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第42話(番外編)

これは、アルフォルトとメリアンヌが城を開けている間の話。 レンは、ぼんやりと窓の外を眺めていた。 「王子、大丈夫ですかねー」 アルフォルトとメリアンヌは、現在エルトンの屋敷へ潜入中で城を空けていた。 その為、レンはいつもの従者の格好ではなく、アルフォルトの服に仮面を着けて身代わり中である。 発熱で療養中という名目で、昨日から離宮に引きこもっている事になっている。 普段なら絶対アルフォルトの傍を離れないライノアは、エルトンに顔が割れているため今回ばかりは王子に同行できずにいた。 「メリアンヌがいるから大丈夫でしょう」 書類仕事をしていたライノアは、感情の籠っていない声で答えた。 実に分かりやすい男だと、レンは思う。 ライノアの行動原理は単純で、アルフォルトを基本としている。 そのアルフォルトが不在となれば、ライノアは普段以上に感情が無くなり、会話も必要最低限に留まる。 レン自身もあまり喋る方ではないので、離宮の執務室はいつもより静かだった。 メリアンヌやアルフォルトの賑やかさも好きだが、物静かなこの空気も、嫌いではない。 「レン、そろそろ休憩しましょうか」 書類に一区切りついたのだろう。ライノアはティーセットを準備するため立ち上がる。 「手伝いますかー?」 レンも立ち上がろうとしたが、ライノアが首を振ったので大人しく座って待つ事にした。 暫くすると、ライノアがトレーに紅茶と焼き菓子を乗せて戻って来た。沢山食べるアルフォルトが居ないので、量はだいぶ控えめだ。 レンはお礼を言って紅茶を受け取る。 向かいのソファに座ったライノアは、書類に目を通しながら紅茶を飲む。 じっと見つめると、視線に気づいたライノアが顔をあげた。 「どうかしましたか?」 「いやー、ライノアさんって何だかんだ言っても面倒見良いですよねー」 アルフォルト至上主義なライノアだが、周りへの気遣いは忘れない。 今受け取った紅茶も、本来ならレンが自分で用意すべきだが、ライノアはわざわざレンの分を用意してくれた。 「自分のついでですから」 素っ気ない返しだが、怒っている訳ではなくこれがライノアの普通なのだ。 何事にも動じない、常に凪の状態。 まだ二十歳だと前に聞いたが、その落ち着きぶりのせいで二十代後半にしか見えない。 ライノアに老け顔は禁句だと、アルフォルトが言っていたのを思い出した。 レンにとってライノアは、よくわからない人物だ。 それに比べて、あとの二人はわかりやすい。 メリアンヌは、隙がない。 普段はメイド服を纏った陽気でお喋りな、人当たりの良い侍女だが、ふとした瞬間にと思う時がある。 常に周りに神経を張り巡らせ、背中に目でも付いてるのかというほど、死角がない。 メリアンヌには、戦闘に慣れた人間独特の空気がある。 アルフォルトは言わずもがな、どこからどう見ても王子だ。 所作は勿論、立ち居振る舞いや顔立ち、持ち合わせた雰囲気。普段は砕けた話し方をしているが、隠しきれない高貴さを纏っている。 そしてライノアは──。 「ライノアさんって、王子に拾われたって聞いたんですけどー」 雑談を振られると思わなかったのだろう。ライノアは少しだけ、本当に少しだけ目を見開いてレンを見つめた。 「ええ。死にかけてた所をアルフォルトとアリア王妃に助けて頂きました」 どこから遠くを見つめる目で、ライノアは答えた。 「なんで死にかけてたんですかー?」 「······明け透けに聞きますね。──私は母親に殺されかけたんです」 軽い気持ちで聞いたら、思っていたよりも重い返しにレンは驚いた。 「う、なんか、聞いてすみませんー。ライノアさんって立ち居振る舞いからいい所のお坊ちゃんだったんじゃないかと思ってたから、拾われたって事に違和感があってー」 聞いちゃいけない事だったんじゃないかと、レンが申し訳なさに項垂れると、ライノアがほんの少しだけ笑った気配がした。 「かまいませんよ。レンの言う通り、庶民の生まれではないです。──まぁ、よくあるお家騒動と言いますか······母は跡目争いで邪魔になる前に消しておこう、くらいの感覚だったんじゃないですかね」 どこか他人事のように淡々と語るライノアは、殺されかけた事すらどうでも良さそうだった。 跡目争いという事は、兄弟がいたのだろうか。気になるが、なんとなく聞いてはいけない気がして、レンは口を噤んだ。 (やっぱり、貴族か) なんとなく、そうなんだろうなとは思っていた。 レンがアルフォルトの身代わりをするようになって必死に覚えた所作は、やはりまだまだ付け焼き刃で、短時間ならどうにかなるが長時間は難しい。 その点、ライノアの立ち居振る舞いは、従者でありながらも優雅で貴族のソレに近しいものだった。 (メリアンヌさんも所作は完璧だけど、ライノアさんのはまた違う、というか) 生まれながらに染み付いたもの、とでも言うのだろうか。 それに、とレンは思う。 ライノアの所作はどちらかというと──。 「ライノアさんって、王子と同じ匂いがしますー」 ボソッと呟けば、ライノアは目を瞬かせた。 「?まぁ、衣類は同じ洗剤で洗ってるかと思いますので、おのずと」 何を言い出すのか、とライノアは若干訝しんだが、ズレた返答にレンは脱力した。 (この人、時々ズレてるんだよな) レンが半目でぬるくなった紅茶を飲んでいると、執務室のドアがノックされた。 ライノアがドアを開けると、離宮の護衛から何やら紙切れのような物を受け取り、二言三言会話をすると戻って来た。 離宮の護衛は、城の衛兵の他に常駐しているのが五人。管理や清掃などを行うメイドは十人前後。トラウマを抱えるアルフォルトに配慮して全て女性で構成され、マルドゥーク家の管轄から派遣されている。 因みに城の衛兵は、離宮の中へは入らない決まりになっている。前に衛兵に扮した暗殺者が寝室に侵入した事があり、アルフォルトの安全性を考えて宰相と王が決めたと聞いている。 手渡された紙切れから顔をあげたライノアは、何やら険しい顔をしていた。 「何かありましたかー?」 「メリアンヌからの定期報告が届きました」 ライノアの表情から、良くない知らせだったのかとレンは焦る。 「······アルフォルトが」 言葉を区切ったライノアの表情は固く、いよいよ背中を嫌な汗が伝う。 生唾を飲み込み、レンは次の言葉を待つ。 「アルフォルトが、女装した上にメイド服で潜入中だそうです。······見たい」 「······は?」 ライノアの表情と言葉が一致せず、レンは目を点にした。 「普段どんなに頼んでも絶対女装したがらないのに」 「······は?え?」 拳を握りしめて淡々と語るライノアだが、冗談で言っているのではなく(メリアンヌ曰く冗談は通じない)真面目に本気で言っている。 「え、女装してって普段から王子に頼んでるんですか」 思わず早口になったレンに、ライノアは当たり前のように頷いた。 「なにやってるんですかアンタ······」 一国の王子に何頼んでるんだこの人、とレンは心底呆れた。不敬罪にも程がある。 「レンも男装するしメリアンヌも女装するじゃないですか」 「いや、それとこれとは別でしょう」 レンは真顔で突っ込んでしまったが、ライノアは首を傾げただけだった。 目眩を覚え、レンは額を抑えた。 アルフォルト陣営の中で一番常識人のように振舞っていた男が、実は一番非常識だったのかもしれない。 「じゃあライノアさんも頼まれたら女装するんですかー?」 意趣返しのように尋ねれば、当たり前でしょう、とでも言いたげにライノアは頷いた。 それから、ハッとしたように口元を抑えた。 「そうか、私も女装してついて行けばアルフォルトのメイド服が見れたんですね」 悔しそうに俯いたライノアに、レンは若干引き気味だった。 でも。 (······ライノアさんの女装、ちょっと見てみたいかも) 怖いもの見たさ、というやつだ。 アルフォルトが頼めば、この男はなんでもやる確信がある。 いつかアルフォルトを唆して頼んで貰おう、とレンは心に決めた。 「ライノアさんって、時々物凄く頭悪くなりますよねー」 ボソッと呟けば、ライノアは聞き取れなかったのか「何か言いました?」と尋ねれられるが、レンは首を振った。 「いいえーなんでもないですー。二人、早く帰ってきて欲しいですねー」 レンは窓の外をながめて、微笑みながら思った。 ──こんな大人にはなるまい。

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