳細は伏せられ、箝口令が敷かれた。 社交界を追われ、僅かな領地を継ぐこととなったエルトンは、領地を抵当に借金を繰り返してギャンブルにのめり込み、そこで知り合った奴隷商と意気投合し──人身売買で荒稼ぎして、今に至る。 「なんの因果かね」 子供は、高く売れる。 顔の良い子供は特に。 労働力としてではなく、玩具やペットとして。着せ替え人形のように可愛がられる子もいれば、歪んだ性癖の犠牲になる子もいる。 あの日、父の両腕で眠っていた王子は、人間離れした美しさだった。絵画の中の天使のような、透き通った白い肌、王族特有の気品、神々しい金髪。あどけない寝顔はなんの穢れも知らない純新無垢そのものだった。 しかし事件の後、王子の噂はエルトンが知っているものとは全く違った。 顔に傷がある、醜い、うつけ者など、様々な噂を耳にする度に、彼もまた父によって人生を狂わされたのだと思った。 そして、エルトンもまた歪んだ感情に支配されるようになった。 「早く新しい子を探さないと」 この間買った子は、髪は金髪だが顔はいまいちで、三日と。 貧民街から連れてきたからだろうか。 やはり、高貴な生まれでなければ駄目なのかもしれない。 ため息をついて、廊下を曲がろうとしたエルトンに、何かがぶつかった。 「ぅわっ」 「······っ?!」 トサっと軽い音と共に床に何かが倒れた。 目の前をふわりと舞ったのは亜麻色の髪で、床に尻もちをついて倒れたのは、女の子だった。 「すみません!」 バタバタと、さっきの背の高い給仕が駆けて来る。給仕の姿を見つけ、少女は怯えたようにエルトンの服の裾を掴んだ。 少女と視線が合い、エルトンの心臓が早鐘を打つ。 「大丈夫ですか、お嬢さん」 そっと手を差し伸べて立たせると、少女はコクンと頷いた。そのまま、エルトンの後ろに隠れる。 「何事だ?」 駆けつけた給仕にエルトンが問いかけると、給仕は困った顔で頭をかいた。 「······その子、あそこの部屋のお客様が呼んだ娼婦なんですけど」 前方の部屋を指差して、給仕は声を潜めた。 「お客様を殴ったみたいで」 「殴った?」 エルトンは後ろに隠れた少女を見る。少女は気まずそうに視線を逸らした。 「没落貴族のご令嬢らしく、その······身持ちが固いというか。初めてのだったようで」 給仕はため息をついた。よくある話だ。 没落して家も領地も無くなった令嬢の行先など、たかが知れている。 家庭教師やメイドなどの職に就ければ良いが、貴族の令嬢というだけあって家事や掃除などした事が無く、働く先に困って高級娼館で身体を売る者は多い。しかし、プライドがそれを許さず、初めは逃げたり暴れたりすることもしばしば見受けられる。 先程からずっとだまっている少女を疑問に思い、視線を向けると給仕が補足した。 「彼女は言葉はわかるけど話せないようです。今、支配人と娼館側が謝罪してるところなんですが、どうやら逃げ出して来たみたいで」 給仕はちらり、と少女を見る。不安そうな少女の手は少し震えている。 「本当は今すぐ連れ戻さないといけないのですが······どうか、見なかったふりをしていただけませんか?」 給仕は頭を下げた。 エルトンは顎を撫でて少女と給仕を交互に見る。 「何故そこまで肩入れする?今会ったばかりの他人だろ?」 エルトンの問に給仕の瞳が揺らいだ。 「······その子と同じくらいの歳の妹が自分にはおります。だからでしょうか、なんだか見過ごせなくて。不躾なお願いだとは思いますが、どうかお願いします」 給仕は再び頭を下げて懇願した。 正直、面倒事に首を突っ込むつもりは無かった。 ──だが。 「お嬢さん、ここから逃げても行く所なんてないだろう。私の所で働くか?」 少女を振り返り、エルトンは微笑んだ。 少女は目をパチクリと瞬かせる。 「丁度使用人が一人居なくなったばかりだ。仕事を覚えるまで大変だろうがどうだ?衣食住は保証する」 手を差し出せば、少女は躊躇いながらも大きく頷いて手を取った。 「宜しいのですか?」 「いいよ。せっかくだ君も一緒に来るか?どうせこの件がバレたらクビだろう?」 エルトンの提案に、今度は給仕が目を見開いた。 「それは、ありがたいのですが·····私までお世話になるのは申し訳ないと言いますか······」 躊躇っている給仕に、エルトンは鷹揚に微笑んだ。 「さっき、君がここにいるのは勿体ないと思ってた所だ。所作が美しいし腕も立ちそうじゃないか。裏通りに馬車を回してあるから、二人とも気付かれないように来るといい」 エルトンは手をヒラヒラとさせてマニフィカトを後にする。 歩きながら、エルトンはニヤケそうになるのを堪えきれずに口元を抑えた。 ──先程の少女は、 性別も髪の色も違うが、紫の瞳、白い肌、整った造形。 何もかも記憶の中の王子に酷似していた。 これはもはや運命だろうか。 しかも、娼婦の行方など誰も探しはしないだろう。 赤毛の給仕は中々使えそうだ。性根が優しい人間は、恩を少し売るだけで何でも言う事を聞くから扱いやすい。 事件の発覚で最悪だった気分が、今は小躍りしたいほど高揚している。 「今回は長持ちするといいなぁ」 ニタリ、と口元を歪ませ、エルトンは馬車へと急いだ。 「さて、想定外だけど私も一緒に行く事になったわね」 マニフィカトの廊下で、背の高い給仕は肩をすくめた。ひとつに纏めた長く赤い髪が肩を滑り落ちる。 「正直心強いけど、いいの?大丈夫?」 顔に似合わず低い声。話せないはずの亜麻色の髪の少女は、少年のような声で問いかけた。 「元々後から中に入り込む予定だったからいいのよ。それにしても······」 給仕は、少女の頬を両手で包んだ。 「うちのはなんて可愛いの!!食べちゃいたいくらい!!」 至近距離で背の高い給仕──に変装したメリアンヌが、瞳を輝かせた。 「食べないでよ。······メリアンヌはやっぱりかっこいいね」 没落令嬢──になりすましたアルフォルトは、苦笑いしながらメリアンヌの赤い髪を撫でた。 メイド服を脱ぎ、化粧を落としたメリアンヌは誰もが振り返る美丈夫で、背の高さも相まって給仕の服が様になっている。 「普段のメイド服も素敵だけど、男装も似合うね。昔を思い出すよ」 「それを言うなら王子だって、どこからどう見ても美少女よ」 緩やかな巻き毛の亜麻色の髪は勿論カツラだ。アルフォルトは、身を包んでいる萌葱色のドレスの裾を摘んだ。 「これはメリアンヌの化粧が上手いからだよ。まぁ、喋ったら声で流石にバレるけどね」 小声で雑談しながらメリアンヌと外へと向かう。 「ディーク伯爵は、やはり奴隷商を通じて人身売買をしてるみたいね」 メリアンヌは先程のエルトンと奴隷商の会話をかい摘んでアルフォルトに伝えた。 探りを入れるためにメリアンヌは数日前から給仕のフリをしてマニフィカトに潜入していたが、どうやらアタリのようだった。 「どのみち証拠が無いと動けないから、頑張って探さないと」 アルフォルトは、上手い事エルトンと接触して懐に入り込む事が出来た。元々アルフォルトに似た子供を探している噂は聞いていた。それなら、と王子本人が出向いた訳だ。勿論王子だとバレるとまずいので、あえて女装しているが。 「それと、私が潜入する直前に個室専用の給仕が一人辞めたそうなんだけど、どうやら王城で侍女として短期間働いてたみたいなのよ」 メリアンヌの報告に、アルフォルトの心臓が早鐘を打つ。 「まさか、ローザンヌ王妃付きの侍女?」 ローザンヌが実家の領地へ戻った日に失踪した赤髪の冴えない侍女を思い出す。行方を追ってはいるものの、手がかりはほぼ皆無だ。 「辞めた給仕の女は一応茶髪だったみたいよ。私が言うのもあれなんですけど『見た目』なんてどうにでも変えられるから違う、とは言いきれないわ」 ふと、メリアンヌが立ち止まった。そのまま胸に手を当て真剣な眼差しでアルフォルトを見つめた。 「危ないと思ったら、証拠を抑えられなくても必ず引いて下さい。何があっても私が命に替えてお守り致します」 いつもの口調とは違う真摯な侍女に、アルフォルトは頷いた。 「わかってる。メリアンヌも無理はしないで」 今回、顔が割れているライノアは不在だ。アルフォルトがエルトンと接触する事を最後の最後まで渋っていたが、メリアンヌがサポートする事、絶対に無理をしない事でどうにか了承を得た。 ──それに。 少し、距離を置く事で感情を整理したかった。 (ライノアが、何を考えているのかわからなくなった) 隣にいるのが当たり前で。近くにいないと落ち着かないし無意識に探してしまうようになったのは、いつの頃からか。 『私は、アルフォルトにとって何ですか?』 あの時。咄嗟に「主人と従者」と答えられなかったのは、アルフォルトにとってライノアはただの「従者」ではないからかもしれない。 (じぁあ、一体何?) ライノアの事を考えると、最近胸が苦しくなる。 アルフォルトは無意識に唇に触れる。啄むように触れたライノアの唇の感触を思い出し、赤面した。 「王子?」 様子がおかしいアルフォルトに気づいて、メリアンヌが問いかけてくるのに「なんでもない」とだけ答える。 今まで感じた事のない感情に、アルフォルトは戸惑うばかりだった。

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